9月8日:巽鈴と新たな試み
巽鈴。旧姓は二階堂。ごくごく普通?の専業主婦
八月二十三日生まれ。家族構成は夫
異母兄の子孫である覚は甥っ子としていいのなら身内にあたる
元々江戸時代で産まれ、色々あって花籠雪霞の御付として、彼の側に仕えていた
死にかけた主を救うために憑者神として役目を賜ったはいいが、雪霞の死によりその役目を終えることができず、不老不死の憑者神として二百年近い時間を彷徨っていた
雪霞の生まれ変わりである夏彦の元に付喪神として住み込み、彼をごく普通の日常から憑者神が取り巻く日常へ連れ込んだ張本人でもある
神語りとして正しく目覚めた夏彦と、彼女の願いを聞き届けた竜胆の手により、本来雪霞が行うはずだった神堕としを行使してもらい、人間へと戻ることになる
大事な人を癒す願いを抱いた龍神「竜胆」をその身に宿し、人々を治癒し続けた先代の「辰の憑者神」
能力はもちろん、二百年間培った戦闘経験は彼女の糧として機能している
特殊な条件はあるが、人として戻った後も再度憑者として前線に立つことができるようになっている。数多の経験を駆け抜けた彼女は、自分が持つ知識で今代たちを引っ張ってくれる存在となっているようだ
・・・まあ、彼女は抜けているところがあるので頼りがいがあると言われれば微妙な部分ではある
二人で交わした「ずっと一緒にいる」約束は、まだまだ始まったばかり
・・
九月八日
今日も私は事を終えた後にある試みを実践していく
「むう・・・どうかな、夏彦」
「どれ・・・お、薄くなってる。ここの傷口深かったのに」
「もう少しで完全に消せるかな」
「ああ。本当に鈴は凄いな」
試みは、彼の体にびっしり刻まれた古傷の治癒
元々、私の治癒は古傷の治療と心の治療は不可能だった
考えたことはあった。聡子と涼香が私を神に至らせていたら得られるかも知れないと言われていた能力
覚のように本覚醒に至って能力が増える憑者神がいる
・・・憑者の能力には制限があると思っていた
けど、それは私達自身が決めていた限界
能力に天井はない。本覚醒という上限突破の条件はあるかもしれないが・・・鍛えれば鍛えるほどその力は目覚めていく
私は残念ながら他の皆のように覚醒済ではないけれど、二百年の経験がある分やれることは多い
「更に伸ばせるかわからなかったけど、無事に伸ばせてよかったよ」
「条件は色々多いみたいだけどな。しかし、その前の過程は絶対に必要なのか?」
「いる」
「疲れるだろ」
「いるの!」
「鈴がそう言うなら、必要な過程なんだろうな」
「うんうん。身体に隅々まで触れることによって皮膚の状態とかチェックしてるからね。私が生み出した古傷の治癒には夏彦の全部を知らないといけなくて、ちょっと古かったら何が起きるかわからないから常に身体の情報を最新に更新しておかないといけないからね。これは必要な過程なの。絶対必要なの!営み大事!」
「・・・わ、わかった」
あまりにも勢いに任せて理由という言い訳を述べていたのか、夏彦が若干引いていた
冷静になるとちょっとだけ恥ずかしいことも言っているのを自覚して、いそいそと布団の中に籠もってしまう
「勢いに任せて凄いことを言ってしまった・・・」
「まあまあ・・・たまにはいいじゃないか」
「むー」
「うぉあ・・・あ、でも頭をちょこっと出してくる鈴可愛いな・・・よしよし」
「むっ・・・これはいいものだね。相変わらず頭を撫でるの上手だね、夏彦。むしろ進化した?」
「そうか?」
「うん。なんだか少し優しさが・・・」
「全然わからないぞ鈴。俺は普段どおりに撫でているつもりだから」
ううん。ぜんぜん違う。最初に出会った時よりもその手は優しくて、暖かくなってる
撫で方だって、ちょっと雑が入った感じから、ふんわりと優しく撫でてくれる手に変わっていることには気がついていないらしい
「ところで鈴、その・・・なんだ。身体冷やすぞ。そろそろ服を着たらどうだ?」
「どうして?今は確かに立秋の頃だけど、まだまだ暑いし、そのまま寝ても大丈夫だと思うけど」
