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モーニングコール

 マナーモードにしていた携帯電話がガタガタ音を立て、笠木の意識は覚醒した。酷く寒い。ソファー脇に置いた腕時計を手探りで掴み、文字盤を覗くと時刻は午前六時をさしていた。報告書を仕上げ、伊月と交代して眠りについてからまだ二時間半だった。サイドテーブルに置いた携帯電話に手を伸ばしたところで呼び出しは切れてしまった。まだ開かない瞼を押し開けるようにして液晶画面を覗くと、着信は伊月からだった。もう起きろ、という催促のつもりなのだろう。笠木は携帯電話をサイドテーブルに放り出し、寝床にしていたソファーから上体を起こし、大きく伸びをした。

 西新宿保安官事務所の応接室は、笠木にとっての格好の宿直室であった。本来なら四階の仮眠室を使わなければならないのだが、笠木は、一人きりで手足を伸ばして休める、この応接室のソファーを非常に気に入っていた。

 ソファーの向かいにあるサイドテーブル上には、ネクタイ、眼鏡、バッジ、財布、拳銃などが乱雑に放ってある。それらを一つ一つ緩慢な動作で身に付け、毛布代わりにしていたトレンチコートをはらって、皺を伸ばす。

 そこへノックと同時に、コーヒーカップ片手に火のついていないキューバ産のドライシガー、モンテクリスト・ミニシガリロを口端にくわえた伊月がドアを開けて入ってきた。

「起きたか」

相変わらずの紋切り型の口調で伊月が言う。

「お陰様でね…… まだ六時前じゃないか。あと一時間は寝ていられたのに…… で、なんか問題でも?」

しかめ面で不機嫌を顕わにする笠木に対し、伊月はポケットからターボライターを引っ張り出しながらうなずいた。

「荒川の堤防で何か見つかったようだ。村岡さんから、関口を連れて来いって連絡があった。私が行ってくる」

「それはご苦労さん…… 僕は八時になったら帰るよ」

忙しくてかなわないね、という様子で笠木が首を振る。

「それまでには誰か帰ってくる。お前が残って引き継げ」

伊月がそう答え、ロンソンのバラフレーム・ガスライターを口元の葉巻へ持ってゆこうとするや、笠木がきつい口調で言った。

「僕の前では遠慮しろ。喫煙室で一服する時間くらいはあるんだろ?」

「……」

仕方なくライターをポケットに戻し、伊月は無言で応接室を後にした。

「関口坊やも大変だな……」

誰もいない応接室で一人呟き、きちんとした身なりを整えて、笠木はオフィスへと出てきた。

 誰もいないオフィスを見回し、とりあえずフロアの角にあるテレビの電源を入れた。

『……この社会は誰のものなのか、という点をはっきりさせなければならないと思います。世界連合による信託統治を受けて来年で十年という、節目の年をこれから迎えるわけですが、主権復帰の見通しは未だつかず、私達には政治に参加する権利もないという、考え方によっては極めて異常な状況下で生活してきたと言っても過言ではないでしょう。現在、専制君主とも呼べるくらい強い統治権を持った総督は病気療養の為に日本を離れ、実質的な行政は信託統治部の行政官達が行なっている訳ですが、彼らとて一介の世界連合の職員に過ぎず、なんら公正な選挙を経てあの役職についているわけではないのです。その事に私達はもっと目を向けるべきでしょう』

『しかし、世連による信託統治が始まるまで、日本全土は一時的な無政府状態に陥り、その混乱をある程度まで回復させた世連信託統治部を評価する声も一部には見られますが、それについてはどうお考えですか?』

『それは判りますが、それにいつまでも甘んじていてはいけないと言う事です。もう十年の年月を重ね、私達はあの混乱からほぼ脱し、自立してゆける時代になったのですから。この社会が世連のものではなく、我々日本人が自立して自分の歩むべき道を自分達で決めるという心構えを、一人一人が持たなければならないということです』

