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イン・ザ・ダーク

 板橋、荒川の堤防に程近い浮間総合体育館の周囲一帯は、FN・P90サブマシンガンを携えた、スーツ姿のアフリカ系やヨーロッパ系の保安要員によって厳重に警備されていた。

――あの男達、どこの者だ?

男達は、体育館前でタクシーを降りた伊月に睨みをきかせるように立ちはだかった。

 体育館前の駐車場には、オリーブドラブに塗装されたトラックやSUVに混じって、黒塗りのジャガーXJが五台止まっていた。どうやら、総督府と保安局の幹部がここへ来ているようだった。

 駐車場の車の陰から小柄な中年の男がのっそりと歩いてきたので、伊月はそちらへ向かって歩き出した。

「昨日はご苦労だったな。一息つく間もなくて悪いが、こっちへ来てくれ」

伊月を呼び出した保坂だった。保坂は伊月を伴って立ち入り許可証を保安要員達に見せると、体育館のロビーへと足を進めた。

「彼ら、世連軍ですね」

伊月の言葉に保坂はうなずいた。

「上が総督府にゴネにゴネて、やっと最低限の情報公開まで漕ぎ着けた。誰を呼ぶべきか迷ったんだがな、うちの部ではお前か天津が適任だと思ったんだ」

 二人は二階にある武道場へとやってきた。柔道場と剣道場が隣り合って作られており、土足で上がれるように一面シートで覆われており、その上に更にブルーシートが敷かれて膨大な量の遺留品が並べられていた。そこでは、人種も年齢も幅広い、世連軍と総督府の調査員が忙しそうに証拠品を整理し、箱詰めする作業に追われていた。

「まぁ、こういう事だ……」

事情を察してくれと言わんばかりに保坂はそうつぶやいた。

「昨日の事件は、ただの研究所荒らしでもなければ安っぽい対企業テロでもない。かなり根の深いヤマのようですね。ミカミ電子はあの研究所で何を扱っていたのですか?」

「肝心要のそこが最高機密だそうだ。腹立たしい事だが、今回の事件では自治警はおろかおれ達保安局も蚊帳の外。無論この事実さえも秘密扱いだ」

 オフィスで伊月や楊が予想したとおり、完全に訳ありのヤマだった。

「それは判りましたが、なぜ私を呼んだんですか?」

 見て欲しい物があると言って、保坂は柔道場の隅のほうへ伊月を連れてきた。保坂はブルーシートにのせられて広げられている遺留品の一つを指差した。

「これ、見覚えあるか?」

茶褐色のポケットの多い上着とズボンがシートの上に広げられている。至るところが破け、血に染まって変色していたが、元の生地の色や機能性は十分に判断できた。

「赤外線の反射を最低限に抑える特殊化繊を織り込み、月明かりの闇夜では黒以上の低視認性を発揮する柿色に染色した夜戦用戦闘服。以前にも見たことがあります」

伊月は厳しい表情でそう言った。

「四年前の日本共和国軍による本州侵攻の際、先遣隊として青森沿岸に多数の特殊部隊が上陸し、変電所や監視所、電波塔を襲撃、破壊し世連軍の後方を大きく撹乱した事がありました」

「津軽上陸作戦か……」

 四年前、日本共和国軍が突如津軽海峡を越えて青森の東日本総督府統治領に侵攻し、僅か三日間で旧青森県の全域を制圧し、更に南下を図ろうとした事件を二人は思い出していた。慌てた世連軍の必死の反撃で、共和国軍を青森地域にまでなんとか押し戻し、現在の勢力地図が出来上がった。その侵攻作戦の前夜、多数のコマンド部隊があらかじめ本州に上陸し、世連軍の重要拠点を襲撃し、侵攻の前に世連側を大きく混乱させた事があった。

