1
一人の男と異形が対峙していた。
そこは四方を岩壁が囲む円錐状の広大な空間であった。
岩壁の表面は綺麗に均されていて、その空間が人工物である事がうかがえる。
男が現出させている光球だけが唯一の光源だ。
上を見上げれば果ては見えず、円錐の頂点は深い影に沈み様子がわからない。
開けておらず行き止まりなのか、外は夜で光が差し込まないのか、あるいは。
無論、お互いを目にした瞬間から決してその双眸を逸らさず対峙する二者が、
そんな事を気にしているはずもなかったが。
男はずたぼろの衣を身に纏い、鈍色の長剣を左手で構えている。
もう片方、だらりと力の抜けたままにしている右腕からは血が止めどなく流れている。
それが全身を染める乾き切らない返り血を上書きしていくが、男は頓着している様子はない。
この場所に辿り着くまでに、一体どれほどの敵を斬ってきたのか。
まるで瞳まで血を浴び続けてきたかのように深く紅い眼で、対する異形から視線を動かさない。
異形。四つに分かれた指先に爪を持つ、太く頑強な四肢と長い尾を地面につけ、睥睨するかのように男を見下ろしている。
体長は人間の十倍ほどはあろうか。背にたたまれている翼を広げれば更に何倍にもなるだろう。
その特徴だけをみれば、翼を持つ蜥蜴、いわゆる竜。しかし目前の異形はそんな易しい存在では無かった。
その異形は全てが『闇』でかたどられていた。
『闇』の体表はちろちろと揺れ動き、ろうそくの火を思わせる。
暖色の炎などとは似つかぬ、吸い込まれそうな漆黒の揺らめき。
本来の竜の、堅牢な守りたる鱗も不安定で掴みどころがない。
しかして、その存在は決して幻などではあり得ない威圧感を放っていた。
そうして相対する両者の緊張が高まりきった時。
「強者との戦いを望むか?」
異形が語りかけた。漠然とした『闇』のイメージを与える声だ。
男の返事を待たずに言葉が続けられる。
「我との戦いはこのままでは敵わぬよ。気づいているだろう?我はここに存在していない」
くくっ、と可笑しそうに、あるいは挑発するかのように笑って、
「どこまでも戦いを求める業の者よ…強者との戦いを望むか?」
男は答えなかった。しかしその意思は瞭然であった。
「なれば魔王たれ。悲しみが、絶望が、憎しみが強者を生む。その先にまた、我と相見えることもあろうよ」
そう言ってまた笑うのだった。
欲しかったものが手に入ったかのように、面白いおもちゃを見つけたかのように、
長年の宿敵を倒したかのように、愛する人との逢瀬が叶ったかのように。
『闇』の竜はそんなとらえどころの無い愉悦を滲ませた声で、また笑むのだった。