閑話 悪魔化の生命力
蛙の迷宮、最下層。
血溜まりに倒れ伏す男。
ぴく、ぴく──致死量であろう、赤塗れの男の指先が動く。
「う、ぐ……あ、ぁ、ぁ…………っっ」
悲鳴にも似た、苦悶の呻き。
死んだと思われていた男は、どうやらまだ生きていたらしい。
「ぐっ、ぞおぉ……殺じ、殺じて、やるっっ……!! 小娘共、があぁっっ!!」
悪魔化のスキル故の効能か、再生されてゆく身体。
それに伴い、全身に走る激しい痛みに耐えながら、怒りに任せて、男は吠えた。
酷く乾いた声で、呪詛を織り混ぜるように。
「カズヒサ」
男の声以外、聞こえなかったこの部屋に、新たな声が加わる。
それは、誰かの名前を呼んでいた。
男は声の主を探して、じろりと視線を動かす。
その先に居たのは、目深にフードを被った人物。
「ダメじゃない。子兎ちゃんや色持ちに手を出しちゃ」
声の高さから女性と判断出来る、彼女は男──カズヒサの直ぐ側まで歩み寄り、その顔に微笑を称えながら彼を見下ろした。
楽しげでありながらも、何処か咎めるような声音でそう告げてから、「悪い子。悪い子」と笑う。
「……っお、俺ば……じゃ、邪神様のッッ……!!!!!」
「聞きたくないわ」
カズヒサは目を丸くすると、再生途中故か、口から血液を滴らせながらも、慌てたように声を上げる。
けれど、それは女に遮られた。
女は「言い訳は可愛くないもの」と、カズヒサの首元にナイフを突き付ける。
カズヒサは喉を引きつらせ、怯えた目を女に向けた。
「わ、悪がったっ……も、もうじないっ……!」
「ふふふ、そう、良かった」
全身が震え出し、がたがたと奥歯が音を立てる。
カズヒサは、女に恐怖していた。
揺らぐ瞳をこちらに向け、謝罪するカズヒサに、女は満面の笑みを浮かべる。
そして、
「けど、貴方にはもう────二度目はないのよ?」
笑みとは裏腹に、吐き出されたのはカズヒサにとっての絶望。
耳に響いたのは、死刑宣告だった。
「ぎぃ、が、が、あぁ、あッッ……!」
汚い喘ぎ声が響く。
否、断末魔に近いだろう。
女は至極あっさりとした動作で、カズヒサの脳天にナイフを突き立てた。
さくり、林檎にでもナイフを通すように、頭蓋を通過した刃先。
「脳、頸動脈、心臓、神経……何処まで切れば再生しなくなるかしら?」
女はニヒルに微笑み、ナイフを滑らせた。
頸動脈を切り裂き、心臓を突き刺し、神経を断ち切る。
手を、足を、もう再生しないように、ナイフで刺し、切り裂く。
いつしか、カズヒサの声は聞こえなくなっていた。
「あら、もう死んじゃった? 残念」
動かなくなった身体。
真っ赤に濡れた、魂の抜け殻。
唯一無事な顔に、頭上から血が流れ落ちる。
今度こそ、カズヒサは絶命した。
最早、スキルの力を借りたとて、再生など出来よう筈もない。
女はひゅっ、とナイフに付着した血液を払い、仕舞う。
「悪魔化を使ったカズヒサを倒せるだけの力は身に付けたのね。でも、まだまだ足りない」
既にこの場を去った、少年少女等を思い浮かべるように、女は目を閉じる。
女は「倒すだけじゃダメよ?」と、誰にも聞こえないと知りながら、忠告するように呟く。
「ねぇ、カズヒサ。貴方はやり方を間違えたのよ。もう少し上手く立ち回れば、長生き出来たのに。恨むべきは、敵か味方か。ふふ、英雄の愛は世界を救えなかったのだわ」
両手を頭上へ掲げ、くるりと回って見せる。
軽やかなステップが、女の愉快そうな心を表していた。
これからの事を考えると、女は愉快で愉快で堪らなかった。
争いが始まる。
簒奪、略奪、侵略。戦争だ。
ある者は、帝位を奪い。
ある者は、金を奪い。
ある者は、女を奪い。
ある者は、国を奪い。
ある者は、世界を奪う。
これからの事を思うと、女の心は踊った。
獣の渇望。
飢えた牙は、血を求める。
研がれた爪は、肉を欲す。
全て喰らい尽くしてしまえ。
全て引き裂いてしまえ。
────憤怒のままに。
「ああ……可哀想な子兎ちゃん。可哀想な──。もしも、仲間内に敵が混ざっているとしたら、彼等は、彼女等はどうするのかしら?」
ふふふ、と楽しげに笑う女の背後に、灰色の大きな尻尾が、ふさりと揺れていた。
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結構前に書き上げたお話。
やっと、修正が終わったので上げて置きます。