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エピローグ

 永田町。総督官邸の執務室で、行政長官のハル・ダーリントンはランチタイムを迎えていた。今日は昼食会の予定もない。予定が無い限り、ダーリントンは自室のテーブルで静かに昼食を取るのが好きだった。

 今日のメニューは、スライスしたパンにサラダとチーズとベーコン、ピクルスを付け合せたプラウマンズ・ランチだった。パンに具を挟んでゆっくりと咀嚼する。噛んだレタスとピクルスがカリカリっと心地良い音を立てた。この国の文化では昼間の飲酒はあまりメジャーではないので極力公にはしていないが、食事に合わせてイギリスから送らせたエールを半パイントだけ嗜む事もあった。

 食事を終え、エールを飲み干し、ダーリントンは食後のダージリンティーを頼み、午後の会議資料をめくりはじめた。

 事務官が急な来客を告げたのはその時だった。連合保安局のアルバート・シュルツが急な用件で面会を求めてきたとのことだった。ダーリントンはシュルツを招き入れるように命じ、同時に補佐官のレイモンド・ディマと部下の行政官二人を招集した。

 ダーリントンの斜め向かいのソファーに座ったシュルツは、ブリーフケースから数枚の写真を取り出し、ダーリントンへ差し出した。

「彼の名前はケンイチロウ・マエシマ。警察局の駆け出しの上級官吏です」

写真には、前島が六本木のショットバーで記者の女と会っている際の様子が写っている。それは村岡と加瀬が隠し撮りし、現像したものだった。ダーリントンは写真をつまみながら足を組んだ。

「もっと年がいっていると思ったがこれで二十代とは意外だね……」

 シュルツは総督府の政策決定者達へ、前島が起こしたマスコミへの情報提供容疑について手短に説明した。

「公務員による極めて悪質な情報流出事件であり、背後には組織的関与も疑われます。保安局単独で処理すのは不適当と思い、伺った次第です」

「ふむ……」

ダーリントンは、隣に座る補佐官のディマやテーブルに寄りかかっている二人の行政官の方へ体を向けた。

「君達はどうするべきだと思う?」

行政官の二人組みは顔を見合わせてから、まず太っている方が口を開いた。

「これは反撃の格好の材料です。是非とも問題を大きく扱い、自治警察局の腐敗ぶりを糾弾するべきです」

すると隣の痩せた背の高い行政官も大きくうなずきながら、話し出した。

「私もそう思います。この際、完膚なきまでに警察局を叩き潰すべきです。保安局の士気も上がるでしょう」

その行政官はその場でアッパーカットをするような身振りをして自信満々に言った。

 ダーリントンが隣の補佐官を見ると、補佐官はまるで行政官達など元々そこにいないかのように他所を向いて黙っている。

「それは…… 実に痛快ですな……」

シュルツはそう言うと、笑い出すのを我慢するように口元を手で覆った。ダーリントンは無表情で深くため息をついた。

「なるほど、警察をやっつける。結構なことだ。だが、その後、連合保安局だけで警察の代わりができるかな? 言っておくが、警察局は扱いが面倒な機関ではあるが、決して倒すべき敵ではない。君達は次の会議の準備を進めてくれたまえ」

ダーリントンがそう言って退出を命じると、二人の行政官は顔を赤くし恥ずかしそうにうつむいて執務室を出て行った。

 ドアが閉まるとシュルツが笑いだした。

「彼らには、もっと事務的な役職が向いているのではないですか?」

ようやくディマも顔をこちらに向けた。ダーリントンはくたびれたように深くソファーにもたれかかった。

「アルバート、君はどうしたらよいと思っているんだ? 考えが無ければわざわざ来ないだろう?」

シュルツは身を乗り出した。

「実は、今回の件を突き止めた者を一緒に連れて来ております。非常に有能な男で、魅力的なオプションを提案してきました。お会いになりますか?」

ダーリントンが許可を出し、事務官が初老の保安官を連れてやってきた。

「新宿オフィス所属、村岡智光 二等保安官です」

コートと帽子を手に村岡が直立して名乗った。

「楽にしてかけてくれ。さっそく貴官のアイディアを聞こう」

ダーリントンは村岡をソファーへ促しながら言った。村岡は腰掛けると、シュルツと顔を見合わせながら説明を始めた。

「今回の警察局の職員による情報提供容疑は極めて許されざる行為です。それも彼一人の単独犯ではなく上層部の意思決定による可能性が高い事件です。だが、この前島警部補はまだ入局して二年の駆け出しです。非常に前途の有望な男ですので、時間を経ればさらに昇進を続けるものと思われます」

「なるほど…… 続けてくれ」

ダーリントンはうなずきながら補佐官へと目をやる。補佐官のディマも興味を持ったようで、じっと村岡を見つめていた。村岡は続ける。

「現時点で彼の行為を糾弾することは容易いでしょう。ただ、その地位や年齢を考えると、トカゲの尻尾にされて事件の幕が下ろされてしまうかもしれません。確かに今公開すれば警察局に大きなダメージを与える事はできるでしょうが、それで得をするのは犯罪者達だけでしょう。ならば一層、この情報をこちらで一時封印し、彼が相応の権限と地位を得るのをじっと待つ方が有益です。彼が昇進すればするほど、こちらの手札は強く大きくなり、手札を切った時の影響力も増大します」

