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深淵

「何か新たな事実、主張もしくは確認事項等の要求はあるか?」

「いいえありません」

 査問委員長の問いに法務部の中原が答える。

 この朝、丸の内の連合保安局本庁舎の会議室では、査問の再口頭審問が行われていた。世論や自治議会の圧力を受けての再口頭審問の開催となったわけだが、京浜島での犯人検挙とその後の報道により、関口と保安局を取り巻く状況は全く変わっていた。かなり確実視されていた自治議会の議員の査問委員会への参加は完全に見送られ、警察局の役人による再質問の時間も設けられなかった。再口頭審問は査問委員長による開会宣言と先に挙げた関口に対する新たな主張の有無を確認することだけが行われた。

 委員長は木槌を鳴らす。

「これにて再口頭審問を終了する。なお新たな事実の主張の供述が無かった為、前口頭審問において述べられた事実のみを吟味し、当該保安官に処分を申し渡すものとする」

委員長はそう閉会を宣言し、査問の再口頭審問という儀式は、開会からわずか一分三十秒で終了した。

 中原の隣に座る関口は、裁定を待つ間ずっと窓の外を見つめていた。右手の窓から差し込む陽光が眩しかった。先日の審問の時は喉から心臓が飛び出しそうなほど緊張していた上に、自分がこれからどうなってしまうのか、不安と恐怖でまるで体が大気圧で押しつぶされるような圧迫感を感じていた。それに比べ、今日の心持は非常に穏やかだった。それは、世論や報道の様子が変わった事や職を追われる可能性が減ったからだけではなかった。

 それは言うなれば一つの満足感だった。秋葉原の路上で犯人に立ち向かったあの日、自分の能力は決して十分ではなかったものの、自分は決してあの事件から逃げなかったという自信だけは残った。結局、犯人の制圧という結果を残すことはできなかったが、京浜島の掃討作戦に参加し、犯人グループの検挙を目の当たりにすることによって自分なりの一つの区切りをつける事ができた。

 今テレビや新聞で扱われている関口を英雄視するような報道は、さすがに関口本人から見ても欺瞞と虚飾に満ちた下らないショーとしか思えなかった。だが自分が、秋葉原の路上から京浜島までの間、最善を尽くしたという自負だけは確固として自分の中に残った。そうやってこの数週間を思い返すと、今となってはもはや査問の裁決の行方がどうなろうと動じない気持ちとなっていた。仮に結果が悪くて自分のクビが跳んだとしても、自分は別の道を胸を張って生きていけるだろう。

 ガラにもなくそんな真面目な感慨を抱いている間に十分が経過し、調査部の査問委員たちがぞろぞろと会議室に入ってきた。最後に警察局のオブザーバーとして審議官と前島が姿を見せた。関口はわざとニヤリと笑って見せたが、前島は全く眼を合わそうとしなかった。

 中央に座っていた委員長が裁決の内容を読み上げた。

「関口伸一 二等保安官補。右の者、職務執行の際、判断力の不足および不適切な状況対応により被疑者の逃走を許し、重大な付帯被害の発生を防ぐに至らなかった事を重く見て、相当の懲罰を下すことを全会一致で決定した。ただし、現時点で、関口保安官補の当日の行動に重大な過失や判断の誤りが存在したことは確認できず、また非常にに困難な状況下において、単身被疑者の確保の為の努力を怠らなかった点をも考慮に入れ、懲罰を決定した」

関口は神妙な顔つきで委員長を見つめていたが、隣に座っていた中原はそこまで聞いてニンマリと嬉しそうな表情を見せた。一方、前島等、自治警察局の者達は固い表情で関口達の方へは一瞥もくれなかった。