「その際、北海の特殊部隊員がこれと良く似たBDU(戦闘服)を着ていました」

 四年前に青森に上陸して射殺された工作員が着ていた戦闘服や装備は、保安官達にも資料として公開されていた。恐らく、天津や笠木がこれを見ても同じ事を思い出すに違いない。

「この服がここにあるという事は、敵も何人かは?」

「ああ、一人な。司法解剖と弾道検査から、負傷した保安官ハインツ・クレーゼが三発命中させた事が判った。だが、致命傷じゃない。止めは仲間が動けなくなった男の頭に五・五六ミリを三発。口封じだな……」

 伊月は周囲の遺留品を見回した。マガジンポーチや工具が並んでいる。

「この服を見ると、正井武幸を思い出します」

「確かに、八戸攻略作戦は奴の指揮と聞いている。それに奴は今東京にいるらしいからな。フランシスと粟島のチームに行方を追わせているが」

「他に手掛かりになりそうなものは?」

「射殺とはいえ、一人でも確保できただけ幸運でな。逃げたやつらは車ごと装備を焼却処分しやがった。見ろあれ」

保坂は別の遺留品を示した。シートの上には真っ黒焦げのねじれた金属の塊がいくつも並んでいる。

「武器も刻印を削り落とされて上に焼夷手榴弾であの有様だ。ボディと銃身しか残っていないし、あれじゃ銃身の旋条痕も採れんだろう。ネジやビスの僅かな手掛かりから判ったのは、武器はロシア、ブルガリア、旧ユーゴ、中国、アメリカ製と見事に入手ルートがバラバラ。弾薬や爆発物にいたっちゃ、製造元が何カ国出てくるか判ったもんじゃない……」

「犯人と軍閥と結びつける確たる証拠は見つかっていないのですね?」

伊月の問いに保坂は残念そうにうなずく。

「ああ、一人射殺できたから関与を疑えるだけで、それでなければ完全にお手上げだっただろう。今、分析を進めさせているが、使われた車は盗難車で、手口も武器もケチな強盗の仕業じゃない。警備システムは綺麗に無能力化させ、武器を持った警備員だけを的確に撃ち殺して侵入している。クレーゼに同行していた有坂幹夫の話によれば、射撃の精度、フォーメーション…… どれをとっても一流だったそうだ。そこまでやる連中だ。当然決め手となる証拠は残さなかったし、残された犯人の遺体も、二十代から三十代に見えるモンゴロイド系の男という事以上の身元は判らない」

その言葉に、伊月は何か引っかかる物を感じた。

「部長、警備システムはどこかの警備会社のものだったのですか?」

そう聞かれた保坂はポケットから携帯情報端末をとりだした。

「えーと、どこだったかな…… あった、数社合同のアキリーズ・システムとかいうそうだ」

『アキリーズ』という名を聞いた伊月の顔が険しくなった。

 その時、スーツ姿の年配の男が若い部下二人を連れて入ってきた。室内にいた、警備係の白人の大男がすかさず姿勢を正し、計算尽くされた動作で敬礼した。年配の男は軽く返礼し、何やら小声で部下に指示を与えると、訝しげな目で伊月達を見つめた。まるで邪魔な害虫でも見るような視線だった。

「あいつ、見ない顔だな…… 世連軍の奴ら、何をコソコソやってやがる」

保坂が小声でつぶやきながら相手に視線を返した。相手は保坂すら知らない、情報収集セクションの将校なのだろう。今回の犯人が北海軍閥であるならば、世連軍がでしゃばってくる事は不思議ではない。だが何故ミカミ電子がなぜ襲われたのか、その疑問のベールの向こうに、もし世連軍が関与しているならば、事情は複雑なものになってゆく。そして本当にこの事件は迷宮入りになってしまうだろうと伊月は思った。



 笠木が杉並の自宅で目を覚ましたのは、その日の夕方になってからだった。リビングに顔を出すと、ちょうど母親が洗濯物を取り込み、ベランダから部屋へ入ってきたところだった。

