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羽田インターナショナル

 関口は、ギャランを羽田空港の第一ターミナルの一階に面する車寄せに滑り込ませた。笠木はすぐに窓を開け、屋根に載せた回転灯を取り外した。周囲にはタクシーやハイヤー、リムジンバス等、無数の車が到着客を待っていた。笠木が腕時計を確認すると、目当ての飛行機の到着まであと十分だった。

「よくやった。間に合ったよ」

笠木は関口の労をねぎらいながら、車外の様子をキョロキョロと見回した。

――もし、狙う者がいるとするなら、素早く逃走する為に一人はエンジンをかけたままの車で待機している筈だ……

 仮に襲撃者がいたとして、連れ去るか殺害するというアクションに出る場合、成人男性をターゲットとするならばフリーランスのプロでない限り単独で行うとは考えづらかった。少なくとも、人目につく空港で動くなら、迅速さと確実な行動が求められるだけに、単独犯という可能性は低いだろうと笠木は推測した。

「もし…… もし、敵がいるとしたらこの車寄せのどこかに車両で待機している者がいるはずだ。プラス、襲撃者が最低でも二人。つまり敵は最大でも三人はいると思った方がいい」

笠木は周囲を見回しながら言った。

「緊急に備え、君はこの場でエンジンをかけたまま待機。すぐに脱出できるようにしてて。……まぁ、何も起こらないと思うけどね」

関口は深くうなずいた。

「おれも心からそう願ってます……」

笠木は関口の肩を慰めるようにポンポンと叩くと、自分の金バッジをコートから内側のスーツの胸ポケットに留めなおした。

「バッジは見えないところに留めなおして。ただし銃を手にしたらすぐに身分証とバッチが見えるようにすること。そのままだと警察や仲間に撃たれる可能性があるから」

関口は言われた通り、バッジをハーフコート下のジャケットに固定した。笠木はわきの下のショルダーホルスターにある拳銃固定用のフラップを外し、すぐに引き抜けるようにした。笠木は少し考えてから、長くて目立つショットガンを後部座席に置いた。

「持っていかないんですか?」

「ああ、コートの下に隠してもちょっと不自然に見える。じゃあ行って来る」

笠木は車寄せに停車してある車に目を走らせながら車外へ出ると、足早にターミナルビルのエントランスへと入る。現時点では明らかに襲撃者の乗っていそうな車を確認することはできなかった。

 到着ロビーにある大きな電光掲示式の到着時刻表で着陸予定時間を確認した。

「時間通り…… 北ウイングか」

時計を見ると、到着まであと六分だった。笠木は関口に、車をもっとターミナルの北ウイングに近い車寄せへ動かすよう携帯電話で指示し、屋上の展望ラウンジへと上がった。

 展望ラウンジに出ると、ちょうど南日本エアウェイズの、白地に黄色いストライプを引いたペイントのボーイング737がB滑走路に滑り込んできた。機体は無事に着陸すると、ゆっくりとタキシーウェイを回り、ターミナルの方へとやってきた。北ウイングのボーディングブリッジとの接続準備がはじまった。



 伊月の運転するセドリックは谷町ジャンクションで渋滞に引っかかっていた。前方の合流でトラック同士が接触事故を起こしており、路側帯には警視庁交通機動隊のGT-Rが事故処理のために止まっていた。

 伊月は窓を開け、道路上で交通整理をしているヘルメット姿の警察官に声を掛けると、その警察官は露骨に嫌な顔をした。

「お宅の仲間が暴走したおかげで、この有様だ! 一体、どういうつもりなんだ?」

伊月はすぐに笠木と関口の仕業だと悟り、ため息をついた。

「申し訳ないが、苦情は上へ伝えてもらいたい。今は人命がかかっている。路側帯をあけてください」

その言葉に警察官は思わず怒鳴りだしそうになったが、先程のギャランの時のように、下手に関わって銃を向けられてもたまらないので、怒りを腹に飲み込みながらGT-Rを移動させようと、歩いていった。



 笠木は、展望ラウンジから急ぎ足で一階の到着ロビーまで駆け下りた。北ウイングにあるガラス張りのゲート前は多くの旅客や出迎えの人で賑わっていた。警戒すべき対象が多すぎる上に、これから銃弾が飛び交うかもしれない危険な所にこれほど一般市民が多く集まっているので、笠木は様々な懸念を感じ、ストレスで頭が痛くなってきた。

