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【第十一話】二つの別れ

 『小春、帰ったぞ』 

 夕食を取る前に自分の部屋のエアコンを稼働させてから小春に帰宅のメッセージを送る。程なくして通話の着信音が手の中から聞こえて来た。

「なんだ?」

 挨拶無しに要件を切り出した。

「清水さんの家に行ってたって本当?」

「ああ。本当だが。今日話したい内容ってそうじゃないだろ?なんだ?」

「うん……」

 しばしの沈黙が流れる。

「どした?」

 小春が沈黙するときは本当にいいにくい事があるときだけだ。普段は失礼な事もずけずけと言ってくる。だから僕はそれを待つことにした。

「別れた」

「氷川君とか?」

「そう」

「そうか。なんかあったのか?」

「今、出てこられる?あそこの公園で」

 桜並木を抜けたコンビニの隣にある児童公園。僕らがよく遊んだ場所だ。僕は部屋のエアコンのスイッチを切ってから母親に「ちょっと出掛けてくる」と声を掛けて玄関を出た。お向かいさんだから当たり前だけど、小春も玄関から出て来た。その場で話をすれば良いのだけれど、公園を指定されたのでそこまでは無言で歩く。公園までの道は日が暮れてもまだ生ぬるい風が吹いていた。

「隼人。私、別れた」

「それ。さっき聞いた」

「だから……」

 その先の言葉は分かっている。しかしそれを僕は遮るように首を横に振った。刹那。うなだれる小春。座っていたブランコを足で軽く動かす度にキィキィと音を立てる。

「なにがあったんだよ」

「氷川君……他に好きな女の子が出来たって」

「そうか」

 以前清水さんから言われた言葉を思い出す。「氷川君、正直あまり良い話を聞かないの。だからもし何かあったら桜さんを助けてあげて」悪い予感は的中した訳か。「桜さんを助けてあげて」この言葉の意味は付き合い始めた今も同じなのだろうか。僕が小春を助ける行為、それはすなわち清水さんと僕との関係を解消することになる。今の僕にそれは出来るだろうか。僕の手にはさっき撫でた清水さんの感触がまだ残っている。

「それで。小春はどうしたいんだ?」

 さっきは首を横に振ったけども言葉にした方が良いと思い、こちらから水を振った。

「ねぇ隼人。私たち、やり直せないかな」

「それは寂しさの穴埋め、代償行為じゃないのか」

 沈黙が流れる。小春はブランコから足を前に投げ出して自分の膝を触る。

「なのかなぁ……」

「多分な」

 穴埋め。代償行為。そのために僕は清水さんを捨てる事が出来るのか。今の僕の答えはノーだ。

「分かった!今日のことは忘れて!それじゃ、帰ろっか」

 強がりなのは分かった。でもここで優しく接する事は清水さんへの裏切りに思えて僕は無言で立ち上がって小春よりも先に公園を出た。

「肉まん。買ってきていい?」

「いいけど太るぞ」

「いいの。なんかそんな気分だから」

 今、こうして小春と居ることを清水さんが知ったらどう思われるんだろう。本当のことを言えば信じてくれるのだろうか。そもそも報告することなのか。小春は肉まんを手にコンビニから出て来て歩きながらそれをちびちびと食べている。いつもなら「一口どう?」とか言ってくるのにそれがないから、なんか不思議な感じだ。お互いの家の前に到着した頃には肉まんは小春のお腹に吸い込まれたのか手に持っていなかった。

「それじゃ」

 僕は先にそう言って家に帰ろうとした。

「待って」

 僕のシャツを後ろから小春に摘ままれた。

「なんだ?」

「本当にダメかな……」

 ここで振り返れば小春は喜ぶかも知れない。でも僕にはもう清水さんがいる。

「ごめん」

「そう……」

 引っ張られて張りを感じていたT[#「T」は縦中横]シャツは元のゆとりを取り戻して背中に戻ってきた。

「それじゃ。僕はこれで」

「分かった」

 僕は後ろを振り返る事をせずにドアを開けて自宅に戻っていった。

「はぁ……。なんで今なのかな……」

 思わず言葉になってしまった。未練?後悔?そんな単純じゃないものが喉を通り過ぎてゆく。

 

 翌朝。小春は家の前で僕の事を待っていた。僕は少々困った顔をしながらも後ろから付いてくる小春を突き放す事もせず一人歩いた。いつもは隣に立っている小春が後ろを歩いてくるのは何年ぶりだろうか。小学生時代以来だろうか。

「おはよう」

「おはよう」            

 ローファーを脱いで上履きに履き替えている清水さんを見つけて挨拶をする。目線を僕の後ろに移したので小春とは目が合ったのだろう。僕はそれを気にしないフリをして清水さんと一緒に教室を目指した。

