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女神  作者: 都の辰巳
7/9

動き出す針 3

物音で目が覚めた。

音の原因を探るように、闇の中で耳だけを澄ます。

雨が降り出していた。

他にはなにも聞こえない。

雨粒が葉を打つ音だったのかもしれない。

安心して眠りに落ちかけた時、また音がした。


固い物がぶつかり合う様な、耳慣れない音だった。

誰かいる、家族以外の人間が。

緊張して、彼は寝床から身を起こした。


家の中の気配が変わっていた。

辺りは静まり返り、虫一匹鳴いていない。

音を立てずに寝床を出ると、彼は部屋の外の様子を窺う。

動き回る気配とくぐもった囁き声が、右手の奥から伝わってきた。

そこは彼の両親の部屋。


護衛の兵士たちだろうか?

ならばそこに父も居るはず。

声が近づいて来る。

言葉が違う。

頭が警戒する前に、体は音を立てずに部屋から抜け出した。


女神に与えられた部屋は一番東にあって、入り口から遠い。

万が一侵入者があれば手近な部屋から探すだろうと、その場所が選ばれた。

廊下に足を踏み出すと、ひんやりとした感触が体を震わせた。

足早に女神の寝室へ向かう途中、声が近づいて来る。

急いで部屋に飛び込むと、そこは布の森だった。


初めて入った者は、広い空間のなかで方向を見失うだろう。

幼い女神を喜ばせようと、母親と二人で天井から色とりどりの布を下げた日の事は、また記憶に新しい。

窓から吹き込む風が、まるで生き物のようにそれらを揺らした。


布は見事に女神の姿を覆い隠し、そのなかを縫う様に彼は進む。

訛りの強い言葉が、”探せ”と云っていた。

侵入者はすぐ側まで来ていて、見つかるのは時間の問題だった。

絡みつく布を払い除けると、月明かりに照らされた小さな体は彼が来ることを知っていたように、起きて迎えた。

「これからかくれんぼをしましょう。母さんといつもやるように。」

かくれんぼは彼女が一番好きな遊びだが、いまは笑顔もない。

彼女を怖がらせないように、なるだけいつもと同じ声で話した。

「父さんと母さんは?」

「父さんと母さんが鬼です。私たちが先に逃げて、絶対に見つからない所を探しましょう。外は暗いですが、決して怖くはありません。もし怖かったら少しの間、目を閉じていてください。」

幼子はただ小さく頷いた。


声は廊下の外に迫っていた。

咄嗟に女神を腕に取り、壁際へと逃げた。

「得たか?」

「何処かに隠れているはずだ。」

ペタペタという足音が部屋の中へ入って来る。

「なんだ・・・!」

「布など切り落とせ!時間が無い、早くしろ!」


一枚また一枚と切り裂かれた布は、悲鳴に似た音を立てながら崩れ落ちる。

彼は窓の腰板に足を掛け、女神を抱えて静かに外へ出た。

出てすぐ、庭で目にしたのは無残に喉を裂かれた兵士達の骸だった。

それを見ても、彼は恐ろしさを感じなかった。

西にも二人倒れていた。


たぶん、護衛は全て殺されている。

彼の父や母も。

いま女神を護るのは、彼の役目だ。

その為に血に染まった庭を駆け抜け、神殿へと走った。

其処には信頼できる人がいる。


父に何かの時は神殿へ行くよう、告げられていた。

この家に女神がいると目立たないよう、護衛は六人だけ置かれていた。

その代わり、腕が立ち信用のできる者ばかりが選ばれた。

その護衛がなんの抵抗もせずに殺されている。

それは誰かが兵の数や配置を教えたに違いない。

神殿へと走りながら、彼は裏切り者がいることを本能的に悟った。


雨に濡れた落ち葉で、足元が覚束無い。

木の根や折れた枝が、行く手を阻む。

抜かるんだ地面に何度も足を取られた。

大粒の雨は二人の体に容赦なくふり注ぎ、小さな体が寒さに震えているのを感じた。


神殿は小高い山の頂にあり、其処から少し降りた位置に兵舎と神官が住む家、

そして女神の日常の世話をする女官たちの宿舎が点在している。

神殿までの道のりは遠く、さらに険しくなる。

とても逃げ切れない。

どうすればいい?