 笠木はエスカレーター横の柱を背にして立ち止まり深呼吸した。先ほど印刷した資料の写真をポケットから取り出して、もう一度脳裏に焼き付けようとじっくりと眺める。対象は眼鏡をかけたやや太り気味の小男で、これといった特徴を感じさせない人物だった。広田の特徴の無い風貌以上に、手荷物受取り所に面したゲートが北ウイングだけで六箇所もあることに、笠木は少し焦りを感じた。

――一人でカバーするのは無理だよ……

笠木は内心でそう悪態をつきながらゆっくりと周囲を見回した。MP5サブマシンガンを構えた常駐警備の制服警官がエレベーターの横と五番ゲートの横にそれぞれ一名、周囲を見回していた。笠木はゲートの真正面に位置する案内所の横に場所を移し、周囲の民間人の様子をさりげなく観察していると、車寄せの方から黒いジャンパーに出動帽を被った私服警官三人が到着ロビーへと入ってきた。

――奴等が『真打ち』か

笠木は警官達に話し掛けて、自分が来ている事を知らせようかと思ったが、黙ってここで見ている事にした。この三人が警察官である事は、紺色の出動帽のせいでプロの犯罪者ではない一般市民にも一目瞭然であった。そんな相手に接触して、どこにいるかもしれない襲撃者達に自分の身分をバラすよりも、ここで一般市民を装いながら襲撃者を探すほうが上策だと笠木は判断した。

 笠木は、ガラスの向こうのイミグレーションフロアを見ながら話し込んでいる刑事達から、北ウイングの『出会いのひろば』と呼ばれる待ち合わせ場所にいる一般人へと注意の矛先を戻した。案内所の横で、笠木は空港案内のパンフレットを読む振りをしながら周囲へ視線を走らせた。大きなスーツケースを手にベンチに座って話している中年の男女、手荷物発送カウンターで手続きをしているサラリーマン風の男。集団で地べたに座り込んで大声で話している大学生風の集団…… とても把握しきれない雑多な人々の中から不審な者を選別する作業は、笠木の得意とするところではなかった。そもそも保安局にも証人保護や要人警護を専門とする警衛警備班が存在するのだが、元々人員が少ない上に今日はたまたま世連の幹部が来日している事もあり、全ての要員が出払ってしまっていた。

 証人護衛の専門訓練を受けていない笠木だったが、神経と視線を研ぎ澄ませてひたすら周囲の人々の行動に目を光らせていると、六人ほど、『ちょっとした違和感』を感じさせる者が浮び上がった。

 一人はさっきから電光掲示板を見たまましばらく動かない中年の男。二人目は手荷物用のカートにスーツケースを三つも乗せて、誰かを待っているかのようにじっと手荷物受け取り場の方を見ている若い男。三人目はベンチに腰をかけ新聞を広げている男で、どことなく視線が紙面よりもやや上方を泳いでいる時間が多いように思えた。四人目はさっきからずっとエレベーター横の公衆電話の受話器を耳に当てながらロビー全体を見回している男で、もうすでに五分以上話している。その上、口がほとんど動いていなかった。五人目と六人目は二人連れの初老の男で、アタッシュケースを手に先程からソワソワと時計と時刻表に落ち着きなく視線を巡らしながら、誰かを待っている様子だった。

 リムジンバスの出発を知らせるアナウンスが流れた時、マークしていた二人連れの男達の元へ、もう一人の老人がトイレから小走りに駆けて来た。三人は慌てた様子で車寄せのある外へと出て行く。

――ハズレか……

笠木は別の対象に注意を移した時、ガラスの向こうから新たな到着客の一団がゲートからゾロゾロと『出会いのひろば』へと出てきた。刑事達も注意ゲートへと向けた。多くの人がそれぞれに動き出した。笠木は眉間に皺を寄せた。

 写真と大差ない風貌の、アロハシャツ姿にパーカーを羽織った小柄な男が出てきたのはその時だった。小ぶりのスーツケースを乗せたカートを押して出てきたのは、間違いなく北総銀行・出納役の広田寛司だった。出迎えの警官達も気づいたようで、広田の進路を塞ぐようにして声を掛けた。笠木はバッジと身分証を外から見えるように留め直し、振り子のような大またで歩き出した。他の多くの一般客と同時に、『四人目の男』が受話器を電話に置いてまっすぐにゲートの方へと歩き出した。右手がハーフコートの下に隠れていた。笠木が、新聞を読んでいた『三人目の男』を確認すると、男はベンチの傍らに置いたショルダーバッグに手を突っ込んでいる。二人とも視線は刑事と広田をまっすぐ凝視していた。

