山から降りてきた天使
「な、何なんだ、ティス! 今の技は!?」
「祖父から教えられた技です。合気道と柔道」
「見たことも聞いたこともない技だ……手品か魔法の類かと思ったよ。シャルロットの身体が、宙を一回転したかと思ったら、地に伏せて身動きさせられなくされている」
ミレアとユーリカが、驚愕に目を見開いていた。
冷静なユーリカですら我をも見失う、新たな技術との対面だった。
シャルロットは、自分が何をされたのかを理解できず、抵抗する気力を失っていた。
茫然自失として大人しくなったシャルロットの身体を開放し、ティスはその場を離れた。やがて、事態を理解したシャルロットが、顔を真っ赤にして身体を起こす。
「む、無効ですわ! 今のは不意打ちも同然! 剣による勝負を――」
「男に投げ飛ばされて、男に、剣で、一騎打ちの申し込みか? 大した貴族だな、シャルロット」
ミレアが、溜飲を下げたようににやにやと指摘する。
シャルロットは、弾かれたように固まり、悔しげに拳を握り締めて歯噛みした。
と、その腕に痛みが走ったのか、極めていた右腕を押さえて表情をゆがめる。
「すみません! 筋を痛めちゃいましたか!?」
「触らないでくださいまし! わたくしは貴方に、男に負けたとは思っていませんわ!」
駆け寄るティスの手を振り払うシャルロット。
その表情には、何ともいえない苦渋が浮かんでいた。
その表情を見て、ティスは気づいた。
自分は、この人の矜持を傷つけたのだ、と。
守るべき女性の心を、過剰に踏みにじったのだと。
それは強者である女が、弱者であるべき男に敗北したことで生まれる羞恥であり、汚辱であったが、ティスはそこまでは求めていなかった。
シャルロットの、悲痛な叫びが漏れる。
「わたくしは、男に負けるほど弱くはありませんわ……っ!」
だから、ティスは言った。
「はい。シャルロットさんは、弱くないと思います」
シャルロットの目が、驚きに見開かれる。
ティスはそれ以上相手の心を傷つけないよう、言葉を選んで続けた。
「剣を抜く速度も、掌底で打ち上げた剣の重さも、投げたときの勢いも、どれも俺より力強さを感じました。きっと、真正面からの打ち合いなら勝てなかった」
「なんですの!? 敗者への哀れみですの? どれだけわたくしを侮辱すれば――」
「違います。貴女が負けたんだと思わないでください。俺が勝ったんです」
「……? 同じことでしょう?」
「同じじゃないです。貴女が弱かったんじゃない。俺が、弱くなかったんだと認めて欲しいんです。女とか、男とかじゃなく、俺自身が、弱くはないんだと」
それはただの言葉遊びのようにも思えるかもしれない。
けれど、シャルロットに自分を卑下して欲しくはなかった。責めて欲しくはなかった。ティスが欲しがっていたのは、シャルロットの汚辱ではなく、ユーリカとミレア、そして自分の名誉なのだから。
それが伝わったのか、シャルロットは不承不承とうなだれた。
「わたくしが……自分を弱くないと思うように……貴方と、ユーリカたちを弱くないと認めればいいんですの……?」
「はい。シャルロットさんだって、充分強いじゃないですか! そんな人に自分は弱いと思われたら、俺も立つ瀬がないです!」
邪気のない笑顔で、ティスは本心を告げる。
その笑顔に真正面から微笑まれて、シャルロットの顔が真っ赤に染まった。
「し、仕方ありませんわね! 男性に華を持たせるのも女の務めですわ! ――ユーリカとミレアが弱くなったという発言も、ついでに撤回してあげますわ!」
ぶっきらぼうに顔を背けながら、シャルロットは大声で叫んだ。
その様子に、ユーリカとミレア、シャルロットの連れは鳩が豆鉄砲を食らった顔をした。安堵したようにのん気にお礼を言ったのは、ティス一人だ。
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
「ま……まぁ、まぐれにしても。今のように戦えるなら、貴方も冒険者になれるのではなくて?」
革の胸当てに包まれた双丘をふんぞり返らせて、鼻を鳴らすシャルロット。
ティスは鞄から薬草を取り出し、彼女の右腕を取った。
「ひじ、見せてください。この薬草、打ち身や腫れによく効くんです」
「な、な……も、問題ありませんわ、このぐらいの痛み」
「ダメですよ! 筋の痛みは腫れて熱を持つんです、後から酷くなるんだから、ちゃんと治療しておかないと!」
彼女の袖をまくり、揉みつぶした薬草を塗って布を当てる。
そして布の上から、そっと腕を撫でた。
優しく、いたわるように。
「じっちゃんから教わったおまじないがあるんです……痛いの痛いのとんでけ、って」
これに慌てたのはシャルロットだ。
ともすれば、女性に触れられることすら拒否する男性は珍しくない。
だと言うのに、今、目の前の男性は、敵対していたはずの自分の腕に進んで触れて、やさしくさすっている。
ダメ押しのように、ティスが顔を近づけて、無垢な微笑みを向けてきた。
「大事にしないと。剣を持つ、大切な腕なんですから。……ね?」
シャルロットの頬が、耳が、瞬く間に赤く染まる。
その口から、「天使ですわ……」と、声にならないつぶやきが漏れた。
つぶやきを聞き取れなかったティスが、笑顔のまま首をかしげる。
その仕草に、シャルロットとその連れはやられた。
連れの三人の女冒険者が、なぜだか口々に、
「わ、私もこの間の依頼で腕を痛めて……」
「そう言えば、私は首筋が……」
「胸をさすってもらえないかしら……」
ティスに押しかけようとする。
我に返ったシャルロットが、自分の仲間たちを一喝した。
「ええい! 貴女たち、今まで元気だったじゃありませんの! 白々しいですわよ!」
「でも、シャルロット様! ずるいです、自分だけそんな可愛い子に優しくされて……」
「そうです、そうです!」
途端に揉め始めるシャルロットたち四人。
胸倉をつかみ合おうとする彼女らを、慌てて止めようとするティス。その肩を、背後から叩いた者がいた。ミレアだ。
「……やめとけ、ティス。お前さんが変に優しくすると、争いが酷くなる。男っ気がねぇ寂しい奴らばっかなんだから」
「え? え? でも、止めないと……」
顔を引きつらせるティス。ミレアは、ふるふると力なく首を振った。
「もう、貴女たち! わたくしの天使に近寄るんじゃありませんわっ!」
そんなシャルロットの叫びが、人の少ない食堂に響いたとか。




