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女神  作者: 都の辰巳
2/9

旅のはじまり

町を歩きながら、他愛も無い夢想をサラは弄んでいた。

もちろん、この思い付きを実行しないと彼女自身が一番承知していた。

出来やしないということを。


新しいことを始めるのが彼女は苦手だ。

人付き合いも良いとは云い難い。

決して多くは無い友人たちは皆、彼女が選んだのでなく、彼らがサラを選んだのだ。

管理人のホリーも同じ。

あのアパートに越してきた日から、彼女を小さな妹のように何かと世話を焼いてくれる。

その友人達への土産を持って、明後日には元の生活に戻るのが最良の道だと彼女にも分かっている。


住めばいろいろ粗が見える。

きっと何処かと比べて文句を言うだろう。

せっかく好きになった場所ならば、またいつか来ればいい。

そしてぽっかりと空いた小さな広場へ、彼女は入った。


中央には水のみ場を兼ねたこじんまりした噴水。

その周りを囲うように酒場やレストラン、観光客目当ての土産屋が並ぶ。

まるで、それらに押しのけられたかのように、広場の端に古めかしい教会が建っていた。

改修工事をしているらしい。

余ほど歴史のある教会と見えて外壁は剥がれ落ち、改修の足場がなければ今にも崩れてしまいそうだ。


目を射抜くような日差しが視界を遮るなか、材木で支えられた外廊の陰に老翁が独り地面に座している。

1度強い風が吹けば崩れてしまいそうな建物の下で何をしているのか、興味が湧いた。

少し近づくと、老人が広げた布の上で何かが光った。

地元の人間が民芸品を売っているらしい。

照りつける太陽を嫌ってか、人出は疎らで彼の前で足を止める客もいない。

土壁の下敷きになる危険を犯してまで、土産を買おうとは誰も思わないだろう。

彼女とてそれに逆らう気はない。


にもかかわらず、彼女の足は意思とは反対に其方へと引き寄せられて行く。

土壁の下敷きになる恐怖よりも、光ったものが何かを見たい気持ちが勝った。


俯いた彼の肌は、長くこの地に生きた証のように厚い皮となり、節くれだった指は枯れ枝を思わせた。

乾ききった地面の上に広げられた布の上には、遺跡からの出土品を元にした皿や装飾品が幾つも置かれていた。

それは観光客が何度となく目にする類の品々と大差ない。

通り過ぎようと決めた彼女の視界に、それが入った。

金のメダルに埋め込まれた、大きな朱い石。

それは血を固めたように鮮やかな色をしていた。


覚束無い片言の現地の言葉で、彼女はその首飾りを見せてほしいと頼んだ。

それを受け取るとき、老翁の目が見えていないのを知った。

それにしては迷いがなかった。

手の中のそれは、昼の陽に照らされていただろうに、思いのほか冷やりとして肌になじんだ。

「これはいくらですか?」

法外な値を云われるかと身構えた彼女に、老翁は意外な事を云った。

「それは貴方のもの。」


低く掠れた声は木のざわめきのようで、酷く聞き辛い。

聞きなれない言葉ではあったが、音の響きに懐かしさを感じた。

それに彼女が覚えたのは、片言の会話が出来る程度の言葉に過ぎない。

聞き違えたのだと思った。「もう一度、云っていただけますか?」

「それは貴方のもの。」

抑揚のない声が繰り返す。

サラの背をぞくりとしたものが走った。


彼は続ける。

「どれだけこの日を待ったことか。主の命に逆らえず、そのメダルを手にしたばかりに。わたしはこの地に囚われ、死さえもこの身を避けて行った。王は貴方が国を捨てると気づいた。王はわたしにこう云いました。メダルを奪えば、貴方は国に留まると。わたしはその言葉を信じた。例えこの想いが叶わずとも、貴方を失いたくなかった。せめて貴方のお側にいたかったのです。

「どうかどうか、聞いて欲しい。わたしは友を殺し、貴方を裏切った。どれほど悔いたか、貴方でもお分かりにはなるまい。その代償がこれならば、生きながらえた詮もある。こうして、貴方にわたしの言葉が届くのだから。」

