本日、私と付喪神日和!
玉虫色の長着に、金茶の細帯、そしてたっぷりと翻った長羽織はつややかな黒。
目の前に唐突にあらわれた、百年とは言えない(らしい)若々しい付喪神は、上機嫌に伸びをした。
「やーれやれ。やあっと化けて出られたか! あやうく人間の姿を忘れるところだぞ!」
そして、唖然とへたりこむ私に気がつくと、満面の笑みで、ヨロシクネと手を差し出した。
「お前が今の持ち主だな! 私の名はキサラギだ。では、末永くよろしく頼む!」
「た、たのむって……」
いったい何をと、わけの分からないまま、握られた手を勢いよく上下させられてしまったのが、私たちの出会いなのだった。
この頃の私は毎晩のように悪夢を見ていた。
高校の、軽音部の先輩が登場し、だるそうに壁にもたれかかったままこう言うのだ。
『悪いけど、俺、ハーフっぽい子が好きなんだよね』
『そ、そうっすか……』
よろっと膝から力が抜けたところで、
「じゃ、そういうことだから」
先輩は全身で勝ち誇りつつ、しかし憐れむような表情でフッ、と私を一瞥すると、すたすたと、あっけなく階段を下りていく。
私はといえば、その去りゆく背中を見つめながら、ふるふる震える拳をにぎりしめて、
「ちょっ、ちょっと待てやあ――!」
がばり、と跳ね起きたところで、ちゅんちゅん小鳥がさえずる朝なのだった。
「……」
私はベッドの中で、溜息交じりに髪を掻き廻した。要するに、二週間前の失恋を未だにひきずって、夢に見てまで腹を立てているというわけなのだ。しっかし我ながら、何度思いだしても、胸クソ悪い失恋をしてしまった。
「そりゃ、あんたが面食いだから悪いのよ」
とは、友達の言。
「顔が良くってギターが弾ける、それでバンドのヴォーカルって、三拍子揃ってるけど、それであっさり一目惚れするあんたが悪いの」
たしかに、顔だった……。新入生の入学歓迎会の演奏で一目惚れし、出会いから半年で撃沈したってわけだが、しかし、あのふり方はないんじゃないの……。
外見に目が眩んで、頭パー状態だった私もお軽い女だったかもしんないが、それにしても、あの男! なんだこの女、思い上がってんじゃねーよ的な! 人を完全に見下しきったあの顔は!
「っとに~……ふっざけんじゃないわよっ!」
再び湧き上がった怒りをこめ、べしっと衝動的にクッションをぶん投げて――しかし私は、慌ててベッドを降りた。思いがけないものに命中してしまったのだ。
転がった小さな鏡台を拾い上げ、私はほっと息をついた。先日祖母が譲ってくれた一品で、明治以前に作られた、先祖か誰かの嫁入り道具らしい。
鏡の背面には、あでやかな牡丹が螺鈿で描かれ、つやつやと輝いて美しい。ただ、全体の黒漆はところどころ剥げかけて、さすがに年季を感じさせるものがあった。
どこも壊れなかったかな、と改めて持ち上げてみたりしていると、それまで気づかなかった小さな継ぎ目が、指に触った。
「あ……、引き戸だ」
箱根細工のからくりのように、一見では分からない抽斗が、隠されていたのだった。
『――……』
抽斗を引いた時、ぶつりと、何かが切れた手応えがあった。見ると、抽斗の内側に貼られていた御札が、真っ二つに千切れていた。
あれっ、と驚いたと瞬間、私はなぜか、吸寄せられるように鏡面を凝視した。
そして、そこに映っていたありえない者が、私を見、ニコッと手を振った。
「――!」
鏡台が夢の様に消えはて、愕然とふり返った私の前には、悪戯っぽい唇許の、派手な和装姿の青年が、生き生きと立っていたのだ。
青年は己の事を、その鏡台の付喪神である、と熱心に説明した。
「職人の魂がよほど凝ったのか、百年の時を経ることなく、手足が生えてしまったのだ。それで、ちーっと人の世を遊び歩いていたら、目ざとい坊主にとっ掴まって、封じられてしまったというわけだ」
「な、なるほど」
私はさりげなく膝の肉をつねりながら、相槌を打っていた。トホホな事に、どうやら夢でもないらしい。
