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バンディッツ

 日を追うごとに太陽が沈む時間が早くなってきた。薄暗くなり、ウォーターフロント地区の片隅であるこの界隈の人影もまばらになってきた。夕方、人間の目が一番物を捉えにくくなる時間だった。

 東京港、新木場。二人は、今はほとんど使われていない貯木場に面する岸辺で約束の相手を待っていた。

「初めまして、香取部長」

 背後から声を掛けられ、新中央警備の香取と遠藤は振り返った。木立の暗がりから黒いスラックスに黒の革ジャンパー姿のあごひげをはやした男が歩いてきた。肩には大きなボストンバッグを下げている。

「山口さん、ですね?」

「ええ、そうです。どうも初めまして」

遠藤の確認するような問いかけに男は白い歯をみせて笑った。香取は、この男とはテレビ電話では何度では何度もやりとりしてきたが、顔を合わせるのは初めてだった。これまで香取達と直接コンタクトしてきた相手は山口の部下を名乗る代理人であった。

「約束の物は用意しました」

「こちらも」

山口と名乗る男はボストンバッグを二人の前へと置いた。

「約束の三千万です。全て不揃いナンバー。現金取引ほど足がつきにくいものはありません」

遠藤が早速バッグのジッパーを開けて、帯封でまとめられた札束の数を数え始める。香取は相手の男へ小さなアタッシュケースを渡した。

「回路図は先日メールにてお送りしたとおりです」

香取はアタッシュケースを受け取ると、それを地面に置いて開いた。中には書類の束とCD―ROMディスクが一枚入っていた。

「そのディスクにある顧客認証コードを流せば研究所の通報システムが切れても、緊急信号は発せられません」

香取はそう言って、定期的に異なる乱数が表示される液晶画面のついたキーホルダーのような形のセキュリティトークンを手渡した。

「こちらが南研究棟のゲート開放キー。五日後からこの変数アルゴリズムで無事に扉が開くはずです。ただ、いつまでもこのトークンと同期しているわけではありません。おたくの雇った中国人達のせいで、ここは非常に騒がしくなっている」

客の男は笑ってそれを受け取るとアタッシュケースを閉じる。

「正確に言えば、彼らは台湾人です。彼らのお陰で、電話式と無線式の警備システムはほぼ問題なく解除できることが証明された。独立ネット式も今回頂いた顧客認証コードでやってみて私も安心しました。やはり実際にやってみないと安心できない」

「あそこの研究所は最新の『アキリーズ・システム』を導入してますからね。銀行の支店と同じ様にはいきませよね~」

相手に調子を合わせるように、札束を数えていた遠藤が能天気な営業口調で言った。香取は顔をしかめた。

「中国でも台湾でもなんでもいい。我々が教えた方法で勝手に荒らしまわられ、こちらは非常に神経を尖らせてるんです」

「いやいや、ご心配には及びません。あれは直に収まります。私らがやらずとも誰かが始末してくれるでしょう。それよりも、私どもの仕事が終わり、彼らの始末がつくと当然、あなた方の身辺にも捜査が及ぶでしょう。その為にも証拠は全て消し尽くしたはずです。だから、ほとぼりが冷めるまでしばらくこのお仕事もお休みされる事をお勧めします。決して動いてはいけませんよ」

「あたりまえです。我々は山口さんと違って高飛びする訳にはいきませんからな」

香取は厳しい口調でそう言った。わきで札束を数えていた遠藤がバッグのジッパーを閉じた。

「確認しました。大丈夫です」

「では、私はこれで。またご縁がありましたら…… しつこいようですが、何が起きてもじっとして普段通りに生活してください。そうすれば無事でいられます。銀行や宝石店のご友人方にもそう伝えておいた方がいいでしょう」

男はそう言うと夕闇のなかへと消えていった。

「なんか私、今になって怖くなってきたんですけど……」

隣でボストンバッグを抱えている遠藤が声を震わせて言った。

「今更なんだ。もう済んだ話だ。それよりも、俺達は俺達で身を守る事を考えねばならんな」

香取は険しい表情で山口が歩いていった方角を睨んだ。

 元々、香取も遠藤も、客が名乗る『山口』という名前が本名でない事くらいは承知の上だった。ただ、この奇妙な客も所詮大規模な後ろ盾を持つ産業スパイの一員であるとしか考えていなかった。ましてや山口と名乗る男の正体が、連合保安局が目下全力で行方を追っている日本共和国軍の大物特殊工作員である事など想像だにしなかった。



