きみに関する覚え書き(あるいは過去へと送る小さな告白)
「好きな食べ物は人肉です、よろしくお願いします!」
きみの第一印象はといえば、クラスの自己紹介で盛大な冒険をして盛大にダダ滑った女の子、という身も蓋もないものだったと思う。だけどひとつ、信じてほしいのはすでに次の瞬間。きみが静寂の中でも能天気な笑顔を浮かべて、自信満々のピースで教室を見回していたのを目にしたとき、すでに第二印象は違うものになっていたということだ。
きみは変な人だった。
こればっかりは、きみ自身がいくら否定しようと今更になって変えられるはずもない事実だろう。たとえペンギンが「わたしは南極原人でありますの」と訴えたところで、誰もペンギンを人間だと思ったりしないように。
きみは変な人だった。だけど、人好きする変な人だった。
きっとみんな、どこかできみをキャラクターのように捉えていたんだと思う。マスコット、とまで言い換えてもいいかもしれない。
勉強ができて、運動神経が良くて、びっくりするほどかわいい笑顔をしていた。だけどきみは、ぼくらみたいな普通の人から見ると、とても自分と同じように現実を生きているとは見えなかったから、誰ひとり嫉妬すらしなかった。もう一度ペンギンをたとえに使わせてもらうけど、きみは大きな喋るペンギンとか、そのくらいの認識をされていたんじゃないかな。
少なくともぼくはそうだった。
ほんの少しだけでもそうじゃなくなったのは、きみの生身を認識し始めたのは、やっぱりあの駅ビルで話した日からだった。
きみは覚えているだろうか。なんとなく、覚えていないんだろうなとは思うんだけど、覚えていてくれたらとてもうれしいと思う。
あの日、ぼくは電車までの時間を潰しに、駅ビルの最上階にいた。きみは……、どうだろう。案外、毎日駅ビルでふらふらしたりしていたのかな。結局、学校の外できみと会ったのはその一度きりだから、ぼくにはわからない。
最上階には、本屋と、雑貨屋があった。ぼくはいつも本屋で時間を潰していたんだけど、その日たまたま、雑貨屋にも本が置いてあることに気付いた。
誰でも知ってるような曲が、ぼくの知らない歌手にカバーされている。そんな音楽の流れる中で、ぼくはぼうっと、平積みにされた本のタイトルに目を通していた。
「世界は滅びるんだよ」
これが、そのとききみがぼくに、最初にかけた言葉だった。
ぼくはそのとき、あっけに取られたりはしなかった。だって、目の前の棚に収まっていた本のタイトルは、UFOだとかUMAだとか、あるいは世界の滅亡だとか、そんな言葉で埋められていたんだから。
でも、きみの言葉を真剣に受け取ったかというと、まったくもってそんなことはなかったんだ。
「へえ」
と頷いたぼくは、当時のクラスメイトたちのやり方を真似ていた。きみが不思議なことを言い出すと、周りの人たちはみんな笑って話を聞く。そして最後に「何言ってんの」とか、「そんなわけないじゃん」と返して、きみが「えー!?」と言って、みんなが笑う。
ただ、ぼくはそれをそっくりそのまま使うわけにはいかなかった。だって、ぼくはきみと全然親しくなかったんだから。親しくない人相手に、否定の言葉を投げかけるのは、冗談だって難しい。
だからぼくは、ポールシフトとか、太陽フレアとか、隕石とか電磁パルスとか、そんな言葉を並べ立てるきみの話を頷きながら聞いて、最後に一言、こう言ったんだ。
「すごいね」
ねえ、未だにこればっかりは不思議なんだけれど、きみの耳にこの言葉は、どんな風に届いたんだろう。
まさか、たったこれだけをきっかけに、一年間、きみとばかり喋るようになるとは、ぼくには想像もつかなかったんだよ。
「絶対世界は滅亡するよ。わたし、夢で見たからね」
きみと話し続けた一年間について何かを言おうとするとき、避けて通れないのは、やっぱりきみの夢の話だと思う。
駅ビルで話した次の日から、早速昨日見た夢の話をぼくに語り始めたきみについて、ようやくものすごく変な、生身の人としての扱いを始めたわけなんだけれど、その夢語りは結局ぼくときみの両方が教室に顔を出した日は、毎日途切れることなく続いた。ぼくと会ったきみが夢の話をしない日はなかった、ってことだ。
世界が滅びる夢を見る。
高校に入る前から、ずっと、と。
どうして夢のことにこだわるのか、その理由について聞いたときにきみがそう答えた。あのときぼくは、不思議な納得をしていたんだ。ああそうか、だからきみって、きみらしいんだ、なんて。
「朝起きると、すっごい静かなの。それが引っかかって、部屋のカーテンを引くと、空が緑色に染まってるのね。びっくりしてそのまま口を開けてたら、遠くで大きな爆発があって」
というのが最初の夢。何度も聞いたから、このシチュエーションだけは、まるで自分が体験した記憶みたいに、くっきり瞼の裏に思い浮かべることができる。
きみの話す夢の話の、半分以上は、その世界の滅亡する日についてのものだった。その一日を、好き勝手に切り取ったみたいに、何度も何度も、色々な形で夢に見ると、きみは言っていた。
「予知夢だよ絶対。世界は絶対滅びるの。わたしはその日の夢を見てるんだよ」
話が終わると、たいていきみはそう言って、最後に楽しみだなあ、と満面の笑みでぼくに告げた。そのうちこの言葉は短縮されて、一言、楽しみだなあ、と言うだけになった。もしもぼくが、次の年もきみと同じクラスになっていたなら、きみはただ笑うだけになったのかもしれないなって、そう思う。あの、この世に苦しいことなんてひとつもないように思わせる、そんな無邪気な笑顔で。