「封印が解けたという事は、お前は恐らく、初代の持ち主の血縁なのだろうな」
だがそんなことより、と付喪神は、唐突に羽織を翻した。途端、彼の長着がぎらぎらと反射して、私は慌てて声をあげた。実は彼の登場以来、ずっと目がチカチカしていたのだ。
「ちょっと、その服、キラキラし過ぎて眩しいよ! どうにかなんないの!」
「それどころじゃない、ホラ、この羽裏を見てみろ!」
しぶしぶ、手をかざしながら目を凝らしてみると、羽織の裏側は、さらに眩い。小さい白い椿と思ったのは、全て螺鈿で、それが布一面に縫い取られ、光っていたのだ。
「すごい……」
おもわず息をのんだ私は、やがて、
「――アレ? あれれ?」
拡げられた羽裏に近づき、そっと触れた。わかったか、と付喪神は不服げに腕を組んだ。
「本体の鏡台の、メンテナンスが必要なのだ。でないと、こちらの服に綻びが出てしまう。見ろ、せっかくの美しい貝が、ところどころ剥がれてしまったぞ」
「メンテナンスって……漆の修復? そりゃ構わないけど、お金かかるなあ」
鏡がひび割れたってわけじゃなし、こんぐくい、別にいいんじゃない? と私が顔を上げると、付喪神は大いに憤慨した。
「おい、自分の持ち物を美しく保つのは、主のつとめだぞ!」
「いやあ~それよりィ、どっかの寺に預けて、へんなお化けを封じてもらった方がぁ、私としては安上がりっていうかあ」
「ちょーっと待て待て待て! 私はこれで意外な特技があるのだぞ! 主人のお前が望むなら、披露するのもやぶさかではない」
ふーん? と半信半疑の私をおいて、きょろきょろと部屋を見渡していた付喪神は、おっ、と嬉しそうに、机の上のクリアファイルを手に取った。
「いい面構えだ。化け猫は肥えてこその貫録だな!」
ファイルの表面には、サファイア色の瞳が美しい、丸顔のシャム猫写真がプリントされている。
「べつに、化け猫写真じゃな……」
抗議を入れた瞬間、視界に一面に鮮やかな光が舞った。わっと瞑った瞼の下で、ふいに温かい、ふわふわした感触が膝に乗った。
「……うそ!」
「ウソじゃないぞ」
思わず抱き上げると、付喪神とおんなじ声で、猫が喋った。
「一度鏡に映した物になら、何にでも化けることが出来るのだ。望むなら牛にでも変身してやるぞ!」
「いや、いらん。牛は」
私は喜んで猫に頬ずりしつつ、よっしゃ、と心を決めた。
「じゃ、一日でいいから、私の言った通りに変身してくれる? そしたら、漆を塗り直してあげるよ。約束する」
焦茶色のしっぽを振って、猫は頷いた。
「商談成立だな」
瞬間、青年に戻った付喪神が目の前で、ニコニコしていた。ぎゃー! と私は蹴り飛ばした。
「何すんのよっ! 重いっ、つーかあんた、眩しいんだってば!」
「いてて……乱暴な女子だな。何を怒っているんだか知らんが、まあ改めて、ヨロシクな」
私は息を整えると、気を取り直して、今度は自分から手を差し出した。
「私は真田來海。あんた、名前、キサラギ……だっけ?」
「そうだ。椿の咲く頃に作られたのかもしれないな」
「素敵だね。でも、そんな目立つ羽織着てるから、お坊さんに目をつけられちゃったんじゃないの?」
「いや、私が捕まったのは、いろんな店で無銭飲食をしていたからだ」
人の世には、美味いものがいっぱいだな! とわくわくしたように瞳を輝かせる姿を見て、私はそっと首をすくめた。バイトを増やす羽目になるかもしれない。
「じゃあご飯は、ふつうの猫缶とかでいいの?」
「いや、コンビニに行くなら、あれが食べたいのだ。いちご大福!」
「ええ? 消化できんの? その姿で」
「大丈夫だ、たぶん!」
塀の上を頼りない足取りで歩きながら、化け猫は自信満々に言い切った。
今日は日曜だったので、付喪神――キサラギの希望もあり、散歩に出ることにした。本人は猫の姿が気に入ったらしく、それは構わないのだけど、
