第08話 迫り来るフェンリルに、逃走の選択
「ステータス、オープン」
雪菜の元にも当然、修也の言葉は伝達され、雪菜は心配そうに自分の側に跪く永久に、「大丈夫」と小さく告げてから、ステータスを呼び出す。
表示されたステータスには、魔力値0の文字があり、雪菜は顔を歪めて、ステータスを閉じた。
「栗原さん? やっぱ、何処か悪いのか? 逃げられるか?」
「それは、平気。ただ、魔力値がもうなくてさっきみたいなのは使えない」
「……だろーな。結界っつーの、あれ? あんなん、何度も使えないだろ。皆も分かってるさ」
「……ん」
二人は小声で会話すると、永久が支える形で雪菜は立ち上がる。
地を揺らす咆哮と、獣の駆ける音が一気に近付く。
マリク達が腰を落とし、厳戒体勢でそれを待つ。
誰からともなく、喉が鳴る音が聞こえる。
修也達も、マリク達同様に警戒体勢を取り、一部はマリク達に隠れてステータスを確認していた。
そして、咆哮の主は姿を現す────。
「っやはり、この殺気、威圧はお前でしたか……! 地を揺らすもの! っイリス! 迎撃を! 私は術の詠唱に!!」
「っ言われなくても!!!」
草木を薙ぎ倒しながら姿を現したそれ──くすんだ銀色の毛並み、鬣に、象の四倍程の巨体、裂けているのではと思う程に大きな口、ぎらついた金と赤の混じった瞳、二又の尾、鋭い爪と牙、そして手足には枷と千切られた鎖を引き摺った、森の主は、マリクとイリスを視界に捉えて、吠えた。
マリクの指示が飛び、イリスが大斧を構えて駆け出す。
修也等の目論見に気付いているかのように、ちらりと一瞬だけ、地を揺らすものの威圧により、動けない修也達を視界に入れてから。
否、仮にも軍人。
きっと気付かれているだろう。
それでも、地を揺らすものを優先するのは、早々に対処しなければいけない、厄介な存在であるからであり、逃げようと動けばどの道地を揺らすものの餌食になる事を、知っているからだ。
地を揺らすものには発見した、この森の侵入者へ攻撃する順番がある。
強いもの、動くもの、止まるもの。
よって、今この現状で、修也達が動くまで、最も狙われるのはマリクとイリスの二人だった。
「っ……先生、逃げるなら、今ではありませんか?」
マリクが詠唱に入り、イリスが地を揺らすものとぶつかる。
それを横目に、精市が修也に声を掛けた。
「ああ、逃げよう」
あの化物はこちらなど眼中にないように、二人に向かっている今ならば、と思い修也は頷いた。
「赤阪先頭を頼む。俺は一番最後に離脱する」
「分かりました」
修也の言葉に精市が頷き、行動が開始される。
地を揺らすもの、及び軍人二人を注意しながら、駆け出す準備をする。
「一、二、三、で一斉に走るぞ」と、精市が周囲に伝達した。
「「一」」
精市と修也のカウントが始まる。
地を揺らすものの爪とイリスの大斧がぶつかり、力負けしたイリスの身体が弾かれ、後方へ吹き飛ぶも、空中で一回転し、まるで猫のように屈めた姿勢で、マリクの真横に着地した。
マリクはすっと目を細めて、詠唱の終えた風魔法を放つ。
「「二」」
無数の風の刃が 地を揺らすものを包む。
けれど、それは意味を成す前に、振るわれた尾に掻き消された。
地を揺らすものはまるで手緩い、とでも言うように吠える。
イリスが体勢を立て直して、また駆け出し、マリクが「中級では駄目ですかっ!」と吐き捨てるように呟くと、再び詠唱に入った。
「「三! 走れっっ!!」」
精市、修也の二人の合図が響く。
それは丁度、 地を揺らすものが器用にも、イリスの大斧を牙で受け止めた瞬間だった。
「名取さん、行きましょ!」
「いのりん、行くよ!」
泣いている南奈を八重子が、怯えるいのりを美夜が身体の震えを隠して、手を引く。
他の怯えている者達は、各々誰かに手を引いて貰い、精市を先頭にして駆け出す。
雪菜は当然の如く、走り出しにワンテンポ遅れ、永久に肩を貸して貰いながら、修也と共に駆ける。
これが、現状に変化を齎す事となった。
「精ちゃん、あいつッ……!!!」
「っ?! 黄谷、避けろッ!!」
勇人と修也が焦ったように叫ぶ。
唐突に名を呼ばれた、前髪を赤のばつ印のピンで留めたショートカットの金髪に、金目の快活そうな女子生徒──裁縫部所属、黄谷真弥はびくんっ、と肩を跳ね上げ、精市は現状を把握しようと素早く振り返った。
「えっ、えっ?!」