どうすれば・・・



「いたぞ、あれだ!」

王の兵が侵入者を取り囲む。

盗賊の一人が、女神らしき布に包まれた物を拾い上げ腕に抱えた。

「女神を!女神をお護りしてくれ!」

その声に、一人の男が驚いたようにそちらを見た。

「お前!よくも嵌めたな!」

「侵入者は全て殺せ。例え女神が傷ついたとしても、奴らを生かして帰すな!」

「なにを云う!女神には傷ひとつ付けてはならん!」

「殺せ!」

無常な声が命じた。


十人の兵士に寄せ集めの盗賊など、所詮彼らの敵ではなかった。

決着は一方的についた。


その惨憺たる有様に、古参の神官は力が萎えた様に膝を付く。

「何ということをしてくれた、なんということを!わたしの女神が、わたしの女神が死んでしまった!」

「女神などただの子供騙しではないか。それ程嘆くこともあるまいに。ご信託とやらは、お前が適当に云っておけばよかろう。」

その言葉に神官は、癇癪を起こしたように喚く。

「違う!女神の存在は国の礎となるもの、女神の言葉は絶対なのだ。それをお前は殺してしまった!

もうこの国は終わりだ、何もかもお前のせいで!」

「女神を死なせたのはわたしだが、こうなったそもそもの原因はお前自身がたてた計画だろう。

王の弟である神官長一家を亡き者にして女神を意のままにしたいが為、

あのクズ共に金を払って得た結果がこれではないか。」


「あいつは王の弟というだけで、わたしの地位を横取りしたのだぞ。

わたしがどれ程の努力と苦労を重ねて、この地位を手に入れたか。

あれは何もせずにその座を与えられ、女神にも取り入ってわたしを遠避けた。

その上、あの幼い女神までも、わたしに一言の相談も逢わせる事すらせずに、自分の思い通りにする気だったのだ。

わたしは自分のものを取り返しただけだ。自分のものを取り返して何が悪い!」

元はといえば、王に弟がいたからだ。

あれさえ生まれてこなければ、殺す手間が省けたというに。


若造のくせに見習いの時から女神に目を掛けられて、平身低頭尽くしたわたしを疎んじた。

わたしが何年も掛けて手に入れたものを、あれは何の労も問わずに手に入れた。

不公平だ、なにもかも。

女神の言葉には王ですら逆らうことを許されない。

あれは弟でありながら、兄よりも強い力を得たも同じ。

それはわたしが手にするはずだったもの。

考えれば考えるほど、あれが憎くて憎くて堪らなかった。

あれの妻も息子も憎らしい。

皆でわたしを笑っていたに違いない。


「その執着心だけは大したものだ。ならばこの事態もどうにか乗り切れるだろう。」

「なにを云っている、わたしとお前は一蓮托生だ。わたしを護るのが役割ではないか。」

「わたしは頼まれて盗賊を追って来たまでのこと。神官一家に何が起きたのか、わたしが知る由もない。

もしもわたしを巻き込むつもりならば、この場でお前も犠牲者の一人になってもらう。」

利用してやるつもりが、脅しに屈しなければならないとは。

若造が何様のつもりだ。

お前が母親の乳を吸っている頃には、わたしは神官見習いとして女神のお側に仕えていたというのに。

悔しさに唇を噛み締めた。


そこへ上官を呼ぶ声が上がる。

「これを。」

若い兵士が盗賊の腕から抱えていた布を引き抜くと、内から落ちてきたのは藁を詰め込んだ枕だった。

「子供にしてやられたな。」

それを見て神官は、盗賊に刺され地面に倒れて動かない子供の体を腹癒せに蹴った。

「わたしの女神はどこだ?」

ひとつ聞く度、腹を蹴る。

「わたしの女神をどこへやった?どこにいる!」


再び蹴り上げた神官の動きを、兵士は止めた。

「やめろ、もう死んでいる。」

例え息があったにしろ、どうせお前に教えはしないだろう。

神官は掴れた腕を苛立たしげに捥ぎ取った。

「メダルは?誰が神官長のメダルを持っているはずだ。」

ふと思い出したように、云った。

盗賊らの体を改めて探ってみたところで、メダルは出てこない。

神官自身も枕の中身を全て掴み出したが、藁が散らばるばかり。

老いた男が地団駄を踏む姿を目の当たりにして、兵士はこの話に乗った自分の浅はかさを今更ながら悔いた。

息は上がり、夜の闇のなか見返してきた目は、怒りと狂気を含んでいた。

そして再び子供の体に己の鬱憤をぶつけ様とした。


その時、強い風がざっと吹き抜け、周りの木々を大きく揺らす。

揺らされた木から、バラバラと枝葉に溜まっていた雨粒が辺りへ落ちた。

すると今度は神官が怯えたように背後を振り返り、誰も居ないことを何度も確かめている。

「亡霊でも出たのか?」

「なにか、触れた。」

「木から落ちた雨粒だろう。」

「違う!」

強い口調で否定した。

「お前にも良心があったとは驚きだ。」

神官はその言葉を打ち消すように、足を振り上げる。

