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秋葉原の決闘 2

 西新宿。新宿中央公園の南側。東京の都心部・副都心部を中心に設けられている連合保安局の分局の一つが、西新宿高層ビル群に隣接する中層ビルに設けられていた。

 連合保安局・西新宿オフィスに所属する職員を統括する役目を持っている二等保安官の村岡智光は、夜勤明けにも関わらず、その日の夕刻まで仕事に追われていた。村岡は、東京の地域安全と治安維持を担当する都市警備部に所属するチーフマーシャル(主任保安官)の一人であると同時に、西新宿管区の保安責任者という役目も担っていた。

「先輩、お疲れのようですが…… 今日は、自分が引き継ぎますから、もうあがったらどうですか?」

村岡が警視庁捜査一課の刑事だった頃からの後輩である加瀬義之が声を掛けた。村岡は鼈甲の眼鏡を外し、瞼をマッサージしながら言った。まだ五十になったばかりだが、痩せて皺の深く刻まれた顔は十歳ほど老けて見える。

「そうしたいが、明日の会議の資料が、まだできていないんだ……」

加瀬は苦笑いした。

「もう何日、奥さんのところへ戻ってないんですか?」

村岡は左手を上げた。指が四本立っている。

「昨日の夕方、家内に着替えを持って来てもらった。これが終わったら今日は帰るつもりだ」

その時、緊急連絡システムが緊急事態の到来を知らせた。

『緊急通報、緊急通報、中央区神田、秋葉原にて発砲事件発生。繰り返す……』

「アキバか…… 御茶ノ水オフィスも大変ですね」

少しホッとした様子で言う加瀬に、村岡は腕時計を見ながら言った。

「そういや加瀬君、関口の今日の当番巡回は墨田から台東特別警戒エリアだったはずだ。ちょっと帰りが遅いよな……」

村岡は表情を変えずにそう呟いた。理屈ではない、嫌な予感が村岡の脳裏でうごめいた。



 ビル外壁にある非常階段を駆け下りていると、関口自身にもカタカタという遠くからの銃声が聞こえてきた。何者かがフルオート系の火器で発砲していることは間違いない。神田明神通りから一ブロック奥の路地に位置するアケボノ電機本館の辺りから、けたたましく鳴る警報機の音と悲鳴や怒鳴り声が聞こえてくる。アケボノ電機は古くからこの街にある家電量販店だった。盗品も密輸品も扱わない普通の量販店なので、関口は滅多に行かないが、信用とサービスには定評があった。

 関口は非常階段を降りきると、信号待ちの車のボンネットを乗り越えて、神田明神通り北側の路地に駆け込んだ。路地から多くの人が走って逃げてくる。

「保安官、こっちだ! 店内からまだ銃声が聞こえる!」

逃げる人々とは反対方向へ走る関口を見つけ、野次馬の一人が現場を指しながら興奮気味に叫ぶ。

「警察は! 警察は来たか?」

関口の心配はここにあった。もし、警察が到着すれば強盗は彼らに任せておけばいい。一般的な刑事事件の管轄権は彼らにある。だが、警察が来る前に犯人が逃亡を図れば、当然自分にはそれを阻止する義務が生じる。

「まだだ! 急いでくれ、連中銃を持ってるぞ!」

その言葉を聞き、関口は青くなった。警察はまだ到着しない上に、自分一人で犯人と勝負する事になった。自分が制止した時点で犯人が投降すれば問題ないが、銃器によって抵抗したらどうか? 自分一人で、マシンガンを持った犯人を制圧しなければならないのだ。関口自身、保安官補になってから今までに二回銃撃戦を経験してきたが、二回とも大勢の仲間と一緒であった上に、現場で引き金を引いた事はない。

――なんだって今日に限って……

関口は心中で毒づいた。現場の建物近くの路地裏から、関口はアケボノ電機館正面の様子を覗いた。紺色の大きな商用バンが、尻からショーウィンドウを破って店内に突っ込んでいる。大胆な犯行だ。野次馬や通りすがりの市民は物陰から遠巻きにアケボノ電機館の方を伺っているが、店の周囲には誰もいない。店内からは時折連射された銃声と悲鳴が聞こえてくる。関口は腕時計を覗いた。事件発生から少なくとも六分経っている。警報機が作動しているので、その時点で契約している警備会社と警察へ自動的に通報が行く筈だった。だが警察が来る様子は無い。

