16:山吹色の理想
見覚えのない家だけど、そこはずっと暮らしていたかのような暖かさがあった
顔を洗って、リビングだと記憶に刻まれている場所へ向かう
そこには、いるだろうと思った人物が待っていた
「おはよう、夏彦。ちゃんと顔洗った?」
「・・・おはよう、お母さん。顔、洗ったよ」
「そう。ちゃんと出来てえらいね」
「ん・・・」
母さんに頭を撫でられたのは、記憶にある限りでは・・・初めてだと思う
これは夢だ
呑まれないように何度も言い聞かせる
現実の母さんはこんなに明るくはなかった
父さんがいなくなって、自暴自棄になった母さんしか俺は知らない
こんな幸せそうに笑う母さんを、俺は知らない
「お母さん、夏彦どうやら怖い夢を見ちゃったみたいでね・・・」
「あら。大丈夫よ夏彦。そんなものすぐに忘れちゃうわ」
「お母さんの言うとおりだよ。夢はね、起きたら消えてしまうものだから。怖かったって記憶も、ご飯を食べたらあっという間にどこかへいっちゃうさ。さ、椅子に座って」
「あ、あのさ、お父さん、お母さん」
子供の俺は一人で椅子にすら座れない
父さんが俺を子供用の椅子に座らせた後、隣の椅子に座って俺の様子を伺ってみる
食器から察するに・・・今の俺は六歳ぐらいだろうか
それこそ、あの年末の時ぐらいに戻っているのだろう
・・・いや、違う。夢が俺をその姿にしているだけだ
六歳の頃は人の扱いなんてされていなかった。だからこれは夢で・・・・
「夏彦、顔が青いよ。やっぱり、まだ体調が戻っていないのかな」
「へ・・・?」
「お父さん、ちゃんとお熱計ったの?」
「平熱だったから大丈夫だと思ってね。でもまだきついみたいだね。学校は今日もお休みしておこう。お母さん、後で連絡をお願いしてもいいかな」
「勿論。夏彦。ご飯は食べられそう?」
「・・・ううん。あんまり」
「じゃあ、ゼリーにしよっか?昨日も食べたりんごのゼリー、まだあるからね。出してあげるから少し待っていて」
「ゼリー・・・」
俺としては食べる気が起きないのに
なぜだろう。小さい俺はそれを無性に欲しがっている
子供な心と大人の精神の相違が起きている
胸が、とても苦しい
心に従ってしまえばこの苦しみから解放されることは理解している
けど俺は従うわけには行かない
大人の精神で、ここが夢だと把握して、夢から出る方法を模索しなければいけないのに
どうして、欲しがってしまうのだ
与えられた記憶のないものを、無性に欲しがるのはなんで、なんだろう
「へえ、夏彦はりんごゼリーが好きなのかい?」
「それは」
「そうよ。お父さんも知らなかったでしょ?」
「美味しいもまずいも一切言わないからね・・・でもどうして気がついたんだい?」
「夏彦が欲しいって言ってくれたのよ。だからお母さん、夏彦に喜んで貰えるように頑張っちゃった」
「手作りで?いいなぁ」
「そうよー。だって、いつか言われたいじゃない?」
「何を?」
「お母さんのりんごゼリーが一番だって。まあ、まだ練習中なんだけどさ」
周囲を軽く見渡してみると、リビングのテーブルには手作りお菓子の本が並んでいる
カラフルな付箋が貼ってある
「どこへ行くんだい、夏彦」
「ちょっと・・・」
もたつきつつも、椅子から降りて俺はその本の前に向かって本を手に取る
付箋には、見慣れた字が並んでいた
「これは夏彦が好きそう」
「作ってあげたい」
「今度の休みに作ってみる!」
その綺麗な字は、母さんのものだ
小さい頃、何度も見たそれは俺の記憶の中にある
「夏彦」
「お母さん」
「本をじっと見て・・・食べたいもの、あるのかな?教えてほしいなぁ」
「どうして、作ってくれるの?」
「へ?変なこと聞くね」
今度は母さんに抱きかかえられて、その笑顔を直視することになる
記憶にはなかった思い出
それは俺がかつて望んだ夢の形
もう手に入れられないと思っていた理想の・・・
「お母さんは、夏彦の「好き」をたくさん作ってあげたいの。夏彦が沢山笑って、幸せだと思う瞬間を作ってあげたい。だから、お母さんは出来ることをしていきたいって思ってるの」
「・・・」
「お母さんは、夏彦の事が大好きだもの。だから、たくさん教えてほしい。夏彦が何を好きなのか。何をしたいのか。全部ね」
ぎゅっと抱きしめられて、一瞬全てを夢に任せてしまいたくなった
そう。これは夢
理想を叶えた夜想の夢・・・ずっといていい場所じゃない
でも、どうして縋りたくなるのだろう
抱きしめられたままでいたいのだろう
答えはもうわかっている。けど、わかってはいけない
明確な答えを、得てはいけない
その瞬間、俺は永遠に閉じ込められて現実には戻れないのだから
「あら、どうしたの夏彦。疲れちゃったのかな・・・朝ご飯は後にして、もうちょっと寝ていよっか」
「うん・・・」
