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何かを口に入れ、薬を飲んでから、また青年は眠りに落ちた。
今度みた夢は、幸せな夢ではなかった。
母が死んだ時の夢だった。
父と母は正式な結婚をしていなかったため、次男と三男は、最初は父の子どもとしては認められていなかった。
それを父の正式な子どもとして認めさせるのには時間がかかった。
母は服飾の仕事をしながら、二人の子どもを育てていた。
次男と三男の二人が正式な子どもとして認められて間もなく、母は原因不明の病で亡くなった。
周囲の人々は、母は毒殺されたのだと噂した。
父の元妻たち、長男と四男の母親に毒を盛られたのだと、そう言われていた。
あまりに突然の母の死に、次男は泣きじゃくる三男をなだめるのに精一杯だった。
死の原因も十分に調査されず、母は埋葬された。
母の葬儀で次男は涙一つ流すことが出来なかった。
棺に納められた母との最期の別れを、黙って見送ることしか出来なかった。
父の家に引き取られた後も、同じ兄弟である長男や四男と馴染むとことは出来なかった。
あんなに仲の良かった三男ともいつからか心の隔たりが出来、疎遠になって行った。
「に……さま、兄さま。兄さま!」
不意に声をかけられ、青年は夢から現実に引き戻された。
青年は目の前の従兄弟の少女の心配そうな顔を見上げる。
「大丈夫ですか、アレクセイ兄さま? ずいぶんとうなされていた様子ですが」
青年は荒い呼吸を整え、何とか取り繕うとする。
「あぁ、オリガか。すまないな」
全身に汗をかき、心臓の早い鼓動が収まらない。体が微かに震えている。
青年は掛布団を手繰り寄せる。
気持ちを何とか落ち着けようとする。
母の死は、あれから十年以上経った今でも時々思い出す。
彼自身、未だにどう気持ちの整理を付ければいいのか、わからない事柄だった。
それっきり黙り込んでしまった青年に、従兄弟の少女は敏感に気配を感じ取ったようだった。
「兄さま、手を握ってもよろしいですか?」
目が見えないせいか、少女は人の心の機微に敏感だった。
「良ければ、兄さまが寝付くまで、わたしはここにいます。構いませんか?」
少女は柔らかに微笑んで、首を傾げる。
「あぁ」
青年は少女の提案に大人しく従う。布団の間から左手を差し出す。
少女は薬指に指輪のはまった青年の左手を、両手でそっと包み込んだ。
「兄さま、あまり無理をされてはいけませんよ? 兄さまが倒れては、みんなが心配します」
「無理と言うほどのことをした覚えはないんだが。ただ風邪を引いただけだよ」
「それでもです! 風邪でも油断は大敵です。もし風邪が悪化して、肺炎になったらどうするのですか? それこそ一大事です」
「はいはい」
少女は頬を膨らませて、両手で青年の手を握りしめている。
青年はそんな少女を可愛いと思いながら、適当にあしらう。
「オリガがおれのことを心配してくれるなんて、うれしいなあ」
青年はいつもの調子で茶化す。
「もう、兄さまったら、真面目に聞いて下さい!」
少女はそう言いつつも、青年のそばを離れない。
手を握られると不思議と気持ちが落ち着いてくる。
青年はベッドに横たわったまま、従兄弟の少女を見つめる。
その左手に輝いている婚約指輪に目を留める。
その指輪は、かつて青年が買ったものだ。
少女と婚約発表をする以前に、青年が自分のものと同じデザインの指輪を特注して、少女にプレゼントしたのだった。
以来、少女はずっと指輪を身に付けている。
青年の婚約者として、彼のそばで支えている。
「兄さま、喉は乾いていませんか? 何か頼んで持って来てもらいましょうか?」
「いや、いい」
青年は長い息を吐き出す。
「君がそばにいてくれるだけで、十分だ」
青年は深緑の目を細め、少女に微笑んだ。
少女もはにかむように柔らかく微笑む。
「少し眠ったらいかがですか? わたしはここにいますから」
穏やかな声、少女の微笑みに、昔の母の面影が重なる。
遠い昔の懐かしさが込み上げてくる。
「そうだね、オリガ」
穏やかな気持ちで青年は目を閉じる。
そして再び眠りに落ちた。
今度は夢は見なかった。