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連合国とセルデヌン王国を分け隔てるリューレル山脈は非情に険しい稜線を描いており、
中でも竜帝山と呼ばれる山の頂は天をつくほどに高く、到達したものはいないと言われている。
。大翼を持つヒツバメ種に、魔力を込めた補助器具を取り付け、人や物資の空輸を可能とした飛鳥の限界高度をも
リューレル山脈の多くの地点は超えており、また谷間も狭く入り組んでいるため人や物資の空輸は難しい。
中腹には坑道が点在しているが、大規模な軍隊が通り抜けられる程ではなかった。
この山脈は国力の劣る王国にとって、建国以来、王国とそれより東側を隔てる天然の防壁として機能してきた
そんな山脈の中で、ひときわ威容を放つ竜帝山の一角、岩肌が大きくえぐれる場所があった。
それをなした張本人を前に、さして臆した様子もなく軽く服をはたいて、若い男が言った。
「問答無用…は仕方ないとして、下手すりゃ巻き込んでたろ」
とすぐ側の少女を見やる。とっさに抱き寄せて直近の攻撃から共に守ったのだ。
そうして示された少女は、若者にならって、しかし上品な手つきで砂埃をはらい、
「お父様。この方は私を救い出して、ここまで連れて来てくださったの」
そんな二者の言葉を聞いて冷静を取り戻したのは、
「ああ…すまない。しかしリヴィならこの程度平気だっただろう?」
いささかきまり悪そうに、そんな言い訳めいた事を口にする、竜。
この竜帝山の主であった。
話をするには少しばかり遠すぎる距離を詰めるために、少女の先導で竜に近づいてゆく。
近づくに連れ、巨大な体躯を誇る竜を見上げるようになって、若い男は内心で感嘆した。
目前の存在が生物として圧倒的上位者である事を、誰に言われるでもなく理解する。
ひと薙ぎで何をも切り裂くであろう鋭い爪、それを支えるがっしりとした四肢。
先ほどまでは威嚇するように大きく広げられていた両の翼でひと度舞い上がれば、地を這う何者も為す術はないだろう。
今は綺麗に畳まれている。全身を覆う鱗は燃えるように紅く、まばゆいばかりだが、今はどこか元気がないように見える。
太くずしりと垂れる尾もしょげているかのような雰囲気。
それというのも、
「危うく恩人を害してしまうところでしたのよ。きちんと謝罪してくださいませ」
自身より遥かに小さな少女に叱責される竜は、青年に向き直って、
「本当にすまなかった。それにリリシヴェルを取り戻してきてくれたこと、深く感謝する」
確かな謝意が込められた声に、青年もまた丁寧に応じる。
「俺としても、竜とこうして間近でまみえることが出来るなんて、天の巡り合わせに感謝するばかりですよ。
それにリリシヴェル嬢とは道中興味深いお話もさせて頂きましたし、礼には及びません」
「ほう?」
竜が詳しく聞きたそうにした所に、リリシヴェルが割って入る。
「お父様。お話も良いのですが、ここに吹き付ける風は人の身には冷たすぎますわ。場所を移しましょう」
「む…そうか。わかった」
青年を気遣った言葉に理解を示し、竜が魔力を練り始める。
尋常ではない魔法の気配にやや体を固くした青年にリリシヴェルはそっと近づいて、安心させるように手を絡めた。
ふと瞬いた直後、青年は様変わりした周囲に目をみはった。
それまで吹き抜ける風がごうと耳元を鳴らしていたのが一転、そこは静謐な空間であった。
四方は岩壁に覆われ、しかし寒々しさや閉所感を一切与えない何かがある。
その何かの正体を求めて目を向ければ、この広間の中心、煌々と輝く水晶があった。
人の背丈の数倍ほどもある六角栓で、外側は透き通る紫、内に近づくほど赤が深まる。
水晶から目を逸らせぬ青年に、
「この姿をとるのも久しい。人と話すのであればこのほうがよかろう」
と、そばに立つ老年の男性が声をかける。顔立ちこそやや老いているが体つきはしっかりしたもので、
またその赤い髪、先と変わらぬ存在感が、竜と同一の存在である事を明前と示していた。
「お父様っ」
同じ色合いの赤髪を揺らして、リリシヴェルが男性に駆け寄りその胸に抱きつく。
「む」
と、惑うような反応に、リリシヴェルは笑顔を見せて、
「人間流のスキンシップですわ。わたしくしもこの3年の間、ただ捕まっているばかりでなく色々学んできましたのよ」
気丈に振舞っている、そんな風にもとれる言葉。男性は目を細めてリリシヴェルを抱きしめた。
それから改まって、
「さて…それでは話を聞かせて頂こうか」
いつの日かの追憶に、エルダーは息衝いた。
竜帝山が主、そして娘想いの父親、それが竜帝ゼクシネスであった。
戦友として共に駆け続けた宝剣も、彼より授かったものだ。
かの竜は気難しいところもあったが、エルダーが最後に会った時も未だ大禍を封印し続けることを天命とし全うし続けていた。
しかし、今の彼は。
メーティアに見せられた映像を想起する。
戦いを求めるばかりの狂人と対峙していた竜。
あれはゼクネシスに違いなかった。
『闇』に飲まれた彼を止めなければ、救い出さなければならない。
エルダーはそう決意するのだった。