「キサラギ、カラスが上から狙ってるよ」
「むっ、それはまずいな」
「もう、ホラこっち来てよ」
危なっかしい偽猫を抱き取っていると、思いがけなく、背後から声がかかった。
「――真田? 猫の散歩してんの」
慌てて猫をひっ掴んだ私は、そこにクラスメートの姿を認めて、笑顔をつくった。
「海藤じゃん。自分こそ何してんの?」
海藤晶という、クラスの男子だ。いつもの通り、彼独特の醒めた眼差しで、こちらを見ている。
何となく並んで歩き出すと、海藤が自然と口をひらいた。
「図書館行くんだよ。妖怪の図鑑でも、借りて来ようかと思って」
意外な答えに、私は彼の顔を覗き込んだ。
「あっ、文化祭のやつ? えー、そんなのネットで探しちゃえばいいのに。実はそんなに熱心だったんだ?」
「むしろそんなに、やる気ないけどな。でも、俺と真田で二人きりの班なんだし。俺がサボっても、真田が困るだろ」
「あ、うん……」
私はちょっとどぎまぎして、猫を抱き直した。海藤は当たり前の顔でいる。
学園祭が、あと一ヶ月に迫っている。私たち一年生は、すべてのクラスがお化け屋敷を出し物にする、そういう奇妙な伝統だ。強制的にふりわけられた班組みで、私は海藤と二人で、スペースの一角を担当する。
私がキサラギに頼みたいのは、実はその事なのだった。
あのさ、と私は海藤に、切り出してみた。
「最近、凄いお化けの人形を用意できる人と知り合ったの。伝手でお金もかからないから、頼んでみたらどうかなって」
けっこうなズルだが、でも私は、海藤と今まで特に親しくもなく、しかも彼は端から見ていると、齢よりもずっと大人た態度で、友人でなければ何となく近寄りがたい雰囲気があった。
言ってしまえば、彼は私の苦手なタイプで、キサラギに頼めばこれで共同作業が減るとおもって、喜んでいたのだけど……。
しかし海藤は、あっさり賛成した。
「ラッキーじゃん。じゃ、俺達は、あとは内装だけか」
「うん。あ、でも何のお化けを頼むかは、私達で考えないと」
「じゃあ、今から一緒に来る?」
えっ? と顔を見ると、しかし海藤は目線を下ろして、
「でも猫は、何か不満あるみたいだけど」
キサラギが、むうと鳴きながら、不服そうに足をばたつかせていた。私は急いで宥めにかかった。
「よし分かった! いちごプラス、秋季限定かぼちゃ大福を後でかならず……」
「猫って、大福食うか?」
「あっ、イヤ、今のは言葉のあやよ! あーや!」
うっかり動物虐待疑惑を晴らすべく焦っていると、くっ、と海藤が目を細めた。
「変だな、真田は」
そして私の腕から、ぎゅっと猫を掴むと、自分で抱き上げてしまった。
「俺、猫の散歩って初めてなんだけど、歩かせた方がいいの?」
私は肩をすくめて、
「抱っこでいいよ。でもこの分じゃ、いずれダイエットがいるかもだけど」
瞬間、猫が口をひらいて、
「それは必要ないぞ! 変身後の体重は見た目と関係な……」
「うわあ、ちょちょ、ちょっと―!!」
猫を凝視している海藤をふんづかまえて、今のは私の腹話術だと、必死に説明する羽目になった。
窓の外から、前夜祭の喧騒が、遠くきこえてくる。
私は教室に一人残って、マネキンの腕に血を滴らせるべく、赤インクを塗っていた。
隣にはキサラギが人間の姿で、ポッキーをつまみながら、手伝いをしてくれている。
彼の着物が眩しいのは相変わらずなので、カーテンを閉めてはいたが、午後の陽光は繊維を透りぬけて、教室は静かに明るかった。
「お前はいいのか? 友達と体育館に行かなくて」
「いーの。バチが当たったのよ、もう」
ちぇっ、と私は目を伏せた。前夜祭が行われている体育館では、軽音部のライブの真っ最中だ。観に行く気にはなれなかった。
「男を顔と雰囲気で選んだ私が悪かったのよ。そりゃ、良いにこしたことはないけどさ」
キサラギが、声を立てずに笑っている。なーによ、と私は軽く睨んでやった。
