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雨上がり

 検証のため鑑識係の保安官が倉庫内の惨状を撮影して回るなか、笠木達は倉庫一階奥に停められたフォークリフトの後ろへとやってきた。そこにはギャング三人が蜂の巣になって血の池をつくっている。鑑識係が遺体を収容するため、うつ伏せに倒れている男の一人をひっくり返した。至近距離から散弾を二発浴び、腹部に大穴が開いていた。長髪で髭面の若い男だった。

「首謀者の喬拓明だな。はたして残りの二人は……」

伊月が三人の遺体の眺めながらつぶやいた。

「残りは生きてる。ロバート・ホゥは僕が確保したし、もう一人の李英凱は無傷で逮捕できたそうだ」

笠木がそう言って合図すると、鑑識係は男達をボディバッグ(死体袋)に納めジッパーを閉じると、ストレッチャーの上へ引っ張り上げた。

「派手に武装していると聞いていたが、こんなに多くのフルオート火器を持っているとは思わなかったね。ほら、メイド・イン・USA。中国やフィリピンのコピー品とは違う」

笠木はそばに落ちていたM10イングラム・サブマシンガンを拾い、天津と伊月に刻印を見せた。

「国を追われてきたばかりのチンピラがこんな短期間に道具を揃え、大掛かりな強盗ができると思うか?」

伊月の言葉を受け、隣にいた天津が軽く首を振る。

「強力なパトロンがいないと無理だと思うわ」

「こっちで妙なものを見つけた」

伊月はそう言って、二人を倉庫の別の一角へと連れて行った。その一角はパーティションで区切られ、大きなテーブルとホワイトボード、キャビネットが据えられていた。そこでは、まだ多くの鑑識係が撮影と検証を行っていた。ホワイトボードには何枚かの写真とともに簡体文字の走り書きが残されていた。

「なるほど……」

笠木はテーブルに広げられたままの地図を覗き込んでうなずく。笠木は革手袋をした手で地図の書き込みを指さした。

「目白…… ここは馮の家だ。そこの写真も。あと、要町の温山栄の自宅も突き止めているな。本当に戦争するつもりだったんだな」

笠木はホワイトボードに貼ってある写真を指さす。明らかに、襲撃された馮の家の裏口と判る写真がマグネットで留められていた。その隣には電信柱の上に設けられた黒い配電盤を写したものもあった。

「アキリーズ・システム……」

伊月がつぶやいた。

「ん? ああ、例の警報機か」

伊月と笠木のやり取りを聞き、天津が怪訝な顔をする。

「一体、何のこと?」

「このグループは、セキュリティ破りに非常に長けていた。襲う先はどこも厳重な警戒システムを持ったところばかりだった」

「うん、武器といい手口といい、乱暴だけが取り柄のクズ集団のくせに妙な話でしょ?」

笠木はそう言いながら、キャビネットの引き出しを開けて、中に詰まった書類や図面を漁りはじめた。

「あった! あった!」

笠木は書類整理用のキャビネットから、折畳まれた大きな地図と写真の束を取り出した。地図は秋葉原一帯のもので、写真の多くはアケボノ電機館の出入り口やショーウィンドウ、店内を隠し撮りしたものだった。

「ビンゴ。とりあえず、僕はこれさえあれば満足」

笠木は嬉しそうに笑った。


 雨はもう止んでいた。検証の邪魔にならないよう、関口はシャッター横のビールケースに腰掛け、慌しく動き回る保安官や捜査員達をぼんやりと眺めていた。

 一連の騒ぎが終息に向かおうとした時には、既に二、三台の救急車が駆けつけており、今では常時十台近くの救急車がひっきりなしにあらわれては、負傷した保安官やまだ息のあるギャング達を乗せて走り去ってゆく。

 検証を終えたところでは、射殺されたギャング達の遺体の収容がはじまり、次々とボディバッグに納められてストレッチャーにのせられていた。

 一方、封鎖線の向こうに視線を転じると、既に数社のテレビ局の中継車と新聞記者が集まっていた。関口は思わず目を背けた。

 関口は虚脱感に襲われ、ソードオフ・ショットガンを抱えたまましばらく座り込んでいた。突入と掃討という劇的な数分を終え、当面の宿敵と思われていた者達に引導を渡し、実感の薄い達成感と、これから開かれる予定の再査問などに対する倦怠感がない混ぜとなり、関口は大きくため息をついた。

