軍神リアクト 〜景子さんの前世は戦国最強 上杉謙信〜
戦国時代最強とも謳われる名将、上杉謙信。
あまた戦国武将のなかでも屈指の人気を誇る彼は、神仏を尊び、義を重んじ、私利私欲のための戦は決してしなかった。
矢弾の飛び交う前線に自らの身を晒しても、神仏の加護を受けたかのように無傷であったという神憑りぶり。
ゆえに毘沙門天の生まれ変わりとも称されたその在りようは、味方の士気を大いに鼓舞し、同時に敵陣のそれをくじいたことだろう。
『軍神』の異名も、むべなるかな。
──と、そんな前置きからは飛躍してしまうが、このお話の舞台は血沸き肉躍る戦国の世ではなく、現代のありふれたオフィス街の一角である。
いまそこに、お昼休みを利用して会社の近所の銀行へ、てくてく歩くひとりのOLの姿があった。
永岡 景子、粕谷商事で庶務の仕事に就きこの春にて5年目の25歳。
飛躍した上に、唐突で荒唐無稽な話を重ねてしまうことを先に詫びておこう。何を隠そう彼女こそ、この現代における上杉謙信の生まれ変わりなのである。
「あー……。なんか、イヤな予感」
目的地である銀行の看板が目に入ったところで足を止め、景子はちいさく呟いた。
彼女の予感、特にネガティブなそれは驚くほどよく当たる。
このまま踵を返さなければ、まず間違いなく深刻なトラブルに巻き込まれるだろう。
しかし、同僚から急に誘われた今夜の合コン、会場がそこそこ良いお店なこともあり、給料日前の身軽なお財布がちょっと心もとない。
そのぶん今回は、良さげな殿方が揃っているとの噂だ。
──ええい、虎穴に入らずんば虎児を得ず!
意を決すると、社を出る際にヒールから「こんなこともあろうか」と履き替えてきた通勤用スニーカーの感触を確かめるように、力強い足取りで前へと踏みだした。
◆◆◆
さて、話を進める前にすこし彼女のことを話しておこう。「生まれ変わり」とは言ったが、実はそれは後天的なもので、すなわち彼女は生まれながらの生まれ変わりではない。
それは彼女が、やたら正義感の強かった小学一年生のころ。
お盆で新潟のおばあちゃんちに里帰りした折、気弱な従兄のゲームソフトを近所の悪ガキから取り返すためタイマンを張り、あえなく泣かされた帰り道だった。
『──強くなりたいか?』
道端から唐突にそう声をかけてきたのは、白い頭巾をかぶってちょっと体が透けてる奇妙なおじさんだった。
『正しいことを、正しく為すため、強くなりたくはないか?』
頭のなかが悔しさでいっぱいだった彼女は、意味を深く考えもせず、「なりたい」と即答してしまったのだ。
──ほんと、あれは軽はずみだったよね。
後に彼女は、折々に悔いたものである。
やはり、知らないおじさんの言葉なんてものは無視すべきだと。
とにかく、そうして彼女は透けてるおじさん──すなわち新潟の郷土の英雄である上杉謙信、その霊魂的な何かと魂レベルで同化を果たし、後天的に「上杉謙信の生まれ変わり」になった、ということらしい。
『ならば儂は、其方に生まれ変わろうぞ』
おじさんがそう言っていたから、きっとそういうことなのだろう。
このときから景子には謙信としての知識/経験が断片的に、「遠い記憶」ぐらいの位置付けで受け継がれた。
だがそれは、現代を生きる女の子の日常生活において、歴史の授業がピンポイントでわかりやすくなったぐらいのメリットしかなかった。
一応、それとは別に彼女自身が「リアクト」と名付けたいわゆる「特殊能力」の発露もあったのだが、こちらについては後ほどあらためて述べることにして、そろそろお話を進めたほうが良さそうだ。
なにせ、状況は意外とひっ迫しているのだから。
◆◆◆
場面変わって、景子が向かっていた銀行の店内。その空間は、はりつめた空気で満たされていた。
十人ほどの利用客たちと数人の銀行員が、店の奥の一か所に集まって両手を頭の後ろに組まされ、一様に不安げな表情を浮かべながら、窓口のひとつに目を向けていた。
彼らの視線の先にいるのは、フルフェイスのヘルメットにライダースーツで身をかためた黒ずくめの一人の男。その手に収まる拳銃こそが、この空間の支配者だった。
それがモデルガンでない本物であることは、彼の頭上で砕け散った照明が、すでに証明済みだ。
「遅い。あんたを撃って、別のやつに代わってもらおうか?」
窓口の内側にひとり残された女性行員は、至近距離で突きつけられた銃口と男の言葉に怯えながら、震える手で必死にボストンバックに現金を詰め込んでいる。
