幕間 シーララ・アンドルドの孤独 上
失った。
失ってしまった。
一番失いたくない人を、この手で。致し方ない状況だったってことは、重々承知している。
あの場にいたら、二人とも殺されてたんだって。
だから、だって、でも、でも...
頭では理解している。あの選択は、きっといつも彼が言う《最適解》なんだろう。分かってる。
でも、正しいことは往々にして心が理解できないことも、分かってる。
メルトは果たして生き延びたのだろうか。咄嗟の判断で、ここから最も遠い西の端っこに転移させたが、よくよく考えれば、あそこは人っ子一人いない辺境の地だ。
助かる可能性は、限りなくゼロに近いだろう。
私がもっと、強ければ。そんな考えに至ったのは、メルトと私がコスモと戦った翌日だ。
昨日は、散々何かのせいにして泣いた。コスモのせいだ、兄様のせいだ。
でも、それが誰かのせいでも、その誰かが責任を取ってくれるわけもない。
結局は自己の防衛力が足りなかった。それだけのこと。
コスモと戦う前、メルトは私に「細かな重力操作はできるか」と聞いた。私はできないと答えた。
やろうともしなかったから。
あの時、一瞬、ほんの一瞬だけ、メルトは私に失望したような顔をした。
私の見間違いであってほしいけど、そんなことはどうでもいい。
私は、私ができる努力を怠ったのだ。
私のスキル、《重力操作》はかなり当たりの部類だ。適正技能付与石に触れることによって獲得される、初めてのスキルは、性格に応じたものが多い。
兄様のスキル、《未来視》だって、彼が先を読む力に長けているからなのだ。2歳ぐらいのときに石に触れて、「先を読む力に長けている」と精霊に評価される辺り、やはり兄は異常だと思う。
私のスキルの場合、性格に或る程度沿ってはいる。…が、あまり誇れるものではないことだけ言える。
強力なスキルだからこそ、私は努力をしなかった。
だから、あんなあっさりと負けたんだ。
メルトと一緒にブラッデッド・コスモに相対したとき、全身に走る痺れのような感覚、今もはっきりと覚えている。
あれは恐怖、死の恐怖だ。 これまで生きてきて、あんなに恐怖を感じたことがない。
元から人間としての素材が違うような、そんな気がした。
でも、きっと彼らも努力をしてきたはず。だから今も、戦闘の最前線で生きている。
そんな者の前で、何が「怖くて動けない」だ。
それはただの傲慢だ。
努力をしている人間に張り合っていい人間は、努力をしている人間だけだと私は常日頃から思っている。
努力をしていない人間は、努力をしている人間と同じ土俵に立つ権利が端から無いからだ。
そこまで考えて私は、ふっとため息をついた。
常日頃考えてるくせに、私は努力しなかった。
メルトが生きているか分からない。スライムに取り込まれて、全身溶解液まみれになっても生きていたメルトだから、生きていると信じたい。
でもロップスクロールも一つしかなかったし、恩寵たったの6個で戦えるのか…
再びマイナス思考に陥りかけた私を、ふんぬと現実に引きずり戻す。
まずは重力を自由自在に操ることから始めなきゃ。
私の今までの《重力操作》は、上から力任せに叩きつけるような、そんな感覚だった。
目指すイメージは、指先で操るような、そんな感覚。
いざスキルを発動、といったところでふと我に返る。
さすがにここで修行はできなさそう。
森を抜け、私は北へと進んだ。
北は、荒涼な地域であるが故に、町が一つしかない。荒野が多いということは、それだけ張り切って修行に臨めるというものだ。
夜は町に戻り、安全な宿で休息をとる。そして朝、日が昇る前に荒野へ赴き、魔物を狩り、魔法の可能性を広げ、スキルを磨く。
それを毎日毎日繰り返すのだ。再びメルトに顔を合わせたとき、彼が驚いてくれるように。彼を守れるようになるために。
むふふ、と緩み始めた頬をペチペチと叩いて落ち着かせる。…ああ、メルトが生きてたらいいな。
落ち着け私、まだ件の北に到着するまで二か月は歩かなければいけない。しかも、早くて二か月だ。
道中魔物の攻撃や自然災害などが発生することを考慮すると、三か月はかかると思った方がいいかもしれない。
てくてくと道を進む。右隣がぽっかりと空いていて、改めてメルトの重要性を再認識する。
重力操作は、移動にも使えないかな。
大雑把な重力操作だと、私だけの移動は難しい。周囲の木々も巻き込んで空を飛ぶことになる。
私は、基本重力は身体のどこからでも出せる。
今まで、私は掌から重力を放出していた。その方がイメージしやすかったからだ。掌を下に向け、重力を大量に放出したら、空を飛べるかもしれない。
...やってみた。間違いなく、これは却下。姿勢がなんとなくよろしくない。
これだと、通りすがりの行商人とか冒険者に、「痴女みたいな姿勢で空を飛ぶ女」扱いされる。それは困る。仮にメルトが生きているとして、仮にメルトと再会できたとして、そのころメルトに「痴女みたいな姿勢で空を飛ぶ女」出現情報とかが知れ渡っていたら、もうお終いだ。
冒険者の名誉云々より、私としての尊厳の問題だ。というわけで、これはやめる。
足の裏ならどうだろうか。足の裏…この鉄のブーツが障壁になること、間違いなし。
ええい、しょうがない!
