第0歩 『終わった日』
学校から帰宅した俺は、現在、自室のベッドに、うつ伏せに倒れていた。
「……・っ!」
倒れて、数十分前に見た光景を思い返すと、自然と、目から涙が溢れ出て来て、枕を濡らした。
「なんで……紗代」
俺は、カノジョに浮気をされていて、それを、偶然、学校からの帰り道に、発見してしまったのだ。
*
数十分前のこと。
委員会の仕事を終えた俺は、学校の帰り道、立ち読みが出来る本屋に寄り道して、そこから一時間くらい立ち読みをしていた。読んだ漫画が面白く、気になる展開が続く為に、時間を忘れ、そして気が付けば十九時になっていたので、慌てて退店し、再び帰路についた。
この行動により、俺は、あの現場に出くわしてしまったのだ。
「……紗代?」
桐谷 紗代、クラスメイトで男子から人気を集めている女子生徒。そして、周りには秘密にしている俺のカノジョだ。
彼女と付き合って半年、周囲に秘密にしているのもあり、あまりデートに行けてはいないが、それを除けば俺たちの関係に不満なんてなかったと......そう思っていた。
しかし、それは俺だけの気持ちだったようで......紗代が知らない男と一緒にホテルから出てきたのだ。
俺の心臓の鼓動が早まるのを感じた。
脳が目の前のあの光景を理解しようとしてくれない、認めようとしてくれない。
きっと見間違いだ、人違いだ、自分の彼女を信じろ。そんな都合のいい言葉を並べて目の前の光景を自分とは関係のないものにしようとしている。
しかし、俺の身体は無意識にスマホに手をのばす。そしてビデオカメラを起動させて、目の前の光景の撮影を始めてしまう。
他人を盗撮するなんて褒められたことではないが、紗代の浮気の証拠として活躍してくれるかもしれない。半年前、妹の雪が証拠を残していた理由が今なら理解できる。
ビデオカメラを拡大することで、紗代の表情がより詳しく見ることが出来た。そう、紗代だ。どれだけ現実から逃れようとしても今あそこにいるのは紗代なんだ。
彼女の表情はとても楽しそうで、幸せそうで、俺といる時だってあんな表情をすることは珍しい。それに、俺とすらあんなところには......。
手を震わせながら、二人を観察していると紗代は足を止めて周囲を見渡し始めた。
まるで誰もいないことを確認しているような行動だった。
『やめろ!見るな!』
頭の中で警鐘が鳴り響く。しかし、それは既に手遅れ......二人が互いに見つめ合いキスをするところを見てしまったのだ。
嘔吐感が舞い上がってくるのを必死に堪えた。しかし、その代わり俺の頬に涙が流れていた。
それから二人は腕を組んで俺のいる方向とは逆の方向に歩き始めた。そちらには紗代の自宅があるからだ。
俺は二人をただ茫然と見届けながら、記憶にある紗代との思い出を再生していた。
「ずっと一緒にいたいね」
紗代がそう、俺に言ってくれた。紗代とは遊ぶ機会も少なければ、人付き合いが上手くない俺は彼女を楽しませられているだろうか、好きでいてくれているだろうか、そんな不安を抱えていた。
そんな不安を彼女はたった一言の言葉で取り除いてくれたのだ。
「......嬉しかったんだけどな」
その言葉が嘘だったなんて、偽物だったなんて!
俺は一人、彼女たちとは逆の方向へ歩き出した。
*
~現在~
俺は先ほどの録画を再生したスマホをスリープ状態にして、枕に顔を沈める。改めて、先ほどの光景が現実だということを叩きつけられた。
こんなことを言うのは恥ずかしいが、俺は紗代との結婚生活を夢見ていた。彼女となら幸せな家庭を築けると思っていた。
今ならそれがどれだけ幸せな考えだったかが分かる。高校生から結婚するまでの長い期間、紗代の気持ちを繋ぎ続けるなんて無理な話だったんだ。
その結果が今日見た光景なんだ。
お風呂から上がり、気持ちを少しだけ落ち着かせることに成功した俺は今、ドライヤーで髪を乾かしている。しかし、そこに俺の気持ちを再び動かすメッセージ届いた。
『別れましょう』
そのメッセージに返信することが出来なかった。あんな光景を見て、紗代が浮気をしていることも知っているから、今すぐにでも別れてしまいたかった。しかし、その感情とは裏腹に俺の指は動いてくれなかった。
もう正直確信は出来ているのだが、浮気をされたという事実を覆してくれる人物に連絡をしてみることにした。
その人物とは、冴島 響という俺が紗代を除いて連絡先を知っている唯一のクラスメイトだ。
冴島はクラス全員と気兼ねなく接して、俺みたいなボッチとも連絡先を交換してメッセージのやり取りをしている。
そんな彼は紗代と仲がいい。だから、俺の知らない紗代の情報を知っている可能性は高い。
『突然、ごめん。桐谷さんって彼氏いるの?』
『どうしたんだ?急に』
俺がメッセージを送った数十秒後に返信が来た。たまたま、スマホを弄っているタイミングにメッセージを送ったのだろうか。
『今日男の人と腕組んで歩いてるの見たから』
『そういうことか。紗代に気があるのかと思ったぞ』
それに関しては否定するのが難しいため、無視をしておく。それよりも、彼のこの反応はもう、答えが出ているようなもんじゃなか。
『いるよ。うちの学校の先輩。三カ月前からだって言ってたな』
『男と歩いている』という俺のメッセージに対して驚く様子もなかったからその答えを察してしまっていた。それにしても三カ月って......付き合って三カ月で浮気されたのか。
『ただ、あんまり言いふらされたくないらしいから、知ってるやつは少ないかもな』
言いふらされたくないってのは俺にバレないようにしていたってことでいいんだろうな。紗代は人気だから、面倒なことになるからっていうのもあるのかもしれないけど。
『だから、お前もあんまり言いふらさないようにな。一応仲のいいやつしか知らないみたいだから』
仲のいいやつか。俺との関係も誰かに言っている可能性も考えられるが、とりあえず冴島は知らないという認識でいいだろう。
俺と紗代の関係も周囲には秘密にしていた。これは紗代からの提案で、周りに弄られるのが嫌なのと、俺のことを心配してのことらしい。
嫉妬による男子生徒からのいじめは確かに可能性としてはあったから、俺もその提案には賛成した。
冴島との話で俺の最後の希望が断たれ、紗代が浮気をしていたことが確定してしまった。仮に、ホテルから出て来たのが紗代ではなかったとしても、彼女には俺以外の年上の彼氏がいるからだ。
無心で夕飯を終え、自室で心が腐っていくのを感じていると、誰かが俺の部屋の扉をノックした。