『ありがとう御座いました。今日は自由学園大学教授の……』

……ノイズ……

『……事件から一夜明けた秋葉原、事件現場前に来ております。ごらんのよう現場の店に面する通り一帯には、立ち入り禁止を示す黄色いテープが張られ、関係者以外はこれより中には入れないようになっています。電気店ショーウィンドーと反対側のビルの……』

……ノイズ……

『……昨日は秋葉原以外でも東京各地で発砲事件が相次ぎました。昨日の夕方四時頃には原宿で、銃器で武装した三人組の外国人と思われる男がコーヒーショップに押し入り、駆けつけた警察との間で銃撃戦が発生しました。この銃撃戦より、駆けつけた警察官一名が死亡し、二名が重傷を負い、犯人グループの男ら三人も全員、現場に駆けつけた連合保安局の保安官により射殺されました。また、事件によりコーヒーショップの店員一名が殴られ軽傷を負いました。それから二時間後、僅か二キロ南側のコンビニエンスストアには二人組の男が銃を持って押し入り、現金およそ四十万円を奪って店内に発砲し逃走し、店の従業員や二人が、割れたガラスで手を切るなどの軽傷を負いました。最近、犯罪の凶悪化と保安官による安易な発砲が問題視されており、自治議会は総督府と連合保安局に対し近々、正式に抗議を行なう方針です』

 せわしなくチャンネルを切り替えていた笠木はそこまで見て、テレビの電源を切った。

「関口坊や、本当に大変だな……」

リモコンを手にしたまま、笠木はつぶやいた。



 虎ノ門。この十数年で日本の多くの街が衰退し荒廃してしまったが、全ての街が後退を強いられたわけではない。当然、逆のベクトルへ進んだ街も存在する。虎ノ門地区も、この十年で開発の方向へその姿を変容させた街の一つだった。それまで中層ビルを主体とした街であったが、とある開発・デベロッパーによる地域規模の地上げと無数の高層ビルの建設により、新宿に次ぐ商業新副都心として生まれ変わった。無数の高層ビルはその頂上同士をモノレールタイプのシティーライナーで結び、地下深層までジオフロントを彷彿とさせる商業複合施設が建設され、ドラスティックな都市改造の成功例として注目されていた。

 そんな虎ノ門のとある高層ビルの八階の執務室から、男は不安な面持ちで眼下の通勤客の列を見つめていた。背は百七十センチ余り、頭髪にはだいぶ白いものが目立つがゴルフ焼けし、スマートだががっしりした体躯の男は今朝、通常の出勤時間より二時間以上早く自分の執務室へとやってきた。

 急を知らせる電話がかかってきたのは、深夜だった。警察から技術部に問い合わせがあり、警報装置の管理体制について捜査協力を行わなければならなくなったのだ。部屋の主であるその男、大手警備会社、新中央警備株式会社の企画部部長を努める香取淳二は電話で受けた簡単な報告を聞き自宅で落ち着いている事が出来ず、今朝一番に出社して部下の到着を待っていた。