「なんだ、仕事を前にして、疲れちゃったのか?」

顔を上げると、笠木が立っていた。

「君の本当の仕事はこれからなんだぜ」

妙に嬉しそうに笠木が言った。

 笠木は関口を立たせ、その頭からずぶ濡れの帽子をとり、襟元の緩んで曲がったネクタイを真っ直ぐに整えた。そして、ハーフコートの水滴をはらい、襟の皺を引っ張った。

「顔に泥がはねてるな」

そう言って笠木は手にしたセカンドバッグからタオルを取り出し、関口の頬を強く拭った。

「痛いんですが……」

「我慢」

まるでスタイリストのように上下左右に関口を眺め回し、笠木はようやくうなずいた。

「素材の悪さはしょうがない。まぁ、これでいいだろう…… じゃあ、少し笑う練習をしようか?」

「はぁ?」

まったく意味の判らない笠木の指示に関口は困惑させられた。しかし、笠木は関口を半ば無視するように、小さなセカンドバッグから髭剃り用の手鏡を取り出し、関口へ向けた。

「両頬の肉をもっと吊り上げて、目が細くなってもいいからにこやかに。口元は上へ向けて……もっと」

もし知っている者が見たら泣き出す寸前なのではと勘繰ってしまうような、胡散臭い「笑顔」が鏡に映った。

「よし、これでいい。この顔の形を覚えて、しばらくその顔のままでいられるようにしてくれ」

関口はもはや何も聞く気にもなれず、無言でうなずいた。

 外から、制服の保安官補が小走りにやってきた。

「笠木保安官、広報部が身柄を受け取りに来ています」

封鎖線を抜けて入ってきた黒いジャガーを見ながら、笠木は宿敵を待っていたかのように、にやりと笑った。

「早速来たか…… とりあえずマスコミ止めの封鎖線をこの位置から向うへ向けて張って。合図したら、僕らも歩いていくから。それと同時に遺体の運び出しをはじめて」

笠木は腕時計を見ながら保安官補にまとめて指示を与え、鏡と睨めっこしていた関口を呼んだ。

「さぁ、仕事だ」

 外を見ると、報道陣を押さえていた阻止線が解かれ、一斉にこちらへ前進をはじめた。関口の体は強張った。このままではどうやっても記者やカメラマンに揉みくちゃにされなければ車までたどりつけない。今まであれほどマスコミを警戒していた笠木が一体どうしたというのだろう? 関口はいよいよ笠木の神経を疑った。

「質問がマシンガン並に浴びせられるだろうが、返答は三つだけでいいよ。『ありがとうございます』『職務をまっとうでき、嬉しく思います』『詳細は会見で申し上げます』、この三つを使い分ければ問題ない。余計な事は言わないでね。あれはゴキブリ以下の性悪な人種だから、心の中ではどんなに悪態ついてもいい。ただし、今は胸を張って笑みを絶やすな。質問は?」

「……大丈夫です」

笠木はうなずくと、関口の腕を掴んで、報道陣が群がる封鎖テープの前へとゆくっりと足を進めた。

 一斉にストロボが二人に浴びせられた。笠木は口元に笑い皺が深く浮くくらいの笑顔で愛想よく手を振った。二人の背後には保安局の貨物トラックが荷台を開き、そこへギャングの遺体をのせたストレッチャーが列をつくっていた。

 ギャングの遺体を運び出すストレッチャーの列をバックに、笠木は足を止めて大声で宣言した。

「ご報告致します。連合保安局は本日一七〇〇時に特捜班を編成し、秋葉原電気店強盗殺人事件と目白会社経営者強盗殺人事件の被疑者グループ二十名以上を捕捉。同二一二〇時、この凶悪な犯行グループを完全に制圧いたしました」

驚きの声と歓声が報道陣から上がった。そして、一斉に質問の嵐が訪れた。

 死体袋の列の前に立つ二人の保安官。明日の大手新聞社の一面を飾る写真が撮られた瞬間だった。


 倉庫の入口から、天津は遠くの笠木達や報道陣の群れを見つめていた。関口をあんなふうにカメラの前に晒してしまって大丈夫なのかと、天津は心配になった。ただ、笠木の裏には広報部のアルバート・シュルツがいることは天津にも判っているので、今自分にできる事は黙って見守る事だけだった。