「関口伸一 二等保安官補。戒告並びに減給十分の一、六ヶ月。尚、現時点で状況対応能力、判断力に著しい不足を認めるにあたり、今後その能力を補うべく別命あるまでキャンプ・アサカにおいて無期限の初等訓練を命じる。訓練期間は担当教官が職務遂行に不足なしと判断を下す時点までとし、訓練終了後は原部署にて職務に復帰する事とする。以上」

「不服・異議申し立てはあるか?」

「いいえありません」

中原が返答し、委員長は査問委員会の解散を宣言した。果たして、関口は一言も発言することなく査問は終わり、関口のクビは繋がった。



「うん、大丈夫。え、もうテレビでやってるの? うん、来週から朝霞で訓練だってさ。しばらく帰れないかもしれないけど、じゃあまた……」

 関口は本庁舎のカフェテリアで携帯電話を切った。真っ先に連絡したのは実家の両親である。一番心配をかけたのは両親であり、きっと今は自分以上にほっとしているだろう。あと、今は時間的に寝ているであろう昼夜逆転型ニートの友人篠原にも査問の結果をメールで送信しておいた。

 携帯電話で新聞社のサイトを開くと、早速ニュース速報で自分の査問の結果を伝える記事がアップロードされていた。結果を伝える記者会見を行っているのは、先日一緒に会見した広報部の外国人の部長だった。

 懲戒免職の危機は去ったものの、来週からキツい基礎訓練を受けなければならないので、関口はどっと疲労感に襲われた。ふと、世話になった笠木にも自分から報告するべきだと思ったが、よくよく考えると自分は笠木の連絡先を知らず、突入の日以来、全く連絡をとっていないことに気がついた。仕方が無いので笠木への連絡はあきらめ、関口は同期の菱川に電話をしてみようというイタズラ心が湧いてきた。早速、携帯電話で菱川の電話を呼び出すと、廊下で同じタイミングで着信メロディーが鳴った。電話を耳に当てたまま観葉植物の陰から顔を上げると、偶然にも着信を告げる携帯電話を握った菱川が立っていた。

「おう! 久しぶりじゃん」

関口が手を上げると、菱川も驚いた様子で軽く手を上げたが、関口は仲間の表情に生気が無いことにすぐに気がついた。こちらの気持ちがへこんでしまうような、いつもの刺々しさが全く見えず、関口は首を傾げた。

「……なんかあったの?」

 京浜島での夜以来、局の端末には触れずテレビのニュースすら見ていなかったので、関口はその間に何が起きていたのか全く把握していなかった。でも、菱川は少しだけ安心したように微かに笑みを浮かべた。

「よかったね。ギブス取れたんだね」

菱川は関口の向かいの席に座った。

「うん、突入してからは腕の具合も問題ないみたいで」

「そういえば査問のこと聞いた。わたしもほっとした……」

様子が変な同僚を前に、関口はぎごちなくうなずく。

「ああ、あんがと。なんか気が抜けたちゃったよ。さーて、来週から再訓練かぁ……」

「……実はわたしも、朝霞で再訓練する事になった」

菱川は俯いたまま言った。関口は意味が判らず目をぱちくりさせた。あの日の夜、同時刻に起きた板橋の研究所襲撃事件とそれに伴う菱川の失態も、関口は何一つ知らないままだったのだ。

 十分後、菱川は泣きそうになりながら、関口に板橋の事件について話し頭をさげた。

「どうしても、関口にだけは謝っておきたくて…… 秋葉原の事があった時、わたしは散々に言ったけど、本当はわたしの方こそ、急な時にまともに動けなかった」

「全然知らなかったな……」

廊下が寒かったので、関口はかじかんだ手を缶コーヒーで温めながら話を聞いていた。

「でも、今回の事件や査問で良く判ったよ。おれ達が全く想像のつかいないカラクリで世の中が動いてるんだって…… そういう意味じゃ、自分がいかに甘ちゃんな気持ちでこの仕事してたか痛感したね…… でもおれ達は練度を上げて目の前の仕事にひたすら集中するしかない。つーか、まだそうしているだけで許される立場なんじゃないかな」

