ロングコートアーミー 1 ペイバック
「目、使いすぎた…… 頭痛い……」
テレビゲームのコントローラーを放り出し、篠原は大きくあくびした。朝一番に関口が身を寄せるこの家にやってきたかと思うと、ずっとテレビゲーム三昧だった。
あの日以来二人は、連日だらだらとTVゲームに明け暮れるか、コンビニエンスストアに食べ物を買いに行くかという行動の反復を続けていた。
「なんか、腹減ったなぁ…… 食べ物でも買いに行こうぜ」
漫画読書に飽きた関口が頭を掻きながら篠原に言った。篠原も同意し、二人はのっそりと立ち上がると玄関へと歩いていった。
「どーせならフライドチキンが食いたいな」
靴を履きながら、篠原が車のキーをポケットから引っ張り出した。
『抗議の市民 暴徒化寸前 総督府の支持率過去最低を記録』
関口が玄関のたたきにおりようとしたとき、ふと下駄箱の上に置かれた今朝の朝刊の一面が目に入った。
「あのさぁ…… もし世連が東京から追い出されたら、どうなんのかな?」
篠原は体操するように首を回しながら、再度生あくびした。
「さぁ…… 自治議会もクズ揃いだから、良くはならないっしょ」
関口は考えるのを辞めて靴の踵を引っ張った。
篠原がキーホルダーについたキーをブラブラ振り回しながら玄関から庭へとでていったが、すぐに厳しい表情で関口を玄関へ押し戻した。
「な、何?」
「出るな。変な奴らがいる。僕の車の向こう側、チンピラみたいな野郎と性格の悪そうな女がずっとこっちを見てやがる」
関口の脳裏に嫌な予感が走る。
「まさかマスコミ……」
関口は玄関の引き戸の陰から、自宅の玄関前に面した駐車場を覗いた。篠原の乗ってきたポンコツのコロナの向こうに見慣れた黒いクラウン・アスリートが止まっていた。隣には紺のコートを羽織った女が仁王立ちになって、こちらを睨んでいる。
「何であいつがいるんだよ……」
関口は脱力してしゃがみ込んだ。
「え?」
「関口ぃー、気付いているんだったら、ささっと出て来いー!」
菱川綾子の怒声が一帯に響き渡った。
組織犯罪対策部の部長である保坂幸雄は、総務課に現像させた写真とリストの束をめくった。
「これまで我々は北海道から持ち込まれる物ばかりに神経を使ってきたが、逆に他所から北へ送られる物にも注意しないといかんな」
天津が暫定停戦ラインで摘発した、陸路で北海道軍閥に持ち込まれようとしていた物品のリストだった。
「確かに、最新型のマイクロプロセッサは世界連合から戦略物資の指定を受けているので、北海道への輸出は禁止されています。ですが、連合未加盟の米共和連邦の貨物船は北太平洋ベーリング航路で自由に行き来ぢているので、実質的に世連の対軍閥経済制裁ラインは機能していません。アメリカやシベリアを経由させたほうが、わざわざ陸路を経由させるより確実にコンピューターの部品を確保できるはずです」
伊月の言葉に保坂はうんうんとうなずく。
「今回、陸路で密輸が企てられた物品には一つ共通するものがあって、その全てがミカミ電子の製品であったという点です」
天津は写真の一枚を見せながら言った。彼女が東北で制圧した、キャビンが無残に蜂の巣にされた八トントラックの写真だった。。
「ミカミの社内に北海道とのパイプを持つ人物が存在する可能性もあります」
「確かに、ミカミ電子計算機は国内有数の半導体メーカーだ。外為法違反の可能性も視野に入れて、対経済犯罪チームにミカミ電子の捜査を頼んであるが、現在のところ軍閥と不正な取引を行っている気配はない。当然、商品の製造番号から、流通経路も調査しているが、複数のダミー会社を通して送り込まれたものだ。解明には程遠いな」
東京と東北、二つの地域で集められた情報はどれも断片化された瑣末なものだった。ジグゾーパズルの一片で百ピース構成のパズルの全体像を推量ることは不可能だ。
