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翌日。
取り急ぎ開店した『真幸商会シルイット店(仮)』のカウンター裏で隼人は1人頭を抱えていた。
開店から1時間足らず。
ビラも宣伝もしていない状態で初日から満員という快挙を成しえている状態なのだが、予定と完全に違うのだ。
1つ目は客数。
現代で生活しているからこそ、CM等宣伝の効果の大きさを知っている。
故に看板も出さず宣伝も行わないことで、隠れた名店の如く一部の人にしか知られずひっそりと営業を開始る予定だったのだ。
需要と供給を把握していない点と、多数の人が殺傷力を持つ武具を所持している世界で防衛力を持たないが故、商売敵やならず者から目を反らす点の理由からだ。
2つ目は客層。
1つ目の理由によりこの店は捨石にしてもいいと考えていた。
少なくとも嗜好品を引き取ってもらえる事が決まっていたので、その窓口さえ体裁を整えてしまえば何とでもなっていたのだ。
なので甘味をなかなか口にできない市民に対して安価で戸を開くつもりでいた。
口コミで客足が徐々に増えれば十分。
値段も最初の1杯を銅貨50枚、お代り毎に10枚で提供の予定だった。
この額でも祭りのデコや果物を加えて出店でなんとか提供できる金額だ。
そこに反対意見を出したのがミスティ・デライト・ラッセルの3人。
曰く
「希少品をこの値段で出してはいけません。ハヤトさんだけなら構わないかもしれませんが周辺の飲食店や酒場に影響が出てしまいます!」
とのこと。
露天での食品提供が一般的なこの世界で、店を構えて食事や飲み物を提供する店は少なく中々に高い料金を取っているのだとか。
いくつか問うてみたところランチセット+1ドリンクで銀貨2枚前後、酒場なんかではおつまみ+アルコールで銀貨3枚前後、お代りで銅貨50枚以上取られるのが一般的らしい。
………その分提供する商品に特色を出したり特殊な衣装をした女の子をつけたり(詳しく聞こうとしたがミスティの目が怖かったので聞けなかった)と客寄せのための企業努力はあるようだが。
真幸商会の場合、一等地の出店に氷と砂糖を使った飲み物+ガラスのグラスで企業努力は十分以上らしい。
口論で女達を負かすことはホント難しく、この時ばかりはミスティも正論でこちらの言い分を一刀両断。
結局値段は3人に丸投げにしたところ最初の一杯を銀貨2枚、お代りを銅貨30枚に決められた。
これでも3人相手に当初の2/3まで下げたのだ。
加えてミスティの行動力。
売価が決まるや否や商業・冒険者・工業ギルドのほか先日繋がりでナストゥール商会に(ダッシュで)出向き、提供物の宣伝をしてきたのだ。
結果として店内は満員。
しかも客層は商人や高価であろうと思われる武具や防具を整えた冒険者と思われる類の人ばかり。
しかも、煩わしいことに
「ハヤトさん、この清涼飲料水なるものをお譲りいただけませんかな?」
とか、
「こんなに味わい深く爽快な香りのする茶は初めてだ。旅先でも口にしたいのだが茶葉の販売は行っていないのか?」
と声をかけてくるのだ。
4度目で辟易し、お客さんと話しながらお代りを勧めるラッセルに
「煩いから、ここで提供する以外で欲しいって人には目安コップ10杯分で旧金貨1枚って言って。高いって怒ってきたら、この店だけの特別価格です。ぜひ当店に遊びに来てって事にして」
と放り投げた。
売るつもりがなくて言ったのだが、まさかのなっつあんのアップル味が1本売れた。
具体的には教えてもらえなかったが、とあるお方に献上するのだとか。
……献上とはまた大層な。
そして、比べ物にならないほど大きなミスが………
・仕入れと売り上げの通貨が違って帳簿が付けられない!
・ジル(シルイットの国の通貨単位)の価値がわからない!