「あら、起きたの。相変わらずひどい顔ね。もう少し寝ていたほうがいいんじゃない?」

笠木同様、痩せていて色白だが老齢にも関わらず背筋はピンと伸び、顔には柔和さが見て取れる母親が心配そうに言った。笠木は軽く首を振って、ガウンを羽織ったままソファーに腰をおろし、テーブルの新聞を取り上げた。

「一昨日の夜もテレビであなたの顔を見たけれど、いい顔じゃなかったわ。人様の前に出る時くらい、もっときちんとした顔で応対しなさい」

「まぁ、あれは無理矢理だからね……」

笠木は苦笑いしながら新聞の見出しに目を走らせた。

「心根はすぐに顔にでるんだから、見る人が見ればすぐにわかります。だから、気をつけなさい」

笠木は聞いているのかいないのか、ウンウンとうなずいた。

「だいぶ寝てたんだな……」

笠木は新聞と壁掛け時計を見ながらつぶやいた。

 新聞の見出しは、ミカミ電子の研究所襲撃事件と連続武装強盗の話題に多くの紙面を割いていた。具体的な記述こそ無いものの、

 秋葉原の事件に関して、もう犯人達は吐き始めているだろうと笠木は想像した。そのその確認さえ取れれば、笠木にできる事はほぼ終わったと言ってよかった。事実、笠木の業務用携帯電話には犯人の取調べの経過や事件の捜査の状況を伝えるメールが十数件以上送られてきていた。疲労困憊している笠木には今それを見る気は全くなかった。

 同様にミカミ電子襲撃事件に関しては、同僚であるクレーゼが負傷したという事以外には、笠木は全く興味を抱かなかった。テレビをつけてみると、ニュースでは相も変わらず扇情的な演出で昨夜の二つの事件を騒ぎ立ているだけだった。ただ、おもしろいほどに、保安局に大して批判的な報道は少なくなっていた。この事が三日後に予定されている関口に対する査問委員会の裁決に影響するのは確実だ。

 笠木は『報道』と呼ぶのもおこがましいようなニュース番組を消し、両手両足を大きく伸ばしながら大あくびをした。急に喉の渇きを感じたので、笠木は近くのコンビニエンスストアまでコーラを買いに行く事にした。

 パジャマから洋服に着替え、本棚のブリタニカ百科事典の一冊を手にして外箱をひっくり返すと、中から・三八口径のコルト・ムスタング拳銃がすべり落ちてきた。笠木はコンパクトなそのオートマチック拳銃をダウン・ハーフコートのポケットに突っ込み外へと出た。

 夕焼けに染まる道には北風が吹き始めていた。両手をポケットに突っ込んだ笠木は、団地の車寄せに面した歩道を歩きながら道の目を走らせると、電柱の陰に宅配便のロゴが描かれた軽ワゴンが止まっていた。大手宅配便会社のユニフォームを着た女がワゴンの運転席から手を振った。笠木はその女の顔を見咎めて、舌打ちした。

「なんであの女がいるんだよ」

笠木は口の端をへの字に歪ませながら軽ワゴンへと歩いていった。

「ミズ・チェン、一体何の用だ!」

 女がドアを開けるなり、笠木は怒鳴った。東洋系の艶のあるストレートロングヘアの女が手招きしたので笠木は仕方なく助手席に座り、乱暴にドアを閉めた。

「ハロー、ミスター・ブラディ。昨夜はお疲れ様。大活躍だったそうね。そういえば聞いたわ、まだ相棒見つけてないって?」

女は笑いながら早口でまくしたてた。

「関係ないでしょ。で、スパイこんなところまで何しに?」

そう言って笠木は女を睨みながら腕を組んだ。

 エリザベス・チェン。東京総督府本庁舎・第五資料室に所属する役人だった。

 総督府の本庁舎には第五資料室という名のセクションは設けられているものの、現実に存在するのは第一から第四資料室までであり、第五資料室という名の書庫は存在しなかった。この事実は総督府内でもほとんど知られていないのだが、第五資料室の要員の職務は資料室の管理などではなく、現実には書庫に収めるべき対外情報の収集を行っているというのが、東京の情報関係者の間での専らの噂だった。組織図上では第五資料室は東京総督府総務部の直属となっているが、実際には世連傘下の対敵諜報セクションである外務調査局の指揮監督下にあると言われていた。