──銀行強盗のまっ最中、であった。
誰かのすすり泣く声だけが時折りかすかに聞こえる店内の静寂のなか、ヴーンと低いモーター音を響かせて出入口の自動ドアが開いた。
『いらっしゃいませ。整理券をお取りになって、番号をお呼びするまでお待ちください』
続いて、空気の読めない自動音声にエスコートされながら、新たな客がひとり自然な足取りで入店してくる。
事務服を着て、すらりとした立ち姿の若い女性である。
漆黒のショートボブと対をなす新雪のような白い肌と、きりりと真っ直ぐな目鼻立ちに、彼女を見た十人中九人は「凛とした」という形容詞を思い浮かべるだろう。
「お前も、そいつらと同じようにしろ」
男は落ち着いた口調で、行員からその女性に向け直した銃口をくいくいと動かしつつ、奥の客たちの方を示す。
対して彼女は、店内をぐるりと見まわしてひとつ、大きくため息をついた。
「はぁ……、やっぱりそんなとこだと思った」
驚きも恐怖もなく、ただ呆れたように言って、左右のスニーカーのつま先で交互にとんとん床を叩く。
「ほんと、履きかえてきて良かった」
ひとり言のように口にして彼女──景子は、自分をまっすぐ狙う黒い銃口に向かい、なんの躊躇もなく真正面から駆けだしていた。
「なっ」
男は一瞬だけ面食らったものの、すぐに状況を把握し、脅しのためでなく、両手を使って銃を撃つべき構えをとる。
単独で銀行強盗を企てるような無謀な人間らしからぬ判断力を見るに、店外には逃走を手助けする共犯もいるかも知れない。
「舐めやがって」
だから拳銃の扱いも決して素人ではなかったし、障害となり得る相手の命を奪うという判断に一切の呵責もない。
そして男は、彼女に向けた銃のトリガーを躊躇なく引いた。
サイレンサーによってくぐもった銃声に続き、彼女の後方に飾られていたガラスの花瓶が粉々に砕ける。
もう一発、さらに続けて一発。
──当たらない。かすりもしない。
戦場にて先陣を切る上杉謙信には、「毘沙門天の加護」があるかのごとく矢弾が当たることはなかったといわれる。
まるでその逸話を再現するかのように、景子に向けて放たれたあらゆる飛翔物は決してその身に当たることなく、危害を加えることもできない。
これが、先ほど名前だけ挙げた能力「リアクト」──すなわち、前世における運命を今世でも再演[Re-act]すべく作用する特殊な力である。
便利な特殊能力と思うだろうか?だが、この力のせいで彼女はいかなる球技においてもパスを受け取ることができず、またブロックすることもできない。
それにより彼女が青春時代にさまざまな辛酸をなめたことも、できれば知っておいてあげてほしい。
店内を斜めに横切り窓口まで約10メートル、前傾姿勢で疾駆する彼女に、男の放つ凶弾は当たらない、当たらない、当たらない、その足が止まることはない。
きりりとした柳眉のまんなか、人間の絶対的な急所である眉間に吸い込まれるように放たれた完璧な一射さえ、無造作に小首をかしげるしぐさで避ける彼女の姿を見るにいたり、男は背筋を走る冷たいものを無視できなくなっていた。
「くそっ!」
残弾は少なく、無駄撃ちはできない。混乱しながらも彼は、傍らの女性行員のこめかみに銃口を向けるという、きわめて合理的な判断を下す。
「こいつをぶっころすぞッ!」
対する景子は走りながら、左腕に提げた小ぶりのバッグより、右手でなにかを抜きはなつような動作をみせる。
その手に握られていたのはしかし護身用の武器などではなくて、小さく平たい木製の棒。食べ終えたアイスキャンデーの、当たりの焼印さえないただの棒だった。
ところで武器といえば、謙信の愛刀として知られるのが太刀「小豆長光」だ。刃の上にこぼれ落ちる小豆を次々にまっぷたつにしたと謂われし名刀である。
さて、今ここで彼女が手にした木の棒、それは。
──井村屋登録商標「あずきバー」の棒。
小豆という共通項そして、あずきバーの「めっちゃ堅い」というイメージ、そしさてさらに景子自身がその銘を呼ぶ。
「リアクト──小豆長光!」
かくして小さく薄っぺらな棒きれは、鍛えあげた鋼にて成る稀代の名刀を現代に再演せしめるのだ。
瞬間、ついさきほどまでこの空間を恐怖で支配していた強盗の感情は、迫りくる女への恐怖で塗りつぶされた。
無理もない。拳銃を恐れず向かってくる彼女の手には、いったいどこから取り出したのか、白銀にぎらつく日本刀が握られていたのだから。