「美吹、ちょっと聞くんだ」

 後ろから無線機とずぶ濡れの携帯電話を手にした伊月がやってきた。振り向く天津の両肩に遠慮がちに手を添えた伊月は、酷く険しい表情でゆっくりと話し始めた。

「これから言う事を落ち着いて聞いてくれ。実は…… 四十分前、板橋のある企業の研究所が武装集団に襲撃され、臨場した警官と保安官が撃たれた。……ハインツが病院に運ばれたそうだ……」

天津は上半身を氷水に放り込まれたような衝撃を受けた。表情は凍りつき、衝撃で心臓の鼓動が急に収縮したような感じられた。数年ぶりに感じた最悪の感覚だった……

 顔面蒼白になり寒がるように両肩を抱えてよろめく相棒の腕を伊月はしっかりと掴んだ。

「しっかりしろ。落ち着くんだ。それ以上はまだ何も判っていない」

天津は虚空を見つめながら、何度も強くうなずいた。すぐにハインツ・クレーゼの妻と娘の事が脳裏をよぎった。

「判ったわ…… もう大丈夫。私達も行きましょう」

天津はそう言って呼吸を整えるように大きく息を吸う。

 二人は車の方へと歩き出した。一度、天津が後ろを振り返ると、報道陣に囲まれた笠木と関口が笑いながら迎えのジャガーへ歩いていく姿が見えた。



 板橋のミカミ電算研究所には保安局と警察の車両が殺到し、一帯は騒然としていた。

 ショックでへたり込んでいる菱川の目の前で、血まみれのハインツ・クレーゼは救急車で搬送されていった。クレーゼの血で真っ赤に染まった両手を拭き取る間も与えられずに、有坂は事情聴取の為に連れて行かれた。捜査員や刑事達が目まぐるしく動き回っている只中で、菱川はまるで自分が透明人間にでもなったかのように思えた。

 一度だけ救急隊員が負傷の有無確認しに来たが、菱川はそれにすら一言も応答する事ができなかった。捜査担当と思われる刑事数人と年配の保安官が、立ち尽くしている菱川を見ながら何やら相談していたが、結局誰も話を聞きに来ないままだった。

 騒然とした現場に取り残された菱川にようやく話し掛けたのは、遅れて到着したハワード・楊だった。

「ずぶ濡れじゃないか…… 局へ戻ろう、アヤコちゃん」

菱川は無言のまま、楊の運転してきたニッサン・シーマの助手席に座った。自分達が乗っていた穴だらけのクラウンに鑑識と捜査員が群がっている様が窓越しに見えた。楊が運転席に座り、二人は現場を後にした。

 無言で俯いたまま座っている菱川にどう声を掛けてよいのか判らず、楊はしかたなく端末のテレビをつけた。

 有機ELディスプレイには見慣れた顔がアップで映し出された。

『関口保安官補、今のお気持ちを!』

『ありがとうございます。職務を果たせて嬉しく思います』

『保安局の広報部からは、現在謹慎中であるとの発表が出ていましたが、今回はどういう経緯で突入に参加される事になったのですか?』

『その件に関しては、後ほど会見にて申し上げます』

「おお! あいつらやったな!」

楊は思わず目を丸くして言った。菱川はディスプレイ上の関口を見つめた。画面上の関口はなんとも下手な作り笑いを振りまきながら、記者達を押し分けて車へと進んでいた。

 秋葉原事件が起きた直後から菱川は失態を犯した関口に対し、一般人と同じように叱責し、軽蔑を隠してこなかった。さすがに同じ入局一年目である者として、最近ではそこそこに気の毒に思うようになっていたがそれでも、自分は決してああはならないという意志と、もし自分だったらたとえ同様の危機に直面しても、もっと冷静に対応できるという強い自信を持っていた。なぜなら、菱川は研修においても配属後の勤務に関しても、関口よりずっと真面目に打ち込んできたつもりだったからだ。しかし、それも先程までの話だ。実際の自分はパニックに陥り、仲間に命を救われた揚句、不用意な行動によってその恩人の生命を危険に晒した。もしも、今回の事でクレーゼの命が失われるような事があったとしたら、自分は一体どう償うことができるのかと、菱川は自問した。答えが出るはずも無く、菱川はいたたまれなくなってディスプレイの関口から目を背けた。

