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エピソード17 伊織の決意

「無理するな、怖くて震えてただろう」

 伊織は口ごもる。怖くないはずがない。チンピラに絡まれただけでも怖かったのに、ドラッグにヤクザに裏社会なんて、自分とはほど遠い世界だ。

「怖いよ、でも瑛さんが守ってくれるだろ?」

「甘えるな。あのときはお前が死ねば面倒だったからだ。俺に捜査の手が伸びれば組織にも気づかれる」

 確かに甘えている、伊織はうなだれた。

「俺は瑛さんのこと悪い人と思えない。一緒にいて、なんだかんだと楽しかったし、ちょっとは仲良くなれるかなって思ってた。お茶のことや、故郷のことも教えてもらいたいし・・・」

「お前な、平和ボケにも程があるぞ」

「じゃあ、何で教えてくれたの?」

 曹瑛ははっとした。これから出て行こうとする伊織にこんな話をしなくても良かった。曹瑛は天井を向いて声を出して笑い始めた。


「瑛さん、何なんだよ!」

 訳がわからず、伊織は曹瑛の肩を揺らした。

「何でだろうな、俺にも分からない」

 心のどこかでこの先一緒にいることを期待していたかもしれない、曹瑛はそれに自分で気がついていなかった。自分のことを、仕事上の利害関係なく興味を持ってくれたのはこの男が初めてだった。

「飯かな」

「嘘?」

 伊織もおかしくなって笑う。ひとしきり笑った後、お互いの顔を見つめた。

「瑛さんもそんな風に笑えるんだね」

「久しぶりに笑った」

「俺は波風立てず生きてきたし、物騒なことは嫌いだけど、瑛さんが危ない目に遭うのも嫌だ。引き受けた仕事はちゃんとやりたい」

「俺は、お前を巻き込んだことを後悔している」

「え?」

「俺の案内には、ここの繁華街に詳しいヤクザ者の末端構成員がくると聞いていた。初めて会ったときから妙だとは思ったが、面白そうだからそのままにしてみた」

「そ、そうなの・・・!?」

 今回のバイトを持ちかけた山口の先輩というのが、もしかしたら危ない世界の人間だったのかもしれない。とんだ丸投げではないか。

「ヤクザ者ならそれなりの使い道もあったが、伊織じゃ無理だな」


 曹瑛が伊織の肩をぽんと叩いた。

「・・・明日からも頼む」

「瑛さん・・・」

 曹瑛は真剣な顔で伊織をじっと見る。

「だが、これから先、お前が逃げ出したくなるようなことがたくさん起きるぞ」

「分かった。本当に危なくなったら全力で逃げる」

「・・・早く寝ろ」


 伊織は水を補給してベッドに入った。曹瑛が何者かを話してくれた。想像のはるか上をいく話だったが、それでも嬉しかった。一線を引いて自分に何ができるのか、不安はある。でもこんな話を知って、このまま逃げ出すのも違うと思った。頭の中は情報過多だったが、程なくして驚くほどすんなりと眠りに落ちた。


 朝、車の行き交う音に目を覚ました。スマホのアラームはまだ鳴っていない。伊織はベッドから身を起こして伸びをした。カーテンを開けると外は快晴だ。ごく普通の朝の風景に昨夜の話が嘘のようだ。キッチンでは曹瑛が朝食の準備をしていた。

「おはようございます、俺準備します」

「いいから顔でも洗ってこい」

 世話役という話だったのに、これでは自分の方が世話をされている。伊織は冷たい水で顔を洗って気持ちを引き締めた。鏡に映る自分の顔をまじまじと見つめる。夜更かしのため目の下にクマがあるが、やつれた顔にはなっていない。顔を両手でパンと叩き、キッチンへ向かった。


「いただきます」

 今日の朝食は趣向が違った。白米のたまご入りお粥。刻んだネギが添えてある。ゆで卵は色が随分茶色い。ソーセージとサラダ。グラスに入れた牛乳、いや口に含んだら豆乳だった。温かい豆乳に少し甘みがつけてある。健康志向だ。

「中国の屋台で食べられる朝食はこんなもんだ」

「わあ、そうなんですね」

 素朴な朝食だが、気遣いがこもっているような気がして伊織は嬉しくなった。卵の殻を剥くと、白身に茶色のヒビが入っている。香辛料の独特の風味があった。

「茶葉卵といって茶の葉を使って作る」

 中華食材の店で買っていたのはこういう香辛料だったのか、と合点がいった。しっかり煮込んであるようなので、いつの間にか仕込みをしていたようだ。

「卵さっぱりした風味があって、美味しいです。あ、このソーセージ、甘い・・・」

「なんだ、普通だろう?」

「日本で売ってるソーセージはこんなに甘くないです。どちらかというとスパイシーなのが方が多いかも。不思議な味だなあ」


 珍しい朝食に思わず会話が弾む。曹瑛も心なしか口数が増えた気がする。昨夜の不穏な話など無かったかのように和やかな時間だった。朝食の片付けを終えて、テレビをつけた。朝のワイドショーをやっている。ニュースに昨日の歌舞伎町の朝の映像が映っている。伊織は一気に現実に引き戻された。通り魔事件、けが人は5名、死者は1人。

「え、死者が出てる・・・」

 ニュースは犯人の死亡を伝えていた。伊織は曹瑛の顔を見た。

「あそこまで錯乱状態なら、助からない」

「・・・そうなんだ・・・」

 やはり、龍神というドラッグは危なすぎる。あんな危ない状態の人間が何人も増えたら。そう考えるとゾッとした。

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