9月1日:猪紀のばらといつか着たい制服
猪紀のばら。瑞峰女学院中等部三年生
五月二十五日生まれ。家族構成は父と母
兄が二人いたようだが・・・二人共「原因不明の死」を遂げている
私からしたら、その原因は把握できているのだが・・・今はこういうことにしておこう
夕霧峡に存在する料亭「いのき」の長女として生まれ育ち、慌ただしい家の後ろで両親を支える為に日夜料理修行に励んでいた
神栄には、許嫁の元に向かう風花に同行し、従兄の彰則が「光」と例えた男を探しにやってきたらしい
現在はその光・・・巽夏彦の元で居候をしつつ、中学生活を送っている
料理の腕に関しては周囲も唸らせる才能を持っており、居候先の巽家で鈴と共に台所に立つこともしばしば
しかし料理以外は基本的にからっきし
周囲からは「ポンコツお嬢様」扱いをされて、悔しがる姿をよく目撃されているらしい
現在は受験生。調理系の学校へ進学を希望している様子
豊穣の願いを抱いた神「梅」をその身に宿している今代の「亥の憑者神」
十二人の中では覚醒が遅かったこともあり、まだまだルーキー
だが、神の力を思う存分引き出しているという点では、鈴に追随できるほどの才を持っているようだ・・・
・・
九月一日
受験も控えた中学三年生は、土曜日も補習という名の授業がある
「ただいま」
新築の巽家の扉を開けて、いつもどおりの挨拶を述べる
まだ慣れない。けど、結構好きな挨拶だ
「おかえりなさい。のばら」
そしておかえりなさいが返ってくる生活も、まだ慣れない
実家にいた時、両親の仕事が一番忙しい時間だったから・・・ただいまにおかえりも返す余裕なんてなかった
だからこそ、おかえりが嬉しくてむず痒くて・・・少し照れてしまう
居候先の新妻さんこと、巽鈴はそんな私を笑顔で迎えてくれた
「新学期、どうでした?」
「まだ慣れないわ。学校も、クラスメイトも全然」
「三年生の一番大事な時期に転校ですからね・・・やはり、グループとかあるんですか?」
「あるわよー」
うんと陰湿なグループ同士の対抗や、仲間同士の見えないところでの貶し合いとかね
まあ、これは話さないほうがいいだろう
そんなグループ同士のやり取りが面倒くさくて友達も作らず一人でいることとか、バレたら心配されるだろうし
「鈴は・・・寺子屋?」
「時代的に寺子屋すらないですよ。言葉や算術は使用人仲間で教えあっていました。少し難しいことは雪霞様に教えていただいていました」
「花籠雪霞・・・だっけ。夏彦の前世」
「はい。言葉遣いとか基本的なことは覚の先祖である智に教えてもらいました。家事全般は三代・・・智の母親からですね」
「へぇ・・・」
荷物をリビングの端に置いて、そのまま二人で話を続けていく
さりげなく、鈴がお茶を用意してくれる
冷たい麦茶は帰ってきたばかりで喉が乾いていた私をしっかり潤してくれた
「・・・じぃ」
「どうしたの、鈴」
「・・・前々から思っていたのですが、のばらの制服って凄く可愛いですよね」
「そうかしら。面倒くさいわよ、この無駄に金と手間がかかった制服」
「でも、でも」
珍しくはしゃいでいる鈴
さっきの話じゃ、鈴は学校に通ったことがないのよね
・・・もしかしなくても、制服という概念に憧れていたりするのかしら
「鈴、制服に興味があるのね?」
「そ・・・そうですよ。私、制服とか着たことがないので」
「照れることないじゃない。事情は皆わかっているんだから、そんな可愛いお願いぐらい素直に言いなさいよ」
「だっ、だって恥ずかしいじゃないですか・・・私、大人ですよ?」
「私からしたら、学校に行ったことがない大人が制服に憧れることより、行ってきますとただいまでキスしてる方が恥ずかしいと思うわよ・・・」
「そうですかね・・・新婚の定番だと聞きましたが」
「夏彦もだけど、鈴もどこでそんなズレた知識を身につけてくるのよ・・・まあいいわ。ちょっと待ってなさい」
私は学生と制服を持っていそうな面々にメッセージを送ってみる
鈴が学生服を着てみたいらしいの。制服を提供してくれる有志を求む・・・と
・・
正直、制服がこんなに集まるなんて思っていなかった
その来てほしくない人物・・・巳芳覚は、どこから仕入れたのかわからない学生服が入ったダンボールを抱えて巽家に訪れた
・・・この人、首折れてるのよね。なんか元気ね
「大叔母様が制服プレイをご所望と聞いて!」
「覚!貴方まだ仕事中じゃないんですか!」
「ふっふっふ・・・一応仕事中なんだなこれが」
「何言ってるのよ、巳芳さん。仕事なら保護者がいないとおかしいわよ」
「猪紀さぁ・・・恵ちゃんのこと俺の保護者扱いするのやめてくんない?彼女だよ。彼女」
