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京浜島の虐殺 1 状況開始

 今夜の雨は彼らにとっては僥倖だった。雨は、足音も銃声も視界も、全てを小さく押し込めてくれる。昼から雲に厚く覆われていた空は瞬く間に暗くなり、気温も非常に低くなってきた。

 荒川河川敷の堤防の南岸から、工場の建て込んでいる道路を二百メートルほど下ってきたところに今夜の目標はあった。頂上にセンサー付き有刺鉄線を張ったコンクリート製の塀に囲まれた、約七・五ヘクタールの面積を持つ広い敷地内にその建物はあった。

 十七時半を過ぎた頃から、西側に設けられた正面ゲートから傘をさして帰宅してゆく従業員が増えてきた。ゲートから南に百メートルほど離れた路肩には五トントラックが静かに停まっていた。周囲は工場や倉庫ばかりなので、気にとめる者はいない。助手席に座った二等陸尉は双眼鏡で、ゲート脇に建てられた守衛小屋の様子を窺っていた。

 トラックのすぐ後ろに、黒いトヨタ・チェイサーがゆっくりと停車した。すぐに運転席の携帯電話が鳴る。

「中森二尉、その後、状況は?」

チェイサーの運転席で正井が尋ねた。

「はい、特に変わった動きは見られません。一六五三時に巡回のパトカーが通過しました。恐らく今日のパターンはA2もしくはB1と思われます」

「判った、一時間後に再度連絡する……」

正井はそう言って電話を切った。雨脚は強まり、あたりはもう夜闇に覆われ、辛うじて闇を削るように点々と、街灯と守衛小屋の窓明かりが僅かに道を照らしているだけだ。今夜は絶好の突入日和だった……



 今夜の雨は笠木達にとっては僥倖だった。雨は足音も視界も全てをカモフラージュしてくれる。

 保安局の車列は首都高速湾岸線を南下し、京浜島ランプに差し掛かる時点で回転灯とサイレンを切っていた。目標の倉庫に至る全ての道路は、既に都市警備部の制服保安官補達が封鎖し、都市警備部の狙撃班が、倉庫に隣接する建物の上で狙撃準備を整えていた。

 正面から突入するA班は倉庫の正面から一ブロック離れた廃工場の前に展開していた。雨が降っていることもあり、辻でドラム缶による焚き火をする者も無く、一同は標的に勘付かれる事なく展開する事ができた。

 笠木は、薬室とマガジンにバックショット弾を六発と、最後の一発だけライフル・スラッグ弾を装填してあるベネリM3スーパー90を携えて、電子捜査課のワゴンへとやってきた。車内には総指揮をとる都市警備部の寺島二等保安官と伊月が待っていた。

 三人が揃った所で、監視任務に当たっていた技術保安官補が説明をはじめた。

「現時点で判っている事だけですが、まず、現在あの倉庫には最低でも十五から二十名のギャングがいます。飛び交う言葉も福州語、広東語、それから北京語と、夕方になって出身地域に構わず若手の荒くれが集まってきました。主犯と目される喬拓明は先程、肉声で存在を確認しています。声紋照合も確認済みです」

「うん」

いつも眠そうな垂れ目の寺島がうなずいた。そのせいで俳優のロバート・ミッチャムと同じく『スリーピング・アイ』という渾名を付けられていた。

「困った事に彼らは今、敵対する中華マフィアを酷く警戒しているようで、集められるだけの武器を集めているようです。見境なくならず者を呼び込んでいるのも抗争に備えての事でしょう」

技官はコピー用紙に急いで書きなぐった翻訳文の抜粋を手渡した。少し目を通してから寺島は伊月に紙を廻す。

「君達の方が専門だね……」

伊月は一通り読んでから笠木に渡した。

「……叩くなら急ぐべきだ」

ようやく笠木が読み終え、うなずいた。

「呆れた奴等だ…… 思ったとおり、和解が困難とみるや、自分達から仕掛けて温山栄を殺るつもりだ。関口の件がなければ、温とケンカするまで待つんだけどなぁ……」

「このままだと、ギャングの人数はまだまだ増えるでしょう。ケチなチンピラから組織に所属していないプロの窃盗グループまで、無頼漢がこれ以上集まると、我々が相手にするとしても厄介です」

