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銀輪亭は大忙し

 ティスは、宿屋《銀輪亭》の料理番、兼雑用として住み込みで働くことになった。


 朝は宿の準備と厨房の仕込み。

 昼間は宿の空き部屋の清掃で、食事時になれば厨房に立つ。

 夜は食堂を回し、それが済んだら女将と旦那から様々な常識を教わる。

 とにかく、清掃も雑用も料理も、求められることは何でもこなした。


 食材の買出しやお使いを何度も経験するうちに、金銭感覚や街の常識などが身についていく。

 若く素直な男の子とあって、露店や商店の女主人たちからももてはやされ、ティスは次第に、少しずつ人の街に馴染んでいった。


 やがて、宿屋《銀輪亭》の食堂は、宿泊客だけでなくティスの料理や、厨房にこもるティス自身を一目見ようとやってきた女性客が押し寄せることとなる。




「たっだいまー……っと! うわ、今夜も満席か!?」

「うん、困ったね。これは座れそうにない」


 ギルドの訓練場でトレーニングを終えてきたミレアとユーリカは、呆然とした。

 食堂に空いている席がない。

 ただでさえ大きくない食堂なのに、ティスの作る夕食を求めた女性客で満員の状態だ。

 近隣の家族連れだけでなく、冒険者やギルド職員の姿まで見える。


「来るのが遅いですわよ、ユーリカ、ミレア。最近は夕方から席を取らないと、ギルドの勤務時間が終わると同時に席が埋まってしまいますの」


 入り口で立ち尽くす二人に、ちゃっかり席を取ったシャルロットが声をかけた。

 四人がけの小さなテーブルに、従者のコノート三姉妹と座っている。


「お前は自分の部屋で食事しろよ、シャルロット!」


「この端のテーブルからだと、たまに厨房のティスが見えますの! それに、女将さんの手が回らないときは、ティスがお酒を注ぎに来てくれることもあるんですのよ!」


 シャルロットが口にしているのは、麦汁から作った薄い微発泡酒だ。

 酒精が極端に弱く、生水よりも安心して飲めると言うことで、水代わりに注文する者が多い。コノート三姉妹も同様のものを口にしている。

 水を飲むなら、一度火で沸かさねば腹を壊す、というのがこの街の常識だ。


「おかえりなさい、ミレアさん、ユーリカさん! 訓練お疲れ様です!」


 言った傍から、ティスが酒杯を運んでいた。

 美少年が運んできた酒に、注文したテーブルから歓声が上がっている。


「すみません、席が埋まってまして……お二人とも、お部屋で食事されますか?」


「部屋だと、運んできてもらった量しか食えないからなぁ。席が空くまで待つよ」


「――でしたら、相席をお願いしてみますね。ちょっと待っててください!」


 そう言って、ティスは人数の少ないテーブルを回って頭を下げていった。

 四人がけの席を一人で占拠していた女性客が、快哉を挙げて承諾する声が聞こえる。


「ティスくんのお願いなら、いつでも聞いちゃうわ! お姉さんに任せなさい!」


 案内された席に座って、ユーリカとミレアはきょとりと目を丸めた。


「おや。珍しいこともあるものだね、柔らかい縁だ」

「何だ、ギルドの受付のライムじゃねぇか。お前、酒弱いのに何飲んでんだよ」


「あによ、ユーリカとミレアじゃない。独り身の女が酒場にいちゃ悪いっての?」


 その客は、ティスがこの街に来た初日に受付をした女性だった。

 ユーリカが、報酬を換金した受付嬢だ。

 仕事中は生真面目で寡黙なはずの彼女は、仕事が終わってからしこたま酒を飲んだらしく、すでにへべれけに酔っていた。


 ユーリカとミレアは、冷ややかな表情で着席した。

 完全に出来上がった酔っ払い女の姿にドン引きしている。


「何だよ、ライム。また男に騙されたのか?」

「変な男にばかり出会うね、きみは」

「鉄の処女二人に言われたくないわよ! いーのよ、今はティスくんがいるんだからぁ」


 ろれつの回らない口調で、うっとりと厨房を見つめるライム。


「ティスくん、素直で、可愛くて。私がヤケ酒してたときに『大丈夫ですか、飲みすぎですよ』だなんて、優しい手つきで介抱してくれて……受付仲間の男たちとは大違いよ! 女が受付に回ってるからって、堅物の弱虫扱いで見下して!」