「くそ! 自治警はまだか……」

そう関口がうめいた時、店内からひときわ大きな爆発音が響き、物が割れる音と共に火災報知機のサイレンまでも鳴り始めた。もう待っている状況ではない。

 関口は、連合保安局に所属する者としては、自分が正義感も義務感もかなり乏しい部類の男であることは自覚していたが、この状況でも根性の悪さの上に居直るほど肝は据わっていない。

 黒いサブマシンガン抱え、口元に赤いバンダナを巻いた男がバンの助手席に陣取り、何語か判らない言葉で怒鳴っている。そろそろ逃走する頃合だという事が関口にも判った。警察も警備会社も未だ来ない…… ここで指をくわえて見ていて、犯人の逃走を許したとあっては責任を追及されることは間違いない。

 関口はやむなく保安官証をコートのポケットから引っ張り出すと、僅かばかりの勇気を振り絞って電機館の店舗へと近づいた。

「連合保安局だ! 武器を捨て、おとなしく投降しろ! 抵抗した場合には発砲する!」

関口は右手にライフル、左手に身分証を掲げて、大きく壊れたショーウィンドウにゆっくり歩み寄った。ちょうど死角になっていた店内から、ダンボール箱をバンに積み込もうとしていた、サングラスと野球帽を身につけた男が姿を見せる。

「て、テメェ、動くな!」

関口は身分証をハーフコートのポケットへしまうのももどかしく、ミニ14ライフルの銃口を男に向ける。だが、その男は何語か判らない言葉で威嚇するように叫ぶと、ダンボールを放り出し、ズボンに挟んであった拳銃を引き抜いた。関口は咄嗟に、引き金に掛けた人差し指に力を込める……が、何故か引き金が堅くて引けない。関口は凍りついた。あまりに焦っていて、自分の銃の安全装置を解除する事を完全に忘れていた……

 一瞬後、男は拳銃を関口へ向けて発砲した。銃弾が自分のすぐ脇を音速に近い速さで通り過ぎていく感覚に、関口は呆然となったが、きびすを返して走り出した。遠巻きにしていた野次馬達も、その音を聞きつけて一斉に逃げはじめる。再び響く銃声と共に、銃弾が風切音を鳴らして自分の右耳の横を通り過ぎた。関口がなんとか電柱の陰に走り込むと同時に、無数の銃弾がコンクリート製の電柱を叩き、夕焼けの空に乾いた連射音が響き渡った。恐らく、バンの助手席に乗っていた男だろう。再び銃弾が自分の背後の電柱を抉る。

「サブマシンガン相手じゃ、勝負にならねーぞ!」

関口は再び悪態をついて、今度こそライフルの安全装置を解除した。とにかく今は撃ち返さなければならない。関口は犯人の銃撃の合間を縫って身を乗り出し、電機館のウィンドウめがけてフルオートで掃射した。まだ割れていないウィンドウが粉微塵に砕け、犯人二人は泡を食って店の中へと身を隠す。その間隙を縫って、関口は大きな射界の得られる通りの反対側へと走り出した。それを追いかけるように強盗犯はサブマシンガンで銃弾を滅茶苦茶に撒き散らす。そして不幸にもその銃弾は、逃げ出そうとしていた見物人二人を薙ぎ倒した。道路反対側にあるバラックの露店の陰へ身を隠した関口は、血を流して倒れているその二人を見て愕然とした……

 連合保安局官職務執行法の大原則の一つには、「総督府市民の絶対保護」があり、それは時として犯人検挙よりも優先されるべき原則として、関口も再三にわたって教え込まれてきたものだった。関口の正直な心情は、撃たれた市民の安否よりも、今後自分が被るであろう叱責と非難を思い一瞬絶望する。

 それと同時に、恐怖心と緊張、そして犯人に対する怒りが入混じり、首筋の後ろがカァーと熱くなってきた。関口はライフルのセレクターをセミオートに切り替えると、叫びながら走り回る野次馬を一喝した。