の2点だ。
日本円換算も過去に算出した通り目安で出しているが、物価の差が日本と違いすぎて目安以上の価値を出せないのだ。
もちろん為替による換金もできない。
Q. リンゴ10個を貝殻10枚で仕入れて牛4頭になりました。さて利益はいくら?
A.わかりません
元手のリンゴも手に入れた牛の価値が分からない限り仕入れに使った貝殻を損し続けるだけになるのだ。
下手すればその貝殻の価値すら分からない。
もちろん複式簿記も記入できない。
仕方ないので当面は売り上げと経費をそれぞれ時系列に記入しておくことにする。
大福帳を2つに分けただけの状態だがつけないよりはましだろう。
「いらっしゃいませー。すみません、ただ今満席なので暫くお待ちいただく事になりますが……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。別件で用事がありまして、ハヤトさんにガルフが来たと伝えていただけませんか?」
「はい、わかりました。少々お待ちください。店長~」
ということで奥の個室でガルフコーストさんと取り引き(はなし)をする。
満席といっても提供するものはドリンクだけ。
ミスティとラッセルに現場を任せ、サポートにデライトをつける。
両親も身元もはっきりしているし大丈夫だろうとの判断からだ。
ガルフコーストさんからも了承済みだ。
能力も四則演算は完璧、最難関といわれる中学受験問題を数問、応用問題として出題してみたが全て正解。
中等・高等数学は公式や解き方の下地がないので解けなかったが強い興味を示していたし問題集と解説本を用意しておけば勝手に覚えていくだろう。
ミスティの方は多くの客がいる状態でパニックになられても困るので
「初日だしラッセルとデライト二人だとまだ心もとないんだよね。そこで、受付で接客にも慣れこの町の有力者に詳しいミスティにお店を守っていてほしいんだ」
と言って残ってもらっている。
本音は隠している可能性があるかもしれないが、嘘は言っていないぞ。
お互いに簡単に挨拶を済まし本題にきりかえる。
「先に私の方からよろしいですかな」
ガルフコーストさんが先に切り出す。
「まずは先日引き取った砂糖と胡椒の取引量と買い取り額についてですが……」
取引額の更新は目安として毎月1回1日にと希望された。
本来なら販売するこちら側が相場に合わせて卸値を提示するのが普通なのだが、価値の異なる世界間の取引なのでガルフコーストさんに買い取り額を提示してもらう形にしてもらった。
それだけだとこちらが不利となるので他の商会・個人に最大1袋まで販売許可をもらい、合い見積もりを取れる形にした。
代わりに売却権を行使した場合、売却先と売却価格を記載した契約書を提出することとなった。
太陽暦(地球の暦)とロストータ大陸での暦は微妙に違う。
大陸側の暦は1週間7日の1年365日は同じだったがひと月が30日。
休日として祝福の日(太陽暦だと日曜日に該当)が今週は月曜日に該当、あと29・30日が再生の日として休日になる(祝福の日と重なっても再生の日となる)。
1年の終わった後、361日目から365日目が復活祭として休日となる。
余談だが、再生の日は祝日に当てはまるらしく、催事やイベント事が行われるのはほぼこの二日間に集約されるのだとか。
とまぁ、暦が多少ずれるので自分が買い取り更新を受け取る日は固定化されないようだ。
ファイルを用意しておいてガルフコーストさん(商業ギルド)にファイリングしてもらうようにすれば問題ないはずだ。
とりあえずと、今月分の買い取り一覧を渡される。
砂糖1kg袋―――5千ジル→5,500ジル―――(上限4袋)
塩コショウ1kg袋―――7千ジル→12,200ジル―――(上限なし)
粒胡椒500g袋―――1万4千ジル→1万2千ジル―――(上限なし)
「特に塩コショウなのですが、粒胡椒で職人が調合したものより旨いと凄く評判がよくて、味を知った王都の貴族様から高くてもかまわないから早急に欲しいとせっつかれまして……。余裕があればあるだけ買い取らせていただきたいのです」
流石大手D社の塩コショウだ。
薄い味の多いこの世界に化学調味料は暴力的すぎるのかもしれない。
そのうちこの世界に合った調味料も出してみたいものだ。
「砂糖の方はすぐにでも持ってこられるのですが、他は暫くお待ちいただけないでしょうか?」
主に財布的な意味で。
「まぁ、あれだけの品を手に入れるのに並々ならぬ苦労があるのでしょう。先方には伝えておきますので仕入れられ次第納品いただければ助かります」
砂糖仕入れすぎたのは失敗ったな。
赤伝切って……いや。ただでさえグレーゾーンを使って一括仕入れたのに、コロコロ戻していたら言い訳まで効かなくなるな。
真幸商会から2階に商品を移動させる際、帳簿の備考欄に仕入れを間違えてしまったため個人買い取りと記載してある。