「悪い酒だね、ミレア」

「こりゃ酷い。しかも、男じゃない受付なんて色気がないからな。不人気だもんなぁ」


 いわゆる窓際族のうっぷんというものだろう。

 男の受付は稼ぎの良い女冒険者と恋仲になることもあるが、それが女だと途端に悲惨なことになる。男で稼ぎの良い冒険者はおらず、安定した給料が目当ての男しか寄ってこないことが多いからだ。

 男に理想を持つ女の受付は、えてして男性不信になることが多い。


「その点、ティスくんは違うわ。『女性を支えられる男になりたい』って言って、今だって登録料を自分で稼ぐためにあんなにがんばって! 自立してて真面目で、これは運命の出会いだと思うの。私、絶対にティスくんを口説くわ!」


 彼女は覚え違いをしている。

 ティスの夢は女性を『支えたい』ではなく『守りたい』である。

 その差は大きい。口説いても上手くいかないだろうことは容易に予想できた。


「まさに、絵に描いたようなダメ女だな」

「普通の街中の男性からすれば、優良物件なんだろうけどね……ギルド務めだし」


 養って欲しい男が寄ってくるなら、養ってやればいいじゃないか。

 この世界では、男を養うのは女の甲斐性だ。

 そうは思うが、金目当てで騙されることの多いこの女性に、二人は同情もしていた。


「仕事はできるし、絶対に将来はギルドの事務で偉くなると思うんだけどなぁ……」


「受付の男性は、稼ぎの良い高ランク冒険者を見慣れてるから仕方ないね。環境が悪い」


「――? 何話してるんですか、皆さん?」


 そこに、料理を手に持ったティスがやってきた。

 ミレアとユーリカの前に、食欲をそそる香りの料理が並ぶ。


「マヨネーズっていう調味料を塗って焼いた魚と、旦那さん直伝の赤身肉のほろほろ煮です。上手くできたんで、食べてみてください。肉はすごく柔らかくなってますよ!」


「そりゃ美味そうだな、よし食うか!」


「そうだね。今はお腹を満たせば、心も幸せになれそうだ」


 目の前の酔客から目を背けるように、二人は料理に取りかかった。

 二人が油断したその瞬間、一人の酔っ払いが、立ち去ろうとするティスの手を取る。


「ねぇ、ティスくん……今度、二人で食事にでも行かない?」


「食事、ですか、ライムさん?」


「うん! 美味しい店知ってるの!」


 ライムが弾んだ声で、懸命に誘う。

 ティスはくすりと笑って、少しすねたような顔を作った。



「もう、ライムさん。他の店に行くのもいいけど、俺の作る料理も食べにきてくださいよ? 一生懸命作りますから。ね?」


「う……うん! もちろん、明日も来るわ! ティスくんの手料理を食べに!」



 酔っ払い受付嬢は目的を忘れ、ティスの笑顔に目を輝かせた。

 ティスが去った後も、「ティスくんの手料理ぃ……」とだらしない表情を浮かべ、幸せそうに自分の皿をつついている。


 その様子に、ミレアとユーリカは内心で涙を禁じえなかった。

 きっと、ライムの誘い文句の意味をティスは理解していないだろう。


 けれども、同時に不安にも駆られる。

 街の人間がティスのことを広く知っていくほどに、こうしてティスに手を出そうとする女が増えていくのだと思うと――


 彼を保護するミレアとユーリカは、先行きを思いやられるのだった。












 ライム・プリムローズ。


 冒険者ギルドでも最優秀の女性事務員の一人である。

 彼女は後に、その能力を伸ばし、ギルド長の補佐として運営を差配する要職に就く。

 ティスたちの作る伝説を、陰ながら支える一人となるのだが――


 今はまだ、そのことを、誰も知らない。











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