「邪魔だバカヤロウ! 死にたくなかったら、伏せてろ!」

そう怒鳴り散らすと同時に、関口は身を翻してバラックの露店から歩道に踊り出て、道路向かいの犯人達に向け、数回単発射撃を浴びせる。がむしゃらにトリガーを引く度に銃の薬室から薬莢が飛び出す。関口は歩道に沿って横に走りながら銃弾を放つ。そして、偶然にも関口の放った直径五・五六ミリの銃弾の一発が、ライトバンの陰から身を乗り出していた黒い野球帽の男の腹を貫いた。拳銃を落とし、車にもたれながらしゃがみ込んだところを、店から出てきた黒い目だし帽姿の仲間に抱えられて車の陰へと消える。関口を狙って、バンの助手席にいた男が再びサブマシンガンを乱射し、関口は一目散に遮蔽物を求めて逃げ出した。それを追うようにサブマシンガンの銃弾が、歩道脇に並んだ中古ラジオやビデオデッキの露店をミシン縫いでもするかのように撃ち抜いて行く。

 関口が必至の思いで路肩に集積されたゴミの陰へ滑り込むと同時に、サブマシンガンの乱射が止まった。恐る恐る顔を上げると、バンの助手席の犯人が慌てて空になったの弾倉をマシンガンから引き抜こうとしている。関口はこの時とばかりに銃を構えて立ち上がった。

――身を隠そうともしない、馬鹿な野郎だ!

くたばりやがれ、と罵りながら関口はライフルの引き金を引き絞り、秒速十二発の間隔でバンの助手席へ銃弾を浴びせた。バンのドアやピラーに瞬く間に黒い穴が空き、男はのけぞるように窓から姿を消す。

「ざまぁ見ろ!」

関口は勢いに乗って身を乗り出し、引き金を引いたままライトバンの側面へ横一列に銃弾を穿ってゆく。ここで強盗犯全員を制圧できなくとも警察到着まで自分が敵を足止めできるだろうと関口は計算した。しかし、不幸にもミニ14は、犯人のバンに銃弾を穿つ間に全ての銃弾を吐ききってしまった。ライフルのボルトが開き、カチンッという乾いた金属音が鳴る。慌ててコートのポケットへ手を突っ込んでみてから、関口は自分の浅はかさに打ちのめされた。規則違反とは知りながら、重いからという理由で自分がいつも予備の弾倉を持って出ない事を、今思い出したのだ。関口の優位もここまでだった。

 関口が悪態をつくよりも速く、残った犯人達が関口目掛けて拳銃を無闇やたらに乱射したので、関口は再びゴミバケツの陰に腹這いになるしかなかった。空になったライフルを放り出し、両腰のホルスターからステンレス製の拳銃ベレッタM92FSを引き抜く。頭上を銃弾が音速で通過する恐怖に耐えかね、関口は二丁の拳銃だけを覗かせ、狙いも定めずにがむしゃらに引き金を絞るので銃弾は全く見当はずれの方角へ飛んでゆく。だが、犯人達は、関口の見境無い発砲に思わず身を引いた。関口はその隙に再び身を起こし、右手の拳銃だけを真っ直ぐに構えて一瞬で息を吐く。今の状況で犯人を釘付けにしておくには、車を走行不能にするしか方法がなかった。関口は犯人が隠れた僅かな間にライトバンの右後方のタイヤ目掛けて数発撃ったが、落ち着いて狙ったにも関わらず銃弾はことごとく外れてしまった。元々拳銃射撃は苦手だった。しかし、訓練をおろそかにしている事を後悔している暇は無かった。

