発火 2
テレビでは秋葉原の事件を大々的に報じていた。各局の夜のニュースではトップで事件を扱い、『電気街の決闘』『夕暮れの大銃撃戦』という大仰なテロップが画面に踊る。そして、そのどれもが当事者の保安官補と保安局の対応、強いては総督府の執政へ批判的な見解を述べていた。
一人の新米保安官補が無理な発砲を行ったために、通行中の一般市民を巻き込み多くの重軽傷者をだし、神田明神通り周辺の建物や店舗に多大な被害を発生させたという事実はバッシングの格好のネタだった。更に悪いことに、重傷者のうち二名は未だ意識不明の重体である事が、報道の加熱と保安局非難に拍車を掛けていた。事件の僅か一時間半後には、霞ヶ関や現場に最も近い御茶ノ水の保安局オフィスの前に無数のマスコミが集まっていた。
過去に日本政府と連合信託統治会議との間で交わされた暫定統治協定によれば、総督府は公序良俗に関する最低限の事柄を覗いては、一切の表現の自由を尊重しなければならないと定められている。過去九年間に総督府がマスコミの報道に権力をもって介入した事例は、ある私人のプライバシーをマスコミが過度に侵害した時に行った、ただ一例だけだった。
良くも悪くも、総督府がマスコミをコントロールする事は不可能であり、保安局の面々は自力でそれに対処しなければならなかった。
客のほとんどいない小さな喫茶店の、カウンターの奥に置かれた小型の液晶テレビの画面には、御茶ノ水オフィスの前で何やらわめくリポーターが映っている。さっきから伊月はずっと、カウンターの向こうの画面を凝視していた。
「連中がまだ御茶ノ水に張り付いているところを見ると、関口はどうやら、奴らに面を撮られていない。それだけはラッキーだね……」
テーブルの向かいに座る笠木は、ろくに画面を見ずにそう言うと、テーブルに到着したばかりの大きなサンドウィッチを一つ口へ放り込んだ。伊月はふと思い出したように腕時計へ目をやった。
「うちの事務所をマスコミが張ってないなら、急いで帰った方がいい」
伊月の言葉に、笠木は顔をしかめた。
「おい、僕らには、夕飯を食べる時間も与えられていないっていうのか?」
笠木の抗議を前に、しかたなく伊月は自分のサンドウィッチにかぶりついた。実際、彼らは空腹だった……
笠木が自治警察から『解放』されたのは、あれから一時間後の事だった。笠木たちと共に事件に居合わせた警察官のうち、一人は死亡し、二人は負傷し、無傷で口が利ける者は一人だけであり、自治警察が事件概要の確認に手間取ったためだった。
たとえ、大きな権限を持つ連合保安官による法の執行とはいえ、人間を殺すという行為は簡単には許されない。一般市民の生活を脅かす凶悪な強盗犯にも、不幸なことに人間として人権が認められていた。それを射殺するには、当然撃つ側に正当で厳正な手続きが求められる。だが、この当たり前の大原則がある一方で、この地のでの犯罪は、そんな大原則が霞んでしまうほど凶悪なものへと変わってしまっていた。
行政の崩壊が招いた『黒い二年間』と呼ばれる無政府自然状態によって極度に悪化した治安は、世界連合による行政統治が始まって十年を経ても、それ以前の水準には戻っていない。実際、駆けつけた自治警察の警察官達も、今日のような銃撃戦まがいの凶悪事件には慣れっこであり、適正手続きの証拠さえ入手すれば、あとは書類で全ての始末がつくのだった。
やはり空腹には勝てず、伊月もテレビから目を逸らし食べかけのサンドウィッチへ手を伸ばした。事務所に戻ってからは、自分で増やしてしまった報告書のノルマを終えなければならない。
「それにしても、関口もついてないな…… あんな新米が一人で無茶やらかして」