話が読めてきたのでダーリントンはなるほどと驚いたような顔で補佐官を見る。シュルツはニヤニヤと嬉しそうに笑っていた。

「スリーピング・セル(休眠細胞)……」

ディマはうなずきながら、一言だけつぶやいた。

「前島警部補は警察局が抱え込んだ爆弾です。彼が出世すればその爆弾はその分だけ大きくなります。私達は好きな時にそれに点火すればいい。魅力的な案とは思われませんか、総督代行」

シュルツが畳み掛けるように言った。ダーリントンは前島の写真を見てうなずき、補佐官の意見を聞く。

「私は異存ありません」

ディマはそう言ってうなずく。ダーリントンはまたも写真を見つめた。

「インスペクター・マエシマ、彼もまだ若いのに気の毒な男だ……」

ダーリントンはそうつぶやいた。

 同時刻、秋葉原のメイド喫茶で店員にちょっかいをだしていた前島賢一郎は、突然鼻腔内にむず痒さを感じ大きなくしゃみをしたが、その因果関係を知る者は神のみである。



 元は自衛隊と呼ばれていた領域防衛隊と世連軍の共同訓練施設が設けられているキャンプ朝霞。緑色の芝が植えられた訓練施設のグラウンド、その隅に建てられた観覧台で笠木はぼんやりと射撃訓練を眺めていた。夕闇が迫った訓練場には、ごつい教官とマンツーマンになって指導を受ける関口と菱川の姿があった。

「関口、何度言わせる! 拳銃は可能な限り両手で構えろ! お前は西部劇のガンマンじゃないんだぞ!」

「こら菱川! またトリガーを引く瞬間に目を瞑ったな! しっかりと標的を睨みながら引けと言っただろう!」

それぞれに教官の怒鳴り声が頭から浴びせられた。

「お前達! またはずしたのか! 今日は全弾当たるまでやるぞ! 罰として、ランニング、グランド五週だ!」

「そ、そんなぁ……」

「む、む、む、無理ぽ……」

べそをかいている菱川と逃げ出してしまいたい衝動に駆られている関口は、必死に抗議しながらもよろよろと広いトラックでランニングを始める。

「あれだったら懲戒免職の方が良かったって思ってるんじゃない?」

世連軍の女性士官用の制服で変装した第五資料室のエリザベス・チェンがいつの間にか笠木の横に立っていた。

「怖いなぁ…… 急に現れないでくれない? それにしても、基地の中まで入ってきて大胆だね」

笠木は少し驚いた様子で苦笑いした。

「新中央警備は捜査と自主的な社内調査が終わるまで業務を停止よ。大企業だけに混乱が拡大しているわ。警備業界全体の株価も底なしの状態」

そのスキャンダルが社会に与えた影響は大きかった。大手警備会社内に存在した闇のネットワークが顧客の情報を犯罪者に売り渡していた事と、東京中を荒し回っていた強盗団による事件の半数が狂言であった事をテレビのニュースとワイドショーが連日連夜、センセーショナルに報道しつづけた。

「同僚に、この一件で財産を失った奴がいてね…… 局では、なかなかその話できないんだよ」

笠木が笑いながら言ったので、チェンも笑った。

「そりゃお気の毒様…… 報道を見る限り、関口保安官補のネタも賞味期限切れかしら」

チェンは四つ折にした新聞を見ながら言った。一面丸々新中央警備と連続強盗に関わる事件だった。

「ああ、多分ね。僕の時と同じで、次に何か起これば皆忘れてしまうよ」

 チェンはしばらく黙ってから別の話題を振った。

「ねぇ、武装強盗とその指南役の正体は暴かれ、見事に事件は解決と、世間ではそうなっているけど、イケメン伊月保安官の読みではそうじゃないそうね。ミスターXというコンダクターは別にいるって?」

「知ってるくせに…… 局に上げた報告書には、正井について数行しか言及してないし、表向きでは台湾人強盗団のパトロンは香取って事になってるけど、実際には、香取はミスターXではないらしい。確かに出納役の広田や警備会社の遠藤って男の話を聞けばその方が自然だよ。捕まった遠藤という男の供述によれば、山口という産業スパイがお膳立てしたっていうけど、その後、世連軍が介入して取調べができなくなった。きっと舟渡の事件に関わるからでしょ?」

「別にわたしが邪魔している訳じゃないんだから、そんな顔で睨まないでよ」

怖い顔を向ける笠木に、チェンは弁解するように手を振る。一介の情報員に八つ当たりしてもしょうがないので、笠木は表情を和らげてあくびをした。

「結局、全てを取り仕切ったミスターXだけが捕まらずにどこかへ逃げた。ご丁寧に協力者の香取を始末してね…… まぁ、連続強盗とミカミ電算襲撃を繋げる証拠の糸が、香取の死でぷっつり切れてるから、この事は報道されてないけど、警備会社の連中がアキリーズの再セットとバージョンアップを行うと慌てて発表しているところを見ると、やはり香取が社内情報をリークしてたんだろうね」

