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 『関口伸一 二等保安官補』というキーワードは東日本中のニュースメディアを占領しつつあった。

『……事件を起こしたとされているのは、連合保安局西新宿オフィスに配属されている、都市警備部所属の二十三歳の二等保安官補で……』

 別のニュースチャンネルでは、秋葉原駅前の電気街口にリポーターが立っていた。

『私は今、秋葉原駅前におります。先程、秋葉原で商店を営む男性の方にお話を伺いました。その方によりますと、事件を起こした関口保安官補は度々姿を見せていた、時には事件当日と同様ライフルを手にしたまま訪れる事もあったということで、関口保安官補は勤務時間の間でも頻繁にこの街へ訪れていたようです』

『こちらは永田町の総督公邸前です。先程、正面ゲート前に止まった右翼団体の街宣車が突然拡声器で「関口保安官補を断罪せよ」と抗議のシュプレヒコールを上げ、警備隊や警察との間で押し問答となりました。一時辺りは騒然となりましたが、現在は落ち着いています。その後も依然、総督府から声明などは発表されていません。また、今から三十分ほど前に自治議会の議員代表五名がこちらの公邸を訪れました。代表五人は総督府のハロルド・ダーリントン行政長官に面会し、事件の真相究明と関係者への厳しい処分を強く求め、これに対しダーリントン行政長官も訂正な手続き踏んで事件に当たる事を約束しました』

 日東新聞の号外スクープ報道に端を発し、関口伸一の顔と名前は情報通信網に乗って爆発的な速さで拡散していた。一晩のうちに報道各社は保安局の本庁舎や西新宿オフィスに詰め掛け、それに呼応するように様々な思惑を背負った抗議団体も姿を見せ始めていた。



 桜田門の警察局本庁舎。警視庁公安部からの報告により、前島と接触した女が日東新聞の社会部に所属する駆け出しの記者だと判明した。そして、その記者がデスクへ情報を持ち込んで半日後、正規の手続きで裏付けを取った日東新聞は速報でこの事実を公開した。

 前島によるリークは大きな効果をもたらしつつあった。

「なるほど、危険な手段をとるというので心配したが、よくやった」

警察局の統括審議官は満足そうに言った。桜田門の警察局庁舎の応接室で前島と上司の参事官が深く頭を下げた。

「ありがとうございます。今回はこの前島警部補がうまく手配しました」

「そうか、今回はご苦労だった。それと、自治議会の先生方からも強い圧力があった。今度は何としても連続強盗犯を自治警察の手で押さえろと要求してきている。この事件を、国民の総督府に対する信頼失墜の起爆剤にしようとお考えだ」

統括審議官はそう言って背広の前ボタンを外してソファーの背もたれに深くよりかかった。

「そういえば、科学捜査研究所から証拠の鑑定報告が出たようです。昨日、目白で起きた強盗殺人事件も、秋葉原事件をはじめとするこれまでの連続強盗犯と、同一犯とみて間違いないようです」

前島の報告に二人の上司がうなずいた。

「この犯人も我々で押さえませんと。日本には保安局なんぞ無用である事をみせつけなければなりません」

参事官の言葉に前島も深くうなずいて、電源を入れっぱなしのテレビへと視線を向けた。見慣れたの西新宿の保安官オフィスの前でレポーターがまくしたてている。

『……事件を起こした関口伸一保安官補が所属する西新宿セキュリティーベースの前にきています。先程から複数の市民団体が横断幕等を掲げて抗議活動を行っています。本日午後一時から連合保安局の丸の内本部で保安局広報部による記者会見が行われる予定ですが、それに事件の当事者である関口保安官補が出席するのかどうかは判っておりません』

 テレビや新聞で発表される世論調査の数値はどれも、保安局を非難する声が八割を超えていた。

 それを見た前島は満足そうに口元を歪めて笑った。警察局や自治議会の意向がどうのこうのこうのという話以上に、自分の仕掛けた『悪戯』が思っていた以上に上手くいった事自体に前島は喜んでいた。



 日比谷、連合保安局本庁舎の三階。廊下にまで外の騒がしい混乱の音が聞こえてくる。外に面した廊下の窓から外の様子がよく見えたが、本庁舎にやってきた笠木は口をへの字に歪めたまま窓の外には一瞥もくれず、コートも帽子も取らないまま大理石の床を革靴で足早にカツカツ鳴らして会議室前へとやってきた。笠木が会議室のドアの前で踵を打ち鳴らして足を止めると、ドアが内側から開いた。

 会議室から現れたのは連合保安局の上級幹部達だった。会議室から出てくる人の塊のうち最も大きなグループの端に広報部長のシュルツがいた。シュルツはすぐに、険しい目つきで自分を見ている笠木に気付き、そばへとやってきた。

