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インターセクション

 新中央警備株式の香取淳二は、早朝から朝食も取らず虎ノ門の本社へと出社していた。八時半から『アキリーズ・システム』の弱点に関する緊急役員会議の予定が入っていた。確かにミカミ電子襲撃はこの警備会社にとって大きな衝撃だったが、香取自身を不安のどん底へ突き落としたのは北総銀行の織田からの電話だった。

 今日の未明、架空名義で取得した「副業」専用の携帯電話越しに、織田は取り乱した様子で叫んでいた。

『どうする、あの中国人達が捕まったぞ! あいつらの口からこっちの事が漏れる事は無いのか?』

香取は電話を耳に当てながら、今回の危険な仕事に織田のように肝の据わっていない男を引き込んだ事を今になって後悔した。

 思い返してみれば全てのはじまりはこの銀行員との悪縁だった。海外投資信託で一時的に利益が出たことに気をよくして、営業部の銀行員の薦めに乗ってどんどん投資額を増やしていった事がそもそもの失敗のはじまりだった。果てには信用取引で借金を重ね、巨額の損失を抱えることとなった。自分に巨額の負債を背負わせるきっかけをつくった銀行員こそ、当時北総銀行の信託営業部にいた織田だった。

 その後、借金で首が回らなくなっている香取に、どこから嗅ぎつけたのか情報ブローカーなる産業スパイが近づいてきた。その男は、香取が当時携わっていた情報セキュリティ・コンサルティング業務の顧客である、とある機械メーカーの内部情報を自分にリークするよう依頼し、代わりに高額の報酬を提示してきた。当時の香取に選択の余地などなかった。企業の内部情報は金になった。一件目が成功するや、次から次と客は現れ、それに対応する為に自社内に秘密のネットワークを築くまでになった。

 そしてあの山口という男が危険な依頼を携えてやってきた。山口はあくまで実証にこだわった。新中央警備が同業他社と共同で開発した複合警備システム『アキリーズ』は銀行や大手企業、公的機関から高い評価と支持を得ていた。実際、『アキリーズ』導入後に起こった数件の銀行強盗はアキリーズの解除に失敗し、全て失敗もしくは逮捕の憂き目に遭っていた。

 ミカミ電子の極秘開発情報を求めて接触してきた山口は、あくまでセキュリティシステムの完全な無力化を求めた。その為に提案してきたプランが、『アキリーズ』を構成する多くのシステムを個別に打ち破って確実なセキュリティー突破のノウハウを確立するというものだった。そして、その為の実験台として紹介されたのが、あの台湾人の無法者グループだった。

 耳を疑うような危険な仕事ではあったが、山口の提示した報酬も破格だった。それは香取にとっても、莫大なの負債をたった一回の仕事で清算できるまたとないチャンスだった。

 強盗やシステムの解除に不慣れな台湾人達に最初に襲わせるターゲットは、内部に協力者を置いて犯行の確実性を担保できる目標が望ましかった。そこで白羽の矢が立ったのが織田の勤める北総銀行の支店だった。

 織田も、香取と同様に転落の人生を送っていた。妻と別れ、クラブの女に入れあげ借金を重ねた挙句、銀行の金を密かに横領するまでになっていた織田は、山口の提案に一つ返事で乗った。織田にとっても支店の使い込みをもみ消す唯一のチャンスだった。

 一件目の銀行襲撃は狂言強盗と呼んでも差し支えないくらい、あっさりと成功した。台湾人と山口達は香取の教えたとおりの手順で防犯装置を眠らせ、携帯電話基地局の電波周波数を妨害し、織田が用意したカートを強奪した。この事件により、織田は自身の使い込みの証拠をあっさりと消し去る事ができたのだった。

『それじゃなくとも、秋葉原で事件があってから、おれは夜も眠れないんだ!』

 香取は織田の電話の声を歯軋りしながら聞いていた。

「お前と犯人に接点は無いんだ。この電話にも二度と掛けてくるな。何かあれば、こちらから連絡する」

香取は通話を切って、携帯電話を机の上に叩きつけた。

 すぐにテレビをつけると、見慣れない若い男が二人、荒れた倉庫街を背景に自信満々に弁じている姿が大きく映った。映像のすみには『連続襲撃犯逮捕』のテロップ文字が貼り付けられていた。香取を一層不安にさせたのは、事件の首謀者のうち一体誰が射殺され、誰が身柄を拘束されたのか全く公表されていない事だった。