「広田寛司さんだな? 警視庁羽田空港署の者だが、お宅さんには重要……」

刑事が広田に声を掛けた時、笠木が大声を上げた。

「連合保安局だ! 周囲警戒しろ!」

スーツの懐に右手を突っ込んだ笠木がバッジを掲げながら近づいた。笠木は刑事達のすぐ後ろまで歩いてきたかと思うと、ホルスターからコックド・アンド・ロックド状態(拳銃のハンマーを起こし、安全装置をかけた状態。安全装置を解除すれば、軽く引き金を引いただけで発砲できる)にしてあったM745拳銃を引き抜く。親指でセイフティレバーを押し上げながら腰を落とし、左足を支点に百五十度右へ体をターンして両足を開く。両腕でまっすぐに支えられた銃がぴたりと静止した。

 六メートルの距離から、瞬時に完璧なアソスレス・スタンスで自分の顔へ銃口を向けられた『四番目の男』は、驚愕して足を止めた。だが、愚かにも反射的に撃ち返そうとジャケットからベレッタM85拳銃を引き抜こうとした。

――クソッ、ビンゴか!

男の手に拳銃の黒いグリップが見えた時点で、笠木は引き金を絞った。額を撃ち抜かれ、頭蓋骨の前半分を潰された男は、顎を仰け反らせたまま膝を突いて倒れた。

 銃声と共に周囲は悲鳴と混乱に満たされた。死んだ男の手にしていたサウンド・サプレッサー付きの拳銃が音を立てて床に落ちる。笠木はターゲットの死亡を確認する間もなく『第三の男』を一瞥した。ショルダーバッグから出た手には、大きなくの字型の鉄の塊が握られていた。笠木は上体をひねりながら躊躇無く撃った。ダブルタップで放たれた二発の銃弾は、事前に危険を察知し身を仰け反らせた男の頭上を通り過ぎた。ベンチの背後にある金属製のオブジェに銃弾が当たり、周囲に鈍い音が響く。男はベンチの後ろに倒れこむと、隣に座っていた中年の男女を盾にして身を屈める。

 笠木はその隙に、隣で口を開けたまま立ち尽くしているスーツ姿の男にタックルして床へ弾き飛ばすと、次に警護対象である広田を、体重をかけて押し倒した。

「撃たれるぞ!」

呆気にとられる刑事達の横で、でっぷりと太った老婦人が恐怖の為に悲鳴を上げた。広田もろとも床に倒れた笠木は、その老婦人の膝裏を革靴で思い切り蹴りとばす。七十キロはあろうかというふくよかな体が真後ろに激しく倒れたその時、凄まじい連射の銃声が人々の鼓膜を襲った。笠木が見ている前で、老婦人の免税品を満載していたカートがあっという間に穴だらけになって弾け飛び、ようやく拳銃に手をかけた私服警官の三人は、見えない五寸釘に貫かれたように血まみれになりながら身をよじって床に倒れた。

「撃つぞぉ!」

ようやく、近くにいた制服警官が襲撃者へサブマシンガンを向けて警告の声を上げた。その刹那、別の方向から轟いた銃声とともに警官が突き飛ばされたように倒れた。

「まだいたか!」

笠木が辛うじて顔を上げると、まったくマークしていなかった男が出入り口付近で拳銃を手にしていた。寝そべった姿勢のまま笠木は応戦しようと銃を向けたが、居合わせた旅客が一斉に右往左往と逃げ出しはじめ、完全に射界を塞がれた。混乱の合間に笠木は起き上がると広田の腕を引っ張りながらエレベーターシャフトの柱の陰に飛び込んだ。だがすぐ柱へ銃弾が撃ち込まれはじめた。第一ターミナルの到着ロビーは完全に阿鼻叫喚の修羅場となった……

 単発の銃声とその後の連射音は、ターミナルの外の車寄せにいた関口の耳にも届いた。

――え? マジで!