「・・・なんとなく、今の鈴は身体を冷やさないほうがいい」
「神語り的な勘?」
「ああ。証拠を提示しろと言われたら難しいけど、とにかくそうしたほうがいい」
「なるほどね」
さりげなく、彼に手を差し伸べてみる
私はあれがほしい
自分のサイズにあった服よりも、一回りぐらい大きい服がほしいのだ
「・・・どうした、この手」
「夏彦のワイシャツが欲しいなぁ、と」
「元々寝る前に着替えたから俺は夏版オカメきぐるみパジャマだぞ。クローゼットから出してこないとワイシャツは無いんだが・・・少し待っていてくれ」
「そう言いながらも持ってきてくれるんだ・・・」
軽く服を着込んだ後、私の分も収納できるようになった広いウォークインクローゼットの中に入った彼は、アイロンをしっかりあてているワイシャツをその手に戻ってきた
確かにこれしか無いけれど、我儘を言ってしまっただろうか
「ほら、鈴。大きいけど・・・」
「ありがとう。わ、ブカブカで袖の部分がひらひらできる!」
「楽しそうで何よりだ」
「夏彦は、こういうの嫌い?」
「大好物だが。今も写真撮りたいぐらいだし」
「ならよかった。でも写真は撮らせないからね。恥ずかしいから」
隣に腰掛けて、その肩に身体を預ける
前の家では隣に窓があったから、空が綺麗だねとか話ができていたけど・・・今の家だと、隣は無機質な壁
窓はあるけど、少し離れた場所にあるからそんな話はできやしない
部屋を照らす灯りは買ったばかりのサイドランプ
真夜中でもサッとつけられて、光が温かいものを選んだんだよね
話したいこと、何かあったかな
うん、一つある。凄く大事なことが
「ねえ、夏彦」
「どうした?」
「聡子とのお出かけ、いつになったの?」
「今月の十六日。日曜日に、聡子の実家まで」
「・・・何しに行くの」
「本人は面白がって言わないだろうけど、情報収集に行くんだ。良弥さん・・・だっけ?聡子のお父さんは昔風花の家の内装監修をしたらしい。現場にも出向いたそうだ」
確かにデザイン系とは聞いていたけど、風花さんの実家まで担当していたんだ
と、言うことはつまり・・・彼女の目的は
「その時に夕霧に行っているから、当時の話にはなるけど「夕霧に足を踏み入れて帰ってきた憑者神」に、何か参考になる話が聞けないかと思っているらしい。メインは実家帰省みたいだけど、まあついでにしては大きい仕事だ」
「そんな立派な目的があったとは・・・」
「ああ。むしろ誘ってもらえて助かったよ。参考になるし、それに良弥さんには聞きたいことがあるからな。特に、儀式方面で」
「乾と袮子の憑者を作る儀式のことね。参考までに聞いておきたかったけど、いい機会かもね」
「ああ。そのとおりだ」
私が全てを知った上で聡子を問い詰めても、彼女は適当にかわすだろう
彼女はそういう子だ。わかっている
「基本は実家帰省らしいからな。二人きりとは言っていたが、実際には涼香もいるし、俺も鈴を連れていくつもりだったから」
「私も?」
「せっかくだからな」
「じゃあ、一緒に」
「ああ。よろしく頼む」
「でも、どうして話したの?」
「約束したろ。もう隠し事はしないって」
「そうだったね」
それからはのんびり他愛ない話をしながら眠気が来るのを待つ
おやすみ、と彼が呟いたのを聞いてから私はゆっくり夢の中へ落ちていった
・・
鈴が眠って少しした後
「・・・あの変な寝方、改善されたんだな」
俺の手をしっかり握って、安心しきった表情で眠る彼女の頭を起こさないように一度撫でる
「寝顔可愛いなぁ・・・」
彼女の寝顔というものはめったに見られない
生活が変わったとは言え、俺より何故か遅く寝て、俺より早く起きている。それがうちの奥さんなのだ
「しかし、これはなんだろうか・・・」
今日もまた、鈴の周りを小さな光が飛び回る
鈴が眠っている時にだけ現れる光は、なぜか俺にも寄り添って、鈴が目覚める頃にはどこかへ消えている
雪霞や竜胆に聞いても、正体はつかめなかった
気がついたら現れていたそれは今日もまた、俺の周囲を飛び回る
その正体を知るのは、まだ遠い先の話