 その時、車載電話のベルがなり、楊は左手で電話を受けた。楊は電話に相槌を打ちながらしばらく話を聞き、受話器を置いた。楊は、ハァと大きく息を吐いて、菱川に言った。

「今、村岡さんから電話があって、病院に運ばれたハインツはなんとか助かりそうだって。今奥さんと娘さんが向かってる。それをアヤコちゃんに伝えてってさ。はぁ~、よかったぁ……」

それを聞いた菱川の顔はみるみるくしゃくしゃになり、両手に顔を埋めて堰を切ったように泣き出した。



 天津と伊月が板橋の救急病院に到着した時、ロビーではハインツ・クレーゼの妻であるアンナ・クレーゼと六歳になる娘のコリンナがすでに駆けつけていた。

 アンナは天津を見つけるなり、泣きながら天津に抱きついた。

「大丈夫…… きっと、大丈夫だから……」

天津はアンナの背中を叩きながら耳元で落ち着かせるように言う。一緒にいた伊月は、黙って母親に寄りそっているコリンナの前にしゃがみ、やさしく頭をなでた。伊月は立ち上がって天津に目配せすると、一人病棟の奥へと歩いていった。

 渡り廊下の奥にある集中治療室のドアの前には村岡と加瀬が立っていた。

「お疲れさん、京浜島の結果は聞いた。関口が世話になったな」

村岡の言葉に伊月はうなずいた。

「ところで、ハインツの様子は?」

「たった今、手術が終わった。命に別状はないそうだ」

村岡の言葉に伊月は息を吐いて首を縦に振った。

「良かったです…… 安心しました」

加瀬がハインツの負傷の様子を説明した。

「五・五六ミリ弾が二発、一発は鎖骨を正面から砕き、骨に沿って肩から上に抜け、もう一発は頚動脈の数センチ下を貫通して後ろに抜けた。幸い銃弾が体内で砕けたり、体の内側へ進まなくて助かった。弾の小さい高速弾だから良かったんだろう」

「首筋ですか。後遺症などは?」

「今はなんとも判らんが、神経その他は特に問題ないそうだ」

「良かったです。向うにアンナ達が来ています」

村岡はうんうんとうなずいた。

「今、看護師さんが呼びに行った。いやはや、今日は大変な夜になったな。見ての通り、事件の詳細はまだ何も判らない。我々も今夜は、クレーゼとは面会できない。今日は一旦休んで明日以降に備えてくれ」

伊月は了解し一礼した。


 長椅子が並べられた広い待合室の一角で、天津はアンナの肩を抱いたまま座っていた。不安のなかでの沈黙が続き、時間はじれったいほどゆっくりと経過してゆく。

 床を叩くサンダルの音が渡り廊下の方から聞こえてきた。天津が目を向けると、マスクをしたままのナースが歩いてきた。三人を見つけると彼女は足早に近づいてきた。

「ご家族の方ですか? 今手術が終わりまして、ご主人がんばりましたよ! 危険な状態は抜けたので安心してください」

天津が英語でナースの言葉を訳すと、アンナは思わず口に手を当てて立ち上がった。

「ああ、神様……」

「良かったわね、本当に……」

天津はアンナを抱きしめてブルネットの髪をやさしくなでた。

「今、麻酔が効いていますけど、お会いになりますか?」

ナースが言うので天津はアンナの腕を取った。

「さぁ、彼も会いたいでしょうから」

そう言って天津はしゃがみ、娘のコリンナを一度抱きしめた。

「良かったわねぇ、パパは無事だって」

「ありがとう、ミブキ……」

アンナはそう言うと娘の手を引き、ナースと共に奥の病棟へと歩いていった。

 二人を見送った天津は身震いするような寒気と動悸を感じ、コートの両肩を抱くように身を縮めて長椅子に座り込んだ。徐々に心臓にへばりついていた氷の塊が剥がれるような安堵を感じ、ようやくため息をついた。