 香取は一度だけ、防犯装置の無力化の方法を教えるために覆面をしたうえで台湾人のリーダー格の男達数人と面会した事があった。顔を隠しての面会だったが、今香取にとってはその時の事だけがとても気がかりだった。せめて、その場に居合わせた者達が全員、保安局に射殺されていることを願った。

 不意に執務室の固定電話がけたたましく鳴った。外線からの直通電話だった。

『おはようございます。香取部長』

声だけですぐに山口だとわかった。

「山口さんか? あんただな? まだ東京にいるのか?」

香取とは対照的に、相手は至って落ち着いた声で話し始めた。

『昨日、仕事を行いました。お蔭様で、我々はそれなりの成果を得る事が出来ました。ところで奇遇にも昨夜、我々が使った台湾人のグループが連合保安局に検挙されました』

落ち着いた声が香取を一層苛立たせた。

「だからあれほど心配していたんだ! もし連中の口から我々の事が漏れたらどうする!」

『そう怒鳴らずに…… もし仮に喬達の口から我々の事が漏れたとしても心配には及びません。幸いあの台湾人達は私や香取部長の素性を知りません。彼等から直接あなたへ追求の手が及ぶとは考えにくい。ただ……』

「ただ?」

香取は受話器を強く掴んだ。

『香取部長の身元を知っている者達がいます。その者達は危ないかもしれません』

香取の脳裏には、数人の男達の顔が浮かんだ。

「ど、どうしたらいい?」

『それはなんとも申し上げられません。私は一介の情報ブローカーですから。それではお元気で香取部長』

「おい、待ってくれ!」

叫ぶ香取の声も虚しく、通話は切られた。


 新中央警備の本社から僅か五百メートル離れた電話ボックスを出た山口こと正井は、路肩に止めてあるプレミオの助手席に座り込んだ。

「どうしますか?」

運転席の部下の問い掛けに答えず、正井はサングラスを外して香取のいるビルを見つめていた。

 正井は今回の計画を思い返し、今後の考えを巡らす。正井にとって想定外だったのは、自分達の行った警備システム破りに対する各警備会社の対策が余りにも後手にまわった事だ。いずれ正井が利用した台湾人グループはその技術に味を占めて勝手に動き回る事は予想していた。だが台湾人の手口は各社が対策の為にシステムの更改すれば陳腐化し、何件も強盗が成功するような連続事件に発展することはないと予想していた。だが、意外にも対策は行われず、数件で打ち止めとなるはずだった単発事件は連続強盗事件へと発展し、世間の耳目を集める事となってしまった。

 第二の見誤りは、台湾人グループが連合保安局の手に落ちた事だ。実際、台湾人の動向を探っていた正井は、グループが興龍幇との抗争寸前である事を把握していたので、いずれ組織抗争で殲滅させられると予想していた。だが、台湾人達は、正井が警察以上に警戒している連合保安局によって検挙されたので、一連の事件の全容を保安局に把握されてしまう可能性が出てきた。もしそうなれば、日本共和国と東京の暗黒街のコネクションへ保安局が目をつける事にもなり、今後の工作活動の大きな阻害要因となることは間違いなかった。それを避けるためには、これまでは計画していなかった、証拠の抹消と人脈の寸断というプロセスが必要になってきた。

「香取は思った以上に怯えている。香取のグループに張り付け。あの男がどこまでやれるか、様子を見よう。その上で対応を決める」

正井はそう言い、部下へ車を発進するよう命じた。



 連続強盗犯のグループが検挙されたニュースは、一部の保守系マスコミを除いては概ね好意的に報じられていた。それは、総督府庁舎や連合保安局の建物を取り囲んでいた集団の三分の一を占めていた市民団体のほとんどが撤退してしまった事にも表れていた。また以前のような報道陣による密着加熱取材の様子も今はなく、庁舎を背景に淡々とレポーターが話す姿が見られる程度であった。現時点で抗議の声を上げているのは反総督府の信条を持つ特定の政治団体と保安局の実力行使に反対する人権擁護団体が僅かに残るのみだ。

 また、市民の関心は新たなニュースへと移りつつあった。午前中のワイドショーは昨夜起きた板橋の電子研究所襲撃事件に関する話題で持ちきりだった。

 西新宿オフィスの事務室の角にある休憩コーナーには骨董品になりかかった中型プラズマテレビが据えられている。楊はソファーの上にあぐらをかいて、お気に入りの激辛カップ麺をすすっていた。