「いーですよね、あんたみたいに最初っから顔が良い人は。ったく、ハーフ顔なんて、生まれた時から逆立ちしたって無理じゃないの」
しかし、キサラギはポッキーを齧る手をとめ、きょとんと私を見た。
「初めからも何も、私の顔は、適当に気に入った面立ちを映して作った物だぞ」
「それ……どういう事?」
「私の本性は、常に他者を映し続けることにある。己自身の造作はないんだ。この衣装ですら装飾に過ぎんが、これ以外に私と呼べる物はない」
私は目をそらす事もできず、しばらく黙っていた。それから、絵筆を口にくわえた彼の腕に、そっと手をかけた。
「これが終わったら、ちゃんと直すからね。絶対よ」
キサラギは筆を挟んだまま、ニッと笑んだ。
「同情は無用だといいたいが、ま、私の主人なら致し方なしだ。小遣いが破産せぬ程度に頑張れ」
「そうね。……」
微笑みながら頷いた私は、不意に手を伸ばし、
「――あんた、コレもう十箱目じゃないの?」
空のポッキー箱をグシャリと握り潰した。むっ? とキサラギが顔を上げる。
「もうおしまいか?」
「ちょっ……この大喰らいィ! あんたが私の小遣いの心配なんて言えた口なのお!?」
「猫の身なら、マタタビだけで三日くらいは過ごせそうなのだがな」
じゃー、猫に戻れええと首根っこを締めあげていたら、ガラッと教室のドアが開いた。
「――海藤! どうしたの?」
彼は、ひょい、とコンビニ袋を持ち上げて見せた。
「コンニャク買ってきた。クーラーボックス、そこにある?」
「あるけど……、海藤、前夜祭行かないの?」
「そっちこそ、一人で貞子と喋ってんの?」
はっと振り返ると、キサラギはちゃんと、女の幽霊人形等身大サイズ(あだ名は貞子だ)に化けおおせていた。
ボックスにコンニャクを詰め終えると、海藤はその辺りの椅子を引いた。マネキンの腕を拾い上げ、仕掛けの具合を確かめるように眺めている。ねえ、と私は声をかけた。
「私、好きでコレやってんのよ。今は手伝ってくれなくて大丈夫だよ。前夜祭終わっちゃうよ?」
海藤はいつもの通り、そっけのない口調で、
「俺もロックは好きだけど、あの軽音部のヴォーカル、声高すぎて苦手なんだよ。わざわざ聴きたかない」
「そ、そっか……」
私はコメントのしようがなく、しょんぼりと肩を落とした。気がついたように海藤が顔を上げ、私を見た。
「真田が、一人でいたいってんなら、出てくよ」
私は笑うと、絵筆を彼に差し出した。
「そっちの脚も、任せていい?」
「いいよ」
含んだ微笑と共に受け取ると、海藤は再び手元に視線を下ろした。一見は醒めた眼差しで、でも丁寧な手つきで色を重ね、作業を進めている。
この一ヶ月で、彼に対する印象はすっかり変わっていた。話してみると、彼は意志が強く、頑固な面もあるが、だからといって、自分の意見を押し付けるようなことはしない。気難しい見た目に反して良く笑うし、二人で作業をしていて息が詰まるということはなかった。むしろ、楽しかった。
「なあ、その貞子さ。なんか口に、チョコ? ついてねえ?」
ふと手を止め、怪訝そうに貞子をみつめる海藤に、私はうまい言い訳も思いつかずに、仕方なく、
「貞子だって元は人間なんだから、なんか食べるんでしょ」
「でもこれ人形だろ?」
当然のツッコミを返して、それから海藤は吹き出した。いいよな、と笑いながら、
「真田は面白くてさ。俺、人と喋ってても、冗談とか、あんま上手い返し出来ないからな」
私はまじまじと、彼を見つめてしまった。面白い事を言った覚えもないが、それより驚いたのは、
「意外な発言、聞いちゃったな」
「何が?」
「コンプレックス、多少はあるんだ」
人間だぜ、と海藤は言った。
「もし、自分に全く引け目が無い奴がいたら、鼻持ちならないだろうな。きっと」
私は頷いた。その通りだと思い、そのことを言った。
「冗談が言える、鼻持ちならない海藤より、言えなくたって、今の方が私は好きだよ」