関口の言葉に、菱川はようやくすこし笑みを浮かべて深くうなずいた。

「ところで、菱川はもうクレーゼさんのお見舞いは行ったの?」

「早く行かなきゃと思っていたんだけど、詳しいことはまだ教えてもらっていなくて」

関口は腕組みした。

「じゃあさ、これから二人で行ってみようか? おれもそんな事が起きてたなんて知らなかったし」

関口の言葉に菱川は少し驚いた。

「査問が終わったばかりでしょ? 自由にしていていいの?」

「村岡さんに聞いてみるよ」

携帯電話を手に、関口はそう言って笑った。



 アルバート・シュルツによって査問委員会による処分が発表される様子を、テレビ機能付きの携帯電話で見ながら、伊月は日比谷公園の大噴水の前で警視庁の上溝と落ち合った。

「北総銀行の支店長が殺されたのはご存知ですね? 先手を取られましたよ。うちの捜一が手を回したときにはもう既に殺られた後でした」

李英凱やロバート・ホゥ等、逮捕された者達の供述は捜査陣に衝撃を与えた。最初に襲った北総銀行と二番目に襲ったモリタ宝石に関して、襲われた銀行と宝石店の被害申告と犯行グループが自供した内容が大きく食い違っている事だった。供述によれば、ターゲットとなった最初の二件では店側にはかねてから協力者が存在し、自分達を手引きした者が事前に強奪物を用意していたという。特に一件目の北総銀行八丁堀支店では、強奪した二つのジュラルミンカートのうち一つは空で、もう片方のケースにも一千万弱の現金しか入っていなかったという。

 連合保安局はすぐに捜査情報を警察局に公開し、情報を共有して捜査に当たる事を決めた。やはり個別の捜査には組織規模と経験において自治警察に分があった。早速、警視庁の刑事が、重要参考人として北総銀行の織田に聞き込みと出頭を求めたが一足遅く、織田は既に何者かに殺害されていた。

「捜一は織田の身辺の洗い出しを始めました。現時点で判った事は、最近まで織田には約千二百万円の借金があったという事です。どうも以前から銀座の高級クラブへ通い詰め、クラブのとあるホステスに相当入れ揚げていた事があり、一年半前にはそれが原因で離婚。その後もその女の歓心を買う為、相当な額をつぎ込んでいたそうです。調べでは、宝石やブランドバッグを多い月で二百万以上。収入を大きく超えた派手な金遣いだったことは明らかです」

「銀行の金を使い込んでいた形跡は?」

「今調べていますが、収支と現金の管理責任者である出納役の男も行方が判っていません。この男は銀行が襲われた時に、実際に現金を奪われたケースに詰めた本人なのですが、現在長期休暇で琉球に出国中で所在が掴めていません。ただ、織田は二ヶ月前に莫大な借金をすべて返済しているので、台湾人達の供述が真実なら、織田とその出納役が強盗にかこつけて横領をもみ消した可能性があります」

「強盗ではなく実は狂言だった……か」

伊月は煙を吐きながら上溝の言わんとするところを補った。

「この事件を計画した提供者X、我々はスポンサーでり技術提供者であるこの男を便宜的にコンダクターと呼んでいるんだが、このコンダクターは台湾人にそんな事をさせて一体どんなメリットがあったのか? 強奪した現金や宝石のほぼ全ては台湾人に分配されたという話だ。少なくとも狙いは金ではない。 そうなると、やはり先日の上溝巡査と話した事が気になる」

伊月の言葉に上溝は肩をすくめて見せた。

「もしかして警備会社が強盗を雇って自社製品の試験をさせていたとか……」

上溝はすこし茶化した口調で言ったが、伊月が表情を険しくしたので慌てて詫びる。

「すいません…… 悪い冗談です」

伊月は表情を険しくしたまま、噴水を見つめていた。

「いや、むしろ逆…… コンダクターはもしかしたら警備システムを突破する為の手段や段取りを『開発』することを目的としている者とも考えられる。それも、誰かの求めるたった一回、たった一箇所の失敗できない『仕事』の為に警報機破りのリハーサルをしていたとしたら……」

