9月6日:馬越風花とお見舞い
馬越風花。聖松川女学校一年生
三月二十三日生まれ。家族構成は両親
夕霧峡に存在する一般客向けの旅館「夕霧亭」の娘
祖父と東里の祖父が学生時代の親友であり、その縁で卯月家との繋がりが存在している
現在は実家の旅館が潰れる寸前になっており、卯月家からの援助を求めた両親が娘を卯月家に出す代わりに経営援助を取り付けている
その関係で現在は東里と許嫁の関係に。現在は親元を離れ、東里と共に暮らしている
最初こそお金と家の為にと、その運命を受け入れていたが・・・同居により卯月東里という人間を少しずつ知っていく
現在はたとえ始まりが「取り決め」であっても、いいものにしようと互いに模索しているようだ
学生時代の東里が使用していたカメラを事故とはいえ壊してしまったことを気に病み、最近はバイト生活をしている
風と共に空を駆けることを夢見る願いを抱いた午の神「菜花」をその身に宿し、風を操り、宙を駆ける今代の「午の憑者神」
幼少期から花嫁修業をさせられているので家事は万能。深窓の令嬢という言葉が似合うほどの黒髪美人で落ち着きのある性格
しかし彼女もまた、箱入り娘
外の世界はまだまだ広く、未知ばかり。迷うこともあるが、それでも彼女は・・・
・・
九月六日
バイト先に向かう前に、私はある場所へ向かってみる
東里さんから教えてもらった病院のとある一室
卯月紗季さん。東里さんのお母さんだ
「こんにちは・・・」
勿論返事は返ってこない
けれど、病室に立ち入るのだから挨拶は必要だ
どんな時でも、礼儀は欠かすものではないのだから
東里さんのご両親は、彼がまだ小さい頃に事故に遭われたそうだ
お父さんはその事故でお亡くなりに、お母さんは、重症で搬送
もう、二十年近く眠り続けているらしい
細く痩せこけた体には沢山の管がまとわりついている
彼女を生かすための糸は、休むことなく役割を果たし続けている
「風花?」
「東里さん。来られていたんですね」
「うん。そろそろ花を替えたいなって思ってね。仕事の合間だけど、これぐらいできない時間はないから。それで、風花はなぜここに?」
見繕ってもらったそれを隠すように、私は東里さんの問いに答える
「実は私も東里さんと同じなんです。一昨日訪れた時に花がしおれていたので、替えてあげたいなと思いまして・・・でも、東里さんがご用意されているのなら大丈夫ですね」
「うん。それと、その後ろに隠したお花ももらえる?」
・・・たった二輪でも気づかれていたらしい
隠した小さな花束を前に出す。持って帰るつもりだったけど・・・バレてしまったら渡すしかないよね
「・・・でも、東里さんが選んだものは統一感があるじゃないですか。私のは、色合いも真逆ですし」
「キレイなガーベラじゃないか」
「でも、東里さんのは紫の桔梗で・・・とてもじゃないですが、オレンジのガーベラは合わないかと・・・」
「合う合わないとかそういう問題じゃないんだよ。ほら、頂戴?」
「はい」
ガーベラを渡すと、彼はその長さを調整して桔梗と一緒に飾ってくれる
色が真逆で、それでいて互いの色の主張が激しくて、不格好の花瓶
・・・正直、合わないし、東里さんのお母さんにも申し訳がない
「んー・・・白が欲しいね。今度持ってこようかな」
「あ、あの東里さん。やっぱり不格好ですし、桔梗だけで」
「どうしてだい?せっかく風花が選んでくれたのに、飾らなきゃもったいないよ」
東里さんは私が何と言おうとも花瓶にそれを飾り続ける
「こういうのはさ、見栄えじゃなくて気持ちだと僕は思うから」
「そうでしょうか・・・」
「それにさ、お母さんも喜んでくれていると思うんだ」
オレンジ色のガーベラに触れながら、彼は複雑そうな笑みを浮かべる
少しだけ、その中に寂しさを滲ませながら話をしてくれた
「元々さ、ここに来るのは僕だけだったんだ」
「そうだったんですか?」
「うん。小さい頃はお爺ちゃんも一緒に来てくれていたけれど、やっぱり仕事に穴を空けていたから・・・無理はしていたみたいでね。僕が一人でここに来れるようになったら、お爺ちゃんは来なくなったんだ」
「・・・それは」
