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秋葉原の決闘 1

 建て増しに建て増しを重ねた中層の雑居ビルが、天を突き刺す剣山のように密集して林立し、美しくない無数の商業用の広告が、街の美観に真っ向から挑むように建物の壁面を覆い尽くしていた。決して日の当たる事の無いビルとビルの僅かな隙間には、辛うじて雨風を防ぐだけのバラックのような露店が軒を並べている。それらの頭上には、無数のケーブルが行き交ってビルとビルを繋いでいた。路上も例外ではなく、電線の切れ端やうち捨てられた集積回路の基板が路肩に掃き集められ、至るところに小さな山を築き、その脇を縫うように細いケーブルが雑居ビル、バラック、地階の店舗から伸びて、縦横無尽に歩道を覆っていた。ビルの陰となって日光の殆ど届かない地上の澱んだ空気の中を、人々は自分の欲する『商品』を求めて徘徊する。

 機械が人間よりも幅を利かす街、手に入らぬ物など存在しないといわれている街、関東有数の商業スラムである東洋随一の超高密度電脳都市、秋葉原である。

 男は、やや恰幅のいい体を上下黒の背広とダークグリーンのハーフコートで包み、スタームルガー社製ミニ14ライフルを小粋に肩に担いで、万世橋の欄干に寄りかかった。コートの胸元には、権力を誇示するかのように連合保安局保安官補の証である銀バッチが留められていた。中身は去年に大学を出たばかりの保安官補見習いに過ぎないが、ずんぐりとした体躯と世間ずれしたような厚顔、それと銀バッチの『威光』によって、分不相応に『エラそう』に見える男だった。

 そのエラそうな二等保安官補、関口伸一は橋の欄干に寄りかかり、金のロレックスを覗くと、針はもうすぐ四時を指そうとしていた。オレンジ色の西日が中層ビル群の影を大きく黒く引き伸ばし、中央通りは、ビル影でかなり薄暗くなっていた。いくら巡回を言い訳に局を抜けて来ても、さすがにこれ以上遊び歩いていれば問題になる。今まで見回ってきた隅田川沿岸のスラム一帯は、高層マンションと旧下町をしのぶ住宅が密集して、多くの建物が混在しているので、巡回も込み入った道を縫って行わなければならない。スラム化と同時に犯罪も桁外れに増加してしまい、軍用のアサルトライフルを担いでいるとはいえ、やはり相当に警戒せねば危険な場所である。その為、局を出てからの二時間は神経をすり減らしながらの巡回に費やされてしまった。

「おじさん、連合保安官?」

 ぼんやりしていた関口は脇に座っていた少年に唐突に声を掛けられ、その少年を見下ろした。この寒空の下でティーシャツに半ズボンといういでたちで脇には靴墨やブラシ、布を入れたクッキーの空き缶が置いてある。

 数十年ぶりに復活した『靴磨き少年』は、今の東京では珍しくもなんともない存在だった。国家崩壊から十年を経ても、この国に政治と経済の状況は酷いものだった。国が破産すると同時に福祉制度も瓦解してしまい、世界連合による介入と暫定統治がはじまっても、効果的な福祉活動は行われていない。その証拠に、まだ十歳前後の子供が路肩で靴磨きをしている光景は、今の東京が正常な社会のあるべき状態ではないことを示していた。その腕白そうな少年の顔をまじまじと見ながら、関口はまるで職務質問をするように聞き返した。

「お前、親は?」

「いるよ! それよりねぇ、おじさんは保安官じゃないの?」

よく見ると、足置き台に使っているのはかなり傷んだ黒いランドセルだ。隙間から覗く教科書を見る限り、小学校には通っているようだった。薄着とはいえ、ティーシャツもズボンも洗濯されているようで、きちんとした保護者も居るのだろう。困窮してというよりも、小遣い稼ぎ程度のつもりでやっているのかもしれない。

「いいや、まだ保安官じゃない。その下の保安官補だよ…… それに、おれは『おじさん』じゃない。まだ二十三だ」

ようやく関口は、面倒くさそうに少年の質問に答えた。少年は、関口の後半の言葉を無視するように、腰のベルトに付けた銀のバッチを興味津々といった様子で覗きこんだ。

「なんだ、おじさんは下っ端だったんだ」

――このクソガキめ……

関口は小さな苛立ちを飲み込み、南の通りへ首を巡らす。今日、自分は巡回のついでに久しぶりに、非合法品を扱う闇マーケットの『捜査』と『押収』を行う為に秋葉原へ来たのだった。見たいと思っていた最新映画の海賊版映像ディスクや、舶来の珍しい酒や家電、コンピューターチップ等、欲しい物が『仕事』をしながら無料で手に入れることができるので、彼にとっての宝の街なのだ。

