第5話「事故物件」
祥が東京で仕事をしていたその間、無事に復活を遂げた祀は学校に行っていた。「大丈夫だったの?」と担任は相当心配げにしていたが、祀はたった一日で体調が戻っていた。結局ほとんど休むことなく曲作りに励んだ昨日であった。
さて、祀はいつものように一人で昼食を食べるべく席を立ち、教室を出ようとした。その時、ふと掲示板が目に入った。黒板の右隣の壁にかけられている掲示板には、常日頃いろいろな掲示物が貼られている。まだ五月頭で部活動加入がまだギリギリ可能だということもあり、今は部活動勧誘の掲示物が多い。
「軽音楽同好会……」
割と華々しい結果を残しがちなこの学校の部活動の中で、唯一目立つことの少ない部活動、というか同好会だ。せいぜい文化祭のアマチュアバンドくらいでしか目立てない上、メンバーも少ないという割と不人気な場所だ。そもそも、ここの学校に部活目的でやってくる人は大抵強い運動部に入るし、勉強目的でやってくる人は無所属か文化部を選ぶ。ギターやアンプ等の機材を購入する資金が必要になってくる軽音楽同好会は、自然に避けられるようになるというわけだ。祀はかなり音楽よりの人間だが、軽音楽同好会といった他人とバンドを組むようなところにはあまり向いていない。一度ギターを弾いているところを同好会員に発見され、しつこく勧誘され断るのにかなり苦労した。
まあそんな経緯のある軽音楽同好会の寂しげな勧誘のチラシはどうでも良くて、本題はその下に貼られた紙である。
《募集! アマチュアバンド》
祀の住む市が偶然にも著名な楽器メーカーの集まる街であるからかはわからないが、ここ近辺の中高校は文化祭でのアマチュアバンド率がかなり高い。祀も中学時代は二年生から登場していた。当時買い揃えた機材などもまだある。
(これは……、参加フラグなのでは)
そう思ってふと顔を近づけてみた。
「気になる!?」
いつも大音量でモニタリングしながら音楽を作っている祀でさえ驚いて一歩引き下がる声量で誰かが言う。
「へぁ」
情けない声を出しながら声のした方向を見ると、笑顔の少女が祀の方を見ていた。さて、祀はクラスメイトの顔と名前の一切を記憶していない。クラスメイトのほぼ全員をカボチャかじゃがいもだと思っている。そんなわけでこの少女は一体誰なのか、という疑問がマッハ二で祀の脳内を駆け巡っている。なにか独創的な名字だったことは覚えている。さて下の名前はさっぱりわからない。名字を言おうにも独創的であったから思い出すことも出来ない。なんだかんだと迷った挙げ句、祀が出した結論は“誰、君”であった。
「え、えーと」
「織裳 樹だよ」
ああそうだ、と祀は思い出した。どこかで聞いた気がする名字で、かつそこそこ普通の下の名前であったことを。おりもいつき、おりもいつき、おりもいつきと三回心のなかで唱えた祀はその少女に向き直る。
「あ、織裳さん」
「樹でもいいよ~好きな方で呼んで、祀ちゃん」
ニコォーと笑いながら樹は言う。祀は思わずめちゃくちゃ警戒してしまった。これで薄目が開いていようものなら間違いなく黒幕確定である。目を開けて目が笑っていなくても黒幕確定である。いざヤバい人だった場合に備えて早めに話を切り上げる用意をしつつ、内心ビクビクしながら祀は話を進める。
「うん、まあ気になってるよ」
「そうだよねー、この街結構音楽は活発だもんね」
樹はそう言って祀の隣に立ち、一緒に募集の紙を見る。
「でもまあ参加するかどうかは……」
「私文化局員だから相談乗るよ?」
祀は完全に外堀を埋められたと思った。もし、この樹という少女が相当やばい人間だったとしても、これでしばらくは関係を持たなければならないことが確定した。もはやどうやっても逃れられない。
「あー、そうなんだ……」
「もし参加するなら、応募は今日までだよ」
樹がしれっと言った一言に衝撃を受けた祀は、思わず素で反応してしまった。
「え?」
その表情を見た樹はしめたと言わんばかりにニッコリとし、
「参加したいんだね?」
と祀を詰め始めた。体感的には、壁際まで追い込まれているのと大差ない。前に進めば捕まるし横に行ってもついてくるので逃げ場がない状態だ。なんとか逃げ出そうと必死に考えを巡らすも、正体不明の笑顔が怖すぎて祀は観念するしかなかった。
「……申込用紙ってどこでもらえる?」
「メールからでも大丈夫だよ」
「大丈夫なんだ」
完全に申込用紙を書く気でいた祀は面食らった。