「了解。では寺島さんお願いします。準備ができ次第、踏み込みましょう」

笠木の言葉に寺島はうなずいた。

「よし、十分で突入態勢に入る。各自、屋内の空間配置に注意を。以上」

 伊月と笠木はワゴンの引き戸を開けて、雨の打ちつける外へと出た。笠木の着るアクアスキュータムのトレンチコートの表面を、水が幾筋も流れを作って肩から足元へと垂れていく。

「済まないが関口君をよろしく。それから……天津さんには……」

笠木の言葉を遮るように伊月は首を振って、倉庫を指差した。

「二階は貴様が責任を持て。早く終わらせるぞ。煙草が切れてきた……」


 停車した防弾ランドクルーザーの後部座席で、関口は寒さと緊張で震えながら命令を待っていた。

「銃はちゃんと確認した?」

「はい、大丈夫です…」

助手席に座っていた天津に関口はきっぱりと返答した。腰にベルトにはベレッタ92FSが二丁、それぞれマガジンに十五発、チェンバーに一発装填済みで、セイフティをかけてある。コートの内ポケットに突っ込んだソードオフ・ショットガンにも4発の散弾が詰めてあり、いつでも撃てるように準備してあった。現場に来てもう五回も確認している事だった。

「やっぱり怖い?」

ベレッタM8040・クーガー拳銃の点検をしながら問う天津に、関口は弱々しく首を振った。

「いいえ、そんなことは……」

 関口は、自分も参加させてくれるよう笠木に頼んだ事を、今になって激しく後悔していた。犯人と撃ち合いをするという程度の事は想像していたが、自分が前衛として参加するとは思ってもみなかった。そんな関口の心境を慮ってか、天津はやさしく声をかけた。

「そんな、心配しなくても大丈夫。バディは伊月君だから安心してていいわ」

関口はうなずく。そうして急に思い出した事があり口を開いた。

「あ、そういえば…… 天津さんにはお礼を言わないと駄目ですね。今回の件で笠木さんが動いてくれたのも、天津さんが頼んでくれたからって……」

一瞬、天津は驚いたような顔になったが、少し困ったような顔をしながら笑い出した。

「誰? そんな事、言ってたのは。もしかして笠木君?」

「い、いえ、さっき出掛けに伊月さんが、これだけはよく覚えておけって……」

天津は困惑顔で窓の外に視線を向けた。

「まったく伊月君も、どーでもいい事を言うのね。確かに笠木君にはお願いしたけれど、でも……」

天津はそこで言葉を切った。

「あの人なら、わたしが頼まなくても関口君を助けたんじゃないかしら? ほら、笠木君ってああ見えてかなり頑固だから、駄目な時はわたしや伊月君が頼もうがテコでも動かないと思うわ」

関口はそれを聞き、笠木の誤射事件の事を思い出した。

「結果的に笠木君には動いてもらって良かったとは思うけれど、今思うと今回の事に関わらせる事って、もしかして彼には辛かったかもしれない」

天津は窓を伝う雨だれを見ながら言った。

「もしかして、三年前の事ですか?」

「ええ……」

天津は外を見ながらそう相槌を打つ。車内にはしばらく雨音だけが響いていた。

 ランドクルーザーへ伊月と笠木が戻ってきた。ドアを開けると、外から雨が車内に吹き込んできた。

「さぁ準備だ。十分後に仕掛ける」

笠木はそう言ってから、助手席の天津を見た。

「まさか、戻ってたとはね。ほんと、申し訳ないね……」

「気にしないで。久しぶりの〈同窓会〉に参加できて嬉しく思うわ」

笠木は軽くうなずいた。

「じゃあ関口君。しっかりね!」

そう声をかけ、天津は車の外へと出て行った。少しの間、天津の白い顔に見とれていた関口は、我に返り、はいと返事をする。

 笠木は関口を伴って車外へと出た。関口が雨よけに貰ったハンチング帽は、瞬く間に雨粒でびしょびしょになった。外には中折れ帽をかぶり、膝まである外套を着込んだ保安官達が工場のフェンスの陰に集まりはじめていた。