事件後、警備会社大手五社はアキリーズ・システムに深刻な不具合が存在したとして、全ての利用顧客にシステムの再セットアップを行う事を発表していた。

「そもそもアキリーズなんて、名前からして縁起悪い。いくら無敵だって、かかとを狙われたら死ぬんだよ?」

笠木が少し笑いながら言ったので、チェンもその言葉を受けて冗談を言う。

「アハハ、その香取ってオッサンが『無敵のアキリーズのかかと』だったわけね。そして、伊月保安官が虎ノ門で正井を見た?」

「うん、香取を撃つところは見てないそうだが、本人は間違いないと言ってる。彼が言うなら、そうなんだろう。もし正井がミスターXだとすると、しっくりくる。本人に聞いてみたら?」

「えー、あの人に会うなら、もっとちゃんとオシャレして来ないと駄目だわ」

チェンが自分の顔を撫で回す素振りでそう言ったので、笠木は呆れて首を振り、冷えて硬くなった体をほぐす為に両肩を回した。

「ともかくミスター、貴重な情報をありがとう。代わりにうちからも一つだけ。ここからは独り言だから聞き流して。実は最近、札幌にいる軍閥の上層部は『電脳戦』にご執心なの。コンピューターとネットを駆使したハッキングやサイバーアタックによる戦いでは、古くから力を入れていた中華人民共和国が攻守共に世界最高レベルの技術を持っているわ。北海道のお偉いさん達は昨今、その戦略の重要性をおくらばせながら認識したの。一方、世連軍の一部は同じ頃、電脳戦で優位に立つ画期的なプログラム兵器を開発しようとしていた。わたしにも細かい事は知らないけど、『クローン人間を造る事以上に画期的』な研究をしていたそうね。その開発研究を任されていたのがミカミ電子。その研究内容に大いなる興味を抱いた軍閥上層部はその強奪をプロの工作員に命じた…… 独り言おしまーい」

笠木は返事をせず無言でうなずいた。

「じゃあ、シー・ユー、ミスター」

エリザベス・チェンは立ち上がると、隙一つない直立不動の姿勢を取って敬礼し、決まった歩調で歩き出した。確かにあれでは世連軍の女性士官にしか見えず、だれも部外者だと疑わないだろうと笠木も感心しながらチェンの背中を見送った。

 笠木は腕時計を見つめた。もう少しで明白かつ現在やるべき『自分の仕事』が始まる時間だった。確かに背後の闇は大きかったが、今自分のやるべき事は幸いにして明確だった。

「そろそろ時間だ」

 観覧台の側へ伊月が歩いてきた。伊月は歩き去る世連軍の制服を着た女の背中を見つめた。

「あの女、知り合いか?」

「いや…… ナンパされただけ。サインくれってさ」

――あの女、どこかで見たような……

伊月は首を傾げながら女の背中を見送った。笠木はボルサリーノのソフト帽を被りなおした。

「それで、今日はどこ行くんだっけ?」

「今夜、横浜の大黒埠頭でウラジオから来た貨物船を制圧する。今日は網にかかるかもしれん」

伊月が相変わらずの厳しい口調で言った。

「了解、じゃあ行こうか……」

二人は銃を手に駐車場へと歩き出した。


〈了〉

 この長編「ロングコートアーミー」を最後までお読みいただきありがとうございました。分量としましては厚手の文庫本二冊組みくらいになるのでしょうか。三オタク主義にのっとった、非常に独りよがりな内容のこの作品ですが、もし一人でも面白いと思って頂ける方がいればこの上ない喜びです。

 まず、感想を書いてくださった方々、活動報告で紹介してくださった方々、そしてお気に入り登録してくれた方すべてに最大限の御礼を申し上げます。

そして本作「ロングコート~」を目を留めてくれた方すべてに心よりの感謝を。

(一人アカデミー賞は閉会です。ここからつまらない話)

 えーと部分的には非常に消化不良な展開で幕となった今作ですが、世連軍がミカミ電子計算機で開発していた物は「マクガフィン」です。ヒッチコック監督が良く使った「マクガフィン」。ご存じない人はWikipediaでマクガフィンを検索してみてください。

 ボンヤリとは明かしましたが次回作に絡むかどうかは未定です。少なくとも次回作には、今回のラスボスになるはずだった日本共和国の正井は多分出ないでしょう。現実の世界では、一度取り逃がしたスパイや工作員と因縁の対決が待っているなんて事はまず無いですね。はい、正直に言うとネタを考えていないだけです。すみません。ではまた次回作でお会いしましょう。

 改めまして、ここまで読んでくれた方にすべてに最大限の感謝とお礼を……


(今後、細々と誤字脱字掃討、文章改稿をやっていきたいと思います。)

                   二〇一一年 四月二三日

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