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ティス・クラット、働きます!



 目標ができたところで、一朝一夕にそれが成るわけでもない。

 ティスに見せたユーリカの本気は、雲を衝くような、はるか高みに在った。

 地道に追いつくより他にない。


 というわけで、まずは日々の稼ぎ口が必要だった。




「豚肉のカツレツ(コートレット)、チーズ乗せです。柑橘を絞ってどうぞ」


「何だこりゃ、初めて見る料理だな!? ――美味ぇ!」


 あらかじめ切り分けられた一切れを口に含んだミレアが、喝采を上げた。

 ユーリカやシャルロットたちも、初めて口にする美味に驚いている。

 皿の上にじゅうじゅうと油を弾けさせ、刻んだチーズのとろりととろける重厚な組み合わせが、晩餐の席を魅了した。


「ああ。美味しいね! 美味しすぎるくらいだ! あんた、こんな料理どこで学んだんだい!?」


 宿屋の女主人、アンナが太鼓判を押した。

 同席している料理番の夫も、片腕でフォークを使い、満足そうにうなずいている。


 ユーリカとミレアの紹介で、ティスはこの宿で料理番の代理を務めることになった。

 本日の晩餐は、女主人やミレアたちを試験官として、その腕の実践というわけだ。

 ティスが厨房に立ち、作った料理を試食してもらっている。


「うん。これだけできれば、よそに食べに行ったお客さんも戻ってくるだろう。僕は安心して養生させてもらおうかな」


「そうかい? あんたがそう言うなら、大丈夫だろうねぇ。シャルロット嬢ちゃんの一件で、変な客に絡まれても安心だとわかってるし、雇わせてもらおうかねぇ」


 夫と、女主人のアンナが、互いにうなずき合う。

 どうやらティスの料理は、宿としての合格を得たようだ。


「ティス。この料理は、どうやって作るんですの? 貴族の晩餐会でもこんな料理は出ませんでしたわ」


「下味をつけて叩いた豚肉に、溶き卵と、砕いたパンの粉をつけて、多目の油で焼くんです。鍋に溜まるくらいの油で焼くと、こんな風にサクサクと仕上がるんです」


「うめぇ! ティス、お代わり!」


「ミレア。もう少し落ち着いて食べなよ」


 厨房で予備のカツを切って、ミレアに差し出す。

 若干冷めてチーズが溶けなかったので、すり下ろした野菜をかけて柑橘を絞った。重厚な食べ応えながらもさっぱりとした味わいに、ミレアもお気に召したようだ。


 自分の作った料理を食べて、喜んでくれる人がいる。

 それだけでティスは何となく幸せな気持ちに満たされ、トレイを胸に抱き抱えた。


「口直しにこちらもどうぞ。温野菜と蒸し鶏のサラダです。ゴマをすりつぶしたタレをかけてあります」


「淡白な鳥の肉に、ゴマの濃厚な風味がよく合うね。温野菜で、味がくどくなりすぎないのもいい。高価な材料は何も使ってないのに、この味が出せるのは素晴らしいね」


 ユーリカは、静かにフォークを操っていた。

 堂に入った仕草だ。

 元は神殿の騎士とミレアが言っていたから、そこで学んだ作法なのだろう。


「ティス。この料理って、祖父ちゃんから教えてもらったのか? 祖父ちゃん、どこの国の出身だ? この交易都市(トマク)にゃ色んな国の料理が集まるが、こんなの見たことないぜ」