「あの笠木さん…… 天津さんって綺麗ですよね」

関口の言葉に、笠木は呆気に取られて振り返った。

「え? 何いきなり、大丈夫なの?」

関口は何度もうなずいて、すみませんと謝った。

 後詰めの都市警備部の保安官達は車両で待機し、突入開始と共に倉庫正面を確保する手筈となっていた。

「武器のチェックは済んだね? 伊月保安官の指示に従えば問題ないから。ドンパチが始まったら、とにかく自分の身さえ守っていればそれでいい」

そう言って笠木は、耳栓の入った小さなプラスチックケースを渡した。

「突入前に耳にはめておくこと。この耳栓は、物音とか話し声は大体聞こえるようになってるから」

それを受け取り、その場で耳の穴にはめ込んだ。

「じゃあ伊月保安官、彼の事よろしくお願いいたします」

笠木は隣に立っていた伊月に軽く頭を下げると、関口へと手を振った。

「じゃあ、後で!」

笠木はそう言って工場裏へと小走りに走っていった。

 伊月は五・五六ミリ口径のミニ14ライフルを構え、右耳に耳栓を詰め、左耳に無線機のイヤホンを押し込み、関口を伴ってゆっくりと倉庫へ歩いていった。関口の心臓の鼓動は刻一刻と激しくなってきた……


 目標倉庫に隣接する敷地には廃工場があり、その陰に後方突入担当のB班が集合していた。

「今日の相棒を忘れないでね」

工場の庇で雨をしのいでいた天津が声をかけた。セミオート・ショットガンを手にし、黒いコートの下には短い軍刀の柄が見えた。笠木は思わず顔をしかめた。

「貴女にはA班の支援をお願いしたはずだよ」

天津は笑って首を振った。

「そうはいかないの。あなた、自分にバックアップを付けないつもりっだったでしょ? そもそも単独行動は禁止のはずよ」

笠木は困り果てたようにうなだれた。

「君の相棒の援護はどうするの?」

「伊月君にはマックスとロイが援護についているから。ツーマンセル嫌いも今日は許してね」

天津は真剣に言って、頭を下げた。

「よしてくれ……」

「あなたにこの件を頼んだのはわたし。だから権利も義務もあると思うけど?」

笠木は仕方なく承知した。

「久しぶりだよ、全く…… ちゃんと動ければいいけど」

二人は倉庫裏の外階段目指してゆっくりと歩き出した。

「……そうね」

天津は、最後に笠木とコンビを組んだのは何年前になるのか思い出していた。


『各班、準備完了。合図待て』

 イヤホンから寺島の声が聞こえてきた。雨は一向に弱まる様子もなく、伊月の被るファーフェルトの帽子のツバの先から、大きな滴がひっきりなしに足元へと落ちてゆく。時計を覗くと二十一時になろうとしていた。

「ゆっくりとフェンス越しに近づき、シャッターの右の通用口から入れ。敵を見たら天井に向けて一発撃ち、保安官と名乗ればいい。後は物陰に隠れていろ。その間に私はシャッターが開けられるかどうか試してみる」

伊月の簡潔極まりない指示に関口は無言でうなずいた。上着の下に抗弾プレート入りのインナーを身に付けているとはいえ、相手はグレネードランチャーまで持っている凶悪犯揃いだ。関口は緊張の為、わき腹に周期的な鈍痛が走るのを感じていた。

『A班、状況開始。目標へ踏み込め』

「了解した…… 行くぞ」

 廃工場のフェンス裏に隠れていた関口達保安官は、フェンス沿いに雨音にまぎれて倉庫の敷地へと入った。伊月はライフルを構えたまま一歩一歩、関口を庇いながらセイタカアワダチソウの生い茂る元駐車スペースだった区域を進んでいった。シャッター横の出入り口であるアルミとガラスでできたドアは開け放たれており、中から電灯の明かりがもれていた。そのドアの脇に、煙草をくわえ革のジャンパーを着た若い男が、トンプソンM1サブマシンガンを抱えて寄り掛かっていた。ついに敵の姿を直視した関口は、思わず心臓が止まりそうになった。