「気にしないで。お爺ちゃんが実の娘のことをないがしろにしているわけじゃないのは知っている。僕が持ってきた花だって、電話越しだったけどお爺ちゃんが選んでくれたものだから。本当に、都合がつけられなくて来れないだけなんだ・・・」
卯月のお爺様はそれに加えて、最近は足腰が悪くなられたらしい
最近は誰かに頼らないと移動が難しいと・・・使用人の方々が仰られていた
「けどさ、風花が来てくれるようになって、風花のお陰で夏彦と覚もたまにだけどここに来て、鈴が来て、立夏ちゃんが来て・・・なんだかんだで憑者の皆がここ来てくれるようになってて。変な感じだけど、凄く嬉しくて」
「なんか、すみません・・・」
「謝ることじゃないよ。僕もあまり覚えていないけど、お母さんはとても賑やかなのが好きな人らしいんだ」
「そうなのですか?」
「うん。それに、小さい頃の僕が人見知りをするものだから、友達がいないのをひどく気に病んでいたみたいでね。だからこそ、この光景を見たら喜んでくれると思う」
人見知りで一人ぼっちだった彼に、長い付き合いのある友達が二人できた
その二人は同じように彼の母親を心配してここに足を運ぶ
そして彼自身が紡いだ縁は、様々な人の足をここへ向かわせた
花瓶だって、最初に来たときよりも一回り大きくなっている
しおれているけど花だって、東里さんだけが用意したものではないだろう
色々な人がここに訪れて、早く目覚めてほしいと祈るのだ
自分の利益になることなんてなにもない
ただ純粋に、彼の家族が目覚めることを望んでいるのだ
「海外でも勉強ばっかりだったから友達なんていなくて、日本に戻ってきたら高校生になれって言われて・・・本当にわけがわからない生活ばかりで、同世代の友達なんていなかった」
「そんな東里さんは、巽さんと巳芳さんとどんな出会いをされたのですか?」
「うーん。あまりいい始まりじゃないんだ。僕はさ、こんな生活が長くて大学だって飛び級したのに、なんで今更底辺高校に通わないといけないんだって・・・自分の頭の良さをひけらかしたりして調子乗っててさ。上級生に睨まれるようになったんだよね」
「確か当時・・・」
「九歳。あの時は本当に怖かったな。もう生きて帰れないかもって思ったほどだから」
「そこまで・・・」
確かに沼田は不良の巣窟だ
上級生に睨まれるなんて日常茶飯事のような気がするが・・・そんな状況になること事態、今の東里さんからは考えられないような話
「そこをね、僕は夏彦に助けてもらったんだよ」
巽さんからしたら「上級生?が道を塞いで邪魔だったからとりあえず蹴った。片付けた」・・・な話らしい
東里さんを助けようと思って助けたわけじゃないことは本人もわかっているとか
「けど、そこで救われたのは紛れもない事実。まさか同じクラスにいる問題児の一人なんて思ってなかったよ」
「巽さん、目立つ容姿をされていたようなのですが・・・」
「興味なかったからね。あの時は。でも、そうだな。不良が空高く蹴り上げられた瞬間に、狭すぎた僕の視野は、少しだけ広がったんだ」
それから、毎日彼は巽さんのところに通って、上級生と女性関係で揉めていたところを同じように通りがかりで助けられた巳芳さんと話すようになったらしい
互いに「監視役」の立場を共有して、巽さんと三人で高校生活を過ごしたのはもう遠い思い出の話だ
「最初の夏彦、全然話も聞いてくれなくてね。まあ、言葉の意味がぜんぜん理解できていなかっただけなんだけど」
巽さんはどんな生活をされたらそんなことになるんだろう
気になるけど、聞くのは凄く怖い。だってのばらの話じゃ・・・
「それより風花。そろそろバイトの時間じゃない?」
「そうですね。そろそろ向かいます。東里さんも、お仕事頑張ってくださいね!」
「あ、うん。でも気にしなくていいんだよ。カメラは僕の不注意で」
「私にも責任があります。だから、待っていてください!新しいカメラは私だけの力で贈りますから!」
病室をでて、速歩きをしながらバイト先に向かっていく。今日は和風喫茶のバイトだよね
学校には何かと理由をつけて認めてもらったバイト許可
東里さんも事実確認のため学校に呼ばれたらしいのだが、一体どんな受け答えをしたのだろう
いつかその話を聞いてみたいな、と思いつつ足を進めていく
彼に贈るプレゼントまで、道のりはまだ遠い