――言ってしまってから、自分こそ、意外どころじゃない重大発言をしたことに気づいた。
海藤が、初めて見る顔で、私をみつめていた。それから、視線を逸らして、ぼそりと言った。
「――それは、結構嬉しいな」
私はその言葉を、ただじっと、マネキンの腕を握りしめて聴いていた。言葉が蒸発するほど舌が渇いてしまったなんて、生まれて初めてだ。
この頃、私はやっと、あの悪夢を見ないようになっていた。
学園祭は順調に進んでいた。
キサラギ扮する貞子風お化け人形は、なかなか好評だった。私と海藤はコンニャクを釣竿にぶら下げて、暗闇の中、客の顔にぺたぺた当てるという、半ば嫌がらせくさい演出をこなしていた。
「そろそろ、なんか昼食って来たら?」
舞台裏で、客のいない隙を見計らい、海藤が言ってくれた。私たちがお揃いで着ている黒パーカーは、黒子をイメージしたスタッフ全員の制服だ。
昼食は交互に取るしかないので、私はお言葉に甘えて抜け出すことにした。
私が貞子にさりげなく近づくと、いきなりくわっと目を剥いて、
「もうちっと、ダイナミックに脅かしてはダメか? さすがに飽きてきたぞ」
「気持は分かるけど、我慢してよ。それよりお昼、何か食べたい物ある?」
「むぅ。では、じゃがバタが食べたい」
「口に押し込むしかないけど、いいの?」
絶対火傷するよ、などとコソコソ話していると、次のお客さんが待機部屋に入ってしまったようで、私は再び舞台裏に引っ込んだ。
コンニャク部隊の海藤のところに戻ろうと、そっと忍び足を出した時だった。
「ねー、桐谷。けっこう前にあんたに告ってきた女子って、このクラスじゃないの?」
「あー、真田來海ちゃん? そっかもな」
それはたしかに、先輩の声だった。
薄いベニヤ板越しに、ふたりの声は、おどろおどろしい効果音にかき消されることなく、私の耳を打った。
「よかったねー、ストーカーとかにならなくて。ちょっと優しくしたら勘違いして、追っかけ回してきたんでしょ?」
「まあな。鬱陶しいから、告って来る前に西原あたりに見せて、押し付けてやろうって考えてたんだけどな。あれぐらいの女なら、あいつ程度でちょうどいいだろ」
まあ、身の程を知れって話だよな――。明るい笑い声を差し挟んで、ふたりは愉しそうに続けた。
「ほんとあんたも、微妙に性格悪いっつーか、面食いもほどほどにしたらー?」
「理想は高くもつべきなんだよ、男は」
これ以上聞いていられず、私は頭を抱えて蹲りたくなった。
ふつふつと募る、羞恥と自己嫌悪に――、情けないが、涙が滲みかかった。
自惚れた、子供っぽい人だということは、フラれた瞬間に、分かってた。
私は彼の上っ面に、自分の理想を押しかぶせて、都合のいい恋をしたのだ。
その手痛い報いを、とうとう受けてしまった。
「……――」
私はきつく唇を噛みしめた。今ここで泣き出せば、恥の上塗りだ。せめて家に戻るまでは耐えようと、何とか顔を上げたとき、鼓膜の内側から声がした。
『それでいいのか? 本当に?』
キサラギが元の姿で、私をみつめていた。
唇は動いていない筈なのに、彼の声は直接、頭の中に響いた。
『鏡の私は、主人の心を隈なく映し出す。お前の内には怒りがあるぞ。自分で気づいているだろう』
キサラギは私の頬を掬い上げ、優しい目で微笑んだ。
『卑屈になることはない。お前の怒りは正当だ。恋心を拒絶するのは自由だが、それを踏みつけに嘲笑うのは、下品の振舞いだぞ!』
「うん」
ぐっと鼻をすすりあげ、やっと私が頷くと、キサラギは手を離し、
『あいつの素っ首を、躰から引き抜いてやる事など、私には容易い事だ。しかし、それでは、お前は困るのだろう?』
「うん!」
私は、ついに零れてしまった涙をかなぐり拭いて、顔を上げた。そうだ、いくら私自身も浅はかだったと言ったって、ストーカー呼ばわりされてまで黙っている道理はない。
「自分で言うわ」
こんな失礼な人とは思わなかった、お前こそ何様だと、言ってやる!
