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イデアの義解  作者: 鴻江駿河
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第2話「何、あれ」

 その日の昼食の時である。祀は今朝コンビニで貰ったハンバーグ弁当を持って渡り廊下を歩いていた。教室でコンビニ弁当を食べるのも億劫だし、かといって食堂で食べるのも若干お金がかかる。というわけで、結果的に選ばれた場所が屋上に通じる階段である。清掃のおばさんですらやってこない場所で、かつ基本的に屋上に入る扉は鍵がかかっているのでそもそも人が寄らない。高さ的に祀にとって座りやすい階段だったことが幸いし、見事に祀専用のお食事スポットと相成ったわけである。なお学校内では圧倒的に不人気だ。

 ここ十年くらいだろうか、食品ロスという言葉が一般的に使われるようになり国も割りと動き始めたのは。コンビニもこれまで廃棄していた賞味期限ギリギリの売れ残った食品類を色々とうまいこと処理しているのだが、祀の弁当もその一環である。店員が自主的に売れ残りの弁当を持ち帰って食べたりするのだ。少しでも食費を浮かせたい一心の祀はありがたくその弁当をもらっている。


「いただきます」


 祀は割り箸を持って手を合わせる。祀は非常に割り箸を割るのがうまく、いつもまっすぐに割ることができる。一般的に言われるようなコツを会得したわけでもなく、天性の才能である。本人はこんなしょうもない才能はいらないと思っている。

 事前に温めてあった様子のハンバーグ弁当は午前の授業の間放置されていても十分な温度を保っている。今の時期はまだいいが、もう少し気温が上がってくると温かいままだと食中毒になりかねない。なので梅雨が近づくと弁当は温められず冷えたものになる。手軽に味わえるマズいものランキングの上位に入るレベルで冷えたコンビニ弁当はマズいのだが、祀の場合問題にならない。何しろ、この階段のすぐ下には給湯室があり、よくわからない電子レンジが一台置かれているのだ。

 ……ただし、その給湯室にもめったに人が来ない。設置されている製氷機も氷が溜まってばかりで消費されていない。そもそも、ここは祀が今朝ギターを練習していた空き教室の隣である。人が寄り付く理由もない。だから彼女はここで弁当を食べようとしているのだ。

 まだ温度があるとはいえ、若干冷めかけのコンビニ弁当はあまりおいしいとは言えない。半年くらい前まで思い描いていた理想の高校生活とは、ずいぶんとかけ離れた現実を受け止めながら歩き続けて一ヶ月。多少慣れたとは言え、こうも味気なくてあたたかみのない弁当は一度温かさを知った祀の舌にはまだ合わない。固くなっているハンバーグを箸で切りながらつまむ。外から聞こえてくる生徒たちの喧騒がむなしく響いている。

 食べ終わった容器と割りばしを持って立ち上がる。渡り廊下を歩いていた時、校庭を歩いている生徒たちが急に騒然としだす。何事かと思い、祀は下を見る。生徒たちは皆空を見上げていた。球に空なんて見上げてどうした、文学にでも目覚めたかと思いながら祀も空を見上げた。


 ────空に、太陽が二つできていた。

 いや、そんなまさかと目をこすってもう一度見直す。直接日光を見ると目に悪いので、手で目を覆いながらなんとか観測する。間違いない。南南西の方向にもう一つ光が浮かんでいる。それはずいぶんと明るかった。太陽が近くにあるのに一切気圧されずに光り輝いている。


「何、あれ」


 それは見た目には太陽より小さい。だが、突然こんな光の玉が空に浮かぶわけがないので、生徒は騒いでいた。正直祀も内心はちょっとワクワクしていた。外にいた生徒から校舎内にいる生徒にまでその騒乱は伝播(でんぱ)し、学校中が一気にとんでもない騒ぎになった。写真部はカメラを取りに行こうと走っているし、一般生徒は飛び跳ねたりしてはしゃいでいる。

 突然のこの出来事がもたらした興奮はそう簡単に冷めることはなく、午後の授業の集中力に多大なる悪影響を与えていた。五時限の授業は化学だったので、担当の教員がなにか説明してくれるのではないかという期待感を持ってクラスメイトは授業に向かった。だが、担当教員はそれ以上に興奮していて全く授業にならなかった。