「上から順番にバンド名、参加メンバー、演奏予定時間を書いて送ってくれれば大丈夫」
「メールアドレスは」
「文化祭専用のサイトがあるから、そこのアマチュアバンドの項目に載ってるよ。携帯からよりもパソコンからのほうが楽だと思う。大体の情報はそこに載ってるからそれ見てね」
本当に何聞いても応えてくれそうなほど素早い回答だった。
「あーそうなんだ、ありがとう」
「どういたしまして! またわからないことがあったら訊いてね! じゃあまたね」
来る時も唐突だったが、帰る時も素早く帰っていった。祀は相手のスピード感に飲み込まれかかったまま放置され、どっちつかずの状態で棒立ちになっていた。
「……………………とりあえず、食べに行こうかな」
呆然としたまま、祀はいつもの一人だけの食堂へと向かった。つまり階段のことである。
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祀はその日の日程が終わると速攻で自宅へと帰っていく。元々この日はバイトのシフトが入っていたのだが、店長から「もう一日くらい休んだほうがいい」と言われ、休むことになった。代わりにシフト入っている人に申し訳なく思いつつ、バイト先のコンビニの前を爆速で通り過ぎる。明るいだけでなんの害もない二つ目の太陽は、曇り空を貫通するほどの明るさで今日も元気に光っていた。専門家いわく月以上太陽未満の明るさらしく、これほどまでに明るい超新星は珍しいという。しかしこの超新星の正体が割れていないので、あちらこちらで根も葉もない噂が立っている。中には昨日の全国一斉体調不良と超新星を結びつけて騒ぎ立てる新聞があったりして、ネットで猛烈に叩かれていた。
祀はいつものようにバックで駐輪場に自転車を止め、しっかりとロックを掛ける。鉄の階段を一段飛ばしに上り、自宅の鍵を開けて中に飛び込む。血で染まった新聞がぎっちり詰まっているゴミ袋から香るキツすぎる血の匂いに鼻を突かれつつ、扉をすぐに閉める。結局この血袋は処分方法がわからず、昨日からずっと台所に放置されている。この匂いを嗅ぎつけられても困るので換気は一切できず、扉も開けたらすぐに閉めるようにしている。現状不便だらけだ。
「えーっと……」
制服から着替えることもせず六畳間に向かった祀は、カバンを雑に地面に転がし、ノートパソコンを開く。パスワードを叩き込んでロックを解除し、すぐにウェブブラウザを立ち上げる。
「サイトのURL訊き忘れた……!」
いちばん重要なことを失念していたことを思い出し、祀は頭を抱える。探せば分かるだろうと学校名と文化祭というキーワードを追加して検索したところ一発で出てきた。アクセスしてみると、設計思想が二〇〇〇年代初頭か九〇年代後半で止まっているようなサイトが出てきた。なにやらダウンロードのウィンドウが出たので確認したところMIDIファイルをダウンロードしようとしていた。そういえばこのブラウザはMIDIを再生する機能がついていなかった。祀はとりあえずそれをダウンロードした。後で再生してみよう。
上の方にズラッと並ぶボタンの中から『ステージ』の項目を選択し、アマチュアバンドの項目をクリックする。するとタイムテーブルやらなんやらが出てきた。そのほとんどがcoming soonとなっているが、募集要項と募集方法の欄だけはしっかりと記載されていた。それによれば締切は本日二十三時五十九分、メールあるいは書面による受付となっている。
「書いてあんじゃん」
メールの書き方はしっかりと記載されていた。まあ、と祀は事前に教えてくれた樹に感謝し、メールソフトを起動する。記載されているメールアドレスを宛先にコピペし、メールの書き方も丸々コピペする。必要な箇所のみを修正し、適切な件名を付けて送信する。
「これでよし」
すぐにノートパソコンを閉じ、玄関へ向かう。両親の遺影が置かれていることでおなじみの靴箱の上に静かに置かれている鍵を持って扉を開ける。このアパートの二階には部屋が四部屋あり、そのうち三部屋が埋まっている。残る一部屋は事故物件扱いされており、ないモノ扱いされている。その事実を知った祀はその部屋を借り、自室に入り切らなかった諸々をしまい込んでいるのだ。ちなみに、これは大家が祀のためにと事故物件扱いしたわけではなく、本当に事故物件である。ちなみに事故の内容としては、メンヘラがホストを刺殺し、連絡を受けて何故かやってきた別のホスト二名を刺殺し、やってきた警官に復職不能なほどの重症を負わせ、最終的に自身も切腹して死んだという冗談も程々にしてほしいものである。
