9月7日:巳芳覚のお買い物
巳芳覚。リュミエール所属の営業マン
十一月十二日生まれ。家族構成は両親と弟が七人
一応、ご先祖様の異母兄妹である鈴を叔母とするならば、彼女も覚の身内と数えられる
数多の分野に渡る経営を行う「MYホールディングス」の現社長の長男。本人は実家を継ぎたくなくて東里の元に身を寄せている
学生時代は女性関係にだらしがなかったが、現在は落ち着いている
現在は七年前に一目惚れした恵と交際・同居。尻に敷かれる生活を堪能しているようだ
よく言えば親しみやすい、悪く言えば適当な振る舞いが目につくが、根は真面目な様子。何事も最善を目指し、真摯に向かうことが彼の矜持なようだ
特技は速読。意外と読書が好きらしい。紅茶は子供時代に農場と海外の紅茶販売業者を買収する程度には好き
紅茶には並々ならぬこだわりがあるようで、恵曰く「茶器まで複数揃えている」とのこと
抱いた願いがわからない特異な蛇神「柳」をその身に宿した今代の「巳の憑者神」
他の憑者神とは異なり、様々な能力を行使することができるようだが、その全貌は明らかになっていない
・・
九月七日
残業だらけの仕事が終わった俺達は、神栄市のお隣りにある一園市に向かう
今日の目的はそこで年に一度行われる夜市
後は、亜麻高でした彼女との約束を果たしにここまでやってきた
「へえ・・・こんなのをやってたんですね」
「うん。取り扱っている商品が特殊だから、客層も特殊だけど・・・もう少し進んだ先には一般客向けの出店もあるから。俺の目的が終わったらそっちに言ってみよう」
「はい」
手を繋いで恵ちゃんと夜の市場を歩いていく
俺から見たら目移りしてしまいそうな骨董品ばかりだが、恵ちゃんはあまり興味がなさそう
・・・ここは早めに終わらせて、普通のお祭りの方に行ったほうが良さそうだな
「しかし、覚さん。今日は何を買われるんですか?」
「リーベルトのティーカップ」
「・・・また茶器ですか」
うぐ、その視線・・・冷たくて大好き
確かに我が家には俺の秘蔵茶器コレクションが各種揃えてある
この前もこっそり富裕層向けオークションに潜り込んで茶器を仕入れてきたことをしこたま怒られたのに、またかよ・・・と言わんばかりの目である
「今日の骨董オークションで出品されるって聞いてさ。品質は良いけど戦時中だったこともあって作り手は戦場に行くわ、工房は爆撃で潰れるわでとにかく生産数が少なくてね。現存するものはマニアなら喉から手が出るほど欲しい一品なんだよ!」
「・・・食器のことなんて私には全くわかりませんが、覚さんがそのリーベルトのティーカップが欲しいことだけははわかりました」
俺の熱弁に対して、あっさりした対応で話を締めてくる
まあ確かに興味がない人に熱弁したところで望んだ反応は返ってくることはないけどさ
「・・・覚さんは、紅茶を飲むことに対しては凄いこだわりを見せますよね」
「好きだからね。お茶菓子も含めて、テーブルセットまでこだわって、理想のティータイムを演出したいというか・・・」
金持ちらしいことは嫌いだけど、午後のティータイムだけは嫌いになれない
毎日の日課と化しているこればっかりは妥協したくない部分だし、どこまでもこだわりたい部分なのだ
茶器だってその一つ
俺は茶器にこだわっているというよりは、ティータイムにこだわっていると言ったほうが正解かもしれないね
「そういえば、茶葉はどこのメーカーを買われているんですか?」
「自家メーカーだけど?」
「・・・は?」
「十二歳の時に、お袋から「好きな会社の買収資金」を貰ってさ。その時に、貯めてた小遣いでスリランカにある農場と、お袋のプレゼントでイギリスの名門紅茶製造会社を買い取って、特注ラインで俺だけの紅茶を作ってもらってるんだ」
「何を言っているのか理解し難いんですけど・・・」
「その時に専門のティーブレンダーも雇ったから、今度恵ちゃんの好みに合わせてブレンドしてもらおうか?」
「結構です・・・全く、そこまでこだわっていたなんて」
・・・基礎から勉強して、話についていけるようにしないと
そう小声で呟いた恵ちゃん
素直で、わからないことでも歩み寄ろうとしてくれるその心が健気で可愛いんだよね
それからは金持ちのぶっ飛んだ会話から普通の話に
どうでも良さそうな話をしながら、オークションが始まるまでの時間を普通の夜店が並ぶエリアで過ごしていく
「・・・ねえ、恵ちゃん」
「なんですか?」