眼前に迫る太刀を受け止めなければ、一刀のもとに切り捨てられてしまうだろう。彼は銃口を人質から離し、拳銃を上段に掲げていた。撃つのではなく、刃を受け止めるために。
それはまるで、有名な川中島合戦、敵である武田の陣深く単騎で切り込んだ謙信の一刀を、生涯のライバルであった武田信玄が軍配で受け止めたという逸話を再演するように。
ただし今ここで一刀を待ち受けるのは、動かざること山の如く信玄公が掲げた軍配ではなく、一介の強盗が手にした小ぶりの拳銃である。
受け止めた拳銃から伝わるあまりにも鋭く重い衝撃に彼の手は感覚を失い、唯一の武器をあっけなく足元に取り落としていた。
さらに追撃せんと太刀を振りかぶる景子に向け、絞り出した彼の震える声。
「や……め……」
……てくれ、とでも続けたかったのだろう。
ちなみに、前述した川中島合戦における信玄の軍配には、謙信が斬りつけたかに視えた回数の倍以上の傷が残っていたという。
「三太刀七太刀」と呼ばれるその逸話をリアクトし、景子の太刀が描く軌跡は神速と化す。
刹那に左の肩口から心の臓ごと袈裟がけで斬り抜け、胴を横薙ぎ、左わき腹から逆袈裟で右肩まで遡り、しまいはヘルメットごと頭部を唐竹割りに両断していた。
「──だいじょうぶ、峰打ちだから」
失禁しながらくずおれる男に、景子はそっと囁く。
実際、周囲の人間から見た限り、彼女は彼の頭をあずきバーの棒でぺちぺちと数回叩いただけなのだ。
しかし、自身の体を冷たい刃が幾度も斬り裂いてゆく恐怖と絶望は本物で、それはたやすく彼を心神喪失に追い込んでいた。
電池が切れたように動かなくなった男へ一瞥くれながら、バッグにあずきバーの棒を納刀した景子は、カウンターの向こうで硬直している女性行員に微笑みながら声をかける。
「ごくろうさま。窓口っていろんなお客がくるから、大変ね」
──ここまで、景子が入店してから一分たらずの出来事である。
彼女が上杉謙信の生まれ変わりとなったことに、「現代を生きる普通の女の子の日常」でのメリットはほぼなかったと前述した。
ただし非日常、たとえばそう、銀行強盗に遭遇するような事態においてなら、このように話は別となる。
そして彼女はなぜか、そういった非日常のトラブルに出くわすことが非常に多い。
生まれ変わりになったせいか、はたまた元々の宿命なのかは確かめようもないが、それを見過ごすことができず首を突っ込んでしまうのは、自分のもともとの正義感のせいだと自覚している。
だから実際のところ、生まれ変わりになることで手にした知識と胆力、そしてリアクトの力は、幾度となく彼女自身と、なにより彼女が救いたいと願った人々のため、存分に役立ってきたのだ。
もしあのとき、透けてるおじさん──謙信公の言葉を拒絶していたら、彼女はとっくに、その無謀な正義感に殉じて命を散らしていたかも知れない。
まわりを取り囲んでそれぞれに感謝を述べてくる人々に愛想笑いを返しながら、ふとそんな想いを巡らせる。
もしかしたらあの日、自分は謙信公によって救われたのかもしれない。
景子がそう思えるようになったのは、わりと最近になってからだ。
ふとバッグの中のスマホが震えていることに気付き、それを口実に感謝の輪から抜け出す。相手は、ニュース速報を見て慌てて連絡してきた同僚だった。
「そう、うん……うん、わたしは何ともないんだけどね……」
これから警察の聞き取りやらなにやらで、会社に戻れるのはいつになることか。
「ごめん、合コンはキャンセルさせて」
よしんば間に合ったとしても、昼休みに銀行強盗を撃退した女がどんなテンションで自己紹介すればいいかわからないし、他の参加者もどう扱えばいいか困惑することだろう。
通話を切り、がっくりと肩を落とす景子だった。
上杉謙信は、妻をめとることなく生涯独身を貫いた人物である。そして酒と塩辛いものが大好きだった彼の最期は、おそらく高血圧によるものなのだろう、冬場の厠でたおれて亡くなったという。
景子としては、人生における巡りあわせの結果として生涯独身になるのなら、それはそれでいいと思っていた。
ひとりで生きていく自信はあるし、女の幸せは結婚だなんて前時代的な説は鼻で笑い飛ばせる。
──ただ、まあ。
冬のトイレで倒れ、淋しくひとりで逝く。
その再演だけは何としてでも回避せねばと、誓いをあらたにするのだった。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
よろしければ広告下↓から★(何個でも!)評価いただけますと、今後の執筆の励みになります。