「天津、悪いがもうしばらく、東北での捜査を頼む事になる。本来なら捜査官の増員を図るべきところだが、見てのとおり東京には今その余裕がない」
保坂のその言葉に、天津はきっぱりと答えた。
「はい、わたしもそのつもりでいます。手ぶらで帰って来るつもりはありません」
少し笑みを浮かべて天津は毅然と言った。
「そうか、すまない。もう少ししたら松本に加えて誰か送るようにする。それまで辛抱してくれ。それと……」
そう言って保坂は隣の伊月へと視線を移した。
「大切な相棒を取り上げちまって、お前にも謝らないとな」
伊月は自分が酷く不機嫌そうな顔で二人の聞いていた事に気づき、バツが悪そうに首を振った。そんな伊月の様子を見て、天津と保坂はニヤニヤと笑って顔を見合わせた。
「そうだ今夜は、好きなクラッシクのコンサートにでも行ってきたらどうだ? 厚生課に言えばチケットが手に入るかも。伊月、お前も一緒に行ってきたらいい」
保坂は電話に手を伸ばしながら言った。天津は笑顔でうなずく。
「ええ、じゃあお言葉に甘えて…… 確かにしばらく行ってないです」
そんな時、天津のスーツのポケットにある携帯電話が短く振動した。天津が自分の携帯電話を開くと、一通のメールが届いていた。その時、伊月の胸ポケットでも電話が鳴った。
「こっちもか……」
伊月は自分の携帯電話を引っ張り出して、受信されたメールを開いた。
「伊月君、これ久々ね。〈ロングコートアーミー〉が召集されたわ」
天津が少し嬉しそうに言った。伊月も全く同じメールを受け取っていた。苛立ちの余り、伊月の口元は怒りで歪んでいた。
「ああ、そういや有給休暇中の笠木から夜中に電話があって、近々パーティーを開くって言ってたが、もしかしてそのお誘いじゃないのか?」
保坂はそうい言って笑いながら机をコツコツと叩いた。
それは、以前連合保安局東京支部に存在した対武装ギャング特別掃討班、通称〈ロングコートアーミー〉のOBへ召集要請を告げるメールだった。
クラウン・アスリートは青い回転灯とやかましいサイレンによって行く手を塞ぐ車をことごとく蹴散らして、武蔵野平野の国道を一路南へ快走していた。もう日が西に傾きかけた時刻になっていた。
「あのさぁ…… もっとやさしく運転できないかなぁ」
「うるさい!」
後部座席でそう愚痴る関口を遮るように、菱川はハンドルを握ったまま怒鳴った。六十メートル先の追い越し車線上を法定速度で走る五トントラックへ向け、クラクションを連打する。有蓋トラックはのっそりと左斜線に移った。菱川はキックターンでエンジンを唸らせながらトラックを追い越した。
「菱川~、跳ばすのはいいけど、ぶつけんなよ」
助手席では、リクライニングシートを目一杯倒してだらしなく寝そべっている有坂が眠そうな声を出した。
「大丈夫ですから、黙っててください!」
巡回に出るはずだった有坂と菱川が、運悪く笠木に呼び止められたのは二時間前の事だった。その後二人は不平不満を周囲にぶちまけながら、武蔵春日野の近郊の、関口の潜伏先まで彼を迎えに来たのだった。
「わたしは今日も約束してた合コン行けなくなったんですよ? 何であんたなんかの迎えに…… あ~いらつく!」
「おれは何も頼んでないよ……」
関口は身を小さくしてつぶやいた。菱川の肩越しにスピードメーターを覗くと、針の位置は時速百二十キロを優に超えていた。
「ムカツクのは笠木さんよ! なんなの、あの人?」
「おれも嫌いなんだよな、あのオッサン。なんか打ち解けねぇんだよな」
「判ります、それ。女子の間でも、根暗そうで関わりたくないって皆言ってますよ」
笠木の悪口が飛び出した途端、前席の二人はにわかに盛り上がりだした。
関口は猛スピードで後方へと吹き飛んでゆく景色に目をやりながら、今日なぜ自分が笠木から呼び出されたのかを思い巡らした。三年前の誤射事件のことも気になった。