「ソファにいてね。毛布はこっちで・・・あ、お父さん。朝ご飯の前に、夏彦の布団からあなごちゃん持ってきてあげて。夏彦、あなごちゃんと一緒じゃないと眠れないから」
「了解。すぐに戻るよ」
父さんがリビングをでてから少し。ぬいぐるみを持って戻ってきてくれる
あなごちゃんって、チンアナゴのぬいぐるみのことか
現実の母さんが唯一俺に買い与えてくれたそれは、今もちょっとくたびれているけれど、まだまだ新しい方だろう
「お父さん」
「どうしたの?」
「鈴が、ほしいな」
「鈴?あったかなぁ・・・お母さん、鈴ってある?」
「キーホルダーについてる小さな鈴ぐらいしかないと思う」
「そっか。じゃあ、僕のむふむふざむらいキーホルダーを夏彦に。鈴がついているでしょう?これなら気に入ってくれるかと」
父さんは携帯に下げていたキーホルダーを外して、手渡してくれる
父さんがくれたキーホルダーのマスコットは侍な姿だけど、どこか鈴にそっくりで・・・ついている鈴も、彼女が身につけている雪霞から贈られた鈴と同じ色だ
「ありがとう、お父さん」
「いえいえ」
「ごめんお父さん。そろそろ朝ご飯食べないと、お仕事間に合わないかも」
「大丈夫。これぐらい平気だよ」
「お弁当、鞄の中にいれておくね。それから帰りに買い物もお願いしていい?」
「勿論」
後ろで父さんたちが日常的な会話をするのを聞きつつ、俺はキーホルダーをじっと握りしめる
夢から覚める方法を探したいが、この幼くて気だるい身体では不可能に近いだろう
父さんと母さんの側から離れることも出来ないだろうし・・・
「・・・鈴」
あの日、彼女が俺を深淵から引き上げてくれた時のように、彼女が来てくれるのを期待するしかないのが心苦しい
夢に呑まれないように、自我と理性を保って・・・理想の時間を受け入れないように目を閉じて、眠りを期待してみる
寝たところで、少しでも体力を回復するぐらいしかできないだろうけど
それでも少しでも出来ることをしていきたい
もう迎えに来てもらうのを待つのは嫌だから
少しだけ、身体が軽くなった気がした。なぜかはわからない
けど、夢へと抵抗できる思考がきちんと働いてくれている
自我を保つために言い聞かせよう。俺自身に、俺の理想とはなんなのか
俺の理想は、鈴と一緒にいる未来だ。断言出来る
ここは過去の理想であり、未来の理想ではない
だから俺は・・・現実に戻らないといけないのだ
鈴と一緒に生きて、笑って、家族を作って
これから先、苦しいことも辛いこともあるだろうけど・・・
そんな日々が楽しかったねって振り返られるぐらい・・・しわくちゃになって、残っているかわからないけど髪が白くなるまでしっかり生きる
それが、俺の未来の理想なのだ
この夢の中では叶えられないものばかりなのだ
目を閉じている間に、俺は再び眠ってしまったらしい
眠ることで再びまどろむ
けれど、夢の中で眠ればまた夢の中というわけではない
現実と夢の間に移動するだけなのだ
それは「彼女たち」にとって好都合な瞬間でもあった
『夏彦君、聞こえている?』
「・・・立夏さん?」
『返事があった。のばら、この道を経由して夢に入ることは出来る?』
『流石に出来ないわ。私に出来るのはここまで。声を伝える程度よ・・・でも、立夏の力で多少は意識を保てているのね。安心したわ。これからも続けていましょう』
『うん』
なるほど。俺がしっかり大人の意識を保てているのは立夏さんの鼓舞のおかげか
精神的な部分にも作用するらしい。まだまだ能力の可能性はあるんだな
「ありがとう。立夏さん。近くにはのばらもいるのか。無事でなによりだ」
『私達の心配はいいから、まずは自分の心配をしていてよ』
「ありがとう、遊ちゃん。しかし、これからどうするべきだと思う?」
『ううん・・・のばらお姉ちゃんの話だとね、夏彦お兄ちゃんの夢自体に干渉することはできないけど、夢の中にいる私達に干渉することは出来るらしいの』
「・・・つまり?」
『夢の中のどこかにいる私達であれば・・・現実の私達が意識を乗っ取れるのよ』
「なるほど。でも無理だ」
『どうして?』
「今の俺は、小学生だ。立夏さんでも俺より年下になってしまう。のばらや遊ちゃんは産まれてもない」
『・・・そう来たか』
夢の中にいる人物を操作して、俺を助けに来る・・・か
やはり俺は、彼女に迎えに来てもらわないといけないらしい
けれど鈴が来てくれると考えたら心に余裕が出来た気がした
「ごめん、夢の方に起こされている感じがして・・・一度起きるよ」
『起きて大丈夫?』
「心配かけたくないんだ。例え夢だとわかっていても・・・俺の夢にいるのは父さんと母さんだから」
『あっ・・・』
「その情報も含めて鈴に伝えてくれないか?」
『了解。気をつけてね、夏彦君。私は鼓舞を続けるけど、呑まれないように自我を保つのは夏彦君自身だから』
「ああ」
そう言って、会話は終わり・・・俺は夢の中へと戻っていった