その言葉に、上溝は言い知れぬもどかしさを感じた。

「リハーサルってどういうことですか? 保安官は何かご存知なんですか?」

伊月は一回だけため息をつくと、搾り出すような小声で言った。

「台湾人達が捕まった夜、ミカミ電子の研究所が襲われた事件があったのは知っているだろう。あの研究所には通報からゲートロックに至るまで、全てアキリーズ・システムによって防御されていた。だが、あの夜システムは綺麗に無力化されていたそうだ」

伊月の口からアキリーズの名が出たので、上溝は先日の会話を思い出し、思わず口を開けた。

「アキリーズも無力化された…… そ、そもそも、伊月さんはなんで板橋の事件に関してそこまでご存知なんですか? あの件は完全に情報が遮断されていて、うちでは何も把握できていないんです」

興奮気味に言う上溝に対し、伊月はあくまで小声で返す。

「すべて世連軍が統制している。ミカミ電算を襲ったのは北海軍閥の特殊部隊と見てほぼ間違いない。無論、非公表情報であるし、今後公表される見込みは無い」

それを聞いた上溝の顔が紅潮してきた。

「それは、どういうことですか! うちは仲間を三人も殺されて、民間人にも十名以上の犠牲者が出たんですよ! それを、ホシが判りかけているのに捜査もさせず、公表もしないで闇に葬るなんて、どうかしてるんじゃないですか!」

上溝が大きな声を出したので、近くで犬を散歩させていた主婦がびっくりした顔で二人を見た。

「私も君の立場だったら、きっと怒りに震えた。だが、この件は世界連合の機密事項に大きく関係している。我々がいくら騒いでも、何か影響をあたえられるとは思えない。それが今の日本の現実だ」

伊月のその言葉を聞き、上溝は少し落ち着きを取り戻して遠慮がちに言った。

「実は、自治警察内部でも、公然と北海道の軍事政権こそ正当性を持った日本の政府だと主張する人が多いんですよ。世界連合という海外からの行政システムの介入に反抗し続ける彼らこそ真の愛国者だという主張です。今回みたいな世界連合や総督府の後暗い事を知らされると、やはり日本共和国軍のほうが真理を突いているのかと思えて…… すいません、ナマ言って」

上溝は言い過ぎたと思い、頭を下げた。

 伊月は噴水を見ながら黙って煙を吐き出した。実際に北海道の地から抵抗を続ける一派に日本の統治行政を担うだけの能力を持っているのか、伊月には判らなかった。だが、伊月が親しくしていた大学時代の同窓生のなかには、世界連合の信託統治を嫌い北海道へ渡った者もいた。伊月には、上溝の言葉を肯定も批判もする事はできなかった。

 だが一方で、今伊月が拠って立つ価値観は明確だった。武器を持って人々を殺傷し、破壊活動を行った者が眼前にいる場合は、相手の意図に関わらず自分達でこれと戦わなければならないという明確な責任があった。

「相手が誰であろうと、我々は目前にある仕事を続ける他に道は無い。今回の研究所襲撃犯がどんな崇高な目的を掲げようと、彼らが武装犯であり殺人犯である事に変わりは無い」

伊月はそう言って葉巻の灰を携帯灰皿に落とした。

 その時、記者会見の映像を映していた携帯電話のLEDが緑色に瞬いた。メールの着信を知らせるサインだが、マナーモードを解除してあったがなぜか着信音が鳴らなかった。伊月は首を傾げながら携帯電話の画面を切り替え、メールを開いた。届いたのは局内の情報共有メールで、新しい事件を知らせるものだった。メールを見るなり、伊月は立ち上がった。