笠木はアールグレイの紅茶を飲み込んでから、そう独り言のように呟き、テレビへと目をやる。
「とにかく、誤射事件にまで発展しなければいいけど……」
笠木は、テレビに向かったまま小声で呟いた。伊月は敢えて返事をしなかった。伊月はウィンドウ越しに外へと目をやった。長期予報で今年の冬は寒くなると言われていたが、今夜は特に冷え込んでいた。道には、寄り道をせずに家路へ急ぐ人々が、まばらに歩いているだけだった。
暖かい店内にいるにも関わらず、笠木は五杯目となる紅茶のおかわりを頼み、凍てついた手をほぐすように両手をこすった。実際、いつも以上に血色の悪い青い顔をしている。
「まだ寒いのか?」
黙々とサンドウィッチと温かいコンソメの野菜スープを口へと運ぶ笠木を、じっと見据えながら伊月が訊く。笠木は少し鼻の詰まったような声で言った。
「昨日の夜中から今日の昼まで、大黒埠頭の倉庫でサハリンから来た冷凍船を張ってた。昨日の夜といい今日といい、酷い寒さの中、ろくに暖房のない所でひたすらお船を見てるだけ…… 酷い目に遭ったよ……」
伊月はそこまで聞いて、笠木達の捜査チームの成果が大体判った。伊月は、自分が笠木と同じ境遇にいなかった事を感謝した。
「つまり、この前、品川で踏み込んで以来、成果なしか」
伊月は三週間前に、同じ組織犯罪対策部に所属する笠木ら密輸取締り班のメンバーと共に、大量の密輸品や非合法品が隠されていた品川のとある倉庫へ手入れを行った事を思い出した。
「あの一件で敵は警戒している。判りきったことだ。踏み込むには早すぎると、私があれだけ言ったにも関わらず、お前達があの日にやると言って聞かなかった。お陰でこちらは背後関係を掴めず、捕まえたのは何も知らない雑魚ばかりだ」
伊月の言うとおり、共同で捜査にあたった伊月の所属する組織犯罪取締り班の面々にとって得た物は少なく、そのガサ入れは戦略的に見て失敗だった。それを受けて笠木も肩をすくめる。
「僕は反対したさ…… あの時は上の連中が聞かなかったんだ。しかし、成果がゼロだった訳じゃない」
そう言って、笠木はスーツの胸ポケットから小さな茶封筒を取り出し、伊月の前へ置いた。封筒には、品川で押さえた違法物品を撮った数枚の写真が入っていた。一枚目には黒に塗装された、所々がくびれた金属と樹脂でできた妙な形の太い筒が、鑑識用の青いシートにのせられて写っている。片方の先端は細く、節くれだった筒の先に漏斗をくっつけたようなその物体が何であるか、伊月が理解するまでちょっと時間を要した。
「ロケット砲……」
「ああ、そっちにまだ報告が行ってないらしいが、税関通ってない毛ガニや樺太マスの箱の下に、自動小銃と一緒に三十本以上隠してあった。かなり強力なオモチャらしい」
実際、その日に大量の密輸品に紛れて、相当数の銃火器が押収されたのも事実だ。伊月もその規模に驚かされた事を思い出した。
「これがどうした?」
「面白いのはここからだよ。次の写真を見てごらん。昨日、西日本総督府から送られてきた」
伊月は促されるまま、次の写真を見る。車体後部が破裂したように破壊され、真っ黒に焼け焦げた大型のセダンが写っていた。焼け残ったフロント部分から、元の車体の色と、メーカーの銀のオーナメントが見て取れる。
「せっかくのキャデラックが台無しだな……」
「ああそのとおり、実にもったいない…… しかも、ただのキャデラックじゃない。防弾レベル4以上の特注だったらしい。レベルⅤっていったら、保安局のセドリック以上にタフだな」
伊月はしばし、写真を見つめた。世界連合防弾基準レベルⅤといえば、普通の軍用小銃の銃弾ではビクともしないほど丈夫な装甲である。そこまで頑丈な防弾車をここまで吹き飛ばせる武器はそう無いはずだった。