 伊月はすぐ後ろにいる仲間の保安官にハンドサインを送る。援護の保安官が、アワダチソウの繁みから飛び出ると同時に構えたテーザーピストルで、相手の喉に電極を撃ち込んだ。男が痙攣して転倒し、サブマシンガンが水浸しのコンクリートの上に音をたてて落ちた。

「正面外、クリア! 踏み込む」

そう無線連絡し、伊月は関口を連れて一気にシャッター脇の戸口まで走り寄った。ドアの前で、サブマシンガンを落としたまま高電圧ショックで痙攣している男は、すぐに後続の制服保安官補によって口に粘着テープで塞がれ、後手にナイロン製の簡易手錠で拘束されて、物陰へと引きずられてゆく。

 機会時計の秒針のように心臓が鼓動している関口に、伊月が指示を出す。

「半歩先に入れ。敵が見えたら止まれ」

「そ、そんな……」

建物の中からは、関口には全く判らない中国語の会話が聞こえてくる。関口は右手にベレッタを握り、左手に銀メッキのバッジを掴んだまま、ドアの開いた出口の前に立ち尽くしていた。足が動かないのだ。

 その時、外にいた男に話し掛けるように中国語で何やら言いながら、若い角刈りの男がドアに姿を見せた。男は、戸口に立ち尽くしている関口に気づき、その顔から浮かべていた笑みが一瞬で消えた。

「れ、れ、れ、連合保安局だ!」

関口は銀バッジを掲げた。男は事情を悟り、ズボンの前に挿していたマカロフ拳銃に手をかけた。一連射! 一瞬で伊月の放った四発の五・五六ミリ、ソフトポイント弾が男の眉間と額に集中してめり込んだ。銃声が雨音を突き破って響いた。

「行け!」

男が前のめりにばったりと倒れる前に、関口は伊月に押されてベレッタを手に倉庫内へと踏み込んだ。

 倉庫内は予想以上に明るかった。一階部分のほとんどのスペースには無数のダンボール箱が整然と積み上げられ、その隅で椅子やビールケースに腰掛けて焚火で暖をとっていた数人の台湾人達は驚き身構えたまま、関口と伊月を見つめた。すでに拳銃を握っている者もいた。関口は右腕を真っ直ぐに伸ばし、ベレッタの銃口を天井へ向け、引き金を引き絞った。天井の高い倉庫内に銃声が響いた。

「動くな! 直ちに投降しろ!」

伊月が北京語で怒鳴った。敵は狼狽する様子もなく反応した。関口は銃口を誰に向けようかと迷っている間に、伊月にコートの襟首を捕まれて、後ろへ引き倒された。同時に伊月はミニ14の銃身を前方に突き出し、即座に前傾の射撃姿勢で引き金を引いた。


 笠木と天津を先頭に、B班の保安官達は倉庫裏の外階段にたどり着いた。

「一階入口は踏み込まずに、逃げてきた者を押さえろ。僕らは二階を制圧する」

笠木はチームにそう指示し、鉄骨の外階段を静かに駆け上がった。

「いい? 笠木君。ツーマンセルなのよ。忘れないで」

念を押すように言う天津に笠木は何度もうなずいた。

 笠木と天津はイヤホンを付けない側の耳に耳栓を詰めた。耳栓を詰めると雨音がはるか遠くで聞こえるような感覚になる。

 その時、空に突き抜けるような軽快な破裂音が笠木達の耳に届いた。同時にイヤホンから寺島の声で突入命令が出た。

「ゴー! ゴー! ゴー! ゴー!」

天津と笠木は二階部分の鉄製ドアの左右に展開した。

 笠木はドアのヒンジに、ドア破壊用のブリーチング・ラウンド弾を装填したベネリの銃口を近づけた。笠木が目配せし、天津はうなずく。笠木が引き金を引くと、亜鉛の粉末が秒速四百七十メートルの速さでステンレス製のドアノブに襲い掛かかり、ノブは突発的な圧力によってドアからもぎ取られた。すかさず天津が歪んだドアを押し開き、身を低くして室内を警戒する。

