エピソード14 強引な聞き込み
昔に比べて観光客も増えたし、治安も良くなったとは聞いているが、ひとつ通りを間違えるとえらいことになる、というのは今も通説らしい。ギラギラしたネオンの下を曹瑛について歩く。男だけで歩くと客引きがすごい。黒人がおかしなイントネーションの日本語でガールズバーへ誘ってくる。まだ夜風が冷たいというのにやたらと短いスカートの女性が路地の入り口に立っており、3歩歩くごとに声がかかる。何をしているのかわからない見るからに怖いスーツの男たちが固まって喋っている。
まるで異世界だ。ここは日本なのか。伊織は曹瑛とはぐれないように必死でその背を追った。不意に肩に衝撃を受けた。
「おい、にーちゃん痛えな」
「え?」
黒いジャージに金のネックレス、別に好きでもなんでもなさそうな球団のキャップをかぶった男に呼び止められた。伊織は肩を狭めて歩いていたが、明らかにその男がぶつかってきたのだ。信じられない、門をくぐって15分ほどで不良漫画のようなトラブルに遭遇してしまった。
「ぶつかって謝らないのか?」
「そりゃひでえな」
仲間が集まってきた。同じような格好の男が3人。こうやって責め上げて金をむしり取るのが手口だろう。人の良さそうな、どこか抜けた雰囲気の伊織は格好の餌食だった。
「いいがかりだ、そっちからぶつかってきただろ」
伊織は頑張った。ここで謝ったら負けだ。
「にいちゃん勇気あるな」
チンピラたちが申し合わせたように下卑た声で笑う。めくれ上がった分厚い唇からタバコのヤニがこびりついた汚らしい歯が見えた。
「ちょっとこっちで話してカタつけようや」
「遠慮しときます・・・」
「この人たちがそういうなら仕方がない」
突然、曹瑛が話に割り込んできた。何を言ってるんだこの人は、一体どっちの味方なんだ?伊織はチンピラと曹瑛を怪訝な顔で見比べた。長身で細身、サングラスをかけてこの状況に動じない様子の曹瑛を見て、チンピラたちは一瞬ひるんだ。しかし、勇気ある一人が伊織の腕を掴んで暗い裏路地へ連れ込んだ。曹瑛はその後を無言でついていく。
「出すもん出せよ」
「何をですか」
「金だよ、金で解決できるんだよこういう問題は」
「あんたらに払うお金はありません」
「減らず口叩くんじゃねえ」
小太りのチンピラが突然殴りかかってきた。その拳を曹瑛が受け止め、その勢いを利用してそのまま壁に叩きつけた。チンピラは煤けた壁に激突し、ぐぇっと情けない声を上げて地面に倒れた。顔面を押さえてうめき声を上げている。低い鼻が折れたようだ。
「てめえ」
もう一人の汚いまだら金髪の男が曹瑛に殴りかかる。腕を振りかぶり、顔は上を向いて隙だらけだ。曹瑛は身をかがめ、肘打ちを顎に食らわせた。鋭い肘が入って男はのけぞる。それだけで平衡感覚を失ったところに、追い打ちをかけるように姿勢を正して足を真上に蹴り上げた。まだら金髪はきれいに弧を描いて吹っ飛び、枯れた鉢植えに頭をぶつけて気絶した。
最後の一人が伊織に向き直る。弱いものに向かう方が得策という頭は働いたのだろう。坊主頭のチンピラは伊織に殴りかかってきた。
「うわああ」
伊織が怯えて叫びながらもダイナミックな動きで避けると、男はその勢いで壁にぶつかった。振り向こうとしたら、曹瑛の足で壁に縫い付けられていた。頬に靴底を押しつけられて無様に顔が潰れている。
「え、瑛さんもうやめよう」
「伊織、下がっていろ」
「や、やめてくだしゃい・・・」
唾液と血液に塗れた歯が地面に転がった。曹瑛は足に力を込める。
「ひぃ・・・」
曹瑛の脚力に坊主頭がゆがみそうだ。男は手をバタバタさせるが、曹瑛の足のリーチに敵わない。
「龍神を知ってるか」
「なんだよそれ知らねぇよ、放してくれよ」
「このまま頭蓋骨骨折してみるか?」
「本当に知らないんです!た、たすけて・・・」
強面の坊主頭の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。曹瑛はチ、と小さく舌打ちして足を緩めた。坊主頭は急に支えを失って地面に転がった。
「小物は役に立たないか」
曹瑛は表通りに向かう。伊織は慌ててそれを追った。裏通りのケンカを何人かは見ていたはずなのに、誰も警察を呼ぼうとしない。ここでは自分の身は自分で守らねばならないということか。その情景が伊織には不気味だった。そして男3人をあっという間にのしてしまった。この人は一体何者なんだ?
「瑛さん」
雑踏の中で伊織は立ち止まった。曹瑛も立ち止まる。
「なんだ」
「俺を囮に使っただろ?」
「・・・」
「俺が」
「ひ弱そうだからな、ああいうのを釣るにはちょうど良い」
曹瑛が口の端をつり上げて笑っている。伊織の反応を楽しんでいるようだ。伊織はこんな目に遭わされたことにふつふつと怒りがこみ上げてきた。客引きが伊織の腕を掴んで何か言っているが、それを見もせずに振り払う。
「俺、先に帰りますから、帰り道は分かるでしょう」
「そう言うな、もう少しつきあえ・・・」
不意に伊織の背後で女の甲高い叫び声が上がった。瞬時に騒然となり、人が必死の形相で逃げてくる。続く獣のような叫び声。男が半狂乱で壊れたピエロのような動きで、腕を振り回しながら人ゴミに突っ込んでいく。そのたびに悲鳴が上がる。手元にネオンの光を反射して光るものが見える。
「こいつやばいぞ、刃物を持ってる」
「逃げろ!」
人垣が散り始める。伊織は足がすくんで動けなかった。逃げだそうとした人たちが次々将棋倒しになっている。髪を振り乱した男は口からよだれを垂らしながらこちらに顔を向けた。その目は血走っており、眼球は何を映しているのか分からない。言葉にならない叫びを上げながら男が全速力で向かってきた。