蘇る騎士
凶種の軍を率いる魔族、アルタール・ラバシュは焦っていた。
突如として現れ戦場を支配した巨大生物を目にし、自分の目を疑った。
何故だ。
何故、竜種がここにいる。
考えられるのは、竜に姿を変える獣人――竜人種の存在だった。
戦場に立った冒険者の一人が竜人だったと考えるしかない。
しかし、竜人種は人間種と折り合いが悪い。
その能力から人間種に恐れられ、忌避されるため、氏族ごとに里を作って社会から隔絶された環境で他種族と関わらずにひっそりと暮らしているはずだ。
人の社会に、この戦場に降り立つことのない種族なのだ。
この戦場に、現れるはずがなかった。
「考えている場合ではない、か……」
不快をあらわに歯噛みしながら、つぶやく。
現に姿を見せているものに狼狽しても仕方がない。
もし、あれが竜人種の変化した姿ならば、その変化は長く続かない。
最後の抵抗のようなものだ。
アルタール・ラバシュの身体能力は、魔族としては高くない。
その破格の能力と引き換えに、白兵戦闘能力では加護のない男と変わらないからだ。
戦場を離脱しようにも、自分の足ではたかが知れている。
ならば、できることは一つだけ。
アルタール・ラバシュは傍らに積んだ袋の中身を、すべて地面にぶちまけた。
人の命から創られた人造魔石。
凶種の犠牲と化した人間や獣人の生命力をすべて自身の『加護』と『呪い』に変える。
地面に散らばった魔石の中心で、アルタール・ラバシュは地に手をつき、自身の魔術を最大限に使用する。
地を這うアリの軍勢が、巨獣を駆逐することなど自然界ではよく見られる光景だ。
自身の能力を信じて疑わず、魔族の女は竜をしとめることに賭けた。
地面の魔石が光を放ち、黒い闇へと溶ける。
禍々しき命を生み出す巨大な沼から、彼女の魔術によって使役される凶種たちが這い出し、戦場へと赴く。
万を賭し、足らねばさらに万を繰り出し、無量の大軍を以って世界を轢殺する。
魔術を処理する代償として脳髄を過負荷に焼かれながら、アルタール・ラバシュは笑った。人を超え、妄想の神々に邂逅するほどの刺激が、彼女の脳を狂気で満たす。
増えろ――
埋め尽くせ――
小さきものよ。群れるものよ。巨大なるものを喰らい尽くせ。
巨竜の爪が百を散らし、その吐息が千を焼き払うならば、幾万を以ってその屍の山を登り、大いなる首へと辿り着こう。
灼熱した自己の世界の中で、彼女は暴れる竜を鼻で笑う。
たった一匹で、何ができるものか――
そのとき、彼女は竜の背を見た。
誰かが、その背に乗っていた。
その顔を視認できる距離ではないにも関わらず、脳髄を刺激で焼かれた彼女の目には、はっきりとその背にたたずむ者の姿が見えた。
「――なっ……!」
ぞくり、と背に戦慄が走る。本能の警告する、根源的な震えが身を襲う。
剣を構え、戦場を見下ろす超越者。
その目が、こちらの視線と交差した。
その表情は、獲物を捉えた捕食者のように――
獰猛に、笑っていた。
*******
――ミツケタ――
ユーリカの表情に浮かんだのは、笑みだった。
茫洋と終わりのない戦いの中で見つけた、一つの確信。
竜の背という高所からの、加護によって強化された視力で戦場の果てに見た、明らかに凶種とは違う『人』の姿に彼女は高揚した。
この大群が『群』であるか、『軍』であるか。
彼女らが戦場に立った意義は、その一点に集約されていたと言っても過言ではない。
この大量の凶種が野生の『群れ』であるならば、その戦いに終わりはない。
撃退に近い殲滅を行わなければ、街に未来は無かっただろう。少数での突撃を選んでも街での防衛戦を選んでも結末は一緒だったはずだ。
だが、この大群が誰かの率いる『軍』であるならば。
将を落とせば、この兵卒に過ぎない凶種たちの統率は消え失せる。
そうなれば、街の軍勢による殲滅は容易だ。
問題は、将を潰した後、自分たちが『群れ』に戻った大量の凶種の中に取り残されることだが――
ミレアの背の上で、ユーリカは、背後の少年を振り返った。
ふ、と目元を緩め、ユーリカは穏やかに語りかける。
「……ティス。目標とおぼしき魔族を見つけた。私がしとめる。きみに、ミレアを任せてもいいかい?」
「はい!」
「……うん。いい返事だ」
そこで、私も力尽きるだろう――
その一言を、ユーリカは口にしなかった。
いかな鍛錬を続けてきたとはいえ、この少年一人に眼下の数を任せるのには無理がある。恐らく、彼が全力を振り絞ったとしても、自分たちの命はここで潰えるだろう。
それでもいいか、と彼女は思った。
だから、笑った。
おそらくミレアも、同じ考えを抱いて前進を選んだ。
夢半ばに散るとしても。この少年と同じ戦場に眠るのならば、それも一興だろう。
夢を閉ざすとしても。この少年が選んだ道ならば、それに甘えるのも悪くない。
庇護する存在ではなく、ともに誰かを守ろうとする意志の下に。
無念の中で命を落とす喪失ではなく、命を使った結果としての生の終わりならば。
この少年に、心と誇りを守られた結果として逝けるだろう。
ユーリカは言葉にはせず、胸の中で少年の意志を賛美し、そして問いかけた。
――ティス。きみの夢は、叶ったかい――?
絶望でも諦観でもなく、達観でもなく。
少年の与えてくれた『勇気』を胸に、誇りを抱いて彼女は剣を手に取った。
「ミレア、敵を見つけた。そのまま進んでくれ! 私が出る!」
『あいよ! 変異ももう持たねぇ、行けるとこまで行ってやんぜ! 後は頼んだ!』
ユーリカは竜の背に立ち、そしてわずかの間、目を閉じた。
その表情に浮かぶのは、優しい微笑み。
――たとえその果てに終わりしかなくとも。
――愛するものとともに戦場に立ち、人々のために剣を握ろう。
いつか描いた、少女の頃の夢。その名残に思いを馳せ、彼女は目を開く。
『ユーリカ! ここが限界だ、行け!』
ミレアの咆哮とともに、ユーリカは駆け出した。
人の世で『剣神』とすら呼ばれた刃が、大群を切り裂く。
目指すはただ一つ、勝利のみ。
彼女は、戦場に舞い降りた。
「神殿騎士ユーリカ・ノイン、参る! ――我が行く手を阻む者は、命が要らぬと心得ろ!」