まさか本当に銃撃戦になるとは思っていなかった関口は、ハンドルを握る手がガクガク震えた。

「ど、どうすんだ? どうすんだ? ここにいていいのか?」

関口は狼狽しながら、腰のホルスターに挿した拳銃をさわる。

 多くの利用客が車寄せへと逃げ出してくる。多くの人がいる場での銃撃戦…… 関口は秋葉原での戦いをフラッシュバック的に思い出した。命令ではこのまま車で待機しているべきなのだが、銃声は鳴り止まない。少なくともこのフルオートは笠木によるものではない。様子だけでも見に行くべきだと思った。バッジを上着のハーフコートに留めなおすと、関口はソードオフ・ショットガンのスリングをたすきがけにして車の外へと飛び出した。


 笠木は相手の射撃の合間に二発撃ち返したが、二発とも標的を逃した。笠木はゴミ箱の陰から顔を覗かせたが、たちまちゴミ箱を銃弾が貫通し、慌てて身を縮めた。

「マシンピストル!」

笠木はM745の弾倉を交換しながら歯軋りした。

 同様に襲撃者達も焦っていた。彼等は決して暗殺のプロではなかった。元々は、警察の不意を討って護衛もろとも広田を殺害し、大騒ぎになる前に車で脱出する手筈だった。だが、自分達が仕掛ける前に、急に飛び込んできた保安官に仲間を殺され、結果的にプロである保安官と撃ち合う破目になり、当初の計画は完全に崩れていた。

 男はスチェッキンASP・マシンピストルの空の弾倉を交換し、仲間に合図した。

「回り込め、片付けろ!」

男はそう言って、柱の周囲に再度フルオート射撃を浴びせかけた。拳銃を手にした仲間が柱の反対から仕掛けようとした時、外からロビーに突っ込んでくる影が見えた。その影は両手に握った拳銃を突き出し、自分達へ向けて猛然と乱射を始めた。

 物陰から覗いた笠木は唖然とした。二丁拳銃で関口が敵へ突進する様は、まるでアクション映画の主人公のようだった。ただ、狙った相手に弾が全く当たらないという点だけを除けば…… 銃弾が足元や体のすぐわきをかすめ、回り込んで笠木を撃たんとしていた男は激しく転倒した。そしてマシンピストルの男は不幸にも、関口の乱入により注意を削がれ、銃構えるフォームを崩した。笠木にはそれで十分だった。笠木は物陰から辛うじて見えた敵の膝頭を撃った。相手が体勢を崩すや、笠木は飛び出し、ラピッドファイアで右胸、左胸に一発づつ。マシンピストルの男はジャケットを真っ赤に染めて感電したように硬直した。

「とった!」

笠木が最後に眉間を撃ちぬき、男は完全に床に崩れ落ちた。

 関口は転倒した男を拳銃で狙い撃つが一向に当たらないので、慌てて拳銃を捨てて〈オート・ルパラ〉を腰だめに構えて撃った。散弾は一発で敵を捕らえ、襲撃者は転がる丸太のように弾き飛ばされた。銃を構えたまま素早くターンした笠木が、まだもがいているその男の頭を撃ち抜いてとどめを刺し、二人は身構えたまま周囲を見回した。

「関口、命令違反だがよくやった! 周囲警戒、離脱だ」

「アイ、サー!」

緊張のあまり関口は、先日洋画で見た海軍式の返答をしながら周囲の一般客を見回した。サブマシンを構えた制服警官が慌てて走ってきたので、関口はバッジを見せながら救急車を呼ぶよう怒鳴った。

 笠木は柱の陰から広田を引っ張り起こした。

「ケガはないですか? さぁ早く」

「これで終りだろうか?」

かなり平静を保った口調でそう言う広田に笠木は面食らいながらも、庇うようにしながら外へと連れ出した。



『羽田空港、第一ターミナル内で発砲事件発生。繰り返す、羽田空港……』

無線が急を告げたのは、首都高速を降りてすぐの事だった。

―――間に合わなかったか!