ちょうど彼らの順番がめぐり、入場したようだった。私はパーカーの袖を捲りあげ、いざ、暗い通路に踏み出した。
「……あれ?」
私は怪訝に目をすがめた。先輩達の後ろ、私の前方に、黒い人影がぬっと現れたのだ。
彼は右手に、マネキンの脚を握っていた。私に背を見せたまま、お客さーん、と声をかけた。
「すいませーん、こっち向いて下さーい」
「――は?」
先輩が振り向いたと同時だった。海藤は、左手に持っていたコンニャクを放り上げ、マネキンの脚を振りかぶるなり、
「せーの」
思い切りぶっ叩いた。
コンニャクは見事に直線を飛び、先輩の顔を直撃した。
「ぶっ!」
「きゃあっ、何よコレ!?」
中腰で顔を押える先輩に、海藤はずんずん進み、仁王立ちに立ちはだかった。
「桐谷先輩だっけ? ちょっと表に出ろよ」
ぽかん、と呆気にとられていた私は、蒼ざめる勢いで海藤の元に駆け寄った。
「海藤! 何してんの!?」
「喧嘩売ってんだよ、こいつに」
海藤は、脚をガランと床に放り出し、
「俺の友達を傷つけた」
先輩を睨み据えたまま、言った。
コンニャクを踏みつけ、怒鳴り返そうと顔を上げた先輩は、そこで初めて私の姿を認めて、さすがに気勢をそがれたらしく、苦々しげに口許をゆがめた。
私は、先輩と目を合わせたまま、静かに息を整えた。海藤の視線を感じながら、ゆっくりと一歩、前に出た。
「心配しなくても、私はあなたのストーカーになんてならない」
「……」
「あなたのために使う時間は、私にとっても、もう無駄でしかないから」
先に視線をそらしたのは、先輩の方だった。
気配で、海藤が微笑んだのが分かった。私も少し照れ臭く、彼を振り返ろうとした時、先輩が信じられない捨て台詞を吐いた。
「……新しく男が出来たからって、調子乗ってんじゃねーよ! ブス!」
ビキッ、と額に青筋を走らせた私と海藤が、罵声を投げ返すべく、揃って大口を開けたその瞬間――、
「……貴ッ様あ、もう我慢できん! お仕置きだ!」
邪魔くさい黒髪をかきわけて、ぎらぎらと瞳を光らせた貞子人形が、赤い口を開けて怒鳴っていた。
「そこの少年の漢気に較べて、貴様は何だ! もう決めたぞ、二度とその馬鹿げた口がきけぬよう、眼も鼻もはぎ取って、のっぺらぼうにしてやる!」
宣言するなり、白いロングドレスの裾を持ち上げ、突進をかましてきたお化けを目撃した私達は、全員が恐怖の雄叫びを上げて(つい、私もビビった)、出口に殺到した。
逃げ去った先輩達はもう無視し、私達も校舎を飛び出し、中庭の反対側まで突っ走り、やっとフェンスにしがみついて落ち着いた。
「……さっきは、ありがとう」
私が低く呟くと、海藤はフェンスにもたれつつ、くすっと笑った。
「じゃあ、あの貞子の秘密、教えてくれよ」
「げっ! それは……も、もうちょっと私達、仲良くなれたら……」
しどろもどろで答えると、海藤はちょっと目許をひきしめ、決心したように、
「じゃあ、次の日曜、試合観に来ない?」
「あ、もしかして野球? 野球やってるの?
経験者なのかなって、さっき、ちょっと思って……」
「――いや、極真空手だけど」
あんた、さっきのバッティングは何やねん! と思わず突っ込んでしまうと、海藤がげらげら笑い出し、私も吹きだして、ふたりで少しの間、並んで青空を眺めていた。
修繕の日取りも決まったのに、キサラギは文化祭の黒パーカーが気に入ったらしく、
「私もバイトするぞ! 面接を受ける!」
洋服代の小遣いを自力で稼ぐべく、最近は熱心にバイト情報誌を眺めている。
「じゃ、行って来るからね」
日曜日、私が部屋を出ようとすると、猫が顔を上げ、むっと満足げに鳴いた。
「うむ。今日のメイクは完璧だな。紅も綺麗に塗られているぞ」
「どうも」
照れ隠しに、ぎゅっと猫を抱きしめると、行っておいでと、優しい温もりが囁いてくれた。
付喪神の姿は、当初は別の動物だったのですが、キャラがだだかぶる危険にきづいて、投稿直前にあわてて猫にしました。しかし、ひねりが足らず、もっと既存のキャラとかぶってしまったようで、反省しきりです。