「おはようございます、部長。こんな朝早く、急な用件ってどうしたんですか?」

ノックの音と共に入ってきたのは、丸顔で小太りの男だった。人の良さそうな、そして意志も弱そうな笑顔を浮かべておずおずとあらわれたのは、人事部係長の遠藤だった。

「おまえ、昨日の強盗事件知ってるな? 秋葉原の」

香取は挨拶もせずに詰問した。

「はい、テレビで見ました。怖いですよねぇ~」

遠藤は、冬であるにも関わらず上気して汗ばんだ額をハンカチで拭いながら、笑って答えた。香取は苛立ちを覚えながら言う。

「押し入られた電気店、うちの顧客だったそうだ。警報装置は擬似信号を掴まされて、機能していなかったと、警察から技術部に問い合わせがあったそうだ」

「そ、そんな、その手口じゃ、もしかして、我々が……」

「言うな!」

狼狽する遠藤を遮るように、香取は怒鳴った。

「無論、奴らの仕業と決まったわけではない。ただ、社内でこれから対策会議が開かれ、おそらく監査も強化される。これからしばらく、派手な動きは絶対にするな!」

香取は恫喝するように言って、鼻の下に生やしたヒゲをこすった。

「あと部長。東洋光電に潜っている者から連絡がありました。新製品の製造工程表が手にはいったようです。先方には、いつでも引き渡せます」

香取は、今一番聞きたくない副業の事を持ち出され、舌打ちした。

「わかった、その件は後で手配する。とにかく、今は目立つ事は避けるんだ」

そう言って、香取は遠藤を部屋から追い出し、朝刊の一面を血走った目で睨みつけた。一面の写真は、無残な電気店の惨状がカラー写真で載っている。

「くそっ、やりくちまで連中と同じか!」

執務室で香取は一人毒づいた。



 笠木が給湯室で朝一番の紅茶をティーポットに入れ、廊下を戻ろうとすると、背後から妙なトーンの日本語で呼び止められた。

「よぅ! アーキー、まだいたのか?」

声を掛けてきたのは香港出身で経済犯対策部に所属しているハワード・楊だった。

 古株の外国人職員のなかには、笠木をファーストネームで呼ぶ者も多かった。アキマサという発音に苦労した者達が、アキやアーキーと呼び始め、今ではすっかりそれが定着している。一方で、日頃から容赦なく銃弾をもって犯罪者を排除する笠木に対し、陰口を叩く者は局内にも多く、しばしば〈ブラッディ・アキ〉というアウトローの通り名みたいな仇名で呼ばれる事もある。笠木が以前、ギャング特別掃討班に所属していた頃から知っている者からは、単に〈ブラディ〉(血まみれ)と呼ばれることすらあった。

 声をかけたハワード・楊三等保安官はまだコートを着たままの格好で、左手には濃厚な豚骨スープを売りとしているカップラーメンを持っている。それは、楊が日本に来てはまった好物の一つだった。もっとも、根っからの関東人である笠木にとって、脂ギトギトのそのカップ麺は、そばで匂いを嗅ぐのですら苦手なものなのだが……

「ああ、昼前までには帰りたいね…… 一晩中捜査かい?」

笠木が問うと、楊はこくりとうなずき肩をすくめた。

「夜中に手が空いたんで、途中から村岡さんの初動捜査に加わって、横浜の闇医者を一晩見張ってたけどスカだった。集合電子盗聴も駄目らしい。収穫無しだよ」

「それはご愁傷様……」

笠木は、同僚の悲惨な結果に笑いながら慰めの言葉を掛ける。

「強盗事件増えてるよねー。株価、下がりすぎだよー。困ったなぁ」

さすがは経済専門の捜査官とあって、楊の右手には経済紙の今朝の朝刊が握られている。以前から貯金を株式投資に回している楊は、経済誌を見ながら一喜一憂するのが日課だ。

「うーん、保険、小売、陸運共に大幅な下げかぁ…… おお、サービス業、特に警備業の需要が増加し値上げ予想。買うなら今しかないよな」

笠木がティーポットを手にしたまま首を振る。

「社会不安増で全体的に下げだと思ってた。確かに、派手な強盗が続いているからねぇ。そういえば、どれも犯人、挙がってないね」

そう言いながら、大掛かりな武装強盗事件が連続していることを笠木は思い出した。当然、一般事件として自治警察の捜査管轄となっているので、保安局自体は捜査を行なってはいない。本来管轄外の事件である昨日の秋葉原事件に対し、楊のような手空きの保安官までかき集めて初動捜査に乗り出す事はやや珍しいケースだった。それは明らかに、保安局上層部の強い意向があっての捜査だった。