何度も使える手段ではないが簡単に戻していたら見つかった際に何を言われるかわかったものではない。
早速2階から砂糖を4袋持ってきてその場で引き取ってもらう。
デライトに苦肉の策で分けた帳簿―――2番帳簿の収入帳簿に2万2千ジルを、支出帳簿に4袋―――を記載してもらう。
1番帳簿を休憩所収支、2番帳簿を卸収支としている。
名前を付けずに番号付けしているのは増える可能性を考慮してだ。
「これで私の方からは以上ですね」
一度締めて握手を交わす。
次はこっちのターンだな。
「ガルフコーストさん、お手数ですが少しこちらまで来ていただけませんか?」
設置された複合機まで来てもらう。
「今日ガルフコーストさんにお見せしたかったものはこの機械です。デライト、ちょっとその帳簿を貸してね」
「…はい」
手を伸ばすと一歩引かれる。
それでも手を伸ばして帳簿を渡してくれるあたり嫌われてはいないと思いたい。
電源を入れ帳簿をコピーする。
見慣れない明りや音を出す装置に二人とも驚いていたが印刷された用紙が出てくると
「これは……驚いた」
「素直に、……凄い」
と上々の反応を見せてくれる。
ミスティを呼ばなかった一番の理由はこれだ。
過去の経験から複合機を動かした瞬間大騒ぎしていたことだろう。
あの世界がひっくり返ったかのような驚き方は面白いので後で教えるけどね。
「どうでしょうか?紙の大きさはこれが限界ですが、一瞬で文字を印刷………複製することができます。これを使うことで貴重な書物や記録を簡単に一文字も間違うことなく複製可能です」
一呼吸置く。
ガルフコーストさんが頭に手を当て何やら考えている。
「そしてもう一つ、この冊子をご覧ください」
食料品・雑貨・生活小物・調味料・嗜好品・資材・植物・衣類・消耗品・筆記具……。
電気を使わない&安価で簡単に手に入るものを条件に、分類ごとに写真に撮ったものをファイリングしている。
商品説明については口頭で説明し、デライトとミスティの二人にがんばって書いてもらうつもりだ。
その数なんと15冊。
まぁ、自分はホームセンターや業者さん方に写真のデータを集めて貰ってパワーポインタにペースト&印刷をしただけなんだけど。
「………………ハヤト殿、これらの技術の粋を儂に見せてどうされるおつもりですか」
唸るように声を絞り出すガルフコーストさん。
「いえ、これが私の提供できる全てです。とお伝えしたかっただけですよ。ただ……まぁ、このままだとこれらのほとんどを仕入れることができない……というか、現在お譲りしている商品も提供できなくなる。ということを御理解いただききたいとは思っています」
こちらの現状を言えないことはぼかしながら、また、つじつまを合わせながら説明する。
仕入れにはこの大陸で使われている通貨とは別の通貨を用いて商品を仕入れる必要があるということ。
そこでは金銀宝石の貴重品のやり取りが厳しくそれらの貴重品で通貨を稼ぐことができないこと。
魔物(獣)や特殊な兵士が常に巡回をしており武具類も一般人は持ち運びや売買できないこと。
見てもらった通り技術が高すぎて青空市で見たものはほとんど売り物にならないこと。
その国は非常に遠く、人を遣って現地で通貨を稼ぐこともできないこと。
「――――なるほど」
と一言つぶやきテーブルの上のグラスを軽くつつく。
半分解けた氷がカランと小さく音をたてた。
「ハヤト殿が貴方の国で売れるものを見つけないと、これらの商品は手に入れることができないということですね」
「加えてなるだけ小さくて軽いものが理想ですね。特殊な兵士さんのせいで運搬も私が素手で持ち運べる範囲のものしか私の国に持っていくことができないので」
具体的にはクローゼットの半分ほどの大きさまで。
まぁ、両手で抱えないといけないようなものは、よっぽどの価値がない限り効率の悪さから却下するけどね。
複合機の利用料についてはガルフコーストさんだけでは判断のしようがないらしい。
貴重な資料や記録・本の類は王家や教会が多く所持しているらしいので、彼らが必要とするかどうかが焦点となるようだ。
因みに設計図や秘伝の書なんかは跡取りが内容を覚えるために自分で書き写し、一部改定・改良して自分の糧にするのだそうだ。
そういえば、大学でも試験直前に他人のノートをコピーして、要点を切り貼りして対策ノートを作っていたやつが何人も落第していた気がする。
ガルフコーストさんからは犯罪に利用される可能性の方が高いので、複合機は隠せるなら隠しておいた方がいいと忠告された。
逆にデライトは
「でも、高価な書物が安く大量に生産できれば国力の増加につながる」
と、複合機の利用に賛成だった。
どちらの意見ももっともだったが防衛力のない状態ではガルフコーストさんの方が現実だと思い、事務所に移しておくことを決めた。
デライトの意見の方は、機会があれば活版印刷の普及→タイプライターと地球の歴史をなぞらせる提案をしてみようか。