伊月はそのままアクセルを緩めず、サイレンを鳴らしながら第一ターミナルを目指した。空港へ通じる出入り口脇に待機している、バスを改造した警視庁の青塗りの輸送警備車が待機場所から動き出した。空港警備の対テロ部隊を乗せている輸送警備車が動き出したので、事態は深刻だ。伊月は警備車の横を抜き去り、車体後部の駆動輪を滑らせながらターミナルへ至る最後のカーブを通り抜けた。

 第一ターミナル一階の車寄せには、ロビーから逃げてきた利用客や慌てて走り出す車等で混乱していた。南ウイング前を通過すると前方の車寄せに、見慣れた白いセダンが止まっているのが見えた。すぐに関口のギャランだと判ったが、前方に止まっていたトヨタ・サーフが急に、ギャランの前方を塞ぐようにして動くと、運転席から男が飛び出してきた。伊月は危険を察知した。



 笠木はギャランの後部座席に広田を押し込むと、助手席に飛び乗った。

「行くぞ! 出せ!」

関口はすばやくギアをLOWに入れ、一気に加速しようとしたが、突然前を大きな紺の4WDに塞がれ、危うくそれに突っ込みそうになった。

「用心しろ!」

危険を感じた笠木が後部座席に置いたショットガンに手を伸ばそうとした時、銃身と銃床を切り取った上下二連銃身のショットガンを構えた男が飛び降りてきた。興奮と緊張、そして怒りの為か、男の顔は真っ赤に紅潮し、鬼のような形相だった。

―――抜かったか!

先程まで想定していた逃走車の運転係の事を、一連の騒ぎですっかり忘れてしまっていた。笠木は、至近距離で男が構えるショットガンの黒々とした二つの銃身を睨みつけた。笠木はショットガンのグリップを掴んだが、長い銃身の先が天井に突っかかった。関口は思わず両手で頭と顔を覆った。もう被弾は避けられないと笠木はぞっとする覚悟をしながらも、フロントガラス越しに拳銃を向けようと懐へ手を突っ込んだ。

 伊月は、自分の全身の血が逆流しているのでは思うほどの緊張を感じながらも、体は素直に反応した。左足フットレストの上にあるパーキングブレーキ・ペダルを思い切り踏み込んだ。ガリガリという音と共に後輪がロックし見事に地面へのグリップを失いスリップを始めた。伊月がハンドルをきると車体は道路の左へ頭を向けながら、タイヤの大音響ともに真横に滑りはじめた。ようやく停まるかというところで、伊月はミニ14を掴んだままドアハンドルを引き、車から転げ落ちるように飛び出した。受身をとって路面を一回転しながら立ち上がると、一挙動で膝立ち構えの姿勢をとる。セイフティのセレクターを弾き、フルオート射撃を選ぶ。伊月は、以前に正井の背中を狙いつつも失敗した時のことを思い出した。

―――すぐに撃つな。今撃てば……外す。

伊月は、ソードオフ・ショットガンを構えた男の上半身に照準を合わせつつ、引き金を引きたい衝動を一拍だけ我慢した。緊張のあまり止めていた息を肺から吐き出し、伊月は引き金を引く。一筋の赤い曳光弾が、軽快な破裂音と共に男ヘ向かって吸い込まれていった。

 笠木が見ている前で男は硬直したかと思うと、血飛沫ををあげて後ずさりながら人形のように路面に倒れた。

「た……助かった……」

笠木と関口はほっとしてレカロシートに身を沈めると、背後を振り返った。膝立ちで射撃姿勢をとる伊月の姿が小さく見えた。



 笠木は防弾性能を持つ伊月のセドリックへ広田を移し、一緒に証人保護専門の護衛警備班が待つ横浜オフィスへと向かっていた。

「罪は必ず自分に帰ってくる、か…… やはり、悪い事をするときちんと捕まるものなんだな」

 後部座席で広田は感慨深そうに言った。命の危険スレスレを乗り切った一般市民にはあるまじきのんびりした態度に、右隣に座った笠木は目をパチクリさせて相手の顔を見た。

「単刀直入に聞きますが、調べたところ、あなたには借金も無ければ、多額の金銭を受けとった形跡も無い。どうしてあんな馬鹿げた事件に関わったんですか?」

笠木の問いに、広田はうーむと思案するように首を傾げた。

「そうだな、理由は…… 無理に上げるならば、四角四面な同じ毎日の連続がもう嫌になったからだろうか……」

そう言って、広田は初めて口元に微かな笑みを浮かべた。

「今の銀行に入行してからもう二十年近くになるが、毎日毎日同じ時間に出勤し、現金と帳簿の整理を続け、同じ時間に帰る。これが二十年だ…… それはそれで、全く不満に思ったことは無かったが、去年の冬に勘定の検査をやっていて、織田支店長が銀行の金に手を出している事が判った。最初のうちは帳簿と残高を上手く騙していたみたいだが、支店の出納役にそれを隠し続ける事はシステム上不可能だ。私が帳簿が合わない旨を報告すると彼は泣きながら私に土下座して言うんだ、見逃してくれって。私は、それでもすぐに帳尻が合わなくなってバレますよと言ったら、彼は思いつめた顔で何とかすると答えた」