「は?保護者じゃないなら介護要員しかありえないじゃないの」
「現状それでも間違ってはないけど、猪紀がさっきの俺の言葉を何一つ聞いてないことだけは理解できたわ」
机の上に段ボールを置いた巳芳さんは首を動かさず、鈴へそれを開けるように指示を出す
面倒くさそうに鈴がそれを開けると、中から大量の女子学生服が出てきた
「・・・盗んできたの?」
「なぜその発想に至る。お前ら、俺達がどんな会社に勤めているのか忘れたのか」
「服を作ってる会社ですよね」
たしか、名前は「リュミエール」・・・だったわよね。遊に聞いたからそれはわかるわ
風花お姉様の許嫁である卯月東里が社長をやっている、小さな会社みたい
「小学生が答えるような解答だけど、正解。流石に鈴は知っとかないとまずいよね。職場見学もしたし。もっと言うなら自分の夫の勤め先ぐらいわかっておかないと」
「もちろんです。最近は企業制服がメインだと聞いていたのですが、制服も作っていたんですか?」
「うん。今はそっちがメインだけど、今も神栄高校とか、やり取りがあった場所は提供を続けてる。けど、将来的にはもう少し手を広げたいんだよね。だから今は色々な制服の研究中なんだ」
研究ねぇ・・・
だからこんなに色々な制服があるのかもしれない
「参考資料に買ったり、従業員から提供してもらったり色々あるんだけど、それでもやっぱり俺たち社会人じゃん?学生服をもう一度着るのは抵抗があってさ・・・今まで着用例の写真がなかったんだよね」
「学校資料とかあるじゃない」
「うちの社長いわく「それだけじゃ足りない」んだと」
なるほど。正面写真だけじゃなくて側面や背面の写真が欲しい・・・ということかしら
卯月さんと同業者である酉島立夏もたまにそういう事言うから思考がなんとなく読めてしまったわ
「まあ、俺がここに来れている理由は制服提供及び着用写真を撮りに来たってだけだから。ほら見てよ猪紀。これ、舞花ちゃんから提供してもらった栖鳳西高校の女子制服!一生袖が通せる気がしないやつだよ」
「・・・舞花の」
完全実力主義の名門進学校である制服が今、目の前にある
正直なところ、ここに入れるような頭は持ち合わせていない
だけど、制服には袖が通せる
「私も、着てみていいかしら」
「写真を代価にもらうけどね」
「それぐらい、お安い御用よ!」
鈴のおこぼれに預かり、私もいくつか着てみたい制服を選んでみる
栖鳳西の制服、凄く可愛いのよね・・・他に可愛い制服はないかしら
ああ、これ、風花お姉様が通われている聖松川女学校の制服よね。セーラー服だけど、シンプル故に憧れる
こっちは・・・聖ルメールね。恵さんが通っていた学校の
こっちは夏彦たちが通っていた沼田の女子制服みたいね。存在していたのね、女子制服・・・
「あ、これ・・・」
私が手にとった制服は、今、第一志望にしている戸張高校の調理科制服
いつか、着ることになりたい制服だった
「それ、たしか・・・」
「ええ。第一志望の制服」
「へえ、ここの調理科目指してるんだ。猪紀なら受かりそう。飯美味いし」
巳芳さんから割と嬉しい言葉をもらい、顔が少しだけにやけてしまう
料理が美味しいと面と向かって言われることにも、まだ慣れていない
「・・・ありがとう。でも、試験が不安なのよ」
「そこは舞花ちゃんブーストで乗り切れとしか」
「・・・頼ることになりそうね」
「せっかくだし着てみる?」
「いいえ。今日は着ないわ」
二人は最初こそ意外そうに目を丸くしていたけれど、何度か私の言葉を心のなかで復唱してくれたらしい
その言葉の意味に、気がついてくれた
「そうですね。着るなら自分にあった新品の制服がいいですよね」
「そういうことなら、四月に写真撮らせろよ、猪紀。背景は入学式の看板がいいわ」
「わかったわ。その予約、しっかり覚えておくから、巳芳さんも覚えていてね」
いつかの約束を交わし、私はその制服を丁寧に箱の中に押し込んだ
次、取り出すのは段ボールではなく真新しい箱の中から取り出してみせる
そしてその自分の体にしっかり合わせたそれを身にまとって、入学式の看板を背景に写真を撮るのだ
できれば、お父様とお母様と撮りたいけれど二人は来るのが難しいだろう
夕霧への道が開く日は、夜想の気まぐれなのだから
「絶対に叶えてみせるから、春を待っていなさい」
「ああ。待っていてやるよ」
「受験、しっかりサポートしますからね!」
「ありがと、鈴」
それから私達は巳芳さんが持ってきた制服を鈴に着せてしばらく遊んでいた
とある晩夏の夕暮れは、いつかに向けた期待と共に賑やかに過ぎ去っていく