 次第に空が夕焼け色に染まってくるので、関口は再度、左腕のロレックスをのぞいた。近年めっきり輸入量の減った製品の一つで、相変わらず高価な代物であったが、彼はその腕時計をこの街の露店から銀バッチと巧みな話術によって、タダ同然で手に入れたのだ。

「おっと、こうしちゃいられない…… じゃあな坊主、こんな所は暗くなってから子供が来ていい所じゃないから、はやくママの所へ帰れよ」

関口は橋の欄干から体を離し、説教じみた口調で言いながら、秋葉原スラムのほうへゆっくり歩き出した。少年は、関口の背中を見ながらランドセルを肩に掛け、靴磨き用具を詰めた空き缶を抱えた。

「おじさん、バイバイ!」

「お兄さんだ!」

関口が後ろを向いて叫び返した時には、もう少年は万世橋の反対側へ背を向けて走っていた。

 関口はため息をついてライフルを担ぎなおし、北へ歩みを進めた。関口は今日は久しぶりの『捜査』を大いに楽しむつもりだった。

 機械、機械、機械…… 店、店、店…… 人、人、人…… それらすべてが、決して広くない面積に圧縮されたような通路を、関口は銃を肩に担ぎ悠々と歩く。人で埋まった混雑な通路であっても、人々はその一介の保安官補へ道を譲る。関口はバッジと銃が与えてくれる権威を存分に楽しんでいた。

 元々、電気機器の量販店が集まって発展したこの街だが、第三次大戦とその後の日本解体による経済混乱を経て、エレクトロニクスに限らず、ありとあらゆる品物が流入する一大商業地帯となった。それはまるで、電気街にデパートと雑貨屋が引っ越してきたような有様で、今では街全体が一つの市場のようになっている。ポケットティッシュからメルセデス・ベンツSクラスまで、はたまた期限切れの牛乳からドンペリニョンの赤まで、『欲して、揃わぬ物など存在しない街』という通り名がつくように、この街には東京総督府の内外から家電、食品、自動車、書籍、盗品、薬物、武器、情報…… 合法、非合法の区別なく、ありとあらゆる品物が流入してくる。

 当然、非合法の品物は、総督府下の法執行機関が血相かいて取り締まろうとしているが、事件数が膨大で追いつかず、事実上はザル法に近い。

 そこに目を付けたのが関口だった。最下級とはいえ、法執行機関に所属する彼には当然、この街で当局の目をかいくぐって利益を得ている者を摘発する権限があった。だから彼は暇を見つけてはこの街へ赴き、自分勝手に『捜査』を行い、違反者から自分の欲する非合法品を『押収』するのだ。

 関口の興味はもっぱら電気機器関係の品物にあった。関口のつけこむ隙のある店の多くは、新しく流れてきた小店舗や歩道に軒を並べる露店だった。

 関口は、中央通りの脇に建つ、『電脳会館 二号館』という錆びた看板の掛かった雑居ビルに入り、建物内に詰め込まれた小店舗の密集するフロアを歩いていた。小さな店舗群は電気コードを束で売っていたり、組み立て用パソコンの部品がカゴに山盛りに置いてあったりとバリエーションに富んでいる。自宅のパソコンのスピーカーを新調しようと思い、手頃な物色先を探しながら、関口はその建物の六階まで上がって来た。

 海賊版の新作映画ディスクや警察用デジタル無線傍受装置等、非合法品は山ほど見つけたが、自分が欲しいと思う物は見つからなかった。その程度の無害な商品には手を出さないし、保安局の上司や警察にも報告しない。それがこの街に対してはかる、関口なりの『便宜』だった。六階まで上がってくると、電脳会館内にも関わらず、食品店や雑貨屋、CD屋をやっている店もあった。関口は薄暗い通路をぬって階段を探す。ここから上のフロアは建て増しした階なので、エレベーターは通っていない。

 ようやく階段を見つけ、関口は七階へと上がった。そこには馴染みの違法ゲームソフト屋が、三畳半ばかりのスペースに数百本のゲームソフトディスクを並べて商売をしていた。

「おじさん、お久しぶり。なんか新しいのは入った?」

関口が親しげに挨拶をすると、ビン底眼鏡をかけた店主は露骨に嫌な顔をした。どんなルートで仕入れているのかは謎だが、この店はこの周辺では新作ゲームソフトの海賊版がどの店よりも早く発売される店で、その品揃えや品質も申し分ないものだった。