 ドアの内側は荒れ放題の事務室だった。そこには二人の男が驚愕の表情で銃を手に立ち尽くしていた。

「連合保安局だ! 武器を捨てて、両手を頭の上で組みなさい!」

天津はショットガンの銃口を向けながら警告するが、相手はプロの犯罪者だ。拳銃を握った男達の手が僅かに持ち上がった瞬間、銃を構えていた笠木と天津は容赦なく引き金を引いた。バックショット弾がギャング達の胸と腹に無数の穴を開けた。二つの『脅威』が血飛沫を上げて吹き飛ぶと、二人の保安官は事務室内に飛び込み、乱雑に並べられた事務机の裏へと回った。

「クリア、制圧二! 進む!」

笠木達は事務室を抜けて、壁越しに奥の廊下を窺う。笠木は銃口を廊下へ向けたままゆっくりと半円形に移動し、死角を潰してゆくように壁の背後の様子を探った。廊下に潜んでいた一人が笠木を見つけ拳銃を構えるが、笠木が一瞬早く散弾を放つ。被弾し床へ倒れる相手に、笠木は電光石火のポンプアクションで次弾を装填し、二撃目を浴びせて確実に射殺する。

「制圧一!」

ドアの横で壁を盾にしていた天津は、すかさずポケットから黒い円筒形の手榴弾を取り出し、ピンを引き抜いた。

「グレネード!」

仲間に警告するために天津は無線のマイクに叫び、廊下へ手榴弾を投げ込んだ。一瞬後、小さな爆発音と共に、直径五ミリのゴム製のベアリングが廊下全体に飛び散った。ゴム製ベアリングによるボディーブロー効果を狙った非殺傷手榴弾ラバーグレネードによって、物陰で待ち構えていたギャング達は激痛に耐えかね、悲鳴をあげて悶絶した。

「行くぞ!」

掛け声と共に笠木は、天津と死角を援護し合いながら廊下へ突入した。天津は、ベアリングの直撃を受けてのたうち回る男をストックで殴り飛ばし、サブマシンガン握ったまま悪態をついている男へ至近距離から二発の散弾を浴びせて完全に無力化する。

 後続の保安官補が防弾盾をバリケードにして先行し、笠木と天津はゆっくりと廊下を進んでいった。階下からは複数のフルオート射撃の轟音が響いていた。



 時計の文字盤は二十一時を示していた。雨は依然、弱まる気配がなかった。警察無線のデジタル波を傍受していた正井は、半径九百メートル以内にパトカーがいない事を確認した。

 先程まで続いていた職員の帰宅のピークも過ぎ、この四十分間は全く人の出入りが無い。未だ残っているのは残業と徹夜を決め込んだ研究職がほとんどのはずだ。

 この三十分以内に仕掛けなければ、パトカーの巡回パターンにより、次の機会は深夜の三時台の十五分間に行わなければならない。正井は最終決定を下す事にした。

「各員、準備を。五分後に状況を開始する」

正井は無線機のマイクへそう言って、傍らからAR‐18Sカービンのチャージングハンドルを引き絞った。

『各員、準備完了』

無線機からトラックにいる二尉の声が聞こえた。正井は送信ボタンを押した。

「状況を開始せよ、状況を開始せよ」

 トラックの後部扉が開き、二人の人影が闇に溶け込むように塀の近くの電柱へと走り、情報端末とコードを担いで、するすると電柱の上へ登ってゆく。

 ご丁寧に新中央警備株式会社のロゴの入った配電ボックスはすぐに見つかった。手際よく箱を開けると、指定の端子にケーブルを繋ぎ、起動していたプログラムで即座に保守用の解除パスを入れて、警備会社のネットワークに「異常なし」を伝える顧客コード信号を送り始めた。もう一人は集合電話線回路の箱を開き、回線監視システムにダミー信号を送り込むと、大きなワイヤーカッターをケーブルに押し当て切断のスタンバイ状態に入った。

 三人目は脚立で塀によじ登り、塀伝いに社屋のコンクリでできた庇の上に乗った。無線式通報システムの、警報を警備会社に伝達するポール型の信号送信アンテナは、研究棟の二段目庇の上に設けられていた。男は基部から伸びたケーブルをワイヤーカッターで切断する。

