第05話 魔物との初遭遇、相手は熊じゃなく
「か、加鳥くん……? どうしたの、急に……?」
飛び起きた八重子が、訝しげに晋也を見つめ、問い掛ける。
晋也は瞳を爛々と輝かせ、興奮したように口を開く。
「スキルですよ! ステータスですよ! 異世界ですよ! 転移ですよ! 中ちゃん先生っ!」
晋也は今し方、ポケットに入れられていたのに気が付いた、一枚のメモを握り締めながら、矢継ぎ早にそう告げる。
握られたメモには、雪菜のポケットに入っていたメモと同様の事が書かれているようだった。
「す、スキル? ステータス? 異世界? えっと、何のゲームの話かな?」
困惑したように、首を傾げる八重子に、晋也は構わずに続ける。
「ステータスオープン、て唱えてみて下さい! そしたら全部分かりますからっ!」
晋也の声が大きく響く。
八重子は目を瞬かせながらも、半信半疑気味に「ステータス、オープン」と呟いた。
そして、目の前に浮かび上がった己のステータス画面に、今度は目を見開く。
「え、え、何これ……これが、ステータス?」
困惑したように、八重子は呟きながら、頭を捻る。
そんな八重子の様子を見ていた修也、並びに生徒等は、ステータスが本当に存在しているのか、と一斉にステータスの確認を始めた。
結果、皆ステータスを保持していたらしく、一様に驚愕すると、「ステータスだ!」「え、マジ? 異世界転移?」「クラス転移かよ」「スキルあるんだけど!」「え、魔法使えるの?」と、各々感想を述べていく。
それに、雪菜は報告する手間が省けた、と周囲に倣い、ステータスを表示させ、再び確認する。
「これは……俺達は、集団催眠にでも掛かっているのか……?」
修也が眉間に皺を寄せ、怪訝そうな表情でぽつりと呟く。
丁度、その直ぐ後、事態は急変する。
現状は、望まぬ現実を突き付けようと、その切っ先を刃物のように尖らせた。
「っ! 精ちゃん、何か来るっ!!」
事態の変化にいち早く気が付いたのは、一人の男子生徒だった。
前髪が長めのふわふわの黒髪に、眠そうな黒い目、精市より高い背丈で、纏う雰囲気は気怠げな男子生徒──副生徒会長の黒井勇人が弾かれたように、精市の名を叫ぶ。
いつも眠そうな彼からは、想像できないような鬼気迫る声色に、皆の肩がびくんと揺れた。
精市が瞬時に反応し、「先生!」と修也を呼ぶ。
「皆、真ん中に集まれ! 背中合わせに丸く固まって周囲を警戒しろ! 男子や運動部は外側! 女子や文化部は内側に!」
精市の声にはっ、として修也が指示を飛ばす。
生徒達は慌てて指示に従い、荷物を素早く回収し、真ん中に集まり、全方位を警戒できるよう、背中合わせに丸く固まる。
先程までの興奮状態は何処へやら、今この場を支配する空気は、得体の知れない緊張と恐怖で溢れていた。
「アオォーン!!」
何処か、何処か遠くから反響する声──獣の遠吠え。
それは、木々の隙間から抜けるように聞こえてきた。
言い知れない恐怖が、全体を包む。
ある者はきゅっと唇を噛み、ある者はがちがちと歯を鳴らし、ある者は汗の伝う手の平を握り、ある者は誰かの袖を掴み、ある者は身体を震わせ、ある者は譫言のように小さく同じ言葉を繰り返す。
そんな者達とは対照的に、教師陣や一部の者達は警戒心を剥き出しに、獣の鳴き声に耳を澄ませ、臨戦態勢を取った。
獣の声が、近く近く。
複数の地を駆ける音が、凄い早さで近付く。
早々に離脱すべきだ。
早く、この場を逃げ出すべきだ。
全員の頭の中、迫り来る危機に対して本能が警鐘を鳴らす。
けれど、集まるよう指示を受けた生徒達は動かない。
修也もまた、逃走の指示は出さない。否、出せない。
修也はまともに逃げ出せない事を懸念していた。
故に、その指示を出さず、今もこうしている。
もしかしたら、鳴き声の主は此方を無視して方向転換してくれるかもしれない、と言う淡い期待を抱いて。
思いもよらない事態に直面した時、人の脳は考える事を放棄する。
人は経験した事のない事象に、急激な変化に、展開についていけず、ショック状態に陥り、呆然として何もできない状態になってしまう。
そんな凍りつき症候群と呼ばれるものを、修也は恐れた。
この大人数で逃げようとした時、大半がそうなったら?
少数の動けるものが逃げ出し、動けないものが取り残されてしまったら?