「どこで使われた?」
「五日前、福岡市内の路上でスクウェアッドの幹部、李懐山が車ごとドカンとやられた。現場に落ちてたのがそれ」
笠木の指さす次の写真は、前の写真と同じロケット砲のコンテナーが歩道にうち捨てられているものだった。漏斗がくっついた太い大根のような弾頭が無くなっていた。
通称スクウェアッドと呼称される上海に本拠を持つ犯罪組織「四方会」。日本、特に西日本で勢力を拡大するこの中華系犯罪組織の幹部が、白昼堂々この強力な軍用兵器で車もろとも吹き飛ばされて暗殺された直後の写真だった。
「それ、なんて言ったかな…… パンツァーなんとかっていう使い捨てのロケット弾発射器で、昔、自衛隊が使ってた。設計はドイツらしいが、調べてみたらなんと製造は日本」
「また自衛隊時代の流失品か……」
「僕もすぐそう思ったんだけど、そのロケット弾自体を作ったのは、日本国時代に自衛隊装備のライセンス生産を請負ったメーカーじゃなくて、札幌のホクト精機だったよ。品川の押収品と同じだね」
笠木はそう言って皿の上のサンドウィッチを全て胃袋へ片付けた。伊月は写真に写ったロケットランチャーをしげしげと見つめる。
ホクト・グループ。札幌に本社を置く保守系コングロマリットの一つだった。日本の旧国防部の一派が北海道を実効支配し、軍事政権の元で兵站部門の製造請負を任されているのが、そのグループ会社のホクト精機だった。つまり、比較的最近に製造された武器である。
「やはり北か…… 陸路か海路か、それさえ掴めればな」
武器や食品の密輸は、旧北海道地区と旧青森県地区を実効支配している軍事政権、『日本共和国政府』の有効な外貨獲得手段の一つだった。もっとも、統制された軍事力で支配地域を押さえ込んでいるものの、正統性なき統治体である故、もっぱら「北」とか「北海道軍閥」、もしくは「道」とはもともと行政単位の一呼称であるので、それをとばして「北海軍閥」と呼ばれている。
保安局は、これまで何度も北海軍閥の外貨獲得の封じ込めを試みてきたが、効果はほとんど無く、報われない戦いの連続だった。特に札幌に本社を置くホクト社製の兵器が、多く本州へ流入しており、治安の悪化の一因ともなっていた。
その事実と同時に、伊月の脳裏には、東北の国境地帯へと出張している同僚の顔が浮かんできた。
「ルートを絞れたら美吹の負担も減る。なんとしても年内に、海路か陸路かはっきりさせたい」
伊月の口から同僚の名が出た途端、仕事の話をしながらも不真面目な薄笑いを浮かべていた笠木の表情が硬くなった。
「ああ、彼女も大変そうだ…… それに、今年は東京ですらこの寒さだ。向こうはもっと酷い……」
笠木は、ティーカップにそそがれた湯気ののぼる琥珀色の紅茶の水面を見つめながら、そう呟いた。
「行ってもうひと月…… ルート解明の見通しは立っていない。一昨日電話で話した時には笑って、大丈夫だと言っていたが……」
真面目で気丈な同僚の事を思い浮かべながら、伊月は額に皺を寄せてため息をついた。
「やはり彼女、疲れているのか? 国境周辺の自治警は、ここより遥かに腐敗してるって話だね」
「今日一日は休みになっているようだ。明日の朝なら美吹もあいているだろうから、たまにはお前から電話をしておけ」
その伊月の言葉に笠木は首を振って街路の方へと視線を逸らした。
「電話なら君がしろよ。その方が彼女も喜ぶ。それに、仕事の邪魔だって怒られちゃうさ……」
二人はしばらく押し黙ったまま、遠く北の地で孤軍奮闘する同僚を思った。