 仕事上、旧知の間柄のこの諜報部員の女は、笠木をおちょくるような口調で言った。

「美人が声をかけてあげてるんだから、もう少し嬉しそうに出来ないの? さて、わたしも暇じゃないから本題に入りましょ。ちょうど呼び出そうと思っていた所だから出てきてもらって助かった。実はボスが会いたがってて」

「なら浅野が直接来ればいいだろう! あいつはどこにいるんだ!」

疲労で怒りの沸点が低くなっている笠木がとうとう癇癪を起こした。

「うん、ここにいるよ」

後ろから不意に声を掛けられ、笠木はびっくりして振り返った。後いつの間にか、後ろの荷室にチェンと同じユニフォームを着た男が座っていた。年の頃は三十代後半から四十くらい、オールバックの髪型のほりの深い面長の男がニヤニヤ笑っている。浅野翔平。第五資料室の次長を務める男だった。

「今、ビビッでしょ? さてはブラッディ君も気配読めなかったでしょ?」

チェンが笑いをこらえ言う。笠木は呆れて返す言葉が見つからない。

「あのさぁ…… 別に、なんかのヤバイ取引じゃないんだから、普通に出てくればいいじゃない」

「ほらほら、ヒーローがそんな顔して怒るなよ。昨日の件、総督府でも本当に助かったと思ってる人多いんだよ。まさか日本でもあんなバッシングがフィーバーするとは思わなかったからな。それに、あの関口って若い奴も、クビ繋がったんだろ?」

「多分ね…… それよりもうじき晩ご飯だから早くしてよ」

 笠木がそう言って本題の催促をしたので、浅野はようやく真面目な表情でラップトップPCを開き、笠木に渡した。

「見せたいものっていうのはこれなんだ。昨日の夜から今日未明にかけて、うちの偵察衛星が捉えた物だ。これは昨夜二十三時四十分」

 東京湾内を航行する無数の貨物船や漁船の光と、それらの船の航跡が表示されている。その中で、湾の真中で二隻連れ立って、航行灯を灯して走る中型の延縄漁船がクローズアップされた。

「今日未明、太平洋上で妙な動きをする漁船二隻を衛星が捕捉。時間を遡って定時撮影の画像を解析したら出発地は東京湾と判った」

「普通の漁船にしか見えないが?」

「この時はな。時間を進める。〇一〇〇時、ようやく観音崎を越えて外洋に出る。時速はいいとこ十五ノット。同〇二〇〇時、二隻そろって犬吠埼沖でターンして外房沖を北北西に進んでいる。周囲にも漁船が多くてここまでは普通だが、同〇三〇〇時、排他的経済水域を出た頃だ。航行灯を一切消し、左右に密接した状態で一気に速力を上げる」

ラップトップのディスプレイ上で、単位時間あたりの速力が一気に倍増した事を示す航跡線が大きく伸びた。

「三時半にはもう銚子沖を超えているのか……。ざっと四~五十ノット出てるんじゃない?」

「およそ四十二ノット」

チェンが補足するように言った。

「この時点でうちの当直分析官も気づいて衛星からの追跡をはじめた。その後、同じ速度で本州の防空識別圏から離脱した後、なぜか三陸の沖合いで一度減速。その後、再び高速で一気に北上していった」