 秋葉原の事件が解決に向かった矢先のミカミ電算襲撃事件で、東京の治安関係者は落ち着く間もなく対応に追われることになった。そんな中、西新宿オフィスは様々な事情により、もはや活動継続が困難な状況に陥っていた。村岡は板橋事件の捜査の為に本庁へと召集され、有坂は未だ事情聴取から解放されていなかった。昨夜、楊自身が送り届けた菱川は事件のショックでとても口の利ける状況になく自宅待機が命じられた。また、一躍『時の人』となった関口は広報部により武蔵春日の自宅へ送り届けられ、おそらく今頃は夢の中だろう。

 また楊のいるオフィスの隣にある応接室のドアは硬く閉じられ、中から鍵がかけられていた。笠木の机の上には、報告書を送信し終えたノートパソコンと紅茶の出がらしが詰まったティーポットが置きっぱなしとなっている。

 待機要員として楊ただ一人が、何をするわけでもなくオフィスに残る事になったのだ。

『今回の事件が企業を対象としたテロであるのか、それとも何らかの資産を狙った武装強盗なのか、現在までのところ警察、連合保安局共に言明を避けていますが、関係者の非公式のコメントとして『ミカミ電子は以前から、製造部門の契約労働者との間で、雇用に関するトラブルを抱えていた』との話もあり、早期の事件解明が望まれます』

「怨恨かぁ…… それにしちゃ、過激過ぎだよ」

テレビのニュースを聞きながら楊は一人つぶやいた。残りのスープをズルズルと飲み干し、美味そうにぷはぁーと息を吐きながらカップ麺を完食した。

 食べ終わった容器と割り箸をくずかごに捨てて、自席に戻った楊はできるだけ情報を集めるべく、自分の端末で保安局のネットワークデータベースへとアクセスし、昨日の事件に関する情報を集めようとした。

 すると応接室のドアが開き、目の下に隈を作った笠木がコートを抱えて、のっそりとオフィスへと出てきた。いつもどおり服装だけは身奇麗にしていたが、首から上は疲労と寝惚け眼で酷い人相だ。笠木は目を細めたまま、室内に残るカップ麺特有の化学調味料の匂いを嗅ぎ取り、不機嫌そうに顔を歪める。

「やっと起きたね…… よく眠れたか?」

「三食続けてカップラーメン食べたでしょ?」

「しょうがないでしょ! 誰もいなくて外出られないんだから」

それはご愁傷様と言わんばかりに笠木はうなずくと、大きくあくびをしてサンダルをペタペタ鳴らしながらオフィスを出た。

 そのままカフェテリアへ行き、缶入りの紅茶飲料とジャンボ・クリームパン、フレンチサラダを買って戻ってきた笠木は休憩コーナーの長椅子に腰を下ろした。

『……された容疑者グループは連合保安局・品川オフィスにて取調べを受けています。保安局は、昨夜の突撃で台湾国籍・中国国籍の男ら十七名を射殺、その他の十九名を逮捕・拘束し、現在も取り調べを行っています。なお、拘束された男らのなかには連続武装強盗の犯行をほのめかす者もいるとの事で……』

『……はい、こちら東京・板橋にあるミカミ電子研究所の前です。先程までこちらでは警察と連合保安局による合同の現場検証が行われいてました。今回の事件では……』

『こちらは関口伸一保安官補の実家のある武蔵春日市に来ております。昨夜の連合保安局による突入の一報があって以来、こちらも事件の話題でもちきりです。怪我をおして作戦を陣頭指揮した関口保安官補に対する、市民の皆さんの関心も非常に高まっています。先程、街の中心部でインタビューしたVTRがありますのでご覧ください』

チャンネルを変えていた笠木は思わず笑い出した。

「確かに作戦には参加させたけど、さすがに陣頭指揮まではさせてないよ……」

 笠木の意図は、ただ小さな雪つぶてを坂から転げ落とすようなものだった。あとは勝手に斜面を転がり落ちて、つぶては雪ダルマ式に大きくなってゆくだけだ。笠木の投げた小さな小さな雪つぶては、彼の願ったとおりの方角へ大きくなりながら転がりはじめていた。