 職業柄止むを得ない事ではあったが、親しい同僚が仕事の上で亡くなるという悲劇に立ち会う事だけはなんとしても避けたかった。以前、仲間を失った時に感じた心臓を冷たい鉄の手で握りつぶされるような不安と衝撃、悲しみは二度と体験したくなかった。それも、悲嘆にくれる妻と娘を目の前にすればなおの事だ。天津は今日の運命の巡りに二重の意味で感謝した。

 そうやって、しばらく目をつぶって気分が落ち着かせてから、天津は立ち上がった。感情だけでは世の中は動いていない。今夜、東京で一体何が起こっているのか、最低限でも把握しなければならない。

 天津は待合室中央に置かれた大きなプラズマテレビのスイッチを入れた。静寂だった待合室にやや大きすぎる音量で響く声は、彼女が聞き慣れた声だった。

『結果には大変満足しています』

 死体袋とストレッチャーの列がトラックへ積み込みを待っていた。その前で、この上なく柔和な笑顔で語る笠木の顔が画面に大きく映った。強く浮いた頬の上のホウレイ線から、天津にはそれが作り笑みだとすぐに判った。

『犯人側にかなりの数の死者が出ているようですが、今回の発砲は適法だったとお考えですか?』

『ええ、死者が出た事は大変……ええ非常に残念なことです。ただ今回、極めて危険で凶悪な事件を連続して起こしているグループである事を考慮し、事前に射殺許可を司法局へ申請しました。事実、今回の死者は全て重武装犯であったことを確認しております』

カメラは隣でカチカチになっている関口へと焦点を移した。

『関口保安官補! 現在の心境を!』

『ありがとうございます。後ほど会見で……』

 画面が急に変わり、本庁舎の会見場で渉外広報部のアルバート・シュルツと関口が並んで座っている様子を映し出した。

『こちらは中継です。たった今、連合保安局広報渉外部より事件に関する緊急記者会見がはじまりました』

『……十八名を射殺、十五名を逮捕いたしました。主犯格の喬拓明ら三名は死亡。身柄を確保した者から余罪の追求を行っております』

シュルツが報告を読み上げている間にも、ストロボが容赦なく降り注ぐ。記者の一人が手を上げた。

『今回、謹慎中の関口保安官補が突入に参加したとの事ですが、何故そのような異例の対応に踏み切ったのでしょうか?』

『今回の突入は、目白の中国人会社経営者強盗殺人事件の容疑者確保の為に行われましたが、目白の事件の犯行の手口から秋葉原での電器店襲撃事件との類似点が多く見つかっており、強い関与が疑われております。その両事件の関連性を鑑み、秋葉原の事件において現場に臨場し、犯人を直接目撃している唯一の法執行官である関口保安官補の協力が不可欠であるとの判断から、彼に同行を命じた次第です』

『関口保安官に伺います。今回のグループと秋葉原事件の犯人グループとの間に共通点はあったのでしょうか?』

記者の質問後、関口はしばらく左耳に手を当ててから話し出した。

『ええと…… その…… 類似、共通する点は多かったと思っております。で、でも……目下捜査中の事柄ですので、結論はこの場では控えさせていただきます』

早くも次の記者が口を開く。

『今回の突入に参加した事は、今後行われる査問委員会になんらかの影響があると思いますが、どうお考えですか』

その質問にはシュルツが答えた。

『今回、関口保安官補を参加させたのは、あくまで処罰より捜査を優先した結果であり、秋葉原事件当日の関口保安官補の行動自体が問われる査問委員会に何らかの影響を与えるものとは考えておりません。また、そうあるべきだと信じております』

 その時、画面の端から、保安局の職員がプリントを一枚、シュルツへと手渡した。シュルツは老眼鏡を手にプリントにじっくりと目を通すと、再びマイクを握った。

『ここで改めてご報告致します。只今、科学捜査部より簡易報告がありました。今回、京浜島で制圧した被疑者グループの所持していた小火器のなかに、秋葉原事件で使用された小火器と同一の物が含まれてた事が確認されました。両現場にて採取された遺留品である、九ミリ口径の銃弾の線条痕を比較した結果、同一と判明したものです』