関口は前席で展開される悪口合戦の声も耳遠く、高速で展開される景色をひたすら見送った。
サイレンの残響だけを残し、右の中央分離帯とこのトラックのわずかな隙間をすり抜けて行った連合保安局のクラウン・アスリートを見送りながら、五トンの有蓋トラックを運転していた陸士長が怪訝な顔で呟いた。
「危ねぇなぁ…… 何かあったのでしょうか?」
「わからん。だが我々とは関係ないようだ。もしこの先で渋滞するようなら、ルートを変える。とにかく、目立つような行動は避けてゆっくりと進め。失敗は許されない」
隣に座っていた中森二等陸尉は運転している部下にそう命じて時計を見た。決行まであと六時間だった。
東京港に面する晴海オフィスは、東京で最も大きな敷地面積とのべ床面積を誇る拠点だった。大型物流倉庫の上にモダニズム建築特有のモノリスのような大型中層ビルを建てたような外観の庁舎の前に、関口の恐れていた報道陣の姿はなかった。
玄関前の広い駐車場に車を入れ、一階エントランスへ上がったところで関口は、脱いだコートを肩につっかけた笠木がセキュリティゲートの奥で寄りかかっているのを見つけた。一緒に来た有坂と菱川は眉間に皺を寄せて顔を見合わせる。
「お、到着したか、お疲れさん。助かったよ。もう巡回行っていいよ」
笠木は三人を認めるや、到底ねぎらいにならないような言葉をかけて関口を手招きした。
「どーいたしまして~」
菱川と有坂はまるで犬の唸り声のような低い声で不満を示した。そんな二人には微塵も注意を払うことなく二人に背を向けた笠木は、関口を伴ってエレベーターホールへと足早に歩き出した。笠木の背中へ向け、有坂は中指をつき立て、菱川は思いっきり舌を出して見送る。ゲートを警備していた保安官補が目を丸くして二人を見つめていたが、笠木が振り返る事はなかった。
「腕の調子はどうだい?」
開口一番に笠木が訊ねた。関口は笠木に直接聞きたい事がたくさんあったのだが、どこから切り出してよいか判らず、歯切れ悪く言った。
「ええ…… か、かなりよくなりました」
「そう……」
笠木はエレベーターのボタンを叩いた。
「あ、あの、笠木さん、一つ聞きたいんですが……」
「うん、恐い顔してどうした?」
関口は笠木の両目を見据えて、一瞬訊ねるべきかどうか躊躇した。
「あの…… 笠木さんが三年前、市民を誤射したという話を聞きました」
笠木は関口の顔を見つめたまま瞬きした。笠木は表情を変えず大きく鼻で息を吸った。ピンッというベルの音と共にエレベーターのドアが開いた。
結局、笠木は無言のまま関口を最上階のカフェテリアへと連れて行った。笠木はアールグレイの紅茶を頼み、関口はホットココアを注文して腰をおろした。
「君の言う通り、僕は三年前に罪もない民間人を誤射し、一生歩けない体にしてしまった事がある…… 公式の記録にも残っているし、隠し様のない事実だ」
関口は訊ねた側であるにもかかわらず、次に何と言ってよいのか判らなくなった。
「今回の君の事件で自分の事を思い出したのは、まぁ事実だ。でも、君は誤射した訳ではないから、強いて話す事も無いと思ったんだけど、そうもいかなかったかな?」
再び、沈黙が訪れた。
関口は眼前のおひやのコップを両手で握り締めながら、笠木に不躾な質問を投げつけた事を少し後悔していた。
「ただ、残念ながら『公平な審判』なるものは存在しない。僕が、自分のやってしまった事の責任を取らなかったのに、君がそれより思い責任を負うのはおかしいよね」
笠木は無表情でティーカップを揺らした。
「もし辞める事が許されるんなら、とうに辞めてるけど、いぜれにしろ、間尺に合わないオチは嫌いだ」
笠木は湯気の立たなくなった紅茶を飲み干しながらそう呟いた。
その時、笠木の携帯電話が着信を知らせた。笠木は電話を取り出した。笠木は二言三言、簡単な相槌を打ってから電話を切る。
