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その刃の届くとき



 竜の切り拓いた地平に、騎士が奔る。

 携えた剣もまた、その身を包む輝きに満ちている。


 大地を裂く一撃が有象無象の壁を砕き、進路を空けた。

 その行く先には、彼女の見据える『魔』の一つ。

 駆ける一条の光が戦場に軌跡を描き、真っ二つに命の海を裂いていく。


 百歩を一足で突き進む一振りの剣を前に、残すは千歩の距離。

 その間に立ちはだかる凶種(モンスター)の群れは、彼女の全力を前に壁の役割を果たしていなかった。


 群がる大小の鬼を肉片に変え、修羅をも伏せる騎士の剣が光を振るう。

 憎しみもなく、慈悲もなく。


 ユーリカ・ノインという名の人類の刃が、咆えた。



「魔族よ。――その首、貰い受ける」



 防壁として集う残党の群れの奥で、魔族は笑った。

 狂気に満ちた雄叫びが、ユーリカの研ぎ澄まされた聴覚に届く。



「――舐めるなよ、強者ぁッ!」



 その身体が黒く輝き、周囲に命が生まれる。

 数十、百にも届くオーガとサイクロプスの群れ。

 百の咆哮が地を揺らし、蹴散らされるばかりの凶種を兵士に戻すべく鼓舞する。

 残りは九百歩。


 振り下ろされる手斧や棍棒を、それを持つ腕ごと、あるいは武器そのものを斬り飛ばし、騎士は進む。

 その手に『加護』の剣を、その胸に騎士の剣を掲げ、退く道はどこにもなく、ただ振り下ろされる民衆を守護する刃とその身を変え――

 残るは、七百歩。


 砕いた武器の舞い散る欠片(はがね)に頬を裂き、すれ違う凶種の一撃に薄れた『加護』を貫かれ、しぶく血煙に己の血をかすかに混じらせながら、

 残り五百歩。


 狙いを定め後顧の雑念の消える脳裏に、思いが去来する。

 傍らに立つ竜人の少女。

 出会った、夢を持つ少年。

 竜の少女は道を切り開き、少年は誇りを蘇らせ背を押した。

 二人の存在に支えられたことに感謝を抱く。

 振るう剣に万感満ちる己のすべてを込め、

 残り三百歩。


「――ユーリカさん、後ろですッ!」

「……ッ!?」


 はるか遠いティスの声に振り向き、背後から忍び寄っていたゴブリン騎手(ライダー)の生き残りを両断し、前進する。

 残り、二百歩。


 ――ティス。きみと会えて、良かった。


 新たに魔族の召喚したオーガとサイクロプスの巨躯を斬り裂く。

 その先に見えるのは、もはや身を守る兵士を失った、魔族の姿。


「行け、ユーリカ!」

「ユーリカさん、決めてください!」


 遠く仲間たちの声が聞こえる。

 残り百歩――



 ユーリカは、告げた。


「終わりだ」


 魔族の尖兵、凶種の『将』アルタール・ラバシュは叫んだ。


「魔族は滅びぬ!」


 ゼロ。

 彼我の距離が密接し、その剣が振り下ろされる。


「人間だって、滅びないさ」





 ありったけの力を込めたユーリカの一撃が、アルタール・ラバシュを斬り裂いた。
































*******



「――はッ、はっ……!」


 がっ、と剣の切っ先が地面に突き立てられる。

 体力と加護を使い果たし、自身を支えきれなくなったためだ。


 荒い息を吐き、突き立てた剣に体重を預ける。

 目の前には事切れた魔族の躯が横たわっている。


 屍の表情は、息絶えたにもかかわらず恍惚と笑っていた。あるいは、魔族の再興する様を思い描いていたのか、人類の滅びる様でも夢想していたのか。

 狂気にとらわれたその思考を知る術は、もはや無い。

 今わの際の思いなど、知ったところで意味も無いだろう。


「……そんなことを、考えている場合でもないしね……」


 ユーリカは剣に身体を預けたまま、汗みずくの顔で周囲を見回した。

 依然として残る凶種の群れが、こちらに向けて武器を振り下ろそうと取り囲んでいる。

 この数の群れを相手取る余力は、すでに無い。


 ユーリカは自身を取り囲む絶望を前に、ふっ、と微笑んだ。


「……強者ならば強者らしく、最期の仕事を果たそうか。一体でも二体でも数を減らせば、街を守る冒険者たちの助けになるかもしれないからね……」


 地面から剣を抜き、構える。

 すでに『加護』を使い果たしたユーリカの素の腕力は、凶種に比べて大きく劣る。

 ましてや、体力すら尽きた現状だ。

 振り下ろされる錆びた手斧を剣で受け、吹き飛ばされるように後ずさる。


 これまでか。


 覚悟を決め、ユーリカはそれでも剣を握り締めた。