――自分達で捕らえなければ沽券に関わる……か。まるで自治警みたいじゃないか……

笠木は、自分が心底蔑視している自治警察と同じ思考レベルで争わなければならない現状に嫌悪感を抱いた。

「そういえば、伊月が関口拾って現場へ行くと言ってたけど、何か見つかったの?」

笠木の問いに楊は新聞から顔を上げてうなずいた。

「警邏中の自治警さんが、今朝早くに荒川の河川敷で弾痕だらけの商用バンを見つけて、それが昨日関口とやりあった奴等の車と特徴が一致するんだって。現物は見てないけど」

「ふーん、それで確認の為、呼び出されたのか……」

笠木は読み終わりの新聞を楊から貰い、ティーポットを持ってオフィスへと戻った。


 オフィスにはまだ誰も戻っていなかった。笠木はティーカップに紅茶を注ぎ、もらった新聞を広げた。経済紙なので、半ば企業の新製品広告にちかい内容であった。元々政治学が専門で、あまり日本の経済に強くない笠木とって為になる記事は少なかった。いくつか見出しに目を走らせる。

 

 ミカミ電子計算機 次世代スーパーコンピューターの販売を開始

 ソフトウェア開発会社エレブレイン 家庭向け家事管理AIプログラムを試験開発

 東京の大手警備会社4社合同サービス『アキリーズ』 体感治安悪化で業績好調

 密輸対策強化で、陸運、海運共にコスト上昇 インフレ加速へ懸念


興味をひかれる記事は最後の密輸がらみの記事くらいだ。裏面を見るとテレビ番組一覧の脇に日本全国の天気予報欄があった。東北は曇り時々雪とあった。

 笠木は新聞をたたみ腕時計を見る。時計の針は七時を指していた。もう間もなく他の同僚が出勤してくるだろうし、お湯が沸けば楊も戻ってくる。今日の東京は薄曇りのようで、僅かばかりの朝日がブラインド越しに室内に入ってきた。ふと昨夜のカフェで伊月に言われたことを思い出した。笠木は一瞬逡巡した。だがオフィスに一人きりでいられる時間はもうないと思い、少し早すぎるとは思ったが、笠木は意を決してデスクに据えられた受話器へと手を伸ばした。



 どんよりとしたねずみ色の層雲が、山間部に天蓋をかぶせたように空を覆っていた。ロビーに置かれた誰も見ていない大型のワイドテレビは、朝のニュースを延々と映しだし、その音声だけがロビーホールの一角に設けられたこの食堂兼喫茶のコーナーまで響いてくる。

 日本共和国軍、通称北海軍閥の支配する旧青森県との境界ラインから僅か南に六キロの地点に位置するこの温泉街。その一角に建つ近代的なこの温泉旅館のロビーに客の姿はほとんど無く、今朝そこで朝食をとっているのは一人だけだった。その若い女は一人でテーブルにつき、壁一面のガラス越しに舞い落ちるみぞれを眺めていた。ダークのスーツに身を包み、白いブラウスの襟元を紺のネクタイを締め、ミディアムショートのグラデーションボブ・スタイルの黒い髪は綺麗に整えられている。分けた前髪の下の澄んだ双眸で、彼女は空を見つめていた。層雲の切れ目からかすかに、陽光が差し込み、みぞれに光が乱射反射した。テーブルの脇に置かれた今朝の新聞でも、日中は晴れると予想されていた。

 二枚のトーストを食べ終え、彼女がコーヒーの御代わりを頼もうとした時、ポケットの携帯電話が低い唸り声と共に着信を知らせた。慌てて電話を取り出し、ディスプレイを見ると東京のオフィスからであった。

「はい、天津です」

『おはようございます。もしかして、寝てたなんてことは……』

意外な声の主に、連合保安局三等保安官の天津美吹は少し驚いた様子で口元をほころばせた。

「珍しいのね…… 笠木君からモーニングコールを頂けるとはね。でも今日、雪に降られると困るんだけどなぁ」

天津は悪戯っぽく笑う。

『まさかお休み中に、電話で起こしちゃったなんて事はないよね?』

そんな事を心配するところがいかにも笠木らしく、天津は屈託無く笑った。

「御心配なく、もう朝ご飯も食べました。それに、昨日一日、お休み頂いたから気にしなくていいのよ。もうこの後すぐ仕事に戻るの」

『そうなら結構…… 仕事はあれから…… どう?』

少しためらいがちな声に、天津は一回深呼吸してから率直に話しはじめた。

「正直に言うと、成果は皆無ね…… 聞き込みと幹線道路への監視をして、荷物が陸路で流れてきている事は確認できるんだけど、暫定国境ラインの警備隊からの情報も少なくて、摘発はまだ一件も出来てない、というのが現実ね。あ、でも心配しないでね、こっちのシェリフ(地方保安官)はとても協力的だし、松本君共々、士気は旺盛だから」