「やめておけ。」

「うるさい!」

「女神の護衛に見られてもいいのか?」

口調の変化に気づいたのか、視線の先を見ようとした。

すると、月明かりが近づいて来る紅色を浮かび上がらせた。

治まらぬ怒りに舌打ちをして、神官は子供の側を離れた。


「この役立たず共!」

熱り立つその相手には目も繰れず、顔に傷のある男は動かない友人の息子に近づき体に触れた。

そして連れて来た二人の兵士に、彼を運ぶよう命じた。

「そんなものは放って置け!今頃のこのこと・・」

「あなたは、なぜここに?しかも王の兵までご一緒とは。」

男はやっと二人に注意を向けた。

「あの火が見えんのか、愚か者!女神に何かあったに決まっているではないか!」

「火が出たのは神官長の家。女神が其処にいると、あなたには教えていない。」

年老いた神官の顔から、血の気が引く。

「それは・・・」


「王が何かの折に口を滑らせたようだ。」

兵士の助け舟に、神官も頷く。

「内密の意味を軽くみられたようだな。」

「何をいうか!この失態の責任は、全てお前と神官長にあるのだぞ。王にご報告申し上げて、お前たちなぞ皆・・」

「それで、王の兵であるあなたが、なぜ山へ?」

神官の言葉など、まるで聞こえないように訊ねた。

「町へ来ていたこの方から、山の方で煙が立つのが見えたと聞き、様子を確かめようと。」

「あの者たちは?」

死んでいる男たちを、ちらりと見た。

「あの少年が襲われているところへ出くわしたまで。もう少し早く来ていれば助けられたかもしれないが。」

「世話をかけた様だ。礼はまた後日に。」

「礼など不要だ。手が必要であれば、喜んで貸そう。」

「気持ちだけで十分だ。」


「なにを戯けたことを!盗賊に侵入されたお前たちなど信用できるものか。

女神の行方も分からぬというのに、なぜお探し申し上げない?

もしやあの子供が賊に女神を売ったかもしれないのだぞ。所詮、どこの馬の骨とも知れぬ捨て子なのだからな。」


「あなたに信用されずとも結構。我らは女神にお仕えしている身、あなたにではない。

それに、彼は何処の馬の骨でなく、神官長の息子だ。それをお忘れなきように。」

「死んだ友人が面倒を看た子だからと、手心を加えてやろうというのか。

事実、侵入者があったならば、手引きした者がいるはずだ。王にはわたしからきちんと報告しておくぞ。」


「お好きになさればいい。王が何を申されようが、従う義務はない。我らの任を解けるのは、女神ただお一人だ。」

「その女神の生死も分からないではないか!」

「云っていなかったな、女神ならばご無事だ。神官長の息子が機転を利かせてくれたお陰でな。」

「どこだ?案内しろ、いますぐに。」

古参の神官が脅すように迫った。

「わたしはこれから、神官一家の死を女神にお告げしなければならない。その場にあなたは不要だ。

女神にはあなた意思を、お伝えしておく。」

それでも神官は諦めようとしなかった。

「神官長亡き後は、わたしが女神のお世話をする。早く案内するのだ!」


顔に傷のある兵士は少し黙り、じっと神官を見つめた。

「その血はどうされた?怪我はされていないようだが。その血で穢れたまま、女神にお会いになるおお積もりか。」

はっとしたように、神官は己の足元へ目をやった。

見れば白いはずの腰布が、膝まで血と泥に染まっている。

「これは子供を助けようと近づいた時に付いたものだ。疚しいことは何もない。

着替えているより一刻も早く、女神のご無事をこの目で確かめなければ安心できん。

神官のわたしがお側に居れば、女神もきっと安心なさるはずだ。」


「そこまで申されるならば、お連れ致しましょう。

ただ、これより先は王の護衛の方々にはご遠慮願いたい。それでよろしいか?」

「勿論、我らはこれで引き上げよう。」

「まだ盗賊が居たらどうする?この際、王の兵にも協力してもらえば良かろう。」

「残党がいるなら好都合。我らが捕らえ、誰の命か吐いて貰おう。」

「盗賊が話すものか。そもそも誰に雇われているかも知らぬだろう。金で買われた使い捨てでしかない。」

「金で買われたからこそ、口は軽いもの。すでに何処ぞで捕らえているかもしれぬ。

さて、信用できぬ我らと共にお出でになるか、彼らと共に山を降りられるか。」

相手の答えを聞く前から分かっているように、彼は尋ねた。


「女神の許可があるまで、其処で待つように。」

兵士はそう云い置いて、謁見の間に消えた。

扉の奥から聞こえてくるのは、男のくぐもった声ばかり。

泣き声が聞こえたら、無理にでも入って行くつもりでいた。

わたしがお慰めして差し上げれば、きっと。

その思考を途切らせるように扉が開いた。

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