記者達は驚き、一斉に騒ぎ出した。口々に質問を叫び始める。画面はただ、ニヤニヤしているシュルツと目を丸くしている関口を映している。

 天津は腕時計を見る。突入からまだ三時間しか経っていない。科学捜査部の対応は異常ともいえる早さだった。

「これを劇場型というのか?」

後ろから伊月が声をかけた。

「シュルツは周到に準備していたのか」

天津は無表情で画面を見つめていた。記者は大いに騒いでいるが、シュルツは冗談を言いながら席を立ち、会見をお開きにしようとしていた。

『保安官補、お怪我の具合は?』

『関口保安官補自身は突入時、どうされていたのですか?』

『捜査の進展状況を教えてください!』

『今回、特別に特捜班が編成されたという話がありますが、それは事実ですか?』

記者の質問は終わらない。

――何かが変わった

 天津はテレビを見ながらそう直感した。強いて言えば『風向き』と言えば良いのだろうか? 関口や保安局に対する、マスコミがこれまで持っていた批判や攻撃性というものが、この会見では心なしか希薄に感じられた。

――いいえ、京浜島のところから彼はこれを待っていたのかもしれない

それに気づき、天津は軽く笑い出した。伊月は怪訝な顔で相棒を見つめる。

「わたしもほとほとおめでたい性格ね…… 笠木君が今回こんなに骨を折ってくれたのは、ただ関口君がかわいそうだったからでもなく、ましてやわたしがお願いしたからでもなく……  そういう気が全く無かった訳ではないんでしょうけど、あの人最初からこれがやりたかったのね」

目尻を拭いながら天津は寂しそうに笑った。伊月もようやく天津の言わんとするところを悟り、こみ上げる不快感を飲み込むように眉間に皺を寄せた。

 ここしばらく笠木が眼鏡のレンズの向こう側で、いつも一人で何を思い巡らしていたのか、その暗い自尊心を想像するに伊月は強い生理的嫌悪感に襲われた。

「くだらない…… もう戻ろう」

伊月はそう一言だけ言って背中を向けた。天津はテレビの電源を消す。

「なんだか今夜は一杯くらい飲みたい気分ね……」

「ああ、いいだろう」

そう言って二人は病院の待合室を後にした。



 本庁舎での会見は成功裏に終わった。記者が未だ質問を投げかけてたが、シュルツと関口は演壇で一礼し廊下へと出てきた。二人が控え室に入ると、そこには折りたたんだコートを腕に抱えた笠木が二人を待っていた。

 関口は左耳にはめていた無線レシーバのイヤホンを外した。会見中の発言、コメント、タイミングの一言一句は全て別室でモニターしていた広報部の保安官よりリアルタイムで無線機へと送られ、関口はマスコミの前でその指示どおり行動するよう厳しく命じられていた。

 シュルツと関口が席につくと、渉外広報部専属のスタイリストが早速二人の首にクロスをかけ、メイク落としをはじめる。関口はやっと顔のべたつきから解放されるので、ほっとした。そもそも記者会見前にメイクをするよう命じられ、最初は拒否したのだが、広報部からの強い指示により渋々顔に撮影用のファンデーションを塗られる羽目になったのだ。尤もシュルツにとってはいつもテレビ撮影の前に毎度行っているあたりまえ作業だったので、何故関口がそうまでして化粧をすることに抵抗するのか理解できない様子だった。

 シュルツは横目で壁に寄りかかっている笠木を一瞥した。

「まずまず及第点と言っておこう……」

「それはどうも……」

笠木は無表情でうなずいた。

「君の仕事はこれで終わりだ。本来の職務に戻りたまえ」

笠木は首を傾けた。不安そうな顔の関口と目が合った。

「彼は、今夜はどうなります?」

シュルツはスタイリストにメイクを直してもらいながら言った。

「さしあたり査問までは都内で待機させようかとも思ったが、今夜は部下に武蔵春日の隠れ家まで送らせてもいい」

「判りました。ではそのようにお願いします」

笠木はコートに袖を通した。

「ああそうだ、君が湾岸で暴れまわっている間、もう一件厄介事が起きてね。一難去ったらまた一難…… 私はこれからその件で再度、会見を行わなければならないんだが……」

「それはそれは…… では僕はこれで……」

笠木はそう言ってドアノブに手をかけた。

「あ、あの、笠木さん……」

関口が声を掛けようと振り向いたが、笠木はそのまま出て行ってしまった。

 廊下に出た笠木は窓から、街路に溢れる人山の報道陣や抗議団体を見下ろした。

――雁の群れ…… 最初に一羽飛び立てば、続けて我もとついてゆく、たとえ鍋の中までも……

 そう脳裏でそらんじた笠木は、思わず吹き出しそうになるのを堪えて口をハンカチで押さえた。そして、その場にしゃがみ込むと、周囲に気づかれないほどの小さな声で、まるで嗚咽するように一人笑い出した。



