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〈チーム・グアンタナモ〉

 連合保安局・品川オフィスの取調室では、昨夜京浜島で逮捕されたロバート・ホゥに対する取調べが始まっていた。

 昨夜、笠木の銃撃によって膝頭から脛にかけてをズタズタに引き裂かれた状態で逮捕されたホゥは、最寄の救急病院で応急処置を受けた後、品川オフィスまで連行されてきた。両足を包帯とギブスでグルグル巻きにされて車椅子に乗せられたホゥは、落ち着かない様子で部屋を見回した。殺風景ではあるが、ドラマで再現される取調室とは異なり、明るく清潔感があり、そこそこに広い部屋だった。

 取調べは被疑者への尋問を専門とする調査部第三課と都市警備部の合同で行われた。調査部第三課の保安官らは、主に被疑者や捕虜、被告等から直接に情報収集をする為に編成された尋問専門のチームで、その手法は国家の情報機関が用いるような医学と心理学を併用した、冷徹にシステム化されたものだった。それは、法によって禁止されている肉体への物理的暴力や直接的な苦痛を与えるもの以外の、ありとあらゆる手段を駆使して対象者から情報を引き出す事を意味していた。

 その為、調査部第三課の保安官達は他のセクションの保安官達から〈チーム・グアンタナモ〉という悪意に満ちた仇名で呼ばれている。もっとも、その性質の悪いジョークは現実には冗談ではなく、かの合衆国が分裂的崩壊に至った際に一定数の元CIA職員が連合保安局に引き抜かれ、その一部は調査部第三課にも配属されていた。実は若い頃、キューバのグアンタナモ収容所でテロリストの容疑をかけられた収監者へ拷問を行った経験を持つ者さえいるのではないかというのが、局内での専らの噂だった。

 被疑者の人権尊重と捜査・取調べの透明性を確保するため、連合保安局の尋問は全てがビデオ録画されることになっている。その様子を収めた映像は裁判の場では証拠として採用され、公権力の暴走を阻止するための楔としての役割をもっている他、尋問中の被疑者のしぐさや表情を漏らさず記録することによって心理的動揺や緊張の度合い等を測り、専用の嘘発見プログラムにかけて真相を解く為の判断材料にも使われていた。

 大勢の保安官が威圧的に取り囲む中、ホゥの前に腰をかけた尋問担当の保安官は封筒から数枚の写真を取り出した。

「ほら、見ろ。上半身と額にバン、バン、バン、バンと全部で五発。この人にはまだ小さい子供が二人もいたんだ。見覚えはないのか?」

保安官が見せた写真は、三ヶ月前に北総銀行八丁堀支店が襲われた際に犯人グループによって撃たれて死亡した警備員の検視写真だった。中国人の保安官がすぐに中国語で通訳するが、ホゥはふてくされたように目を背けた。

「そうか、知らないか…… じゃあこっちはどうだ? この子はまだ二十歳だったんだ。かわいそうに、頭を撃たれた」

保安官は二枚目の写真を見せた。秋葉原アケボノ電機館の店員をしていた若い女の、司法解剖前の顔正面のアップだった。それでもホゥの態度は変わらなかった。保安官はその後も馮祥煕やその娘など、関係がありそうな事件の犠牲者の写真を一枚一枚見せつけるようにしながらホゥにたずねたが、被疑者は相変わらず不遜な態度で黙秘を続けた。

 犠牲者の写真を前にして尚横柄な態度を崩さないホゥを前に、やり場のない憎しみに駆られた都市警備部の若い日本人保安官は、拳をきつく握って憤怒の形相で肩を震わせながら取調室を出て行った。

 それまで一見鉄面皮を保っていたホゥだったが、枚数が進むにつれて段々苛々したように手の指を落ち着きなく動かし始めた。保安官は二冊目の封筒を開けて更に写真を取り出した。

「ありがとう、これまでの写真は君にはみんな無関係の人達だったようだから、次はこれだ。昨日の午後、豊洲の沖合いに沈んでいたドラム缶を引き上げたんだが…… 彼のことは知っているね?」

それまではふてくされていたホゥも、それを見た途端に大きく目を見開き、みるみる顔から血の気が引いていった。

 写真の顔は鈍器で殴り潰されて歪み、紫色になってパンパンに膨らんでいた。歯はことごとく折られ、片方の眼球は刃物で抉られていた。顔や体のあちらこちらにコンクリのかけらと思われる塊がへばり付いている。明らかに凄惨な拷問の末に殺された者の死体だった。ただ、茶色に染めた髪やピアスから、ホゥにはそれが誰なのかすぐに思い当たった。

「劉盛陶、十九歳。三日前に品川で温山栄の部下である謝国忠に捕まってこの様だ…… 所見では数時間にわたって徹底的に拷問された後、このピアノ線のようなもので首を締められコンクリ詰め。ただこの男、そのだいぶ前に腹を一発撃たれて大怪我をしていたらしい」

通訳が訳し終わる前にホゥは両目を手で覆って机に突っ伏した。肩と腕が小刻みに震えていた。

「もし君が無実ならばすぐに釈放する。だが、温山栄も君達と会いたがっているだろう。君は違うと言いたいみたいだが、温は自分の金庫番を殺ったのは君達だと思っている……」

そう言いながら保安官は同席している都市警備部の責任者に目配せして笑った。外堀は完全に埋まったと……

 ホゥに対する尋問は比較的穏やかに終始したが、壁を隔てた隣室で行われていた李英凱に対する尋問は、比較にならないほど過酷なものだった。逮捕時に側頭部を警棒で強く殴られた他にはまったくケガをしなかった李英凱には、容赦なく自白剤の投与と心理的圧迫が加えられた。