ずうっと、ぼくらはそんな話ばかりを――、きみが話して、ぼくが聞く。そればかりが、ぼくの日々だった。きみにとっては、どうだろう。きみにとって、あの日々は、どんな意味があったのかな。
そんな毎日が、どんな風に終わったかって言えば、それは単純で、一年が終わったからだ。クラスメイト。そんなぼくらの限定的な交友関係は、クラス替えを機会に当たり前に終わった。それではっきり終わりだった。ぼくの記憶にある限り、あれ以来きみと口をきいたことは一度もない。
だからぼくは知らないんだ。
きみが新しいクラスで、新しいクラスメイトに、毎日夢の話をしていたのか。
「とうとう見ちゃったんだよね~。……んふふ、ひ・づ・け」
そして冬の日に、きみが見たというあの夢の中の滅亡の日付のことを、ぼく以外の誰かに話したのか。
ぼくはその日付のこと、今でも覚えています。あれだけ言われたらさすがに忘れようもなかったかな。
大学二年の冬の日に、その日は来た。
そしてここにこんな文章があることからわかるように、世界は滅びなかった。
あの日は本当に何の、何の変哲もない一日だった。今になると、あの日が晴れだったのか、雨だったのか、あるいは雪だったのか、それすら思い出せなくなっている。
もうあれから五年近くが経つんだ。信じられないことに。きみと話したあの日々が、八年も前ってことになる。
世界は滅びなかった。
今更こんな文章を書いているのはどうしてだろう、と筆を止めるたびに思います。書いているぼく自身にすらわからないのだから、きっと誰にもわからなんじゃないかな、なんて投げやりなことだって思ったりする。
そして一度筆が止まると、書きたいことが多すぎて、何を書けば、どうすればまとまるのか、さっぱりわからなくなってしまう。
きみの夢が、結局未来に現れなかったことに対する失望――。すぐに思いついたのはこんな言葉だったけど、当時のぼくにそんなものがあったかと言えば、あった。だけど、それほど強いものじゃなかった。
人生は続く。世界は終わらない。
ぼくだって普通に生きてきたんだ。二十歳にもなれば、そのくらいの諦めは学習できていた。分の悪い賭けにのめり込むような性格は、もともとしていなかった。
きみは普通の人だった。
どこにでもいる、普通の、ちょっとした夢の話に騒ぎ立てて、自分を特別だと思いたがる、そんな子供だった。
そうだな。不思議なもので、思い出が遠ざかれば遠ざかるほど、そこに向ける視線は冷たくなっていく。あの頃疑わなかったものだって、今になれば。
きみは、本当に毎日夢を
違うと思う。ぼくはこんなことを書くためにこの文章を書き始めたんじゃないと思う。遠い昔の言葉を疑うために、過去を見ているんじゃないと思う。
感傷の残り香なのかもしれない。
きみが毎晩夢に見ていた。きみが僕に毎日語った、夢見させた、あの日のことが。五年前に、本当に過ぎ去ってしまってから。
失われたあの感触を、取り戻そうと、言葉が生まれたのかもしれない。
きみをきみと呼んで、手紙のように書き出したこの文章が、いつの間にか単なる独白になっていること。
笑ってしまう。ぼくは今、この続きを書くために、頭から自分の文章を読み返してしまった。ぼくは今、これまでの文章の流れから、妥当な結末を導こうとした。ぼくは、ぼく自身の言いたいことを、感じたことを、想像して、それと偽ろうとした。
思い出の中の自分は、遠ざかれば遠ざかるほど、現在の自分に近づいていく。忘れ去られた幼い自分は、今現在、もっとも身近な自分自身によって塗りつぶされていく。
この文章は、ここで終わりにしようと思う。するべきなんだろうと思う。
世界が滅びなかったこと。
きみの夢見る光景が訪れなかったこと。
あのころきみの話したすべてが嘘のようになってしまったこと。
どれだけ馬鹿げた話でも、ぼくはその話に、夢に、きみに期待していたこと。
だけどあの冬、世界の続いていくことに何の驚きも抱かなかったこと。
きみの顔が、よく思い出せなくなっていること。
二度ときみとは会いたくないということ。
ぼくがこの先も生き続けること。
とりとめのない、つながりのない言葉ばかりが浮かんでくる。だけどぼくは、そのうちどれが本心で、どれが想像なのか、判断することができない。
このままでは題名につけた覚え書きにすら
ああ。
なんだ。ぼくは馬鹿だな。
始まりに、何も考えずにつけたこの文章の題名。これがすべてだったんじゃないか。
ぼくがこの文章を書き始めた理由は、あの頃あったことを、少しでも忘れないため。
そしてもうひとつは、あの頃、きみに隠していたことを、記すためだ。
あの頃、きみは世界の滅びる日を心待ちにしていたけれど、ぼくはそうじゃなかったんだ。
永遠に、その日が来なければいいと思っていた。
世界が滅びないことで、きみの抱える不思議が、ただの勘違いになるのが怖かった。
世界が滅びることで、きみの抱える不思議が、誰もが向き合う当たり前の理不尽になるのが怖かった。
ぼくにとって、きみの夢は、きみの伝えたあの日付は、約束だった。
叶うとか、叶わないとか、そんなことすらどうでもよくて。
ただあの頃ぼくは、世界の終わりを語るきみの隣で、約束を握りしめていた子供で。
このまま時間が永遠に止まって、きみも永遠に、神様みたいな子供でいてくれたらと願い続けていた。
夢見るきみに、叶うも叶わないも訪れないまま、永遠に夢を見せていてほしかった。
ごめんね。
そんな小さな、懺悔がしたかったんだ。
今になっては受け取る人もいないでしょうこの言葉を、ただここに放します。