「どこなんでしょうね……? どんな国があるのかも知らないので、何とも」


 ティスは素直に首をかしげた。

 祖父の出身地どころか、この世界の地理すらもろくに知らない。


 と、和みあう傍らで、シャルロットが決意めいた表情で立ち上がった。


「てぃ、てぃ――ティス!」


「シャルロットさん?」


 目を剥くティスの手を、顔を赤くしたシャルロットが熱く握り締める。


「やはり、貴方しかいませんわ! わ――わたくしに、貴方の料理を毎日食べさせてくださいまし!」


 突然の告白だった。

 居並ぶ面々は、一様にシャルロットを凝視した。

 ミレアも、ユーリカも、口を挟むのも忘れていた。従者であるコノート三姉妹も、主の思い切った行動に言葉を失っている。

 まさか、シャルロットがティスを婿に迎えたいと、ティスに家庭を支えて欲しいと求婚に出るとは思わなかったのだ。


「はい、わかりました。シャルロットさん」


 ティスはにこりと微笑んで、それを受けた。

 シャルロットの表情は至福に輝き、それ以外の面々は嫉妬と衝撃に襲われた。


 だが、次のティスの言葉で、それらの反応は逆転した。


「シャルロットさんも、この宿に泊まってるんですよね? 俺、雇われたら毎日、一生懸命がんばりますから! たくさん食べてくださいね!」


「あんまりですわ、ティ――ス!」


 シャルロットは崩れ落ちた。

 涙を流さなかったのが最後の女の矜持と言えるほど、無残な玉砕だった。

 気づかれもしなかった求婚に、ミレアは笑い転げ、三姉妹は主人を思ってほろりと涙した。

 ティスは、事態を察することができずに目を白黒させるばかりだ。


 食事を終えたユーリカが、口元を拭いながら冷静に言った。


「先走るからだよ、シャルロット。ティスはまだ、そういう男女や夫婦の営みについて何も知らないんだから」


「ううう、先に言ってくださいまし、ユーリカ……」


「……言わなくても気づくと思うんだけどね。山奥育ちの話を聞いていれば」


 従者の三姉妹に慰められるシャルロットを、冷ややかに見つめるユーリカ。

 そのやり取りを聞いていた女将のアンナが、呆れた顔で言った。


「なんだい、ずいぶんな世間知らずだねぇ。箱入り息子って奴かい? なら、この宿でこき使って、世間のことを教えたげるよ!」


「はい、女将さん! よろしくお願いします!」


 目を輝かせてうなずくティス。

 そこでふと、ミレアが素朴な疑問を投げかけた。


「それはいいけどよ、ティス。ここで働くのも、おっちゃんの腕が治るまでだろ? いいとこ一月ばかしの仕事じゃ、登録料も払えねーんじゃねーのか?」


「ああ、それは大丈夫です。当てがあるので」


 はて? とミレアとユーリカは首をかしげた。

 天涯孤独で、この街に初めて来たティスに、いったいどんな当てがあるというのか。


「俺が暮らしてた山小屋に、じっちゃんが使ってた金があるんです。街で必要だって知らなかったから持ってこなかったんですけど。旦那さんの腕が治ったら、小屋まで取りに行って来ようと思います」


 なるほどね、と一同は納得した。

 祖父の遺産なら、確かに孫のティスが使うのは筋が通っている。


「へぇ。登録料の金貨を払えるくらいにはあんのか?」

「はい、ミレアさん。確か、金ぴかに光る奴がこのぐらいあったはずなので」


 そう言ってティスは水をすくうように、両手で皿を作った。

 両手いっぱいの金貨。二、三十枚はくだらないだろう。

 散財をしなければ当面は暮らしていけるだろう額に、一同は安心した。

 女将のアンナも安心していたところを見ると、この頼りない世間知らずのことを案じてくれていたらしい。


「そんだけあるなら、ギルドを通して、あたしらに護衛を依頼しなよ。あの山ならこの間行ったばかりだし、一人で行くのも大変だろ。な、ユーリカ?」


「そうだね、ミレア。ティスの護衛なら格安で受けるよ」


「わ、わたくしも参りますわよ!? 三人だけで行かせるものですか!」


 シャルロットも名乗りを上げた。

 が、A級二人の依頼に、つながりの無く、級も違うシャルロットがついていくのは難しいだろう、と二人は冷静に指摘した。



「それじゃ、仕事の期間が終わったらお二人にお願いしますね。――女将さん、旦那さん、その間お世話になります。がんばりますので、よろしくお願いします!」


「あいよ! あたしと旦那で、どこで働いても暮らしていけるように厳しく仕込んでやるよ。覚悟しときな!」



 女将と夫が微笑み、短いながら、ティスの働き口と社会勉強の場が決まった。

 ティスの作った料理を皆で囲みながら――


 客の途切れた食堂は、その晩、にぎやかな声に満ちていた。





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