「ふーん…… 何か捨てたか、回収したか?」

笠木は不審な二隻の漁船の動きを見ながら腕を組んで唸った。

 画面は映像に切り替わり、緑の粒子と濃淡で表された、暗視カメラの映像に変わった。高速で走る漁船が二隻、非常に接近して走っている様子を、俯瞰で撮った映像だった。

「これは監視衛星で追跡をはじめてから、映像に切り替えたものだ」

笠木は映像を指差した。

「一切の明かりを消し、真っ暗な外洋を二隻、お互いギリギリまで寄せて四十ノットでぶっ飛ばす。レーダーには一隻としか映らない。まともじゃない…… それにエンジンは当然、漁船に使うような物じゃない。多分ユーロ製じゃないかな? まぁ、聞くまでもないけどこの船、最後どこへ停まった?」

「ついさっき、室蘭」

それを聞いた笠木は苦笑いした。

「出港地は?」

「川崎の鉄工所跡地だ」

「あなた達が暴れまわっていた京浜島の割と近くね」

笠木はパソコンを返すと、座席の背もたれに寄りかかった。

「そういえば、あんまり興味無かったんだけど、昨日ってミカミ電子でも騒ぎがあったね。あれと関係があるの?」

「それは言えん。機密事項だ」

浅野がニヤニヤ笑いながら言った。

「あっそう…… で、北海の正井が東京に現れたけど、行方はそっちでも追っているんでしょ? 奴がこれに乗っていた可能性はどうなの?」

笠木の質問に浅野は肩をすくめた。

「おれ達は五分五分で考えている」

「つまり、どっちか判断がついていないってこと」

口々に言う二人に笠木は呆れ果てた表情でうなずいた。

「はいはい、色々見せてもらったけど、結局僕にどうして欲しいわけ?」

「話は簡単だ。正井の動向はこちらも全力で追っている。手掛かりを掴んだら、ぜひ我々にもリークして欲しい」

「なるほど、正井ね。正井の事なら僕よりも伊月達の方が一生懸命探してるよ。彼らに聞いた方が早いんじゃない?」

笠木の言葉にチェンは笑いながら首を振る。

「ダメダメ、ああいうイケメンで優秀な、将来が期待されている保安官より、風采のあがらない、いつでも使い捨てのきく平凡な人材のほうがヒューミント(人を介しての情報収集)をするのには警戒されなくて都合がいいのよ」

「まぁ、そういうことだ」

冗談のつもりとはいえ、失礼千万なもの言いに返す言葉も見つからず、笠木はため息をついた。

「仮に今の擬装魚船とミカミ電子が関係しているとなると、その件には正井も絡んでるのか? そもそも、民間のパソコン部品メーカーを襲う理由って何?」

その質問にチェンは返答に窮したかのように言葉を飲んだ。笠木が浅野に視線を移すと、浅野は軽く鼻頭をさすりながら言った。

「実は、ミカミ電子はある軍事的なプロジェクトに携わっていて、その研究はあの板橋の研究所で行われていた。この事実は世界連合の中でも一握りの者しか知らない。実際、統括していたのは世連軍の参謀部で、研究は極秘裏に行われていた。だが、どうやら情報が漏れて何者かがそれを狙った……」

「なるほど…… 本当かどうか知らないが、制服どもが忌々しい秘密兵器を密かにこしらえようとして、おめでたい事にその中身をまんまと北海道にいる奴等に横取りされたって訳だね。バカバカしい…… 正井もブツも今頃きっと札幌に決まってんじゃん」