笠木と伊月が驚きながら聞いているなか、広田は淡々と続けた。

「それで、織田支店長はどこから考え付いたのか〈偽装強盗〉の話を持ってきた。自分の銀行を強盗に襲わせ、無理やり帳簿の数字をご破算にしようとね。事件を見る限り、手形の焦げ付きを出していた宝石業者や電気屋とグルになって強盗事件を起こしたみたいだ。実際、私の銀行が襲われた日、私は警察に届け出た被害額の半分も、ケースに現金を入れなかった。入れた現金は強盗役を務める者達への報酬だった」

「ならば、あなたは一体何を得た?」

運転しながら黙々と聞いていた伊月が前を向いたまま聞いた。

「欲しいもの…… 多分、非日常っていうものか。私は二十年間銀行に縛り付けられてきた。無論、自分でそうするように仕向けてもいた。ただ、ある時から何か変わったイベントが自分の人生に起こるきっかけを探していたのかもしれない…… それがたまたま偽装強盗の手助けだったのかもしれない。だから私は今までに取得期限が過ぎて消滅してしまった二十年分の有給休暇とその間の旅行代金を報酬として求めたんだ。支店長は驚きながらも快諾してくれたよ。それに、もしあの時私が支店長の提案を蹴っていたら、きっと私は早々に殺されていたかもしれない…… あ、このティッシュ、一枚頂いてもいいですか?」

「ご随意に……」

笠木に差し出されたティッシュボックスから一枚とり、広田は自分の眼鏡のレンズを拭き始めた。

「結局、私は二ヶ月間、琉球で悠々自適に過ごした。銀行のことも家の事も全て忘れてだ。こんな心が晴れやかになる瞬間があるのかと驚いた。そんな時、どうも私達が関わった強盗が逮捕されたらしいとニュースで聞き、帰る間際のニュースで織田支店長の死を知った。自分の行く末も知れたものだと思いました。因果応報だとね。でも私は不思議なほど後悔していない。なるようにやったら、こうなってしまっただけの事です」

「こうなってしまった、だと?」

強い不快感を覚え、笠木は眉間に皺を寄せながら小声で言った。

「聞いていると、織田を殺し、あなたを殺そうとした連中の正体にある程度心当たりがあるみたいだが、どうなんですか?」

広田は軽くうなずいた。

「ああ、よくは知らないが支店長と同じで、金に困っている男達でしょう。織田支店長は元々は債権整理部門にいた男で、その際に知った『借金友達』と悪巧みを考えたようだ。特に御囲地町の宝石店とは融資と負債処理の両面で関わりがあったから。あと偽装強盗の際になんとなく勘付いた事だが、支店長の知り合いの中には大手警備会社のシステムに通じた男が関わっているようだった。内部者しかしらない警備システムの更新や工事の仕方にとても明るくて、強盗の段取りを決めたのはその男達のようでした。支店長や宝石店の店主を殺し、私を襲ったのもその一味なんだと思いますよ」

笠木は不機嫌になりながらもメモを取り、コンダクターXの正体へ繋がる大きな手がかりを掴んだ事を感じた。同時に笠木は言いようもない腹立ちを感じた。

「あなたの話を聞いていると、まるであなたは自分は台風の目にいたから仕方が無いと言いたい様に聞こえるが、少なくともあなたが関わった事件だけでも二人の警備員がふざけた狂言強盗で殺されている事実について、どう感じているんですか?」

広田の態度は冷静そのものだった。

「ああ、あれには確かに驚いた。狂言とはいえリアリティが必要だから、私は強盗に軽いケガを負わせるよう事前に依頼していた。でも、まさか目の前で殺してしまうとは…… もし、この世にカルマなるものが存在するなら、きっと手を貸した私は許されないだろうと、あの時感じたな。結果的にそれは正しかったようだ」

その開き直った態度に笠木は呆気にとられて、本来感じるはずの嫌悪の念すら抑えられてしまったが、広田の経歴を見て以来、どうしても我慢できない事が一つだけあった。

「あなたがどんな人でなしでも冷血漢でも、それはそれで理解できる。僕の相手はそういう奴ばかりですから…… ただ、あなたみたいな、ずっとまともな生活送ってきた人間が、たった一人の母親の事も省みず何でこんな無茶なことを…… これから、あなたはお母さんの事どうするんですか?」