「いやこれはすごいことですよ、一生に何度も見れないほど珍しいことでねえ、たぶん吸血鬼とか不死鳥じゃないと何回も見れないくらいでして。もう彗星とかのほうが全然見れるレベルですねあれは世界各国どっかしら行けば観測できたりするんでね」


 などと早口でのたまって五十分授業を丸々自習とし、自分はさっさと消えて授業を放棄していた。生徒たちはそれに構わず勝手に喋りまくっている。ここまで治安が悪いのも珍しい。もっとユーリー・スコット先生を見習うべきではないだろうか。

 教室では基本的に黙っていて、他人とほとんど喋らない祀ですらこの一件は結構気にしていた。そもそも、突然太陽が二つに増えたなどという事態が発生したらどんなに寡黙な人間でも心を持っていかれるはずだ。いかに天文に興味がなくても、いかに飯にしか興味がなくても。

 六時限が終わり、掃除とホームルームが終わってもその話題で持ちきりである。ホームルームでは担任がずっとそれについて話していた。担任は古文担当の教員なのだが、やれあの古文にはこういうことが書かれていただの、あの古典にはこんな出来事が書かれていただの、凄まじい早口で述べ立てていた。いつもはこういう話になると興味なさげな表情をする生徒たちも、今日の出来事と絡んで過去にもそういう話があったとなると一気に興味を持ったようだった。校内の異常なほどの熱気を感じながら、祀は朝のギター練習の続きをするために空き教室へと向かった。








▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽







 帰宅した時、時刻はすでに五時を回っていた。祀は六帖の和室にギターとエフェクターを置き、かばんの中身を取り出して本棚に仕舞う。収納からジーンズとパーカー、シャツを取って着替える。祀はそう長い時間制服を着たい人間ではないし、そもそもこの後調理をするというのに制服でやるというと貴重な制服がだめになってしまうかもしれない。

 祀は一人暮らしをしているようだった。玄関の遺影の女性に似た顔立ちと赤い瞳、遺影の男性に似た黒っぽい髪と目元をしている。ならば、この二人は誰であるか言うまでもないだろう。

 今日の夕食は手っ取り早くカレーだ。というか、今冷蔵庫にあるもので明日も乗り切ろうと思うとカレー以外に手がないのだ。カレー以外にも、一応色々と案はあるもののどれも手がかかりそうなので面倒くさくてやめた。カレールーは辛口のもので、今日使うと空箱になる。

 人参やじゃがいも、玉ねぎなど典型的なカレーの具材を切って鍋に入れ、まずは炒める。火が通ったかどうかの基準にしている玉ねぎがしなってきたところで水を投入し、煮込む。肉やらなんやらから浮いてくる灰汁(あく)をちまちま取りながら、隣で生野菜を切ってサラダの用意をする。祀の家では、カレーとサラダのセットが普通だった。一般家庭ではどうなのか彼女は知らない。具材が十分に柔らかくなったら、一旦火を止めてカレールウを入れる。弱火で、とろみが出るまでかき混ぜ続ける。

 これで完成、一般的な辛口カレー。サラダの方にはイタリアンのドレッシングをかけてある。冷蔵庫から二リットルの麦茶を取り出し、ガラスのコップに注ぐ。製氷機から二つほど氷を投入する。机を広げてランチョンマットを敷き、カレーとサラダ、旧居から持ってきたアルミ製スプーンと箸を置く。


「いただきます」


 祀は手を合わせて食べ始める。このキッチン、というかダイニングキッチンには当然テレビの類いは置かれていない。ここに来てからというもの、毎食無言で黙々とスピーディに食べる祀には無用の長物であったが、今日ばかりはそれがずいぶんと不便なように感じていた。何しろ、彼女の頭の中は未だにあの2つ目の太陽のことでいっぱいなのだ。おかげで食べる速度が落ちていた。カレーを作った鍋は、今は水を入れて火にかけている。こうすると汚れが落ちやすいそうだ。


「ごちそうさまでした」


 祀は手を合わせる。皿と調理器具を洗っている最中、祀の手の白い泡に赤い点がつく。


「あっ……」


 祀は急いで手についた泡を水で洗い流し、すぐそこに置かれているティッシュに手を伸ばす。


「鼻血か」


 ティッシュを器用に片手だけで半分ほどに裂き、半分に折って丸め、鼻血が出てきた左の穴に突っ込む。


「よし」


 応急処置を済ませると、祀はまた皿洗いに戻っていく。祀はある程度細身だが身体が弱いわけではなく、ここ数年は風邪もインフルエンザも感染していなかった。また、こうやって急に鼻血がでるようなこともなかったので、祀は内心若干困惑していた。鼻血などいつぶりに出すのか記憶に無いほどだが、対処法はしっかりと覚えていた。そのおかげで素早く対応できたことは良かったと祀は安心した。

