五ノ一.誘拐
*五章に突入します。
入浴していた私は、湯を使う音に遮られ一連の騒ぎは全く耳に入らなかった。
セイは部屋でくつろいでいたが、薄い木の扉一枚を隔てた隣室で何が起きたのかまるで気づかなかったという。
「里緒は絶対廊下に出なかった。ずっと扉の前に居た僕が保証する。だからテラスから出たと考えるしかない―――」
里緒自身が呪いを解くことを望み旅に出たのだから、自らの意志で脱出したとは考えられない。
何者かによって浚われたと考えるのが妥当だが、二階にいる者を音もなく抵抗の痕跡も残さずに連れ去ったのだ。相手は相当な手練れということになる。
「魔力探知は?」
「とっくにやってる! でも、まるで反応がないんだ! 里緒のオーラが、見つからないわけが、ないのに……」
うなだれるセイ。いっそう顔を険しくした兄が「どういうことだ」と尋ねる。
「可能性はみっつ。別の世界に移動したか、魔力で気を封じられたか―――最悪のパターンか、だよ」
「いや、相手もリスクを負っての誘拐だ。今はまだ最悪のパターンはないだろう」
「ええ。状況的に魔力持ちに連れ去られた可能性が高い。気を封じられていると考えるのが妥当かと。異世界への行き来が可能な者は世界にごく僅かですし。しかし、時間が経過すれば最悪のケースも……」
相手の意図が分からない以上、考えたくない事態を防ぐために一刻を争う。
「俺はアルディアへ戻りヴァーラに援助を請う。セイは急ぎウトゥヌ神殿に向かえ。ファレスはここに残り情報収集を」
厳と言い放つ兄の的確な判断に一も二も無く頷く。
「分かりました。二人とも気をつけて」
それを合図に兄と弟は最小限の荷を手に宿を飛び出した。
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絶え間ない揺れ。ぎぎぎという鈍い音。
暗くて何も見えない―――と思ったのは誤りで、目を布で覆われている。
動かない手足がビリビリと痺れていて感覚がない。何かで縛られているらしい。
それらが意味すること、それは―――。
嫌な予感しかせず、暴れ始める心臓。
深呼吸をしてパニックを逃がす。
(だめだ、落ち着こう。状況を把握しなきゃ)
目隠しの下で目を閉じ、深い呼吸を数度繰り返し、精一杯に平常心を取り戻す。
繰り返される大きな揺れは、タイヤのある乗り物や動物の上下運動とは違い、四方八方に傾く。
この感覚に最もしっくりくるのは船だろうか。乗った経験がないのであくまで想像でしかないが、港町で誘拐されたのだから可能性は高い。
海の上では王子様が白馬に乗って助けにきてくれる定番は期待出来ない。自力で逃げるのも難しいだろう。
二次元での誘拐シーンを思い出してみる。
(何か尖った物を利用して手首の拘束を解いたりしてた……)
それで自由になったとして、その後はどうしたら―――?
逃げ出した事が犯人に見つかったら酷い目に遭わないだろうか?
けれど、このまま流れに身を任せても待っている未来はろくでもないものだろう。
隙を見て、陸地が見えたら海に飛び込んで逃げよう。
―――よし。
イメージトレーニングをしてから、膝を曲げ地面との摩擦を利用して尺取り虫のように足を動かしてみる。
ほんの数センチしか移動していない気がするが、ただひたすら繰り返すしかない。
やがて床との摩擦で皮膚の表面と筋肉とが悲鳴を上げだした頃、何かが背中に当たった。
指先で触れると四角い木材のような物だと分かった。
(これならいけるかも……)
その硬い角に手首の戒めを強く当て、根気よく上下に擦り合わせ続ける。無理な体勢に、今度は腕の筋がひきつり出す。
(お願い、切れて―――!)
執筆ペースが落ちており申し訳ありません。