 店の奥に最後まで残っていた犯人の一人が小さな筒を構えてライトバンの前に飛び出すと同時に関口にその砲口を向ける。身の危険を感じバケツの陰に伏せると同時に、直径40ミリの携行式榴弾砲からバックショット散弾がボンッという破裂音を響かせアケボノ電機館側から道路反対方向へ放たれた。無数のベアリング状の散弾が道路の向かい側のありとあらゆるものへ襲い掛かった。巻き添えを食った数人の若い男女がもんどりうって地面に倒れ。関口が背にしていた向かいの電気店のショーウィンドウが一瞬で粉々に粉砕された。関口には訳が判らずじまいだったが、とにかく自分にはどうしようもない状況になったので、関口はこの場から逃げ出す事にした。犯人を逃がした事についての責任を追及されるかもしれないという考えが一瞬脳裏をよぎったが、グレネードランチャーまで持った強盗相手に一人で何ができるというのだ。

 腕時計を覗くと、自分が電脳会館の店主に警察へ通報を命じてから既に六分が経過していた。自分が到着する遥か前からオンライン警報装置がけたたましく音を響かせていたのだ。この件は既に自分の責任を超えている事態のはずだった。

 関口は両手の拳銃を車に向けながら素早く立ち上がった。結果的にこの行為が関口の命救う事になった。関口は先の犯人が榴弾砲を膝立ちに構えて自分を狙っているのを目にした。

「畜生! まだ居たのかよ!」

パニックに陥りながらも関口は滅多やたらに拳銃を乱射しながら一目散にその射線から逃げ出した。その直後、携行式榴弾砲から直径四十ミリの榴弾が飛び出し、関口が今まで盾にしていたガラクタやゴミバケツの集積を爆煙と共に一瞬で吹き飛ばした。衝撃は大きな爆発音と同時に襲ってきた。背中に熱風を感じた瞬間、背後から物凄い力で押し出された。爆圧で関口の体は宙に浮き、四メートル吹き飛ばされてからトタンでできた露店の壁に叩きつけられた。全身に激痛が走ると同時に視界がパァーと白く混濁してきたが、バタンという乱暴に自動車のドアを閉める音とエンジンを吹かす音を聞きつけ関口はなんとか意識を取り戻した。朦朧としながらも上体を起こすと。車が目の前を走り去ろうとしている。

――逃がすか…… 絶対逃がすか……

自分をこんなに酷い目に合わせた犯人一味に対する怒りがこみ上げてきたので、関口はヨロヨロと立ち上がると、辛うじて右手に握っていた拳銃で走り去る車目掛け、再び引き金を引き絞った。狙い、発砲、狙い、発砲、狙い、発砲、狙い、発砲…… 当たったか外れたかも判らぬまま最後の一発を撃ち終えると、手の中のオートマチック拳銃はスライドを後退位置にしたまま沈黙し、犯人一味を乗せたブルーのバンは何事も無かったように蔵前橋通りへと猛スピードで走り去った。

 関口は全身の激痛に堪えかね、脱力して車道の真中に座り込んだ。グリーンのハーフコートのひじの部分が出血でどす黒く染まっていた。街路へ目を転じると、流れ弾を食った不幸な通行人や野次馬が至る所で血の海の中に沈んでいた。意識のある者の多くが痛みに堪えかね絶叫している。吹き飛ばされたスクラップや露店の建材、看板の破片が道路一面に散乱している。その時、ようやく自治警察のパトカーが二台、曲がり角からドリフトをきめて姿を現した。

「遅いんだよ……」

関口は車道の真中に座り込み、地獄絵図になった街路の有様を、生気を失った目で眺めていた。

「う、動くな! 武器を捨て、両手を頭の上に置くんだ!」

振り向くと、パトカーから降りてきた若い警官が二人、制式採用されたばかりの真新しいオートマチック拳銃を関口へ向けてお約束の言葉を叫んでいた。そして、自分が右手にまだベレッタを握っていた事に気が付いた。警察に対し、はらわたが煮え繰り返るような怒りが沸き起こってきた。

「バカヤロウ! こんな事をする暇があったら急いで救急車を呼べ! ケガ人が山ほどいるんだ!」

関口の銀バッチに気づき、慌てて拳銃を納める警官達に、関口は大声で怒鳴りつけた。

 慌てて無線を取りに戻る警官の背中から街路へと視線を戻す。負傷者の山と破壊だけが目に入った。怒鳴ってみても自分の敗北が変わる訳ではない事を痛感した。そうだ、自分は完全に負けたのだ……

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