新宿オフィス内の大会議室には、非番や手の空いた都市警備部の保安官や保安官補ら二十余名が集まっていた。全て、初動捜査要員として、加瀬の応援要請を受けて集まった者達だった。
村岡が、ベージュのステンカラーコートを着たまま急ぎ足で会議室へとやってきた。
「はい、静かに。静かに」
加瀬がすかさず両手を叩きながら、ざわついている室内に呼びかける。村岡はそのまま慌しく会議室正面の席に腰をおろす。車の中で食いかけたコンビニ弁当の袋を机に置き、加瀬から事件報告の概要を記した二枚綴じのプリントを受け取った。室内の熱気で眼鏡が曇ってしまい、村岡はハンカチで眼鏡をぬぐいながらも、いそいそとプリントに目を通した。
一通り斜め読みしてから、村岡は眼鏡をかけて顔を上げた。
「非番のところ、大変申し訳ない。知っての通り、今から四時間程前、秋葉原にて重装備の武装強盗事件が発生し、我々と同じ都市警備部の関口保安官補と犯人との間で大規模な銃撃戦となった。犯人グループは現場より逃走し、現在も捕捉できていない。事件発生後、手掛かりは急速に消えつつある。そこで、急遽諸君を招集した」
そこで、村岡は一度言葉をきって、コンビニのビニール袋からペットボトル入り番茶を取り出し、一口飲んだ。口内も喉もカラカラだった。
「今夜、諸君には初動捜査を行ってもらう。報告にあるとおり、犯人グループはアジア系と思われる外国人で、青色の商用バンで逃走中であり、関口本人によれば、少なくとも犯人二名はライフルの銃弾を受け負傷している。容姿の特徴等はプリントにあるとおりだ。そこで、東京及び旧首都圏の外国人街や繁華街を、可能な限り洗い出す。闇医者、地下宿、中古電気屋、なんでもいい。とにかく徹底的に聞き込め。それと平行して、電算部に協力を頼み、従来からの重要監視ポイントで一斉に集合電子盗聴を開始する」
村岡の言う重要監視ポイントとは、以前から存在を確認しつつも敢えて摘発をせずに泳がせている闇医者や非公認宿泊施設、賭場などで、連合保安局により隠密裏に盗聴装置や監視カメラが備え付けられて監視下に置かれている施設である。一般的な『靴底をすり減らす』聞き込みや人による捜査活動と同時に、保安局のコンピューターによる音声キーワードスキャンや画像認識システムなどの監視プログラムによって、事件に関わった疑いのある者が出入りしていないか探ることが、村岡の計画だった。もし、幸運であれば、何らかの網に犯人グループの関係者が引っかかる可能性があった。
「保安局や警察からの事件情報は更新されつつあるので、常に携帯端末の配信情報に注意を払うように。また、今回の事件は、関口保安官補をはじめ多くの重軽傷者が出ている。犯人グループは重武装している可能性が高いので、最大限用心して捜査にあたれ。よろしく頼んだ。以上だ」
村岡がそう言って目配せすると、加瀬が立ち上がった。
「では、各班の編成を言う。南野と上原は北池袋、木島と岡田は東新宿……」
加瀬によって各員の担当地域が言い渡され、保安官達は自分のコートを引っつかんで会議室から足早にでていく。
ただ、人口一千万都市に潜む犯罪者を、たった二十数名の捜査要員で洗い出すというのは、常識的に考えて無謀な挑戦だった。村岡は腕時計を覗く。遅すぎたかもしれないが、可能性は決してゼロではない。
「じゃあ加瀬君、おれは本局へ行くよ。捜査のほう、よろしく」
村岡は立ち上がり、コンビニの袋を掴んだ。弁当の残りは本局へ向かう車の中で平らげなければいけない。
「あ、先輩、これ持ってってください。さっき、うちの家内が一ケース持ってきたんです」
村岡の女房役はテーブルへ茶色い小瓶を置いた。栄養ドリンクだった。
「いつもすまんな」
村岡は笑って瓶を掴むと、会議室を後にした。