 恐怖にまぶたを閉じず、絶望に視線を逸らさず、眼前の敵を見据えた。



 そのとき、戦場に異変が起きた。



*******



 人の姿に戻り倒れたミレアをかばい、ティスは必死に凶種の攻撃をいなしていた。

 その目が、大きく見開かれる。

 ミレアと自分に群がっていた凶種の様子がおかしい。


「え……何で……!?」

「……ティス……どうした……」


 地に伏せるミレアの問いにも、ティスは答えられない。



 群れる凶種たちの姿が、突然、どろり、と溶け崩れ始めたのだ。

 まるで闇でできた泥濘へと還るように、凶種の身体が黒く溶けていく。

 怨嗟や断末魔のような鳴き声が戦場を満たし、魔術によって形作られた命が、終わりを告げていく。



 アルタール・ラバシュの『加護』と『呪い』が途切れたためだ。

 本来この場にはいないはずの、呼び出された命があるべき場所へと還っていく。


 それは己の足で立つ健全な固体のみならず、斬り捨てた屍にも及んだ。

 積み上げられ、打ち捨てられた凶種の屍が大地の上に溶け崩れ、消えていく。

 まるで、最初から存在しなかったかのように。


 自分を襲おうと手斧を振りかぶっていたオーガやトロルたちも、不可思議なことに手にした武器ごと、黒いぬかるみの中に消えていった。


 呆気にとられ、呆然とその様を眺めながら、ティスは不意に実感した。


 街だけでなく――

 自分も、ユーリカも、ミレアも。

 自分たちの命は救われたのだと。


 ティスは、何もかもが消え失せ、見晴らしの良い地平へと戻った戦場に立ち、感じた。

 戦いの終わりを。


 街を守るために立ち上がった、二人の女性の勝利を、噛み締めた。



*******



「……召喚魔術は、術者の命が潰えれば、呼び出したものも消えるのか……」


 敵の姿の消え失せた戦場で、ユーリカは腰を下ろした。

 命の終わりへの覚悟が杞憂だったと知り、思わず身体から力が抜ける。


 見渡す平原は何も無く、どこまでも平和で、血の跡はおろか戦いの余韻など何も無く雄大に広がっている。


 伝承に語られる魔族の魔術だが、その詳細までは彼女も知るはずが無い。

 だが、『加護』を糧として発動するのが魔術である以上、『加護』が途切れれば効力を失うと言われれば、納得もできる。


 こうなるとわかっていれば、最初から全力を出して『将』をしとめれば良かった。

 だが、それは終わった後だから言える結果論だ。

 もし、魔族がいないただの自然発生の大暴走(スタンピード)だったら。

 もし、魔族を一撃でしとめきれず残った凶種に囲まれたら……


 戦場では、想定できない『もし』は星の数ほど生まれ、存在する。

 考えても仕方の無いことだ。


 けれども、もしもあの少年が戦場に来てくれなかったら。

 未練を残し、心のどこかで命を惜しんで余力を残す戦い方を選び続けていたら。

 この結果は、存在しなかったろう。


「命を拾った、か……」


 誰かのために命を懸ける、というだけでなく、誰かとともに命を使おうとする。

 傍らに立ち、背を押してくれる存在がいた。

 それは、何と心奮わされることであったか。


 今、生き延びたことを噛み締め、ユーリカは立ち上がった。

 足に力が入らず、よろめく身体を剣を杖にして支える。


 会いに行こう。


 会いたい、と心から思った。

 きっと二人も生き延びているはずだ。三人で顔を合わせて、命を捨てる覚悟をした自分たちを笑い飛ばそう。


 生きてくださいよ、俺は、もっと二人と一緒にいたいです――


 そんな、愛しい少年の声が聞こえたような気がした。

 きっと、幻聴ではなく、顔を合わせればそんなことを言ってくれそうな予感があった。


「やれやれ。命を散らした英雄にはなり損ねた、か……」


 ここで生の幕を引ければ、格好もついたのだろうが。

 それでも、また少年とともにいられることに、ユーリカは胸を熱くした。


 もっと、鍛えてあげないとね――


 ふふ、と彼女の表情が不意に拾った未来に向けて、ほころぶ。

 その感情を何と呼べばいいのだろうか。

 胸に込み上げる愛しさの源泉となるその感情には、まだ名前がついていない。


 たぶん、これから、たくさんの名前がついていくはずだ――



 遠く、こちらに向けて手を振る二人の仲間の姿に、彼女は立ち上がる。

 身動き取れない少女を負ぶって、少年がこちらへと声を投げかけている。



 戦いを終え、愛すべき仲間の下へ、彼女は歩みだした。












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