「モリタ宝石の社長、三塚邦夫が三十分前に御徒町の路上で撃たれ、病院で死亡が確認された。これで二人目だな」

上溝は慄然とした面持ちで伊月を見つめた。台湾系の犯行グループに襲われた店舗の関係者で、殺害された者は織田渉に続きこれで二人目となる。

「お互い戻った方がいい」

伊月がそう言い終らぬうちに、上溝の携帯電話も鳴り始めた。



 天津美吹がハインツ・クレーゼの病室を訪ねたのは、水色のカーテンが西日を受けてオレンジ色に染まりだした頃だった。天津が引き戸を開けると、ベッドの傍らにはコリンナ・クレーゼが夫の手を握りながら座っていた。

「あら、ミブキ!」

先日の表情と異なり、疲労の色はあるもののコリンナは満面の笑みを浮かべて天津を迎えた。

「先日はありがとう。ハインツもこのとおり、今は動けないけどすぐに良くなるって」

天津はコリンナと軽く抱擁をかわしながらうなずいた。

「ええ、わたしも聞いたわ。本当に安心したわ。とにかく、良かったわね! これ、飾る場所あるかしら」

天津は持参した小ぶりの花束をコリンナに差し出した。

「綺麗ねぇ…… ねぇ、あなた。ありがとう。花瓶がないか聞いてくるわ」

コリンナは花束受け取ると、廊下へと出て行った。

「ミブキ…… わざわざ、ありがとう」

ベッドの上に半身を起こした状態で、鼻に呼吸チューブを付けたままのハインツ・クレーゼはかすれた声で言った。右肩には大きなギブス、首には厚く包帯とガーゼが当てられていた。この朝、ICUから出てきたばかりだった。

「心配したわ。でも元気そうだから安心した。傷の具合はどう?」

ハインツは微かに笑った。

「小さい……弾だったから、助かった……そうだ。でも、アヤコとミキオが無事だった……と聞いて、私の方が安心した」

二人は顔を合わせて小さく笑った。

「君達の話も聞いたよ。京浜島では……お疲れ様。まさかミブキまで参加したとは驚いたよ」

「ええ、でもわたしは笠木君の後をついて行っただけです。それに、関口君の方もなんとかなったみたい」

「そうか……シンイチの件も片付いたそうだね。実はさっき……アヤコとシンイチがお見舞いに来てくれた。それもプレゼントを持って」

クレーゼはやや顔を傾けて、テレビの上に乗っかっている包装紙に包まれたクッキーの箱を示した。

「折角のプレゼントも、しばらく……食べるのは無理みたいだ。いくつか、ミブキも持って行ってくれ」

いかにもあの二人のやりそうな事なので、天津はクレーゼともまた微かに笑った。

「シンイチやカサギの顔は……この半日の間だけでも、テレビで何度か見たよ。やっぱりカサギは上手くやったんだね……」

クレーゼは弱弱しい声ながらも、真剣な表情で言った。天津はうなずいた。

「ええ、関口君が助かったのも、笠木君が……」

クレーゼは深く息を吐いて天井を見上げた。

「世論か…… 彼は良くメディアをよく知っていたんだな。こうも簡単に……大勢の人の思考が変わるのには驚いたよ。そういえば前に、ユーロから来た同僚達と話し込んでいて、つい日本の市民をこき下ろしたことがあった。日本国時代から体裁だけは民主的だったが、実は住んでいる人々は民主主義や自治を全く理解していないのではと…… 主権回復の是非を問う住民投票で、投票率自体がとても低かった時の事だ。オーストリア出身の同僚は、この島の人々は思考的に怠惰だとけなして笑った…… その時、たまたまカサギが隣にいた。ずっと黙っていた彼が、私達に言った。笑顔だったがとても冷ややかだった……とても仲間だと思っている相手に向けるべきでない笑顔だ。彼は言った。私達の認識には賛成するし正しいと思うが、あなた方が言うと極めて滑稽に聞こえる、と……」