鍵を開けて中に入る。間取りは2DKで祀の部屋より多少狭いくらいの広さだ。家財道具一般はいつの間にやら消えていたらしく、大家は呪物として古物市を回っているとか冗談を言っていた。十年前から電源が切れた状態で放置されている、誰も開けようとしない冷蔵庫の前を通り過ぎ、居間へと向かう。そこには、祀が機材で作った曼荼羅があった。
「ふー」
祀は、その機材に一切の欠けがないことを確認する。中央にはミキサーが置かれ、六方にキーボードやギターのスタンドが置かれている。さらにその外側にはエフェクターやワイヤレスシステム、その他諸々が置かれている。これは祀が暇な休日に作り上げたものだ。ミキサーの各チャンネルに貼り付けられている付箋を剥がし、ポケットに入れる。
「これも動作のチェックしないとな……」
と、数年前に購入した十六チャンネルのアナログミキサーを眺める。ぱっと見は部品の欠落もなく、スライドやツマミも問題なく動く。しかし、音を入れてどうなるかはやってみない限りわからない。そのミキサーを取り囲むように置かれているのは二段式のキーボードスタンドが三つ、立奏用のギタースタンドが一つと一般的な縦置きのギタースタンドが二つである。それらも破損の様子はない。更に外周に置かれている機材も見る。壁のフックに吊り下げられているのはヘッドウォーンのマイクである。その下にあるのはマイク用のファンタム電源で、直ぐ側にはワイヤレスシステムも置かれている。その他、大量のケーブルやモニター用のイヤホンなどを一巡した祀は、そのまま自分の部屋へと帰っていく。
なにも機材に飽きたわけではなく、もうすぐ夕飯を作り始めなければならない時間だからだ。まるでさらっと見ただけのような書きぶりだが、無駄にじっくりと機材を見ていたため、部屋には一時間半以上も居た。前述した通り、この部屋は事故物件である。だが祀はそんな事を気にしないので、そのまま調理を始めてしまった。変な幽霊が憑いてそうだ。
夕食を食べ終え、食器を洗って風呂に入った祀は、また事故物件に戻る。曼荼羅の最外周部に置かれている、ラックタイプのワイヤレスシステムを持ち上げる。受信部だけでそこそこの大きさがあるが、その上に送信機とACアダプタを乗せて運び出す。これは送信機と受信機合わせて二十万以上する高級品だが、特に保険などには加入していないため誤って落として破損しようものならとんでもないことになる。一応、ワイヤードでギターを演奏することも可能だが、祀としては邪魔くさいのであまりやりたくない。
自宅に戻って六畳間にその機材を設置する。サージフィルタのついた電源タップにアダプタを接続し、受信機に繋げる。電源がつくことを確認すると、また事故物件に戻る。そこから立奏用のギタースタンドを取り上げ、また自宅へと戻る。
収納からエレキギターを一本取り出す。いつも学校に持っていっている小さいギターではなく、フルサイズのギターである。アルミニウムボディ、二十四フレット、サスティナー搭載。極限まで黒く仕上げられた特殊仕様の代物である。唯一弦とピックアップだけが銀色に目立っている。購入時にカスタムを施したもので、二年前に購入している。ネックだけは手持ちの壊れたギターから入れ替えたカーボンファイバー製のものを使用している。あまりまともなギターとはいえないが、祀はこれが最も気に入っている。
ストラップはつけずに立奏用のスタンドに置く。ニッケル水素電池をワイヤレスの送信機に挿入し、受信機とともに電源を入れる。送信機はスタンド裏に固定した自作の収納場所に格納する。ケーブルをギターに繋げる。すでにセッティング済みのギターエフェクターに、受信機を繋げる。さらにそのエフェクターからダイレクトボックスに繋ぎ、さらにそこからスピーカーへとケーブルを繋ぐ。これでようやく音が鳴る準備ができたわけである。音量は控えめにし、しっかりと音が出力されることを確認する。エフェクターでパッチを選び、軽く弾く。
「よし」
ノイズが殆ど乗らないことを確認した祀は、さっさと機材を片付ける。今日は元々、しっかりと弾く予定ではなくまともに動作することの確認だったため、これで良いのだ。
その後、楽しく真顔でキーボードを叩いた祀は、アマバン参加承諾のメールを確認したあと眠りについた。