「無線ライン、カット」

「ネットワーク式、信号切断完了。残り二十分はもちます」

「電話回線、切断スタンバイ完了」

「各員へ、回線切断。突入しろ!」

 茶褐色の戦闘服と覆面に身を包んだ隊員達は、トラックから降り、雨の中一斉に西門へと接近した。先頭の一人が中国製の七・五六ミリ微声拳銃を構えたまま、ゆっくりと守衛小屋に近づいた。

 新中央警備株式会社は、総督府から特別許認可を受けた警備会社であり、重点警備対象施設に限り、拳銃で武装した警備員を配置する事が許されていた。そして、ここミカミ電子計算機株式会社の板橋研究所も、総督府によって許可された重点警備対象施設であり、正面の守衛小屋と開発研究棟の機密エリア前を守る警備員には拳銃の携帯が認められていた。

 それら全ての情報を、突入した彼らは把握していた。先頭の男はじりじりと守衛小屋に近づき、一瞬で窓越しに三連射を放つ。警備員が窓の外に現れた人影に対応するため、漫画雑誌から顔を上げた瞬間、窓ガラスを銃弾が亜音速で叩いた。警備員は右腰に吊るしたニューナンブ・リボルバーに手をかける間もなく、額を三発の銃弾にえぐられた。椅子から転げ落ちた警備員が痙攣し、もう動かない事を確認すると、男は仲間に合図を送る。

「制圧よし!」

 すぐに後続の者達が一気に研究所のロビーへとなだれ込んだ。たまたま巡回していた警備員は出会い頭に、AK47アサルトライフルのセミオート射撃二発を頭部に受けて、反応する間もなく床に倒れた。建物中に銃声が響き渡り、残業していた研究員や社員たちが廊下へ出てきたが、侵入者達はそれらには目もくれず、銃で脅しながら一目散に研究所の南棟を目指した。

 突入は万事計画どおり進んでいた。ただ、研究所前の車内で待機する正井には気がかりな事があった。正井は突入命令から僅か二分後に、ここから九百メートルほど北の道路で交通事故が起き、巡回中のパトカーに臨場を求める無線交信を傍受していた。建物内からは銃声が響き、誰かが鳴らした非常ベルの音が聞こえてくる。警備会社と警察に繋がる警報信号は全て遮断されているはずだったが、このベルの音だけは正井にも消し様が無かった。



 伊月のフルオート射撃は的確に武器を持った者を選び出し、銃弾を撃ち込んでいた。焚火を囲んでいた者達は、正面からなぎ倒されるように次々と血まみれになって床に崩れ落ちてゆく。呆然として座り込んだままであった男が一人、抵抗する間もなくビールケースに座って震えていた。

 倉庫内に響き渡った銃声に、元々興龍幇の襲撃に備えていたギャング達は素早く反応した。倉庫一階に山積みにされた段ボール箱の陰から現れた男達は、伊月達へ向けてあらゆる武器で一斉に応射をはじめる。

「気をつけろ!」

ものすごい音量の銃声のもとで伊月が警告し、後続の保安官達は遮蔽物や防弾盾の背後に身を隠した。

 関口は新手のギャングに向けて二発撃ったが、慌てて、盗難品であるプラズマテレビの箱の裏へと滑り込んだ。間一髪で、その背後の床をサブマシンガンの連射がえぐる。恐怖で息が止まりそうなほど呼吸が荒くなっている関口は、張り裂けそうな心臓を落ち着かせるため、段ボールの裏で身を縮めていた。視界の開けた、反対側にある鉄骨の柱を遮蔽物にした伊月は、ミニ14ライフルの弾倉が空になる前に新たな三十連装の弾倉へと交換し、ギャングの応謝の合間を縫って、フルオートの点射を放つ。だが、伊月が五発撃つ間に、ギャングは二十発以上もの銃弾を鉄筋の柱に撃ち込んでくる。伊月は、サブマシンガンを乱射する一人に一連射を加えてなんとか射殺した。しかし、保安局側はほぼ完全に牽制されていた。