訳も分からず、真弥の口からは困惑の声が洩れるも、コンマ数秒遅れで現状を理解する。
自分に大きな影が差した事によって……。
喉が引きつり、悲鳴すら上げられず、真弥は目を見開いてそれを見つめた。
回避行動は間に合わない。
それはあまりにも、早過ぎた。
がぱあぁッ────涎を垂らしながら、開けられた大口は、真弥を喰らわんと、鋭い牙を覗かせる。
イリスと交戦していた地を揺らすものが、イリスを自らの尾で吹き飛ばし、素早くこちらへ飛び込んで来たのだ。
「っあ、あ……!」
恐怖に滲んだ涙が、零れ落ちた。
「っ炎の矢!!!」
地を揺らすものが真弥に接触する寸前、精市がその間に身体を滑り込ませ、両手を開かれた大口に翳し、叫ぶ。
瞬間、手の平が発光し、火炎の矢が放たれる。
精市は真弥を素早く引き寄せ、その矢の勢いで、後方の地面を転がった。
「っ、大丈夫か?! 黄谷さん?!」
「あ、あか……赤阪、くん……」
真弥を抱き込む形で、衝撃から守った精市が、素早く立ち上がり、安否を確認するように声を掛けるも、真弥は呆然自失と言ったように精市の名を呼ぶ。
精市は「立って」と、心持ち柔らかな声で言い、真弥を立ち上がらせると、地を揺らすものから距離を取るように下がる。
獲物を横取りされ、更には代わりのように炎と空気を喰わされた地を揺らすものが、その場で不機嫌そうに低く唸った。
「赤阪、黄谷、無事か?!」
「精ちゃん、真弥ちゃん!」
修也と勇人が二人に駆け寄り、地を揺らすものから庇うように前に立つ。
修也が精市の代わりのように先頭に居た八重子に、「先に行ってくれ!」と叫ぶと、八重子他、精市、勇人、真弥、永久、雪菜を含まない生徒等全員が、互いに手を引き合いながら、森の中へと駆け出した。
地を揺らすもの は今度は精市と真弥に標的を合わせたらしく、逃げ出す八重子等には目もくれず、残った者達を見据え、荒い鼻息を零す。
──どうする? と、皆の内心は重なり、互いを見合う。
「イリスちゃんをーッ、無視すんなぁーッッ!!!!!」
警戒するように後退る一同の代わりのように動いたのは、吹き飛ばされた筈のイリスで、イリスは地を揺らすものの背後より奇襲よろしく、飛び掛かる。
勢いに乗せて降り下ろされる大斧と、素早く背後に身体を向けた地を揺らすものの爪がぶつかり、弾き合う。
「氷の礫」
次いで、地を揺らすものを襲うのはマリクの氷魔法により出現した、無数の氷の礫。
それを、地を揺らすものはいとも容易く、咆哮で砕く。
マリクはその様を見つめつつ、「ああ、これも駄目。おまけに、邪神の手駒に逃げられましたねぇ」とぼやくと、次の術の詠唱に入った。
イリスは「大佐ってば! 地を揺らすもの出たからって、あいつ等どうでもよくなってるんじゃないですかー?! 私もですけど~!!!」なんて叫びながら、地を揺らすものに突っ込む。
「赤阪は黄谷を連れて先に。青瀬は栗原を連れてその後に続き、黒井は四人の護衛。俺は様子を見ながら後退する」
がんっ、がんっ、がんっ──なんて、激しい音を立てながら、片や牙と爪、片や大斧を凄まじい速度でぶつけ合う地を揺らすものとイリスから、目を離す事なく、修也が新たに指示する。
生徒達は黙って頷き、その指示に従って動き出す。
精市は「黄谷さん、失礼するよ」と真弥を横抱きにして走り出し、永久に「走れるよ」と告げた雪菜は手を引かれながら走る。
勇人は、そんな四人の後を、地を揺らすもの を警戒しながらついて行き、五人との距離が少し開いた後、修也も続く。
マリクの魔法攻撃と、イリスの物理攻撃に捕まっていた 地を揺らすものが追ってくる事は、 今度こそなかった。
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これにて離脱です!
後は森を抜けるだけ……。
次回更新は、夜19時を予定しております!
以下、おまけ。
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真弥「あ、赤坂くん……あたし、もう歩けるよ?」
精市「……」(にこり)
真弥「あ、えーと……?」
精市「黄谷さんは軽いから平気だよ」
真弥「え? あ、はい」
精市(……フェンリル、だったか? 撒けたのか?)
勇人「精ちゃーん、そう言う事じゃないと思うんだけど~?」
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