彼の白く澱んだ瞳が、真直ぐ彼女を見返してくる。

サラは視線を外したいのに、出来なかった。


まるで身体が石になってしまったように、動くことも立つことも出来ない。

「王を甘く見てはいけません。あの方はどんな手を使っても、貴方を取り戻したいのです。遙か昔、わたしにさせたように。

「それから友に、わたしが消える寸前まで詫びていたと・・・」


「おい!おい!そこの人!あんた!」

怒気を含んだ男の声で、彼女は呪縛から我に返った。

「看板の字が読めなくても、あの柵の意味はわかるだろう!入るなってことなんだよ!」

早口に捲くし立てられ、振り返ると間もなく腕を掴まれ、強引に建物の下から曳き釣り出された。

「ごめんなさい、気がつかなくて。」

帽子の下の顔を見て、男のトーンがいくらか下がった。

「観光客か。あそこは危険なんだ、見れば分かるだろう。昨日も壁が崩れて、大事故になるところだったんだ。」

彼の強いなまりの英語は、彼女の言葉よりも上手かった。

「でも、あそこに人が・・・」

「ばか云わないでくれ、あそこは立ち入り禁止だ。誰もいやしない。」

「でも、いたんです。土産物を売っているおじいさんが。」


だってこれをと云いかけた彼女の言葉を、相手は煩わしという仕草で遮った。

「よく見てくれ、誰かいるか?」

男が言う通り、そこには誰も居なかった。

唯一目に入ったのは、ささくれ、今にも裂けてしまいそうな黒い布があるだけ。

「この暑さで幻でも見たんじゃないのか。俺たちだってこの数日の暑さには、うんざりしてるんだからな。」

二度と此処へは近づくなと釘をさして、男は去った。


男が去ってなおしばらく、彼女はその場に立ち尽くしていた。

あれが幻などであるはずがない。

そうでなければ、手の中に残るずしりと重いメダルの説明がつかないではないか。


「貴女によ、旅のお裾分け。」

そう云って布に包んだものを差し出した。

ホリーは待ち切れないというように、布を開く。

「なんて綺麗なの。」

ネックレスを取り出しながら、彼女は言った。

「貴女が好きそうだと思って。それにね、ちょっと不思議なことがあったのよ。」

「どんな?」

好奇心に潤んだ瞳がサラに向けられる。彼女はなんにでも興味を持った。

アパートの中のどんな些細なゴシップも、彼女の耳に必ず届いていた。

「修理中の教会があって、」老人が品物を広げている様子を話した。

「私がそれを手に取ると、お前のものだと彼が云ったの。」

「良くある手よ、観光客にそうやって吹っかけるだから。それで、これに幾ら払ったの?」

「それがね、払ってないの。そのおじいさんが消えちゃったんだもの。」


出されたコーヒーのカップを、サラは口に運んだ。

一週間たった今も、あの日のことはまだ昨日のことのように覚えている。

その証拠に、ぞくりとしたものが身体を駆け抜けた。

「人間は消えたりしないでしょ。」

「でも、いなくなったのよ。教会で工事をしていた人に呼び止められて、ちょっと目を離して振り返ったら、もういなかったの。」

「それはね、逃げたのよ。盗品か何か、怪しげな物を売っていたんでしょう。あなたを呼び止めた人を警察とでも思ったんじゃない。だから、走ってにげたの。これも盗品かもね。」

「なんだかよく分からならいのだけれど、良く聞き取れなくて。

「それを盗んで罪を償っているとかなんとか。でも、確かじゃないのよ。」

「へえー、曰く付きなのね。つい、手を出したくなった気持ちも分かるわ。だって、こんなに綺麗だもの。」

そう云って、ホリーはネックレスを胸に当ててみる。

「気にならないの?曰くつきの土産なのに。」

「全然!私はそういう事まったく信じないし。誰も欲しがらない物より、誰もが羨む物の方が気分もいいわ。

「でも、いいの?私が貰っても。これを買ったってことは、あなただって少しは気に入ってたんでしょ。」


サラは温かいはずのカップを手の中で弄んだ。

「そういう物を私が着けないのを、貴女も知っているでしょ。肌に触れる感触が好きになれないの。」

「かわいそうな人。もしかしたら、これ、物凄く価値のある物かもよ。この石も、本物のルビーかも。」

「気に入って貰えたら嬉しいわ。余り大きな声では云えない土産だけど。」

「それでは遠慮なくいただきます。」


それから3日と経たないある日の夜。

誰かが部屋のドアを激しく叩いていた。

覗き窓から確認すると、ホリーだった。

サラがドアを開けるなり、彼女は投げるようにネックレスをよこした。

「どうしたの?」

現われた友人の表情はこれまで見たことが無いほど、強張っていた。

「それ、盗まれた物だって云っていたわよね。前の持ち主に何かあったんじゃないの。」

「何かって?」ホリーの剣幕に些か驚きながら聞いてみた。

「殺されたとか。宝石って女の想いが篭るって聞いたもの。きっと呪われているのよ、それ。」

「とにかく中へ入って。」


彼女は落ち着くどころか、さらに興奮したように叫んだ。

「もうごめんよ!私は二度も死にかけたの、二度もよ。一度だけなら偶然で済ませた。でも二度もあったら偶然じゃない。

「故意よ。それも、そのネックレスを着けた途端よ。そのネックレスは絶対に変よ。」

「何があったっていうの?」

「何があったか、ですって!私はもう少しで死ぬところだったの!今すぐそれを返さなかったら、私は朝までに殺されてるわ。」

ホリーの声は甲高く、静まり返った廊下で大きく響いた。

「殺されるって、このネックレスに?本気で云ってるの?」

すると彼女は黙って左腕の袖を捲くって見せた。肘から下を、厚い包帯が覆っていた。

「50針縫ったのよ。どうしてこうなったと思う?車が跳ねた石で、窓ガラスが割れたの。いつも座る場所が、今日に限って本を読むには暗く感じたから。たまたま腕を上げなければ、ガラスは私の頭と首に刺さってた。

「これだけじゃないわ。雷が落ちた日があったでしょ、この冬の最中に。あの日、私は夕食を作りながらテレビをつけようとしたの。スイッチを入れようとしたところまでは覚えてる。でも、その後の記憶がないの。どうしてだと思う?私は買ったばかりのテレビで感電して、キッチンの床に倒れていたからよ。鍋つかみをしたままの右手を使ったから、このときは死なずに済んだけど、鍋つかみは黒焦げになってた。素手なら、私の右手がそうなっていたの。」

「だからって、このネックレスの所為とは限らないで・・・」


サラは相手を安心させようと近づいた。

ところがホリーは腕を盾のように上げ、後ずさった。

「側に来ないで。私に近づかないでちょうだい。あなたがそんな物を持ってくるからよ。あんな話、作りばなしかと思ったのに。

「そんな物を私にくれるなんて、頭がどうかしてるわ。これ以上あなたに関わるのは沢山。二度と家には来ないで。電話もごめんだから。」

背を向けて歩き出した彼女は、サラが追って来ないと確かめるように何度も後ろを振り返っていた。



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