 連合保安局は被疑者への取調べに対して、他の捜査機関と比べても積極的に情報公開を行っていたが、被疑者の尋問に際してはLSDやチオペンタールをはじめとする自白剤の使用等、物理的暴力に依らないありとあらゆる手法を取る事を明言していた。

 午前十時、李の焦点が全く合っていない目は真っ赤に充血し、半開きになった口からはゆだれが顎から首筋にかけてだらだらと流れ落ちていた。力なく椅子にもたれかかかたまま、逮捕後に一睡も眠ることを許されず、大量のカフェインを投与された李はもはや限界に達していた。

 取調室のドアにあるマジックミラー越しに保安官達は李英凱の様子を見ていた。尋問チームのチーフは被疑者の様子を考慮し、部下に指示を出した。

「これより奴を三時間休息させる。一三○○時になったら仕掛けるぞ。起き抜けにLSDとメチルフェニデートたっぷりトッピングしたコーヒーをご馳走してやれ。その後、一気に締め上げるぞ」



『視聴者の皆様からのアンケートの結果です。連合保安局は今の東京に必要だと思う。はいかいいえでお答えいただきました。その結果、必要だと思うと回答した人は六十三・四パーセントに上り、前回調査を行ったときよりも二十五ポイント以上数字を伸ばしています。一方、必要ではないと答えた人は二十四・三パーセントで前回よりも二十ポイントの現象です。また必要だと思うと回答された方に理由を聞いてみました。最も多い理由は、東京の治安を守る為に必要と答えた方が最も多く、二番に多かった回答は既存の警察が頼りにならない、信頼できないという声が寄せられました。また……』

「前島君…… これは一体どういうことだ?」

 警察局のオフィスに置かれたテレビを見つめ、参事官は口元を引きつらせながら前島へ訊ねた。前島も、いつもの狐眼はどこへやら、今は目をまん丸に開いて唖然とニュース番組を見つめていた。

 隣の会議室からは、なにか物を叩きつけるような音と共に男の怒鳴り声が廊下を通して響いてくる。朝早くから自治議会の族議員が大荒れ状態で怒鳴り込んできたのだ。

「君、黙っていないで何とか言いたまえ。どうにかならんのか?」

参事官が前島を睨んだ。前島は口を半開きにしたまま相手を見つめ返す。

――え? 今の状況っておれのせいなのか?

「君が、国民を焚きつければ保安局と世連を追い詰められると言ったんだぞ。この状況をなんとかしたまえ!」

――自分のやった事と、今の状況とは関係ないですよ!

前島は喉まで出掛かった言葉を辛うじて飲み込んだ。

 確かに昨夜の京浜島の突入とその後の記者会見によって、状況は百八十度変わってしまった。これは自治警察にとっても良くない事態だった。

 前島は歯を食いしばり、無言でうなずいた。どう考えても理不尽な指示だが、官僚的なこの組織の中で生き残っていくには、それに絶えて乗り越えていかなければならない。

「はい、とにかくマスコミに再度アプローチします」

前島はそう言うと自分の机に戻ってパソコンを立ち上げた。とにかくスキャンダルだ。スキャンダルのネタを探さなければ……

 前島自身も焦りを感じていた。せっかく途中までは上手く行ったのだ。

――やばいぞ、このままではおれのキャリアが…… おれのキャリアが……

前島はそう念じながら、パソコンで事件記録を検索し始めた。



「チーフ、野郎がオチました。秋葉原と目白の事件に関しては認めました」

 ワイシャツを腕まで捲り、ゴム製のエプロンを着た部下が取調室から出てきた。〈チーム・グアンタナモ〉の主任である小太りの白人保安官は、マジックミラー越しに取調室を覗いた。周りの者に話したことはないが、彼はCIA時代に実際にイラクのアブグレイブ刑務所やキューバのグアンタナモ収容所で仕事をした経験があり、その種の仕事のエキスパートだった。

 マジックミラーの向うにいる李英凱は、椅子から床へ真横にずり落ちた姿勢のまま、口と鼻腔から唾液と鼻水を垂れ流し、目を大きく見開いたまま昏倒していた。中枢神経刺激薬であるメチルフェニデートとアストロピンを大量に投与され、正常な認識判断力を奪われた上で、立て続けに厳しい尋問に晒されたなれの果てであった。

「あの様子ですので、やったかどうかを聞き出すだけで精一杯でしたが、誕生日や出身地などいくつか基本的な質問をした後に、一連の事件に関しての質問したらイエスと答えました。具体的な供述をとるのは難しいですが……」

「いや、それでいい」

CIA出身のそのチーフは部下の言葉を遮るように言った。

「こいつが全て自白した事を隣の部屋にいる奴にも教えろ。それで反応を見る」

大切なのは仲間がもう裏切り、自分が頑張れば頑張る程損になると思い込ませる事だった。

「判りました。すぐにやってみます。ですが、仮にそれでも口を割らなかった場合は……」

チーフは、ガラスの向こうに倒れている李英凱を指差して言った。

「今のこいつの様子を写真に撮って見せてやれ。頑張ってダンマリを決め込んだらこうなるってな」

チーフはそう言って、カフェテリアへドーナツを買いに歩き出した。

「おっとそうだ、李英凱はすぐに医者に見せろ。死なれると厄介だ」

「イエッサー」

部下は答えるとドクターを呼ぶべく内線の受話器を取った。

 隣室にいるロバート・ホゥがぽつりぽつりと犯行の具体的供述をはじめたのはそれから三十分後の事だった。

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