 舗装がガタガタになったメンストリートに面するオフィスビルは、外面の窓掃除も疎かにされ、どの建物もすすけており、街全体が寂れた印象に覆われている。

 東京、八丁堀。経済破綻によって、かつて経済活動の一大拠点であったこの街も、今では古びた空のオフィスビルが墓標のように並ぶ空洞地帯の一つとなっていた。ビルの窓に多くにはテナントを募集する不動産業者の看板が貼り付けられていたが、それらはどれも、かなり以前に貼り付けられたまま放置されているものだ。完全にテナントがなくなってしまったビルの一階部分は、不法占拠者の侵入を阻止する為の金属製の囲いで覆われ、無機的な直方体としてそこに立っているだけだった。

 活気のない大通りに面する北総銀行八丁堀支店は、そんな寒々しい街の中ではひときわ綺麗な看板と正面ウィンドウの店構えをもっていた。需要こそ大幅に減少したものの、八丁堀で経済活動を行う者達へのニーズに応えるために、北総銀行はこの街に支店を残していた。大手都市銀行の面子ともいえる店舗の店構えは洗練された雰囲気を維持しなくてはならなかった。街路に面する一面のガラス窓は曇りひとつなく磨き上げられていて、透明性と清潔感をアピールしている。もっとも、この店頭一面のガラスは三ヶ月前に張り替えた新しいものであった。

 支店の前の道路には新中央警備の白い作業用バンが停まっている。八丁堀支店の支店長である織田渉は、紺のスーツ姿の営業マンとユニフォームジャンパーをつっかけた技術職をぼんやりとした目で追っていた。二人とも銀行の警備を預かる新中央警備の社員だった。最低限、説明を聞いている振りくらいはしなくてはならない。

「ということは、今後は電話線以外にも二重の通報システムが追加される事になったんですね?」

営業マンが説明する合間に副支店長を勤める松村が質問を入れる。まったく真面目な男だ、と織田は心中で罵った。しかし、今は自分の代わりによく話を聞いておいてもらわなければならない。

 織田はピカピカに光を反射する窓ガラスを見つめた。ガラスの表面には自分の不機嫌そうな顔が映っていた。右のこめかみから目じりにかけて、薄紫色のアザの跡が未だに見て取れた。あの日、自分は殴られなくても済むはずだった…… 織田の役目は襲撃犯にコンテナ二つを渡すだけだったのだ。

 あの日、決算日に中国人たち――織田はあの男達を中国人と信じているーーは予定通りに現れた。決算を迎え、本店へ現金を納めるために現金輸送車が支店の裏口に止まった。店舗の右裏にある搬入口で、事前に用意してあった大きなキャスター付きのジュラルミン製カートを警備員に渡そうとした時、計画どおり男達はやってきた。男達は支店の裏口へ車ごと突入し、何の躊躇も無く警備員二人を撃ち殺してから、自分と支店の出納役である広田が用意した現金輸送用のカートを奪って逃走した。全ては予定通りだった。ただ、男達がその際に広田と間違えて織田の顔面を銃器で殴打した事を除けば……

「夏の事件では、犯人は警報装置の脆弱性を見抜いていました。警報装置が作動しても自動通報システムから発せられた信号が遮断された状態だったので、警察とわが社の方に通報が届かなかったのです。これまでわが社は電話線を使用する単独警報システムを採用していましたが、今後、業界の大手三社と業務提携し、複合型のサービス商品を開発しました。今日設置させていただいたのは当社と村雲安全さん、帝都警備保障さん、セキュアさんの四社合同で開発した新しいパッケージ商品となり、従来よりも、より堅固かつ迅速な警備サービスをご提供できるようになりました」

「ああ、今CMでもやってる『アキリーズ・システム』ですね?」

松村が自社のCMを知っていたので、営業マンは嬉しそうに笑った。

 新中央警備の社員達が帰った後、松村は渡されたパンフレットを開きながら言った。

「広田さんが戻ってくれば安心するでしょうね」

「ああ、そうだな……」

「いいですよね、沖縄旅行かぁ。あんな事さえなければ私も休みが欲しいですよ」

「さぁ仕事に戻ろう」

もっとも、松村の言うとおり、広田はたしかに安心するだろうと織田は思った。

 事件後、警察の事情聴取を終え、支店職員の動揺も収まった頃、広田寛司は有給休暇を申請し沖縄へと旅立った。この銀行内で事件の秘密を握っているのは自分を除けば出納役の広田だけだった。

 そもそも強奪という言葉自体が間違いなのだ。自分以外では広田だけが知っていた。事件当日、本社に送るはずだったコンテナの一つは空だったということを……

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