 

 遥か遠くの東京で笠木は表情を硬くして、強がる同僚の声を聞いていた。本人は意識していないだろうが、地元警察の事を一切言わないのは、協力が全く得られないと言う事を暗に示していた。東北を南北に分断するラインでの捜査をたった一人で捜査すること自体に無理があると笠木は常々思っていた。正確には天津の他に補佐役に密輸対策班から松本という保安官補が同行しているが、笠木はその男があまり優秀でない事も知っていた。孤立無援――そんな言葉がぴったりな同僚の状況に笠木の受話器を持ちながら顔を俯けた。

「そうか…… こちらもサポートできる事は少ないけど、要望があったら何でも言って。伊月君は、自分も東北へ行かせろっていつも部長に食って掛ってるよ。あと僕もね、交代はいつでも歓迎するよ」


 天津は目を閉じて笠木の声を聞き、自分を奮い立たせるようにうなずいた。極度の寒がり屋である笠木が冬を控えた北国に来るなんて言い出すとは……

「ありがとう、でも、このまま何の収穫も無いまま逃げ帰るなんて許されないでしょ? もう少しで何か成果をあげて見せるわ。部長にもそう報告したから」

『……了解』

「ところで、秋葉原の件…… こっちでも新聞の一面に載ってるけど…… そっちこそ大変なんじゃないの?」

テーブルの朝刊を手に取り、天津はためらいがちに聞いた。記事には事件を起こしたとされる者については保安官補とだけ記され、誤射で民間人に多くの死傷者が出たと報じられていた。

『……ああ、どう転ぶかまだわからない…… ただ、まだ死者は出ていない。それが救いさ』

一拍おいて笠木の押し殺したような声が聞こええてきた。せん越すぎるかと思ったが天津は仲間の誰かではないかと心配になり、敢えて尋ねる事にした。

「知ってる人?」

『関口だよ…… あいつ馬鹿だから、遊び歩いている途中で巻き込まれた……』

「そうだったの…… まさか関口君だなんて…… 彼、大丈夫そうなの?」

笠木は答えなかった。二人はしばし黙っていたが、意を決して天津は口を開く。

「笠木君、怒らないで聞いてね…… 関口君が今まずい立場なら、助けてあげて。笠木君になら、わかるでしょう?」

受話器から返って来た笠木の声は暗かった

『……果たして、局も総督府もそれを望むかな?』

「そういうレベルの問題じゃなくて、同じオフィスの仲間でしょ、それに今、関口君に頼れる人っているかしら?」

笠木のため息が電話越しに聞こえてきた。

『とにかく…… なるようには、なるだろう』

それを事実上の笠木の承諾と受け取り、天津はようやく笑顔に戻った。

『おっと、忙しい最中に電話して悪かったね。とにかく、無理はなさらないように』

「いいえ、こちらこそ。東京も寒いみたいだから気をつけて。幸運を……」

『ああ、幸運を……』

「……」

『……』

お互い、そう挨拶を交わしたがなかなか電話を切らないので、天津はきまりが悪そうに笑いながら、もう切りますよと言って電話の切った。


――ツーツーツー……

 笠木は受話器を手にしばし俯いたまま、考え込み、回線切断後のブザーが五回もなった後ようやく受話器を置いた。さっきまで湯気を立てていたカップの紅茶はすっかりぬるく冷めてしまっている。薄雲のかかった空を見るに、今日も寒いに違いない。しかし、天津のいる東北ほど寒くは無いと、笠木は自分に言い聞かせた。

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