「いいの?」

「なにが?」

「桜さん。昨日なにか話があったのでしょう?」

「ああ」

 僕は視線を少々後ろに移して小春が付いてきているのか確認をする。ここで昨日の出来事を小春にも聞こえるように話すのか迷ったけどもここはしっかり伝えるのが良いと考えて正直に話した。

「小春にやり直せないかなって言われた」

 清水さんは返事をしない。次の言葉を待っているのだろう。

「もちろん断ったよ」

「そう」

 どこか寂しげな返事に僕は違和感を覚えながらもきちんと言えたことに満足した。その日のも清水さんが用意してくれた予習のノートのおかげで無事に授業を終える事が出来た。僕は放課後になって清水さんを待つこと無く図書室に向かった。何故か小春の前で清水さんと一緒に居ることに違和感を感じてしまうことを恐れたのかも知れない。

「随分と勉強熱心なのね」

「追いつかないとな」

 約束をしたわけでもないのに清水さんは図書室のいつもの席にやってきた。違うのは一人分の席を空けて座るのではなく、僕の隣に座って来たこと。

「その……。あまり乗り気はしないのは分かるのだけれど、昨晩の事って聞いていいのかしら?」

「構わないよ。隠し立てするようなことでもないし。昨日帰ってから近所にあるコンビニ横の公園まで行ってさ、話をした。その公園ってさ、小さい時から小春と一緒に遊んでた場所で何か話があるときの集合場所みたいになってて」

 言い訳がましい言い回しになってるなって思ったけど、僕はありのままを伝えた方が良いと考えて言葉を省かずに話すことにした。それを清水さんは黙って聞いてくれている。

「そこのブランコにお互い座って話をした。そこで小春から氷川良介、小春の彼氏から他の人が好きになったから別れて欲しいって言われたと。で、僕ともう一度やり直せないか、と言ってきたんだ。でも僕はそれを断った」

「声に出して断ったの?」

「公園では首を横に振っただけ。家に入る前にもう一回言われて『ごめん』ってちゃんと言ったよ」

 だから安心してほしい。そう伝えたかったのだけれど、今までの小春と僕の関係性を知っている清水さんには嘘はバレてしまうらしい。

「私が枷になってる?」

「そんなことはない」

「桜さんに何かあったら助けてあげてって私言った。だから……」

「そんなの関係ない!」

 思わず語気が強くなった。

「あ、済まない。僕はそんな気軽に人と付き合うなんて事は出来ない。だから清水さんのことも今回のことで壊したくない。だから……」

 僕の言葉に被せるように清水さんはこう言ってきた。

「如月君の幸せは私の幸せなの。だから、桜さんを助けてあげて」

「そりゃ、幼なじみとして慰めたりはするかも知れないけれど、恋人としては……」

 自分で話してて小春のことを考えている自分に気が付いてしまった。小春は僕の何なんだ?幼なじみ?元恋人?ただの友達?

「じゃあ。私が如月君を振るわ。私、如月君とはお付き合い出来ない。私は如月君の枷になりたくない。気持ちを縛り付けたくない」

「なんでそんな……」

 なんでそんなことを言うんだ。そう言いたかったのに言葉にならなかった。僕は一体どうしたいのか。そんな言葉が頭の中を飛び回る。

「そうか……。分かった。僕が小春と付き合えば清水さんは満足、なんだな?」

 二人とも正面を向いて話していたが、この言葉で初めて向き合った。

「私はそれで満足するわ」

「じゃあ、どうしてそんな顔をしてるんだ」

 瞳には寂しさが溢れていて、遠くの欲しいものが手に入らない様な表情をしている。

「私には届かないの。桜さんと如月君には。どうしても届かないの。どんなに手を伸ばしても。どんなに想いを寄せても。だから、桜さんを助けてあげて」

「仮に小春に僕が振られたら?一度は断ってるんだ。その可能性もゼロじゃない」

「そんなことはないと思うわ。だって桜さんは……」

 言葉がそこで途切れる。何か言葉を探している様に。

「だって桜さんは……あなたの幼なじみでしょう?」

 本当は違う言葉にたどり着いていた気がする。それを飲み込んで出た言葉が「幼なじみ」。

「そこには僕の気持ちを介入させる余地はないっていうのか?」

 僕の気持ち。小春に対しての僕の気持ちと、清水さんに対しての僕の気持ち。そんなもの天秤に掛ける事は難しいかも知れないけれど。

「分かってるの。私も如月君のことを何年も見続けて来たのだから。如月君が桜さんを見る目。桜さんが如月君を見る目。そこに私は居ないわ。今朝だって桜さんが如月君を見る目は、私には出来ない目だったわ。如月君の全てを見るような」

「分かった」

 そう言って僕はスマホを取り出して小春にメッセージを送る。

 『明日の放課後。ブランコで待ってる』

 その画面を清水さんに見せた後に僕は言葉を続けた。

「清水さんも一緒に来てほしい」

 残酷なのは分かってる。でも……。そうしないといけない気がする。心の区切り。

「分かったわ」

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