 鼻血はなんだかんだすぐ止まり、祀は風呂に入る。このアパートの浴槽は、このサイズのアパートとしては珍しいことに足を伸ばして肩まで浸かることができる。たいてい膝を抱えないと入れない、というとちょっといいすぎだが何にせよ狭いのがセオリーであるアパートの風呂がここまで広いのは珍しい。しかも一人暮らし用の部屋である。祀がこの部屋に住んでいる理由の一つがこの広い浴槽だった。風呂の快適さは他の何物にも代えがたい。これで家賃が二万円ちょっとなので驚きだ。

 風呂から上がった祀は、早速六畳間へと向かいノートパソコンを開ける。二年前に発売された、十五型のディスプレイを搭載したちょっとお高めのやつだ。基本的に持ち歩くような用途には使わず、家に据え置きになっている。デスクトップを使うまでもない簡単な作業などにはこのノートパソコンが利用されている。ボーカルの収録にも使用される。

 電源ボタンを押すと、スタンバイ状態からPCが復帰する。ユーザー名とパスワードを入力してログインし、デスクトップのアイコンからブラウザを立ち上げる。すぐにSNSとウェブ掲示板を開く。祀が利用しているSNSは、この四月から日本版がサービス開始した最新鋭といえば最新鋭のもので、祀はまだ英語版しかなかった頃から利用している。そのタイムラインもずいぶんと騒いでいた。掲示板に貼られていたリンクを踏むと、ニュースサイトに飛ぶ。このニュースサイトは個人が経営しているもので、中身はテレビ画面の直撮りだったりと雑だが足の速さには定評がある。


「超新星爆発……?」


 そのサイトで見たテレビの映像によれば、どうやらあの二つ目の太陽は超新星爆発の光なのだという。


「超新星爆発って何」


 祀は新しいタブを開いて検索する。トップに出てきたウェブ百科事典を開く。がぞよりも先に文字が表示される。


「へぇ……」


 彼女はそれを読みながら呟く。超新星爆発というのは、ある程度でかい恒星がその一生を終えるときに起こす大規模な爆発のような現象のことだ。場合によってはその光が地球に届き、突如生まれた新しい星に見えることから『超新星』と呼ばれているそうだ。一生のうちでもなかなか見れるものでもなく、あの狂った化学教員が言っているように彗星のほうがまだ見る機会がある程だ。直近で見られたものとしてはペルセウス座NGC 1260にあるSN 2006gyがある。これは過去最大級の超新星だったらしい。ただし、肉眼で見えた最後は一九八七年のかじき座大マゼラン雲のSN 1987Aである。次肉眼で見れそうなものとして有名なのは、オリオン座のベテルギウスだ。だが、今回の超新星爆発はベテルギウスのものではないらしい。

 そのニュース映像によれば、これまで全くと言っていいほど注目もされず、観測もされてこなかったという恒星の爆発らしい。その正体もよくわからないままに、地球から肉眼で見えるほど、それも太陽と同じくらい輝いているというので天文学者の間もてんやわんやらしい。


「そりゃそうだよな……」


 祀はそう呟く。超新星は昼から一切場所を動かず、その場で光り続けている。その明るさは異常とも言えるほどで、満月の明かりなど比にならないほどだった。正面の家の影がはっきりとできている。ここまで強烈だと、若干睡眠に悪影響を及ぼしそうだ。真南にいるからいいものの、これが東側だったら寝室は地獄になるだろう。

 祀はその後いくつかのサイトと掲示板のスレを回ってある程度の情報を集めると、ブラウザを閉じた。L字のもう一辺に設置されているデスクトップPCの電源をつける。こちらはシャットダウン状態なので起動に少々時間がかかる。起動を待つ間に、机に固定されているデスクアームを伸ばす。先端にはいぶし銀のマイクとウィンドスクリーンが装備されている。襖を締め切り、防音カーテンを置く。この部屋にはすでにある程度の防音対策が施されているが、襖だけはどうしようもなかった。そのため、こうして可動式にした防音カーテンを設置することで対策をしている。