『車両班、これより正面シャッター前に展開する。突入班、シャッターの開放を急げ』

 イヤホンから寺島の指示が届いた。前面突入のA班は、未だ正面の通用口近辺しか制圧していなかった。軍用の自動小銃を持ったギャングが射撃加わり、伊月と後続の保安官達は三方からの集中射撃を浴びていた。並んだ防弾盾の隙間から飛び込んだ銃弾が保安官の一人の脛を貫通し、関口の目の前で叫びながらのたうち回る。盾の陰から飛び出した保安官をすぐに後続の保安官補がケブラー繊維のカーテンで覆いながら物陰に引きずり込む。

「関口! 正面シャッターのスイッチを!」

伊月が大声で指示を出すが、屋内の激しい銃声の反響で聞こえない。

「はい? 聞こえません! もう一度!」

耳を叩きながら怒鳴り返す関口に、伊月が身振り手振りを加えて怒鳴った。伊月はフルオートで射界全体を撫でるように銃撃を加えるが、反撃が凄まじくすぐに身を隠さざるをえなかった。

「シャッターを開けろ!」

ようやく指示が理解できたので、関口は大きくうなずいたが、倉庫の大きなシャッターをどう開けてよいのか判らない。

 関口は、シャッター脇の壁に、天井から伸びたパイプに接続された開閉装置と思われるアルミ製のハンドルを見つけた。今の場所から動きたくはなかったが、関口は意を決して箱の陰から這い出ると、中腰で一気に壁際まで走り抜けた。

 山積にされた段ボールが敵の視界を塞いでいたので、狙い撃ちにされる心配はなかったが、箱ごと電気製品を貫通してくる銃弾が頭上や足元をすれすれに容赦なく通り過ぎてゆく。なんとか、操作ハンドルのある壁にとりつき、使用法を確認しようしたが、段ボール箱の陰から拳銃を手にした男二人が、ほふく前進でこちらへ回り込んでこようとしていた。関口はすぐに右手のベレッタを向け、何度も連射した。もはや乱射とよんでもいい射撃だった。反動で腕と一緒に銃が踊り、男の周囲に銃弾がばら撒かれるが、一向に命中しない。運良く、一発が先頭の男の右肩をえぐり、激痛で男は叫びながら転げまわった。もう一人は関口へ狙いも付けずに撃ちまくりながら、段ボールの陰へと逃げ戻る。恐怖と興奮で息をつぐ暇もなかったが、とにかく関口は倉庫のレバーを全開の位置へと回す。一拍間を置き、倉庫のシャッターが金属のこすれる金切り声をあげながら、天井へと巻き取られ始めた。下方から徐々に開き始めた隙間からは、車両班の投光機による光が足元を照らし始めた。



 研究棟内の保安室にいた警備主任は、万策尽き果て呆然とした。最初の銃声が響いてからまだ二分も経っていない。即座に警備詰め所に電話をするが、電話に出る者は無かった。監視カメラの映像は次々に消えてゆく。悲鳴と断続的に続く自動火器の銃声はみるみる近づいてきた。既に警察と会社の指令センターへは、何度もシステムから緊急信号を送っているが、全く反応が無い。何者かの仕業によってシステムは完全に死んでいた。一緒にいた部下二人に有線と無線両方の電話で警察に連絡を入れさせたが、それも回線に通じていなかった。サイレンの音のみが外へ急を知らせている。

「拳銃を抜け。外へ出て連絡手段を探すんだ」

 三人の警備員は、何重にもカバーのついた腰のホルスターからリボルバーを抜いて、廊下から開発区画のゲート前へと出た。敵の目的は判らなかったが、ここへ来る事は間違いないように思われた。

「お前は外へ出て連絡手段を。我々でここ対処する」

指示を受けた警備員はうなずき、リボルバーを手にしたまま研究棟の外部通用口へと出ようとした。しかし通用口前で、突然銃声と共に無数の血飛沫を上げてズタズタにされてしまった。

 頭から足元まで全身黒っぽい服に身を包んだ男四人が、軍用ライフルを構え中腰で廊下を駆けてくる。

「動くなぁぁぁ! 撃つぞぉ!」

先に廊下に出ていたもう一人の警備員が怒声とともにリボルバーを向けるが、先行していた黒服二人が一斉にフルオート射撃を行い、警備員は瞬く間に蜂の巣となりながら、主任の前でダンスでも踊るかのように銃弾に翻弄されて崩れ落ちた。