「あれ。何?銃が置いてあるけど見たこと無い型だね。あれいいの?銃刀法的な意味で」
「ああ、大丈夫ですよ。あれは射的です。おもちゃの銃を撃って、商品を倒すゲームです」
「実弾で・・・?」
「コルク弾ですよ!?なんでその発想が・・・あ、もしかして昔、射的というか狩りでもされてました?」
「うん。親父に連れられてね・・・」
でも、そうか。おもちゃの銃か。だから見たことなかったんだな
「あれ、やっていい?」
「いいですけど、正直言いますが当たりませんよ。当たっても倒れるかどうか」
なるほどなるほど。射的屋が稼ぐ原理がちょこっとわかった気がするぞ
景品が倒れるまでは稼ぎ放題だもんな。理解理解・・・
「大丈夫。その時は俺もズルするから」
「・・・うわぁ」
恵ちゃんに軽く引かれながら俺は射的屋に向かい、そこでお金を払って弾をもらう
説明どおりに弾を込めて、とりあえず一発は適当に狙って試し打ち
一発目は安・・・軽そうな駄菓子の箱を狙ってみる。無事に倒れたそれを見ながらこれから何を狙うか考えていく
む・・・そこまで難しいゲームではなさそうだ
駄菓子程度では、大きな打撃は受けない
恵ちゃんの話から推察するに、高そうなの・・・最新ハードのゲーム機だとかソフトだとか、大きなぬいぐるみとかは倒すのが大変だろう
『蛇、偵察・・・』
とりあえず蛇を召喚して裏がどうなっているのか確認へ向かわせる
横にいる恵ちゃんの視線が痛い。ズルしたのがバレているから仕方はないけれども・・・
蛇と視界を共有して、裏がどうなっているのか確認してみる
うわぁ・・・何ということでしょう。しっかりとした支えが存在しているでは有りませんか・・・
むしろ倒れるのか、あれ
『蛇―・・・支えをこっそり壊しておいでー・・・』
増援の蛇を召喚して、もう一つ指示を出す
そして、その間の店主の視線は俺に向くようにわざと声を出して気を引いておく
「・・・弾は二ゲーム分買ったから、残り九発」
目には目を、ズルにはズルを
連絡役の蛇に支えの破壊を報告してもらってから、それぞれに三発ずつ入れ込んで景品を倒していく
店主は唖然としていたけれど、倒れたものだから渋々景品を渡してくれた
「・・・あの」
「どうしたのかな、恵ちゃん」
店から離れた場所で、恵ちゃんが声をかけてくれる
怒られるかと思ったら、彼女の反応は結構あっさりしたもので・・・逆に、面白がっているようにも思えた
「覚さんが罠を壊してまで景品を取ったのは以外だったなって」
「純粋に重さだけならあそこまでやらなかったよ・・・。でも、あそこまでガッチリやられてたら、ちょっと倒したくなっちゃって。意地になっただけ」
「変なの。覚さんでもそういう時あるんですね」
「たまにはね。でも、俺はてっきり恵ちゃんが怒るかと思ったんだけど」
「まあ、正直やってることはギリギリどころかアウトなので、こういう場面でもう能力を悪用するのは止めてくださいね。次やったら遊ちゃんにチクりますので」
「そりゃあヤバいね。あの子にバレたら怒られるどころの問題じゃなくなりそう」
猿見ちゃんに「能力を悪いことに使った」なんて知れてみろ
今は落ち着いたとは言え、暴発で盗取が無作為に発動し、泥棒扱いされていた彼女から怒られるどころの話ではない
一生人間扱いされないかもな・・・うん。もう絶対にやめよう
うちの最年少は、泣かせたり、悲しませたり、怒らせたりしちゃダメだ
「うん。もう絶対にやらない。恵ちゃんもチクらないでね。賄賂あげるから」
「そんな理由で物を貰いたくないのですが・・・」
賄賂として景品の一つであるおかしと熊のぬいぐるみをプレゼント
ぬいぐるみなんて、彼女が持っているところを見たことがない
趣味ではなさそうだが・・・ゲーム機を贈られるよりはマシだろう
「ありがたく、いただきます」
「一人の時はその熊を俺扱いしていいからね・・・!」
「いや、それなら蛇のぬいぐるみを買いますよ。売っているのかわかりませんけど」
正論頂きました
確かに熊より蛇の方が俺っぽいかな。巳だし
・・・できればジャングルに住んでいそうな迷彩色のそれより、白蛇でお願いしたいところだけど
「てかさ、恵ちゃんはぬいぐるみってその子以外に持ってるの?荷造りの時も見た記憶ないけど・・・」
「あんまりどころか、この子が初めてです。父も母も子供の時にしか使わない消耗品にお金をかけたがりませんでしたから」
「えぇ・・・」
子供にぬいぐるみって、ある意味情操を鍛えられるようなものじゃないの?
