第07話 国軍大佐マリクと、国軍中佐イリス
「な、何を言ってるんですか……ふざけないでください」
修也の代わりのように、八重子が震える声で抗議する。
けれど、マリクは「至って真剣ですが?」と怪しく笑うだけだった。
それを皮切りに、「抹殺、て何?」「は? ほ、捕縛?」「何で?」「死にたくない」と、生徒等は口々に怯えの滲む声を零す。
「や、やだ、やだ、やだ……! あたし、死にたくない!」
震え出す身体を両手で抱き締め、南奈が恐怖に顔を歪める。
その視線の先には、血塗れの遺骸と化した灰狼の姿があり、彼女には恐らく、それが自分の未来の姿のように映ったのだろう。
薄く涙の膜を張った双眼が揺れる。
「名取さん……っ」
八重子は、掛ける言葉を見付けられず、ただ落ち着かせるように、そっと南奈を抱き締める。
南奈は「やだやだ、ふざけないでよ。何これ、怖いよ」と子供のように怯え、うわ言のように呟きながら、八重子の身体に両手を回した。
「イリス」
不意にマリクがイリスを呼んだ。
イリスは視線だけマリクに向けると、ニヤリと嫌らしく笑い、軽やかに地面に着地した。
「イリスちゃん、ちょこっち本気出すよ~? 気張ってねぇ、結界使いちゃ~ん?」
イリスが大斧を構え直す。
「Does my voice reach? Does my voice reach?」
雪菜はひしひしと感じる嫌な予感に顔を歪めながらも、歌を奏でる声に力を込める。
不穏な空気を感じたらしい精市と修也が、同時に雪菜を呼ぶ。
雪菜はちらりと、二人に視線を向けたが、集中するように結界と、イリスを見据えた。
「死の螺旋!」
イリスの眼光が鋭く光る。
構えたままの大斧から禍々しいような、魔力が溢れ、技名と共にイリスは上体を大きく仰け反らせたかと思うと、勢い任せにそれを斜めに降り下ろす。
まるで自らの振るう大斧に振り回されるように、回転する身体と刃。
そして、その勢いを殺す事なく、イリスは結界に向かう。
「っっ……こ、われ……?」
一際強い衝撃が結界の表面を走り、激しい音を立てて崩壊する。
それは、壊れた硝子片のように飛び散り、素粒子に分解されるかのように空気に解けてゆく。
結界が壊されたと同時に、雪菜は呆然としながら、反動を受けたように、地面にへたり込む。
酷い倦怠感が身体を襲い、雪菜は動く気力を削がれたように項垂れた。
「栗原さん?!」
永久が慌てて、雪菜の元に寄り、安否の確認をする。
雪菜に目に見える怪我はないが、何処か顔色が青白く、永久は顔を顰めた。
「あっはっはぁ~、なぁんだ! 結界使いちゃん、魔力切れ間近だったんだね~」
「まあ、普通に考えてあんな強度の結界をいつまでも維持なんて出来ないでしょうね」
結界の破壊に成功し、振り回していた大斧を止め、拍子抜けしたように笑いながら、イリスはそれを軽々と肩に担ぐ。
マリクは雪菜を見遣り、失笑しながら、そう告げる。
「さて、どうします? 大人しく連行されるのと、抵抗して抹殺されるの、どちらが良いですか?」
マリクの口から零れたのは、選ばせる気のないような二者択一。
誰ともなく、皆一様に恐怖するように肩を縮こませ、修也は皆を庇うように前に出る。
「我々を……我々を捕縛する理由はなんですか?」
「大人しくついて来てくれたなら、教えますよ。まあ、我が国に着いてからですけど?」
マリクの返答に修也が、悔しげに唇を噛んだ。
(どうしたらいい? どうすればいい?)
修也は思案する。
抵抗しようが、捕縛されようが、末路が同じ気がしてならない。
この二人は、恐らく俺達の命を軽視し、殺す事に躊躇などしないだろう。
彼等の纏う空気が、言動がそう語っている。
ならば、逃げるか?