 主任は恐怖と怒りとがない混ぜになったまま、携帯電話で一一〇番を何度も押した。ついに主任は携帯電話を放り投げると、迫り来る男達へ向け何度もニューナンブの引き金を引いた。六回目でリボルバーは、カチリと弾切れを知らせる虚しい音を立てて沈黙する。警備主任は拳銃を持った手を力なく下ろした。

 今になってみれば、判っていた事だ。『アキリーズ』が何者かによって丸裸にされているという懸念は、ここしばらくの連続強盗事件で社内でも大きな問題として扱われていた。その対策が来月行われる予定だった事を、警備主任は唐突に思い出していた。それを思い出したところで、今何になる……

 そう思考を巡らした警備主任の脳を、フルオートで発射された五発の七・六二ミリ・フルメタルジャケット弾が頭蓋骨ごと粉々に粉砕した。

 完全に骸と化した警備員達には目もくれず、戦闘服の男たちは研究棟のセキュリティ・ゲートを、持参したパスカードで難無く通過し、開発区画にある最高機密エリアの保管室前にたどりついた。

 恐怖のあまり一斉に逃げ出す研究員達を尻目に、一人が壁に埋め込まれたパスカードのリーダーをこじ開け、抱えていたノートパソコンに繋ぐ。事前に入手してあったセキュリティトークンのパスを打ち込むと、ドアは僅か三十秒足らずで開いた。退路の廊下を確保する一人を残し、男達は保管庫内へと駆け込んだ。監視カメラの場所は全て把握済みなので、カメラの視界外から素早く銃弾を浴びせ次の区画を制圧する。保管庫内の半分はサーバーラックが詰め込まれており、もう半分は床から天井まで一面のキャビネットが林立していた。事前に頭に叩き込まれていた番号を頼りに、金属製の堅固な錠のついたキャビネットの引き出しを見つけ出した。小型のドリルで錠前を壊し、手際よく引き出しを引っ張り出した。男達は、中に納められていた太い試験管のようなアクリル容器に納められた、三本の集積回路を確認した。

「間違いない。運び出せ」

内部に衝撃吸収用のスポンジを詰めた手提げ型のアルミ製のケースを広げ、慎重にキャビネットからアクリルの容器を一つずつ納めてゆく。まるで爆弾の信管を扱うように、慎重にアクリルの容器を五つを手提げケースに納めて厳重にロックすると、男達は一斉に研究所の門へ向かって走り出した。

 降りしきる雨の為、外の視界は良くなかったが、道路南端のはるか先から左折してくる赤い回転灯の光だけは、ルームミラー越しにはっきりと確認できた。正井は反射的に、助手席置いたカービンライフルへと手を伸ばした。交通事故の通報を受けて現場に向かうパトカーだった。

「正面前、南方より警察車両、一。正門見張りは警戒態勢! 停車次第、撃破せよ」

「了解」

研究所からは警報機の音がけたたましく響いている。警察官は確実に異変に気付くだろう。

 クラウンのパトカーは停車しているチェイサーを追い越し、正門を少し通り過ぎた所で止まった。助手席から雨具を着込んだ警察官が飛び出してきた。正井からは、警察官の手に、ベルトから伸びたランヤードに繋がれた拳銃が握られているのがはっきりと見えた。

 部下の対応は素早かった。警察官が一歩踏み出そうとした刹那、門の陰から踏み出した突入隊員はアサルトライフルのフルオート射撃で、一撃のもとに警察官をなぎ倒した。警察官の着ていたアラミド繊維の抗弾ベストは元々拳銃弾を想定して作られたものだったので、高初速のライフル弾を前に、まるで段ボール板のごとく銃弾を通過させた。不意に仲間が撃たれ泡を食った運転席の警察官は、すぐに車載無線機の緊急警報のスイッチを弾いたが、マイクを掴む間もなくライフル弾の連射を浴びた。三人の隊員が一斉にパトカーの後方からAK47による猛連射を浴びせ、車体は蜂の巣となり回転灯は完全に粉砕された。血まみれになって運転席から転げ落ちた警察官は、トランシーバーのマイクを掴みながら辛うじて叫ぶ。

「舟戸二より…… 襲撃を……受けた」

電波は空へと飛んだ。

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