第01話 ある日、森の中、気が付くと異世界
季節は夏。
時期は七月下旬の、所謂夏休みシーズン真っ只中。
何処のお店も混み合う、繁忙期のある日、とある場所に集まっていた三十二人の人間が忽然と姿を消した。
足下に突如として出現した光る円形の文字列──魔法陣の力によって。
後に残るのは、誰かがそこに居たと言う痕跡だけ。
誰にも知られず、誰にも悟らせず、今日と言うこの日にその集団失踪は起きたのだった。
それが世界規模の誘拐だなんて、残された人々は誰も気付く事はないのだろう。
何せ、そんな夢物語のような事、誰も予想もしなければ、現実にそれが起こるだなんて思いもしないのだから。
当人達がそうであったように。
◆◆◆◆◆◆
夜の闇が不気味さを見せる森の中。
地面に倒れ伏す複数の人間を、月明かりと星の光りが照らしていた。
生い茂る木々達を僅かに揺らし、冷たい風が倒れ伏す者達の目覚めを促すように吹く。
肌寒さからだろうか、幾人かが身震いし、瞼を震わせると、「ん、うう……」と口からは僅かな声が洩れ出す。
倒れ伏す者達は総勢三十二人。
一人、二人ならばまだしも、そんな大人数が森の中で倒れているなど、端から見ずとも、かなり異様な光景であった。
その内、男女二名はスーツを、残りの三十人は制服を着ていた。
女子は黒のブレザーに、ネクタイ、又はリボンと、ベージュに黒チェックのプリーツスカートで、男子は黒のブレザーにネクタイと、ベージュに黒チェックのパンツだ。
何処からどう見ても、学校一クラス分の生徒と教諭二人にしか見えないその人達が、何故こんな森の中に倒れているのか。
非常に不思議である。
「……こ、こは?」
現実と夢の狭間にたゆたう意識の中、一番最初に目を覚ましたのは女子生徒であった。
蝶の髪留めで緩く結われた長い黒髪に、少し暗い色合いの翡翠の瞳、肌は白く比較的細身で小柄なその女子生徒──声楽部所属の栗原雪菜は上体を起こすなり、目を瞬かせて呟く。
(何、これ。どうなってるの。何処、ここ? 森?)
雪菜は寝起きの回らない頭で思考する。
自分は確か、クラスの集まりで何処かのお店に居た筈だ。
なのに、何故、こんな所に居るのだろう。
意味の分からない現状に、雪菜は目眩と頭痛に襲われ、頭を手で押さえる。
「……誘拐、なんて有り得ないしな」
周囲を見渡しながら、更にぽつりと零す。
恐らく誰に言わせても、誘拐と言う線は、有り得ないと言う言葉で否定される事だろう。
この集団を一気に、それも誰にも気付かれる事なく、公共のお店から誘拐するなんて出来る筈もないのだから。
それに、もし仮に出来たとして、こんな森に捨て置く意味も分からない。
雪菜は首を捻ると、考え込むように顎に手を添えた。
今だ夢心地の余韻が残る頭は、まだ鈍い思考を緩慢に回転させる。
丁度、その時、雪菜の周囲から僅かな唸り声と呻き声が響いたかと思うと、次々に瞼を開き、一人、また一人と起き始めた。
現状を目にした者から順に、「ここ、何処?」「何これ森?」「は?」「瞬間移動?」「誘拐? 拉致?」と男女問わずに、口々に困惑の言葉が洩れ出す。
そして、最後に起きたのは、本当なら一番始めに事態に気が付き、目覚めなければいけなかった、教諭二人である。
教諭二人は、目を見開いて辺りを見渡し、混乱しているように一瞬身体を硬直させた。
けれど、そこは流石は教師と言うべきか、何とか持ち直すと、早くなる鼓動を落ち着かせるように深呼吸を行う。
すぅー、はぁー、と吐き出された息。
教諭二人は互いに目を見合わせると、生徒の人数確認と、安否確認を始めた。
「混乱してる所悪いが男女で分かれてくれ! 女子は中田先生が、男子は俺が人数の確認と安否確認を行う!」
短い黒髪に黒目、体型はすらりとしていて背は高め、年齢は二十代後半程度、担当科目は科学であり、この生徒達の担任である男性教諭──遠野修也が、一度大きく手を叩き、自らに注目を集めた後、そう大きく声を上げた。
その隣で、前下がりボブヘアーの短い茶髪に焦げ茶色の瞳、生徒等と並んでも何ら違和感のない小柄で、年齢は修也と同じくらい、担当科目は家庭科であり、この生徒達の副担任である女性教諭──中田八重子が、修也を手伝うように、「女子はこっちに集まって!」と声を掛ける。
「十五、十六、と……よし、男子は皆居るな」
「十三、十四……女子も皆居るね。怪我もなさそうで良かった」
今だに困惑しながらも、教諭二人の指示通りに、生徒達は男女別に分かれ、男子は修也の元へ、女子は八重子の元へと集まる。
男子十六人、女子十四人、順々に人数と安否の確認を行ない、問題がない事が分かると、教諭二人は小さく安堵の溜め息を吐く。
「中ちゃん先生ー! ここ何処なんすかねぇ? これ、先生等のドッキリ? 何かのイベント?」
ツインテールにされた派手な金髪に茶色の瞳、派手なメイクが印象的な女生徒──演劇部所属の名取南奈が、挙手しながら怠そうに問う。
教諭二人は再び顔を見合わせ、どう答えたものかと首を捻るも、修也が先に口を開いた。
「すまない、ドッキリでもイベントでもなくてだな、ここが何処かは分からない」
申し訳なさそうに告げられた言葉に、生徒達がざわつく。
そして、意味不明な現状に混乱し、救援を呼ぼうと携帯を出した生徒等は一様に、「え、圏外?」と顔色を悪くさせる。
(気が付いたら森の中で携帯は圏外。まるで何処かの小説みたい。クラス転移って奴?)