後者の生存率は、恐らく著しく低いだろう。
修也は誰一人欠けさせない為にはどうすればいい、と暗闇を睨み付けながら思考する。
「と、遠野先生……」
「中田先生。鳴き声の主達が現れたら、状況に応じて俺が対応します。先生は生徒達の側に」
不安そうに八重子より小さく呼ばれた名前に、修也はそう小声で返す。
八重子は揺れる瞳を止めるように一度目を瞑ると、「はい」と真剣な眼差しで頷いた。
そして、獣の鳴き声は、足音は、直ぐ近くに。
それは暗闇より姿を現し、喉を鳴らして、低く唸った。
「グウゥルルルルルッ!!」
大型犬より一回りか二回り大きな体躯に、ごわごわとした硬い灰色の毛、鋭い牙、鋭い爪。
数は全部で八匹。
狼のような見た目のその獣達は、鼻息荒く、口から涎を垂らしながら、ゆっくりと修也等を包囲するように動く。
淡い期待をあっさりと裏切られた修也が、眉根を寄せ、獣等を睨み付ける。
八重子は震える生徒達に寄り添いながらも、獣の動きに警戒し、目で追う。
「あ、鑑定……」
「美夜っ……?」
自分の隣で、しっかりと獣の姿を見つめた美夜の口が、小さく動くのに気が付き、雪菜が訝しげに美夜の名を呼ぶが、聞こえていないのか、美夜から返事はない。
美夜の目は雪菜には向かず、今だ獣へと向いていた。
「アオオオォォーン!!」
群れの中、一番大きな体躯をした、恐らくリーダーである獣が、襲い掛かる合図のように一際大きく吠えた。
「っっ灰狼! LV3からLV6! ま、魔法耐性が低いです!」
獣達──灰狼がリーダーを残し、一斉に地を蹴った瞬間、美夜が弾かれたように叫ぶ。
そんな美夜を見つめ、雪菜が目を見開き、ぽつり「やっぱり、スキルは使える?」 と呟く。
「っ灰狼……?!」
修也が訝しげに呟きながら、飛び掛かってきた一匹の顔を鞄で殴り付ける。
殴られた灰狼は僅かに高い悲鳴を上げ、地面に叩き付けられるも、ぶるりと首を振った後、何でもないように起き上がった。
他は、永久、精市、勇人、幸村の四人が持ち前の運動神経により、灰狼の攻撃を回避し、修也同様に鞄で殴り付けていたが、やはりこちらも特に効いていないようである。
「な、なな、何っ? 狼っ?!」
いのりが上擦った声を上げる。
それを皮切りに、男女問わずに、驚愕や恐怖、困惑の入り交じった声を上げた。
「何あれ何あれ?!」「ぐ、灰狼って何?!」「これは夢だ。悪い夢だ」「先生ぇ?! 大丈夫なんですよねぇ?!」と、口々に修也と八重子に混乱具合を伝える。
灰狼と対峙する修也の代わりに、八重子が「落ち着いて。大丈夫。先生達が何とかするから」と必死に生徒達を宥めていた。
(っ、どうする……?)
体勢を立て直し、喉を鳴らしながら、こちらの様子を窺う八匹の灰狼を見据え、修也は内心で呟く。
相手は八匹の狼。
お腹を空かせているのか、瞳は血走り、こちらに戦意を、害意を向けている。
対する自分達は、数の利はあれど、武器は鞄のみの人間。
おまけに、大半は混乱している。
殺す事は疎か、追い払う事も難しいだろう現状に、苦虫を噛み潰したような表情で思考を巡らせる。
接近に気付いた時点で逃走するべきだった?
いや、相手は野生の動物だ。
直ぐに追い付かれていただろう。
そうなっては、被害が出ていたかもしれない。
ならば、この現状は望む結果か?
こんなもの望んでいない。
そもそも、この狼は、本当に狼か?
別の生物じゃないのか?
何が正解だった?
何をするのが正解だ?
修也は纏まらない思考を処理するべく、脳をフル回転させる。
(鑑定が使えるなら、私の歌だって使える筈だ)
修也、並びに男子達が灰狼と睨み合う中、雪菜は内心でそう呟く。
──きっと、使える。
そんな根拠のない自信が、雪菜を突き動かした。
そして、すぅーと深く息を吸い込み、口を開く。
「アオオォーン」
一際大きな遠吠えを響かせて、灰狼達は地を蹴った。
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初遭遇魔物はお試し版に引き続きウルフです!
次回更新は本日21時過ぎを予定しております。
以下、おまけ。
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精市(栗原さんには歌のスキルがありそうだな)
雪菜(ステータスにカリスマ値があったら、赤坂くんがぶっちぎりなんだろうな)
美夜(勇ちゃんには自堕落的なスキルありそうだなぁ)
永久(んー、遠野先生の称号とスキルが気になる……イケメン教師とか?)
正樹(中ちゃん先生が攻撃スキル持ってたら意外だよな)
いのり(茶越さん、どんなスキルあったんだろ?)
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