「なんだよ、関ちゃんじゃないか。まったく、いつも間の悪い時に来るなぁ……」

とうてい挨拶とは呼べない店主の応対に、関口は思わず笑った。

「あのさぁ…… お得意さんが来たんだから、いらしゃいませくらい言ってよ」

仕方なく店主は、おざなりにいらっしゃいませと呟いた。

「ところでおじさん、先月発売の第三次世界大戦の戦略シュミレーションゲームはもうある? 『WW3・スーパーネオコンウォーズ』ってやつ」

「ああ、先週入った。お勧めだね、まけとくよ」

店主はギッシリ詰まった商品ラックから、ビニール袋に入ったディスケットを抜き出した。色鮮やかなパッケージもなければ、カラフルな説明書もない。市販の書き込み用ディスクの盤面に、マジックペンでソフト名が走り書きされているだけだ。明らかに海賊版のディスクだが、これをゲーム機に入れれば正規品と変わりなく作動するのだ。

「これ、明らかに税関通ってないよね? これは大変な物を見つけてしまった。連合保安官職務執行法の権限によってこの海賊版ディスクを押収する」

関口は芝居がかってそう言うと、ディスクはするりとハーフコートのポケットに吸い込まれた。

「おい、そりゃねーよ! せめて、半額ぐらい置いてけって!」

店主は精一杯抗議した。その二人のおなじみのやり取りを、向かいの店の雑貨屋のおやじが笑いながら見ていた。

「泣く子と保安官補には勝てねーよ」

あきらめた店主はふくれっつらになって言った。

「そもそも、いくら著作権がどうのって言ったって正規品のソフトが4万なんて。こんな不況のどん底みたいな御時世にどこの子供がそんなゲーム買えるかってんだ! だからよぉ、おれは少しでも子供に楽しみをと思って」

「おじさんの哲学は十分に判ってるって…… この物価高じゃ、まともな遊び道具一つ買えやしないからね。代わりにいいこと教えてあげるよ」

関口は相手をなだめながら、携帯電話を取り出し、スケジュールを参照した。

「えーと、今月末あたり、注意したほうがいいよ。保安局と警察合同でローラー作戦をやるらしい。メインは危険物の摘発だけど。商務局の役人も同行するって言うから知財絡みの商品は危ないかも。仲間にもそう伝えておいたほうがいい」

仕方ねぇとばかりに店主はうなずいた。

「まったく、表通りのやつらがヤバ過ぎな物まで売るから、おれ達みたいなのが迷惑するんだよ」

 実際、表通りで営んでいたある廃品屋が保安局に摘発された際、その店が裏で売りさばいていた品物なかには手榴弾や自動小銃等の軍事用火器や神経ガスの缶詰までが発見され、法執行官達は色を失った。その為、東京の法執行機関は秋葉原を重要警戒地区に指定し、監視を強めていた。雑貨屋のおやじの言葉に、関口は付け加えた。

「最近、税関も自分たちだけで調査しているから、おやじさんも気を付けた方がいいよ」

「そりゃ、まじーな……」

おやじは頭を掻いた。

 この手口で、関口は秋葉原中からありとあらゆる品物をくすねてきた。しかし、店主達とのこの双務的関係は決して破綻することはなかった。もし点数稼ぎに奔走する警察や無闇に厳格な保安局職員に見つかれば、違法品を扱っていた店は営業許可を剥奪されてしまう。それは、このスラムで生計を立てている者が明日から路頭に迷うことになり、しいては買い手である貧しい市民の生活も圧迫する事になるからだ。

 関口が一通り物色を終えて一階へ下りようとした時、階下の方から何やら人々の騒がしいざわめきが聞こえてきた。騒がしい上に、階下は大勢の人であまりに混雑しているので、回り道しようと別の階段へ足を向けようとした時、顔見知りのジャンク屋の親父が慌てて階段を上がってきた。

「おい、大変だ! たった今、アケボノ電機に大きなワゴンが突っ込んだ! 銃声も聞こえたぞ。あれは強盗かもしれない!」

「は? マジかよ! 只の事故じゃないのか?」

関口は舌打ちをした。もしも本当に強盗だとしたら厄介な事になる。今は自分一人しかいないのだ。

「とにかく、あんたは保安官だろ? 行かなくていいのか?」

「保安官じゃない、保安官補だよ……」

言い訳にならない悪態をつきながら関口は、肩に担いだライフルの薬室に初弾が装填されている事を確かめ、左右の腰のホルスターに差した二丁の拳銃をなでた。自分一人で武装強盗と対峙するなんて状況は御免こうむりたかったが、行かない訳にはいかない……

「非常口はどこだ! それから警察を呼んでおけ!」

関口はそう怒鳴ると、ジャンク屋の親父の指差す方向へ走り出した。

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