顔を青褪めさせるクラスメイトを見つめながら、雪菜はぼんやりと、何処か遠く、物語を見ているような気分で、内心呟く。
現実味のない現状が、混乱を通り越して雪菜を酷く冷静にしていた。
雪菜は自分も携帯を確認しようか、と徐にスカートのポケットに手を入れる。
(? メモ?)
かさり──ポケットに入れた手が、覚えのない一枚のメモに触れる。
雪菜は首を傾げながら、その綺麗に折り畳まれたメモを取り出し、広げた。
(ステータスを確認せよ? ユニークスキルを活用せよ?)
────いや、だから、何て小説だよ。
ラノベか、ラノベ。
思わず内心でツッコミながら、雪菜はまあいいや、とメモをポケットに戻し、今度こそ携帯を取り出す。
携帯画面の上にはやはり、圏外の二文字が浮かんでいた。
(やっぱり携帯は使えないか)
小さく溜め息を吐き出して、携帯を仕舞い直す。
連絡手段がない今、こちらから救援を要請する事は出来ない。
集団失踪として捜索されるのも、早くて一日から二日後辺りだろう。
助けは今直ぐは望めそうになかった。
「皆、落ち着いて。現状の理解に努めよう? 先ず持ち物を確認してみて」
八重子の指示により、ざわついていた生徒達は各自、持ち物を調べ出す。
雪菜も例外なく、自らのスクール鞄を漁る。
(スポーツドリンク一本、ハンカチ、ポケットティッシュ、絆創膏、ノート、筆箱、財布、自宅の鍵、折り畳み傘、一口チョコと飴玉数個……あんまり役に立たなそうな中身)
雪菜は鞄の中身を確認した後、自嘲気味にチャックを閉める。
現段階で、特に役立ちそうなものはなかった。
「使えそうなものはあったか?」
修也が生徒達に問うと、皆一様に首を横に振る。
それに修也は「そうか」と呟き、次いで「先生達も特にはなかった」と静かに告げた。
「今日はこのまま待機し、朝になってから先生が周囲を探索する。異論がある者は居るか?」
月や星の明かりしかないこの夜闇を、この人数で移動するのは危険だと判断した修也が、更に指示を出し、その是非を問う。
生徒達は何とも言えない面持ちで、互いに顔を見合わせる。
そんな中、一人の男子生徒が「先生」と挙手した。
「何だ、赤坂?」
「誘拐の可能性も視野に入れながらの様子見、と言う事で合っていますか?」
男子生徒──燃えるような赤い髪に赤い瞳、中性的で綺麗な顔立ちをしている彼は、赤坂精市。
生徒会長であり、このクラス3年C組のクラス委員長だ。
「ああ、合ってる。現状、俺達の置かれた状況は分からない。仮にもし俺達が誘拐されたのであれば、大人数の犯人が、近くに潜んで居るか、近々此方に戻ってくる可能性が高い。ならば、動くのは得策じゃない。誘拐の大多数の目的は人質の殺害ではない事が多いからな。無理に反抗しなければ殺される可能性は低いだろう」
精市の言葉に頷いた修也は、そう説明する。
「そうですね、俺は先生の指示に従います。先生は現状について、他にどんな事を想定していますか?」
「そうだな、超常現象を信じるのなら瞬間移動と言うのもあるかもしれないし、集団催眠と言う可能性もあるかもな。だが、それを判断するにはまだ情報が足りない」
やけに冷静そうに見える精市と修也の会話を、八重子とその他の生徒達が見守る。
誘拐か、はたまた瞬間移動か、集団催眠か。
この現状の答えにはまだ、辿り着けそうにない。
「ありがとうございます。以上で俺の質問は終わりです」
「そうか。他に何かある者は居るか?」
小さく会釈した精市に、修也は次、自分に言いたい事のある者は居るか、と問うが、皆一様に顔を見合わせるだけで、挙手する者は誰も居ない。
何を聞いていいかも分からなければ、精市と修也の会話に納得してしまっているのもあるのだろう。
「異論も質問もなしか。じゃあ、各自五人ずつでグループを作り休んでいてくれ。俺は中田先生と今後に付いて話し合う。まとめ役は赤坂、頼めるか?」
「はい、任せてください」
そう精市が頷いたのを確認した後、修也は八重子と話し合うべく、これからグループ分けが始まるであろう生徒達から、少し距離を空けた。
「では、グループ分けを始める」
教諭二人が話し合いを始めるのを横目に確認し、精市はクラスメイトに声を掛けた。
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お試し版と同様に主人公、栗原雪菜含む生徒30名と、教師2名の総勢32名でお送りします。
今回は赤坂くんと遠野先生が出張り気味。
一章目完結後、キャラ設定を配置予定です。
以下、おまけ。
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八重子「ここは何処なんでしょうか?」
修也「樹海のような感じがしますが、違うような気もします」
八重子「……早く、早くこんな森出なきゃ、ですね」
修也「そうですね、森の中なんて長居するものではないでしょうしね」
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