 液晶テレビの画面は、商店街で買い物帰りにインタビューに答える中年女性を映していた。

『ええ、そりゃ捕まって良かったと思いますよ。それに、テレビでその若い保安官見た時は、厳しく処分して欲しいと思いましたけどね、今回は大活躍したって聞いたらなんだか急にかわいそうになっちゃいますよね~』

『やっぱり、同郷の人だとね、何をやった人でも応援してあげたいと思うわ~』

「ひっどい話だ……」

笠木は口の両端を吊り上げて笑った。もう十分なので、笠木はリモコンでテレビを消してサラダとパンの残りを平らげた。

「珍しく機嫌良さそうだね? ところで、昨夜の板橋の研究所襲撃事件に興味ない?」

端末に向かっていた楊が休憩コーナーの笠木へ向かって声を掛ける。

「とりあえず、無い」

笠木はニコニコしてそう答えると、勢い良く立ち上がった。

「さて、帰るとするか……」

「ええ~、待機を交代してくれんじゃないの?」

楊は調子ハズレなアクセントで抗議するが、笠木はそそくさと帰宅の準備をはじめた。

「冗談よしてよ…… こう見えても僕は有給休暇中なんだよ。じゃあ、お先に~」

追っ払うように手を振かえす楊に背中を向け、笠木はオフィスを出ていった。

 笠木が出て行ってから五分後、モニターを睨めつけていた楊は頭を掻きながら首を傾げた。

「あれぃー、ちょっと少ないよねー、何これ?」

 楊の権限で許されている範囲のアクセス可能な情報がディスプレイに表示されているが、それらはマスコミに発表されている情報と大差の無いとても大雑把なものだった。

 事件後、既に十二時間以上が経っているにもかかわらず、一般保安官向けの新たな情報は、和光市の空き地で犯行に使われたと思われるトラックとセダンが丸焦げに焼け落ちた状態で見つかった事だけだった。あれだけ大きな事件だというのに、公開されている情報があまりにも少ない。楊は不審に思った。

 公開される情報が明らかに少ない事件は香港時代にも数回経験していた。そのどれもが最終的に不可解な迷宮入り事件として幕を下ろしてきた。それらの事件は、背景に政治的スキャンダルの存在が噂されたケースや事件の背後で政治的高レベルの深刻な事態が進行していたと言われるケースばかりだった。

 楊がそうやって端末と格闘しているところへ、ようやく伊月が出勤してきた。疲労の為か瞼は重く、顔色も決して良くはなかった。

「イヅキ君、昨日はお疲れ様。少しは休めた?」

「ああ、それなりに……」

伊月はそう短く答え、自席にドサリと腰を下ろした。

 昨日は久しぶりに深酒したため、天津と別れて自宅に戻ってからも酔いの為に熟睡できなかった。アルコールが抜けていないせいか、後頭部から側頭部に脈打つような鈍痛が響いている。

「昨日の板橋の件、新しい情報は出ているか?」

「局のデータベースもマスコミ向けと大差ない。嫌な予感がするよ。まるで情報が局内で統制されてるみたいだ」

「判った…… 実は私も、昨夜の事に関しては、ほとんど把握していない。情報を整理しないと」

「整理って…… 何も公開されないようなもんだよ」

 自分のデスクのノートパソコンを開いて五分後、伊月は小さく唸り声を上げて深く息を吐いた。

「やはり、このヤマは普通じゃない…… 十人以上の犠牲者が出ているにも関わらず、扱いが小さすぎる。当然意図的な操作と考えるべきだ」

真剣な表情で伊月が言う。それを聞いて楊は椅子の背もたれに体を預けた。

「あーあ、どうせこれ迷宮入りだよ。きっと……」

 楊は伊月のデスクの上に置かれた折りたたみ式の携帯電話を見た。着信を知らせるLEDが赤く点滅していた。

「ねぇ、なんか来てるんじゃない?」

伊月は手元の電話に気づき、怪訝な顔をした。

「おかしい、さっきはちゃんと鳴ったが……」

伊月は電話を開き、届いたメールを検めた。

「保坂部長からだ。至急、板橋の浮間総合体育館まで来るようにと」

それを聞いた楊は目を丸くして立ち上がった。

「浮間って言ったら、ミカミ電子のすぐ近くだよね」

伊月は無言でうなずき、立ち上がった。

「もしかして、昨日の事件と関係ある?」

楊の問いに、まだ判らないと答えながら伊月は革のショルダーホルスターに腕を通し、上着を羽織った。

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