答えは否、だ。
逃げ切れる訳がない。
彼らの目は本気だ。
使えるかも分からない、スキルとやらに頼る訳にもいかない。
もし使おうとして失敗すればどうなる?
不振な行動は逃走と同一視されて、殺される可能性が高い。
生徒にそんな事をさせられない。
自分も、する訳にいかない。
もし自分が失敗して殺されたら?
残された生徒達はどうなる?
ここまでの思考に、さして時間は掛からなかった。
修也の頭に浮かぶのは、降伏の二文字だけ。
それ以外の答えを導き出せない己の頭に、修也は苦虫を噛み潰したような顔で、口をつぐむ。
「……魔物寄せ」
「灰沢くん?」
くるくるの天然パーマな灰色の髪に猫を思わせる吊り気味な灰色の瞳、背丈は割りと小柄な男子生徒──帰宅部所属、灰沢裕司がぽつりと呟く。
その隣に居た、綺麗にパーマの掛けられた栗色のセミロングに、焦げ茶色の瞳、すらりとした背の高いモデル体型の女子生徒──文芸部所属、小西愛衣が訝しげに彼を見たが、裕司は気にせずに、森の奥に視線を向けた。
「では、大人しくついて来て頂く、と言う事で宜しいですか?」
マリクが確認するように問い掛ける。
その横で、イリスが急かすように、「早く早く~、イリスちゃん早く帰りたい~」とぶつくさ言った。
「……っ」
修也は血が滲む程、拳を握り締め、悔しげに口を────。
「ウグアアアァァァァオォォン!!」
突然に響き渡るは、地響きにも似た獣の咆哮。
びりびりと空気を揺らすそれに、修也の喉から出掛かった言葉が、掻き消されるように飲み込まれる。
「地を揺らすものっ……?!」
「わっ、たっ、大佐ぁっ?! 何で森の主が出てくるんですか~っ?! まだ、イリスちゃん達縄張りには入ってないですよ~っ?!!」
マリクが目を見開いて声を上げる。
次いで、イリスも声を荒げながら、狼狽したように、捲し立てるように言う。
明らかに動揺する二人に、修也は怪訝な表情を浮かべた。
また、八重子や生徒等も、訳が分からずに、咆哮の響いた木々の隙間と、マリク等二人を交互に見遣る。
「! やはり早い。このまま逃げるのは無理ですね……。イリス、迎撃体勢を! 数人喰わせても構いません!」
「了解です~!」
マリクの言葉に女子生徒の大半がびくりと肩を揺らし、修也が「なっ……!」と声を零す。
イリスはちらりと、マリクと修也達に視線を向けると、小さく頷いて大斧を構えた。
緊迫した空気が流れる中、「や、や、食べられたくないよぉ、中ちゃん先生ぇっ……!」と南奈が遂に泣き出し、八重子は落ち着かせるようにその背を撫で続ける。
「皆、スキルとやらを確認し、使えそうならそれを使って身を守れ。そして、あいつ等二人が今から来る何かと交戦している内に逃げるぞ」
修也はマリクとイリスに聞こえないような小さな声で言った。
それを聞き取れたのは精市と勇人のみで、二人は頷くと周囲に伝達する。
けれど、その指示が実行出来そうなものはクラスの半分程度であり、女子は略難しい。
大半が先程の灰狼の惨殺に怯えており、腰が引けている。
戦う事はおろか、逃げる事も出来ない者が居るかもしれない。
だが、今はもう、そんな事言っていられなかった。
目の前の二人が警戒する程の何かが来る。
その何かが来た時、奴等は確実に修也達を数人捨て駒として使うのは明白だった。
何せ、彼等自身がそう言ったのだから。
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ついに主人公の結界が破られました!
次回更新は、明日の朝8時~9時か、昼の12時を予定しております!
以下、おまけ。
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イリス「イリスちゃん、明日休暇だって大佐気付いてます~?」
マリク「はて?」
イリス「いやいやいや、大佐ぁ~」
マリク「先日おサボりしたのは何処の誰でしたかね?」
イリス「だ、誰ですかねぇ~? そんな事したの~」(汗)
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