「それはまだ確認が取れていない……」

もう聞きたくないとばかりに笠木は手を振る。

「あー疲れた。話はこれで、終わりかな? 以上なら、僕は今日一杯は休ませてもらうから」

そう言って、笠木はドアの取っ手に手を掛けた。

「ところで、お宅はそんなノンビリしていていいのか? 捕まえた台湾人達、ただの強盗じゃないんじゃないかな」

「え? そうなの?」

車から降りた笠木は思わず首を傾げた。怪訝な顔をした笠木を残して軽ワゴンはあっという間に走り去った。



 その夜、前島は以前会った日東新聞の女記者を、メールで呼びだした。前回と同じ六本木のショットバーで待っていると、女は約束の時間より五分ほど遅れて現れた。

「こんばんは、先日は最高の特ダネをありがとうございました。ところで、新しいネタがあるとのことですが、一体どんなものでしょうか?」

記者の水島は自分の遅刻を詫びることなく、いきなり切り出した。

「前回と同じく、関口保安官補に関するネタだ。あの男、急に持ち上げられているが、その正体は実にくだらない男なんだ。これを差し上げよう」

前回と同様に茶封筒を記者へと手渡した。記者は仏頂面でそれを受け取ると、その場で中の書類を取り出した。

「あの男、保安官補という職につきながら、これまで十回に渡って道路交通法違反で検挙されている。それは違反切符のコピーだ。一時停止不停止が四回、制限速度超過が三回。特に酷い時には、制限速度四十キロ道路を時速百十キロでぶっ飛ばして捕まった事もある。更にシートベルト不着用、免許不携帯、煽り運転…… 彼がいかに他社への安全配慮に欠け、自己中心的な性格の持ち主であるかを示している」

水島は書類をパラパラとめくると、気だるそうに封筒に戻した。

「ありがとうございます。情報提供に感謝します。今後もなにかりましたら宜しくお願いいたします」

女は鞄に封筒をしまいながら機械的な挨拶を返した。

「ところで、今回もこの件を大きく扱ってくれるだろうか?」

 前島は、当初からこの記者の反応がこの前に比べて芳しくない事を感じていたので、念を押すように尋ねた。

「さぁ…… どうでしょうか。時間や記事のスペースにもよると思いますけど。お約束は出来ません」

ニコチン切れを起こした記者は手元でライターをいじりながら面倒くさそうに言う。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、確かに事件に直接的な関連は無い事だけど、この運転癖は非常識だ。市民の知る権利に応えるのかそちらさんの使命だって言っていたじゃないか」

前島は戸惑いと怒りを顕にしてそう噛み付いたので、女は呆れ果てたようにため息をつくと、前島を見据えた。

「何か考え違いをなさっているようなので申し上げますが、確かに、市民の知る権利に応えるのがわたし達の使命です。ですが、そこで大切なのは、私達マスコミは、あくまで市民の大多数が見たい知りたいと思う情報を選んで報道することが使命だということです。多くの人がこの保安官補に親近感を抱き始めているのに、誰も見たがらない知りたがらないこんな事実を伝えたところで、一体誰の得になるんですか?」

女記者は、さも当然の理だと言わんばかりに言い放った。前島は呆気に取られて、二の句が継げない。

 軽いカルチャーショックを受けて反応できない前島に会釈すると、記者は足早にバーを後にした。


 前島達のいたショットバーから四十メートル離れたセダンの中では、望遠レンズ付きのデジタル一眼レフカメラのシャッター音が立て続け響いていた。

「驚いたな、前島君だったとは……」

運転席に座った村岡は腕を組みながら首を振る。

「てっきりそのブン屋に金掴まされたうちの職員が釣れるとばかり思っていましたからね」

デジタルカメラのファインダーを覗き込んだまま、助手席の加瀬が相槌を打つ。

 監察部からの情報提供を受けて村岡達は密かに、以前に関口の身元を特定する特ダネを手にした女記者の動向を見張っていたのだ。司法局の許可を取って記者の動向を監視していたら、呆気なく記者へ接触してきた前島が『釣れた』のだ。

「これは犯罪ですよ。それも警察局の上級職員が情報漏洩なんて、これこそ酷いスキャンダルになりませんか」

前島と女記者の写真撮影を続けながら、加瀬は心配そうに聞いた。村岡は苦笑いしながら街路へと視線を泳がせた。

「さあな。おれ達の仕事はこの件を報告するところまでだ。この後、前島君を煮るのか焼くのか決めるのは、幸い上のお偉方の仕事だ。それにしても……」

村岡はため息をついた。

「まだ若いのに、彼も気の毒にな……」

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