保坂から送られた広田に関する調査書の家族構成の欄で、彼には妻子も兄弟もなく共に暮らすのは老いた母親のみという記述を読んで以来、笠木にはどうしても理解できない問題だった。責めるのでもなく非難するわけでもない、純粋なその怒りと疑問の発露に、広田は初めて戸惑いの表情を見せた。

「は、母は…… 確かに母親は…… その……」

それまでは薄気味悪いくらい落ち着いていた広田ははじめて困ったような声を出し、結局言葉を続けることができなくなってしまい、窓の外へと顔を背けた。

 しばらくして、無言の車内に無線通信で広田に対する逮捕状が発行されたとの連絡がもたらされた。笠木は抑揚のない無機質な声で言った。

「広田寛二。強盗殺人幇助、詐欺、背任、業務上横領の疑いで逮捕する」

広田は無言で両手を差し出した。笠木は、日焼けした広田の太い腕首を、黒く塗装された鉄製の手錠ではさんだ。横浜に着くまで、広田は無言でその黒い手錠を見つめていた。



 アジトの一つとして確保している江東の古い賃貸マンションの一室で、正井は部下からの報告を聞いていた。

「隊長、香取部長は失敗したようです。羽田空港で出納役の広田を襲ったようですが、襲撃に関わった四人は全員射殺。ケガの有無は判りませんが広田は連合保安局に保護されました。もう香取部長は手出しできないでしょう」

「わかった駐在の情報関係要員以外は今回のオペレーションを終了する。各員、準備せよ」

部下の男はうなずいた。

「すぐに指示します」

「今回は支援班と共に私も撤退する。それまでは引き続き香取から目を離すな」

ミュートにしたテレビでは、羽田空港の騒乱を伝えるニュースがやっている。正井はそう言ってテレビを消し、窓の外の夕焼けを見据えた。



 広田を横浜の警護警備班に引き渡してから五時間後、新宿のオフィスで休息していた伊月と笠木の元に、空港で広田を襲撃した男達の身元が判明したとの知らせが届いた。驚くべきことに、その四人全てが新中央警備に所属する警備員であり、なかには過去に強盗で逮捕歴があった者もいた。

「あの出納役の話、確かみたいだ」

伊月の言葉に笠木がうなずく。

「じゃあ後は、裏付け捜査で何が出てくるかだな…… しかし、軍閥の連中が噛んでると思ったが、そっちは全然だな。それと、遠慮しないで食べろよ。今日は僕の驕りだよ」

先程届いた宅配ピザのサラミとトマトが一番多く乗った一ピースを手にし、笠木はチーズの糸を手繰りながら自分の口へと押し込む。

「さて、あとは報告書か…… そういえば天津さん…… 無事に出発した? そろそろ着いた頃かな? 結局…… 礼も言えずじまいだったから……」

モグモグと口を動かしながら、笠木は携帯電話のメールをチェックすると二時間ほど前にメールがきていた。

「あ、来てた。彼女の電車、郡山で停まってるみたいだ」

『笠木君、お忙しいところごめんなさい。先程車内のニュースで、羽田で笠木君達が無事だった事を知り安心しました。わたしは、この先で停電しているため、いつ復旧するか判らず新幹線の車内で待っている状態です。遅くなってしまったけど、笠木君らしいお餞別ありがとう。改めてわたしも松本君と頑張って捜査してみるつもりだから、笠木君も、くれぐれも一人で無茶しないで、伊月君とも仲良くやってください。では、また。幸運を』

元々、笠木が注文したピザなど食べるつもりは無かったのだが、空腹と焼けたチーズの匂いには勝てず、伊月はようやくピザを一ピース手にしながら言った。

「新幹線は先程動き出したようだ。……笠木、はっきり言っておくが、もう余計な事に首を突っ込んでいる暇は無い。私達は速やかに本州・北海道の物流ルートを暴き、壊滅する必要がある。猶予はならない……」

「判ってるよ、誰もサボってた訳じゃないじゃん!」

相棒の事になるとむきになる伊月に対し笠木はそう反発したが、伊月が苛立つ気持ちもよく判った。もう間もなく、東北には本格的な冬の寒さが訪れようとしている……

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