 デスクトップのパソコンが立ち上がり、早速ログインする。周辺機器の電源を入れ、デスクトップのアイコンからソフトウェアを立ち上げた。若干の読み込み時間の後、表示されたプロジェクトの中から一つを選ぶ。祀は椅子に座り、デスクトップPCの画面と対峙した。

 祀は、父親の遺品であるCakewalk SONAR 7と対峙する。その画面に表示されているのは、複数のウィンドウ。そのうち一番大きなものには色とりどりなバーが複数本表示されている。ノートパソコンにも同じソフトウェアを立ち上げた。祀は壁にかかったモニタリング用のヘッドフォンを取ると、それをつける。作業が始まった。


 もともと、祀の父親はある程度知名度のあるミュージシャンだった。自宅に小さめのスタジオを設置し、そこで収録やら作曲やらを行っていた。そんな父からの影響下、はたまた憧れもあってか。祀も全く同じ道を進むようになった。小学校五年生のときだった。父親からある程度ギターやシンセサイザーの扱いを学び、プロと同等の環境で作曲を学んだ。その父親が残したものをほぼ流用する形で、この六畳間のスタジオは完成されている。流石に思春期の少女だから、父親のマイクをそのまま使うのは気が引けて自分が使っていたマイクをそのまま持ってきている。

 ほぼ完成状態に近い過去曲のアレンジを聴きながら最終調整をする。完成状態に近いと言ってもそれは素人耳の話で、祀はひたすらベースのフレーズづくりに悪戦苦闘していた。いくらミキサーで調整してもうまく馴染まない。なんだか他の音全てを塗り替えてしまうほど強かった。低音大好き人間はこの状態を好みそうなものだが、祀はそうではなかった。ベースのフレーズを覗いては、ああでもないこうでもないと頭をひねる。


「……あ」


 そうやって小一時間悩んだ末に、ようやく答えが見えてきた。ベースが少し細かすぎたのだ。結果他の音を覆い尽くしてしまい、どう調整してもよく聞こえなかったのだ。そうと決まればあとは簡単。すでにある部分を消去して、収納からベースを取り出す。直にライン接続でインターフェイスに繋ぎ、新しく作り直した。ベースの作り直しに三十分程度かけ、納得いくものが出来上がった。最終調整を行い、オケをフルで聞いた。


「おお」


 思ったよりうまく行った。ストリングスとベース、裏で同じフレーズを繰り返すシンセサイザーが上手に絡み合い、かつてその曲が持っていた印象を完全にぶち壊していた。もはや異世界、明後日の方向へ全速切って飛び出している。


「最高」


 ギターソロは仮状態なので、明日また収録するとして、祀は早くボーカルを収録したい気分だった。昨今、ボーカロイドなるものが登場し、機械に歌わせるという新しい音楽の方向性が生まれようとしている。祀も実際それに触れ、今回のアレンジでもバックコーラスなどに使用している。だがメインボーカルは祀の声だ。中学生になって、インストゥルメンタルから歌詞入りの曲を作るようになった頃からそれは変わっていない。このマイクもその頃に買ったものだ。プロジェクトデータを同一の環境になっているノートパソコンの方に移す。録音はこちらで行うためだ。

 声の調子が出るまで数曲歌う。祀は幸いなことに声の調子が出るのにそれほど時間がかからない。声の調子が出てきたところで、手書きした歌詞カードを壁に貼る。アレンジ前と歌詞は変えていない。

 収録を始める。ヘッドフォンからイントロが聞こえてくる。一番最初の歌唱部分は複数回録音を繰り返してそれらを重ねるため、時間がかかる。ここの本収録はあとに回し、一旦一番高いパートを歌った。その後、一オクターブ一気に下る。女性としてはちょっと低めな祀の声を生かしたボーカルパートが続く。それが終わると間奏に入るがすぐに明ける。また重複録音部分は一番高いパートを歌い、同じように一オクターブ下がった部分を歌う。そしてサビに移行する。一曲まるっと通しで収録した。声の調子はアレンジ前とあまり変えていない。雰囲気がガラッと変わったオケが声のトーンまでごまかしてくれるだろう。


「よし」


 収録した声はかなり快調で、ほとんど調整の必要がなさそうだった。あとは多重録音部分を収録して、一部にエフェクトをかければボーカルパートは完成してくれるだろう。気づけば時刻は零時を回っていた。


「寝よっかな」


 祀は伸びをしてつぶやいた。

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