少し不潔で抵抗があることは否めないが、鉄のブーツを脱ぐ。ついでに靴下も脱ぐ。
持っておくわけにはいかないので、その辺に置いておこうか...いやいや、それだといざ着地したときに履いているモノがなくなる。それはご勘弁。
私は、《無底の革袋》に靴下を入れる。
問題は、このブーツ。いくら万能な《無底の革袋》だって、その革口に入らないものは入れられない。
メルトみたいに、《不死の刀》をへし折って革袋に入れて、袋の中で再生させる...というような奇抜な真似ができるシロモノでもない。
繰り返すが、ここに置くのは絶対に嫌だ。
町に靴下だけで入る変質者にもなりたくないし、ゴツゴツした岩が数多く点在する北の荒野に入ることすら危うい。
そして何より...ゴブリンとかに持っていかれるのが嫌だ。
あいつらは人間の持ち物に興味津々だ。ブーツなんか見つけたら、涎を垂らして拾いに来るだろう。
そして私のブーツをとって、中の匂いをフゴフゴと嗅ぐのだ。あの下劣な笑みでッ...!!
そう考えるだけで、重力が暴発しそうだ。
熟考に熟考を重ねた末、結局手に持って運ぶことにした。とどのつまり、やっぱりシンプルイズベストなのね。
そもそも足を起点とした重力を発せられなければ、この計画はおじゃんだ。
魔法とスキルは別物。ならば、エネルギー源も別物。魔法は「気」をエネルギー源としているのであって、スキルは脳に刻まれた「概念」をエネルギー源としている。
だからスキルも過度な使用をしたら脳に響く。慣れてないことはなおさらだ。
目を瞑り、概念を呼び起こす。脳のあたりに感覚が走り、いつもの浮遊感が私の身体を覆いつくす。
いつもはそのまま掌に意識を集中させるが、今日は違う。
下へ。下へ。足の裏に意識を集める。少し遅れて感じられる概念を、こっちこっちと足裏に誘導する。
ふわり。
身体が中空に浮く。そういえば、コスモと戦った時も私は空を飛んでいた。あれは、莫大な重力を地面に押し付けることによって発生する衝撃波で上に跳んだだけだ。
上に跳ぶだけであって、上方向以外の推進力を生まない。
だから、こんな精密動作が必要なんだ。
そのまま集中し続け、上へ、と念じる。上へ、上へ。空へ。
重力が足から噴出され、ぶわっと空へ舞い上がる。
「わぁ...」
思わず感嘆の声が漏れてしまう。
成功したのだ。重力の起点を、自由に変えることができた。一歩前進だ。上へ向かっているから、ゼロ歩かもしれないけど。
床へと着地する。身体が舞い上がり、気分も舞い上がっていた。
隣にいるはずのメルトに感想を求める。
「ねぇ、メルト君―…」
浮かれた気分は、一瞬で鳴りを潜めた。
いない。
そりゃそうだ。
初めて、一人が怖いと思った。
時間軸的には、転移魔法・零式を使用した翌日からの話です。