 日本共和国・国土統一局の正井率いる潜入小隊は、ミカミ電子への突入後、都内中心部を大きく迂回しながら途中で二度クルマを変えて、最終的にワゴン車三台に分乗し、横浜の京浜工業地帯地帯の一角にある閉鎖された鉄工所に到着した。突入で使用したトラックとチェイサーは最初にクルマを替える時点で既に、銃や装備と共にテルミット手榴弾で焼却処分していた。

 鉄工所では事前に待機していたサポート班が撤退の準備をはじめていた。強奪した物を納めたケースを、衝撃を与えないように慎重にワゴンから運びしてゆく。鉄工所の南側は東京湾へと繋がる運河となっており、桟橋には小型の沖合漁業船が二隻横付けされていた。平服姿の部下達はケースを携え、順番に漁船に乗り移ってゆく。その後を負傷した者達が仲間に抱えられて船室へと運ばれていった。

「応急手当を済ませ、母船とランデブーした時点ですぐに治療を受けさせろ」

「はっ、あとニ十分で撤退可能です。しかし、倉島陸士は実に残念でした……」

正井は、先程自分の手で止めを刺した部下の事を今は忘れようと思った。

「避けられない犠牲だ…… それより現在、確保した分だけでも確実に本土に届けるよう最善を尽くせ」

「はっ! 了解しました。しかし残り一つの『前頭葉』は如何致しますか?」

中森の問いに正井は首を振った。

「現状での『前頭葉』の確保はもはや不可能だ。今ある物だけでも無事に届けろ」

「かしこまりました。それと我々が突入していた間、厄介な事が起きたようです。リハーサル役として使っていた台湾人達が、先程連合保安局に検挙されたようです」

正井は不機嫌そうに鼻息を吐くと、工場内のから桟橋の漁船を見下ろした。

「リーダーの喬は?」

「保安局の発表では、喬拓明を含む主犯格は全員射殺されたそうです。ただ、確認はとれていおりません」

「保安局か……」

 正井は二年前、羽田空港のエプロンを死に物狂いで全力疾走した時の事を思い出した。その時、正井は保安官に追跡され、背後から発砲を受けた。脱出用リアジェットへと走る間、何発もの銃弾がコンクリートの舗装面を叩いて足元を跳ね回り、一拍遅れて銃声が耳に届く。結果的に正井は被弾することなくリアジェットに飛び乗り、管制塔を無視して強行離陸して生還する事が出来たが、後方から撃たれたあの時の恐怖だけは今でも脳裏に焼きついている。あの瞬間がこれまでの人生の中で最も死を意識した瞬間だった。

 連合保安局と僅かな接点を作ってしまった時点で、正井はある種の小さな懸念が抱いていた。たとえその懸念が小さいものであっても、万全を期すためにはまだやらねばならない後始末が残っていた。

 停泊中の漁船を見つめながら、正井は中森二等陸尉に言う。

「支援班と共に自分は東京に残る。貴官は予定通り今夜中に東京を脱出し、札幌へ戻れ」

「は!」

二等陸尉は敬礼して準備の為に走っていった。

 正井の視線の先にある船は、どこの日本の漁港でも目にする中型漁船だった。だが外から見えない船倉には、水面下にあるスクリュー四基と直結したパワーボート用のスウェーデン製高出力発動機を抱え、四十ノットを超える最高速力で外洋航行する事が可能だった。また航空機による追撃に備えて91式携帯地対空誘導弾を数セット積んでいた。

 おそらく、厳しい訓練を受け高度な技術を持つ部下達であれば、無事に三陸沖の合流地点で母船である潜水艦とランデブーできるだろうと正井は信じていた。

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