天津はうなずく言葉も発せず、驚きながらクレーゼの言葉を聞いていた。

「同僚の一人は、どういう意味だと怒ったが…… 彼は驚いた振りをして、なんだ判らないのかとつぶやいた。それも、それまで英語だったのに急に日本語で…… その時は当然私も腹を立てたが…… 冷静になって、私や同僚達の祖国の歴史を振り返れば、彼は正しい。つい、人はつい自分達のことは棚に上げてしまいがちだから……」

クレーゼはそう言って苦笑いした。

「ただ、あの時、なぜか彼が正しいとは思いたくなかった。彼からは時々、何やら突き放されたような感じを受けることがある…… 時々、そう思うんだ。仲間なのに信頼されていないのではと…… その時も疎外感を感じ、彼の言葉を肯定することができなかった」

「そ、そんなこと……」

天津は慌てて打ち消すように言った。一方、クレーゼは笠木が三年前に誤射事件を起こした時の事を思い出した。

「自分の手で社会の浅慮を暴き、コントロールする。確かに彼らしい仕返しだ…… 以前、その世論に一番痛めつけられたのも彼だから…… 実際、マスコミと一般市民の変わり様を自らで演出して楽しんでいるのかもしれない……」

そこまで言って、クレーゼは布団に深く身を横たえた。天津はクレーゼの言葉を否定したかったが、その言葉を見つけることができなかった。

「ところでミブキ…… 舟渡の事件の捜査はどう?」

 疲れが出てきたのかクレーゼが眼を閉じたまま、弱々しい声で尋ねた。天津ははっとして息を呑む。今この場で真実を伝えるべきか逡巡したが、意を決して天津は言った。

「ごめんなさい…… 率直に言って、非常に難しい事件です。ハインツ、あなたにこんな事を話すのは辛いけど、今回の事件は、このままではまともな解決をみない事件です……」

クレーゼが怪訝な顔をした。

「これは伊月君が得たオフレコの話だけれど…… 襲撃されたミカミ電算と世連軍には大きな結び付きがあったそうなの。実際に、現場はすぐに世連軍が押さえて警察や私達を締め出し、遺留品はほとんど全て世連軍が接収してしまった…… わたし達には何一つ情報が流れてこないの」

そして、天津は小声で言った。

「今回の敵は、おそらくわたしや伊月君の相手……」

そこまで聞き、クレーゼは事件のおおまかなの背景を悟った。

「そうだったか…… あのチームワーク、射撃の技術はプロフェッショナルだ。それに、情報がそこまで統制されているなら、警察も保安局もまともな捜査はできないだろう……」

天津は首を振った。

「わたしはこのままで済ませていいとは思っていません。わたし達でできる限り犯人達を追います」

現実の捜査は非常に困難なものとなるだろうが、被害者を前にそんな弱気な発言はできなった。それに、天津自身も今回のような暴虐を闇に葬ろうとする事自体に納得していなかった。

「あと、わたしは明後日、東北の領境地帯監視に戻る事になりました。だから今日はその挨拶も兼ねてなの」

クレーゼは少し驚いた様子で再度身を起こした。

「そうか…… ほとんど休む間も無くて……大変だったね。きっと、ムネタカも寂しがる……」

クレーゼが少し笑いながら言ったので、天津も笑いながら首を振った。

「でも、そんなのん気なこと言っていられないわ。それに伊月君には笠木君もついているし……」

天津はそこまで言って思い出したようにクスリと笑った。

「どちらかというと、心配なのは笠木君の方ね…… さっきの『信頼』の話じゃないけど、実は今回もね……」

天津がそう言って、京浜島の突入の際に笠木とのツーマンセルで失敗した時の事を話して聞かせると、クレーゼは傷が痛むほどに笑い出した。

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