ほら、ぬいぐるみを家族みたいに思ってさ・・・大事にして、優しさを育む的な
俺も小さい頃買い与えられたことがないからわからないけど・・・少なくともその小さい時にできた家族は、今も隣に寄り添ってくれる場合もあるだろうに・・・
「小さい頃、おねだりはしたことあるんですよ。当時流行っていた動物アニメのぬいぐるみが欲しいって。でも、お父さんからは「そんなものは必要ない」って一蹴されて、お母さんもあんな人ですから、聞き入れてもらえなくて。憧れはあったのですが、機会がなくて未だにぬいぐるみを所有したことがなかったんです」
「それで、俺が恵ちゃんへ最初にぬいぐるみを贈った存在になったと」
「そんな感じです」
「・・・ごめんね。俺、恵ちゃんがぬいぐるみとか持っている様子がなかったから興味がないのかと思ってたけど。その様子じゃ普通どころかかなり好きっぽいね」
「顔に出てました?」
「うんうん。熊を見ている目が俺を見ている目と一緒だから。大好きを見る目。俺も大好きな目だよ」
彼女の夕焼け色の目がキラキラとしている様子を見る限り、そうとしか言い切れない
この話を知っていたら、もう少し贈り方とか考えたのだが・・・過ぎてしまったことはしょうがない
「今度、何か買いに行こうか。ほら、家具も買いに行かないといけないし。最近は家具屋でもぬいぐるみたくさん売ってるしさ」
「いいんですか?」
「うん。ほらー可愛い彼女が欲しがってるんだからこれぐらいはね。あ、テディベアとかのほうがいい?会社買収しとく?」
「そこまではしなくていいですから!それに、熊はこの子で十分ですから・・・」
贈ったばかりのぬいぐるみを大事そうに抱きかかえて、嬉しそうに微笑んでくれる
過程はどうであれ、こう喜んでもらえたのは凄く嬉しい話
「しかし、これはどうしたものか」
「最新ゲーム機とソフトですよね。私もそこまで詳しくはないので・・・助言とかできないのですが」
「さっきの話を聞いたらそう思うよ・・・。曇天堂swatchとスーパーマリモシスターズ3とかいうゲームだね。高そー・・・」
「・・・これ、全年齢対象のゲームなんですよね?」
「うん。全年齢。子供でもプレイできるセクシーお姉さんを操作してプランクトン?とかいうやつを救いに行くゲームっぽいよ」
正直、俺もゲームには全然詳しくはない
やったこともなければ、情報を集めたこともない
まあ、swatchが最新ハードだということと、マリモ姉妹がシリーズ三作目まで続くような息の長いタイトルということぐらいしか、今の俺には理解できないのだ
とりあえず、タイトルで検索をかけてみる
その中で一つ、興味を引くワードがあった
「・・・これ、使えるかもな」
「どうしたんです?」
「いや、俺も恵ちゃんもゲームとかやらない系じゃん?」
「まあ、そうですね」
「もっとやらなさそうな奴らに、このゲームをやらせたらどうなるか気にならない?」
「・・・まさか夏彦君と鈴にやらせる気ですか?」
「うん。でも二人じゃ食いつき悪そうだから、食いつきの良さそうなのも添えておく。夕霧旅行の前日は寝かさないぜ!」
涼香から貰った気になる情報もあるし、マリモ姉妹は夏彦と鈴はともかく猪紀なら食いついてくれるだろう
あの三人は、寝台列車の中で寝てもらったら困るから
恵ちゃんは不思議そうに首を傾げていた。彼女に俺の企みを説明するのは、夏彦たちが夕霧に旅立つ日の夜になる
その後、俺達は適当に出店を回りながら「普通のお祭り」を頼んでいく
あの時は浴衣が崩れたりして上手く楽しめなかったから。今年が終わる前にもう一度彼女とお祭りを楽しめたのは、大収穫とも言えるだろう
ついでに、無事にオークションに参加して、狙っていたティーカップを手に入れた
参加者が少なくて助かったよ。まあ、こんな価値ある茶器が百万程度で買えるなんて地味に複雑な部分ではあるんだけどね・・・
目的を終えた後は帰路を辿り、家で戻って鍵を開けてもらう
思えば、この家に帰るのも今日で最後か、なんてしみじみと感じながら、荷造りを済ませてダンボールばかりが待ち受ける廊下を進んでいった