目覚め
これまでと同じ朝。
いつも通り混み合った地下鉄を降り、他人に無関心な人達の中を縫うように進む。
会社の扉を入ると、見知った顔がサラに手を振ってきた。
彼女もそれに応えて手を振った。
押されるようにエレベーターをに乗り、吐き出されるように降りる。
そして、慣れ親しんだ自分の席に今日も辿り着いた。
何事もなく午前の仕事が片付き、息抜きも兼ねて公園でのランチへと出ることにした。
空いている木陰のベンチに座り、甘い花の香りや駆け抜けていく子供のはしゃぐ声を楽しんだ。
季節は春から初夏へと移りはじめ、いつも間にか木漏れ日の影も濃くなっていた。
何処からとも無くピアノの旋律が流れて来た。
その旋律は力強く喜びに満ち、全てを包みこむように優しい。
これまで1度も耳にしたことのない曲だった。
なのにどこか懐かしく、その場を去りがたい気持ちにさせた。
その安らぎを破るように、ホリーの言葉が蘇ってきた。
”これ以上あなたに関わるのはたくさん、二度と家に来ないで”
考えまいと押し退けようとしても、彼女の声は大きくはっきりと聞こえてくる。
何度も何度も、それこそサラを責めるように。
ホリーが腕に傷を負って以来、彼女の立場は悪くなるばかりだった。
サラを避けるようになったのはもちろん、アパートの住人と話していても彼女が通りかかるとこれ見よがしに口を噤むか、
あるいはまるで逃げるようにその場を去った。
ホリーが彼女に対してこうした態度を取ることで、他の住民もあえて彼女を避けているのが分かる。
さらに近所で野良猫が何匹か死んで見つかると、サラの仕業だという噂が発った。
否定すれば疑いの眼は向けられる。
それが分かっていたので、彼女は何も言わずにいた。
すると今度はサラの下の部屋に住む老婦人が亡くなって発見された。
気難しい人で上階に住むサラは目の仇にされていた。
以前はホリーが取り成してくれていた。
このアパートの住民全部が日に一度は文句を言われていると。
でもその彼女が死んで、部屋のドアに赤いペンキで人殺しと書かれたのはサラの部屋だけだ。
突き刺さるような敵意、それが今の現状だった。
彼らと顔を合わせないように、隠れるように暮らした。
早朝に部屋を出て、深夜に帰る生活。
身も心もボロボロになっていた。
いっそ死んでしまえば楽なのにとさえ、考える。
どうして自分は生きているのだろう、何のために。
その時だ、何かが現実に彼女を引き戻した。
始めはコップが割れたような乾いた音がした。
その後に続けて二回、それに悲鳴が混ざった。
何かは分からず、それでもサラの背が凍りついた。
大変なことが起きている。
思わず立ち上がった彼女の目に、銃を持った2人の男の姿が映る。
男達は慌てる様子も無く、ゆっくりと歩きながら手当たり次第に人を撃っていた。
逃げなければ殺される、そう確信した。
二人はサラに近づいていた。
まばらな木立とベンチがあるだけの公園に、隠れる場所などない。
そしてすぐ横に置いたバックが目に入る。
その中には、あのネックレスが入っている。
まさか、とばかな考えを打ち消した。
だが現実に銃を持った男達は、次々と人を殺している。
逃げなくてはと何度も思った。
逃げたかったが身体は動かない。
子供を抱きしめるように、バックを胸に押し付けた。
銃声は殆ど止む間もなく続く。
あちらこちらから、逃げ惑う悲鳴と足音が聞こえた。
彼女の方へ逃げてきた男性が、ばたりと倒れた。
見る見るうちに地面に血溜まりが広がる。
そして到頭、銃口がサラに向けられた。