「すっかり本題を後回しにしてしまった…… 君を呼び出したのは他でもない。君には、今夜から明日未明かけて開かれる予定の広報部主催の記者会見に出席してもらう」
電話をポケットに突っ込んだ笠木の言葉に、関口は絶句した。
――も、もうおしまいだ。脳天をカメラに晒して、『すみませんでした』って言わされて、クビになるんだ。
放心したように口を開けている関口に笠木は続けて言った。
「実は、秋葉原で君と撃ちあった強盗犯の居場所が判った。今夜、奴らを逮捕する。その逮捕令状が今こっちに届いたところさ」
関口は思わぬ僥倖に言葉を失う。笠木は紐綴じの茶封筒を掲げて見せた。
「なんとか自治警の機先を制した。君にはその為に一仕事をしてもらう」
驚きのあまり茫然自失となった関口は、笠木の言葉など耳に入らない様子で呟いた。
「つ、つまり犯人が見つかったわけですね? マジで?」
「まぁいいや。とにかく、君は今夜ここで待機していればいい。事が終われば広報部から君を迎えに担当者が来るから、あとは連中の言うとおりにすればいいよ。おそらく、会見は明日の未明だろう…… それまでは仮眠室で寝ててもいいよ」
それを聞いた関口は、ようやく我に返り、目の前の事実を噛み砕いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。秋葉で会ったならず者が捕まる間、自分はずっと局にいろって事ですか? 一体、誰が奴らをやっつけるんですか?」
関口は腹の臓腑が熱を帯びてきたように、体が熱くなってきた。
「いいですか? おれは、あの凶悪犯たちと真正面から撃ち合った唯一の保安局員ですよ。犯人を捕まえる時に、このおれが行かなくてどうするんですか? なんか、納得できません」
目を剥いて興奮気味に言う関口を見て、笠木は何か考え込むように天井を見上げた。
「やる気は大変いいんだけさ…… その腕で、どうしようっていうの?」
笠木は口を一文字に歪めながら訊ねた。だが、頭に血が上っている関口本人にとってはケガの治り具合など些細な事に思えた。とにかく、自分をコケにした犯人グループに思い知らせてやりたい。今はその事で頭が一杯になっていた。
「捻挫の一つや二つ、関係ありません!」
そんな関口の顔と腕のギブスをジロリと横目で見つめながら、笠木は考えた。関口が犯人への私的な怒りで、立場やケガの事を冷静に判断できなくなっている事は明らかだ。だが、笠木の頭には、別の思惑が浮かんできた。
笠木は腕を組んだまま、関口を値踏みするように見つめた。笠木の頭はにわかに回転し始める。シュルツ、総督府、自治議会、市民、マスコミ、三年前の誤射事件…… 様々な想いが脳裏を駆け巡った末に、笠木はニヤリと笑って首を縦に振った。
笠木は薄笑いを浮かべて、ポケットからバック112番のフォールディングナイフを取り、関口へ向けてテーブルの上へと放った。真鍮とウォールナットで作られた美しい柄のハンティング用折りたたみナイフは、テーブルの上をくるくると回転して関口の目の前で止まった。
「まぁ二十歳過ぎてるんだから、自分の体の事は自分で判断してよ」
笠木があっさりと折れたので、関口は逆に少し戸惑った。しかし、なんとしても現場に足を運んで犯人が制圧される様を自分の目で見なければ、この煮えくり返る腹の虫は収まりそうもなかった。
関口は意を決してフォールディングナイフの刃を開き、樹脂製のギブスの切れ込みに刃を突き立てた。切れ込みに刃を立てて一気にナイフを引くと、ギブスはズズズッと音をたてて裂けて、重い音と共に床に転がった。数週間ぶり左腕の拘束が解けた関口は、腕の関節を恐る恐る曲げ伸ばしする。痛みはない。ほっとしてから、ようやく関口は不敵な笑みを浮かべて笠木に言った。
「了解しました。直接、奴らにペイバックします」