エピソード１：奇妙なバイト
気持ちの良い午後の日差しが木々の隙間から差し込んできらきらと揺れている。青い芝生で遊ぶ小さな子供たち、追いかける若い母親、おどけてしゃべりながら遊歩道を歩いて行く学生たち。公園のベンチにひとり座っている宮野伊織は、その絵に描いたような平和な風景と自分の置かれた現状のギャップにため息をついた。
一週間前、職場をクビになった。いや、正確には自分で退職を願い出ることになった。朝、職場に行くと、10時から大事な発表があると聞かされていた。嫌な予感がしていたが、案の定人員整理の通達だった。優秀な社員はすでに営業に出ていた。都内にある中堅の広告代理店。8年働いてきて結果がこれだ。クビにはしない、選んでくれと。早期退社で退職金を少し上乗せするということだった。いっそのこと会社都合にしてくれた方が雇用保険が早くもらえるのに、おかしな面子だけはあるのかその選択肢は無かった。職業安定所の事務処理が終わって帰り道、伊織は公園のベンチで途方に暮れていた。
仕事は探せばある、売り手市場とはいうがそれは職種が限られた話だ。しがない広告代理店の営業マンに何のつぶしが効くのだろうか。地方の国立大学を出て、都会での暮らしに憧れてやっと掴んだ仕事だった。池袋の安アパートの家賃の支払い、どうするかなあ。貯金はゼロではないが、この先の税金や健康保険の支払いを考えるとギリギリだった。
「田舎に帰ろうかなあ・・・」
そうつぶやいた矢先にポケットのスマホが鳴った。誰かと思って画面を見れば、元同僚の山口だった。
「よお、伊織元気か？」
「山口か、元気じゃないよ」
電話の先の懐かしい声に伊織は情けない声で返事をした。山口は伊織の同期で、機転が利く男だった。仕事の成績も良く、今回の人員整理の対象から外れていた。
「まだ仕事見つかってないだろ？」
「余計なお世話だよ」
「その感じだと困ってるな」
「まあね・・・いろんな業界の裏側を見てきたぶん、どこに転職するか本気で悩むよ」
「あのさ、ちょっとしたバイトがあるんだけど」
「え、バイトぉ？」
雇用保険をもらうためには一定以上の収入があってはならない。ここで中途半端なバイトなどして、いざというときにもらえるものがもらえないのは困る。言いよどんでいる伊織の様子が分かったのか、山口は続ける。
「俺の先輩から依頼されたバイトでさ、金は現金支払い、ほんの数日間で超割がいいバイトなんだよ。できることなら俺がやりたいくらいだよ」
「じゃあお前やれば」
「まあ、聞けよ！これは今のお前にぴったりのバイトなんだって。時間がフリーなお前じゃないとできないんだよ」
心底失礼だな、と思いながらも伊織は一応内容を聞いた。日本観光を希望している外国人を空港まで送迎して、都内のマンスリーマンションを拠点にして２週間ほど関東近郊の観光をする、といったものだった。買い物や食事などの世話も必要、ということで一日つきっきりのガイドになる。
「じゃ、ここまで説明したんだから頼むぞ！」
山口の必死な様子が怪しい。
「おい、まだやるって言ってないぞ！」
「俺の顔を立ててくれよ、頼む！」
「その言い方だと結構断られたな？」
「まだ８人目だ」
しばしの間。
「・・・おい、それ完全にブラックだろ！？」
「伊織、お前大学の第二言語はチャイ語だっただろ？」
チャイ語とは中国語のことだ。
「いや、それはドイツ語やフランス語と比べて簡単だったからで、別に中国語がしゃべれるわけじゃないぞ」
「ニーハオっていっときゃ何とかなるって」
「相手は中国人なのか、ていうかむちゃくちゃだなお前！そんなのプロのガイドに頼めよ！」
「ある程度しゃべれるらしいから大丈夫だって、詳細はLINEで送るから、よろしくな！」
勢いよくそれだけ言って通話が一方的に切れた。伊織は頭を抱えた。日当は３万円、それとは別にガソリン代や観光地の入場料、食事代など必要経費はいくらでも請求して良いということだった。確かに割がいい、小遣い稼ぎにはありがたい話だった。しかし又聞きの依頼ということもあり、不安要素が大きすぎる。やっぱり断ろう、そう思っていたところに山口からLINEメッセージが届いた。
「明日、10時過ぎに羽田に到着・・・明日かよ！？」
伊織は読み上げて絶句した。本当に人選が決まらずギリギリだったようだ。ここでもし断れば山口は困るだろうがそれは構わないとして、せっかく日本に観光にやってくる中国人にも悪い気がしてきた。伊織は引き受けることで腹を決めた。