 人が散り、廊下が静かになった。

「君は一体何しに来たのかね?」

シュルツは笠木から顔を背けたまま静かに言った。笠木はシュルツの横顔を睨みながら返す。

「我々の近くに裏切り者がいます……」

「そう決め付けるのは早計ではないかな?」

シュルツが横目で笠木を見た。

「ブン屋ごときに遅れはとりません。いずれにせよガス漏れ検査が必要です。一刻も早く漏洩した者を始末しないと、関口が……」

「君に言われるまでも無く、すぐにも監査部が内部調査を始めるそうだ。はっきり言おう、カサギ。君の任務は完了した。君の上司には、良く働いてくれたと報告しておこう。だから、もう本来の仕事に戻りたまえ」

笠木は忌々しげに口の端を歪めた。

「関口をどうするつもりですか?」

「今の会議で、この度の口頭審問にはいまだ解明されない不明確な点が認められる、として再審問が開かれる事となった。今回はオブザーバーとして自治議会の議員代表も出席する可能性も視野に入れて検討をはじめた。全て総督府の意向だ」

「馬鹿な…… やはりハル・ダーリントンもとんだ狸親父だな」

笠木は行政長官の名を出してそう毒づいた。シュルツはようやく笠木のほうへと体を向けた。

「少し落ち着くんだ。残念だが君にはもう彼を救う事はできない。私にもだ。いいかね、統治者たるもの、かの民衆を上手く操らなければ、かの地の安定は望めない。何人も彼らには逆らえない」

「浅はかですね。関口個人の問題では済みません。保安局の権威と士気の低下は避けられない。東京の治安に極めて悪い影響を与える事になるでしょう。一体どれだけ犠牲が出ると思いますか? そのツケを最初に払うのは外で騒いでる市民達で、最後に払うのは総督府ですよ」

笠木は警告するようにそう呟いた。シュルツは教え諭すようにゆっくりと言う。

「確かに彼のミスは、数年前に君が犯した過ちはよりも遥かに軽い。間違って市民を撃った男が未だのうのうと金バッジをつけていて、より過失の少ない前途有望な新人はクビを切られる。確かに間尺に合わない話ではある」

笠木は押し黙った。

「何故、君が未だにバッジを付けていられるのか? それは当時の君には、世論の反発を招いてでも保安局に置いておくだけ利用価値が存在したからだ。そして今回、同じリスクを負ってあの保安官補を保護するメリットは存在しない。それが総督府の決定だ」

笠木は口をへの字に曲げたままシュルツの言葉を聞いていた。笠木は窓の外の人の塊へと視線を走らせた。拡声器から発せられたシュプレヒコールが窓越しにかすかに響いてくる。

「……判りました。仕事に戻ります」

そう言うと笠木はシュルツへ背を向け足早に歩き出した。

「ああ、そうだ最後に一つ。関口保安官補は今どこにいるんだね? 今後、会見には彼にも同席してもらいたいと考えているんだが」

シュルツが笠木の背中に問い掛ける。笠木は肩越しに振り返った。

「さぁ、あいにく存じませんね」

帽子のツバの影からのぞくカイマンのような双眸がシュルツを見据えていた。



『査問やりなおし 保安局発表』

『保安官補 再度証言台へ』

『総督府支持率 過去最低を記録――デモいまだ収まらず』

『保安官補 刑事責任追求も視野へ』

 大手新聞各社の朝刊一面には、いずれも連合保安局や総督府の厳しい状況を示す見出しが並んでいた。



〈アキバのトリガーハッピー〉乱心保安官補関口を語るスレ〈乱射魔〉

名前:名無しのニートさん

お祭りワショーイ!


名前:名無しのニートさん

つーか保安簡保ってピザでもなれんのな?


名前:名無しのニートさん

はいはい、もう有罪確定だし死刑でいいだろ。


名前:名無しのニートさん

あの顔、どう見てもゲイだな


 インターネット上では当然のごとく、根も葉もない凄まじい誹謗中傷の嵐が吹き荒れていた。



「関口保安官補の中学校時代の友人というこの男性によれば……」

『――初めて会った時からオタクぽい奴だとは思ってたんすけどー』

まっ茶色に染めた長髪がモザイク越しに見える。次にカメラはだぶだぶのジャージとサンダルを履いた足元を捉える。

『元々、何考えてんのか、よくわかんねーヤツだったんでぇ、いつかヤバイことやるんじゃねぇ?とか、思ってたんでぇ、テレビ見てやっぱりかよって』

男はモザイク処理の画面の向うがわでケラケラと笑う。その軽薄な笑い声が全国のお茶の間へと配信された。



――今日は寒いな……

 昨夜からの雨は昼になってもあがらなかった。憂鬱な雨音を聞きながら、一日中寝巻き姿のまま布団に体を横たえていると、自分がまるでセイウチかオットセイにでもなったような気がしてくる。少なくとも、今だけは「関口伸一」という人間をやめたかった。

 埼玉新都心から幹線道路を東北東に十五キロ。武蔵春日市に関口の実家はあった。笠木の手配で、あれから日付の変わらないうちに関口は家族の住む実家へ逃げ込んだ。マスコミは関口の実家を把握し襲来することは明白で、それは時間の問題だった。なので、支度を済ませてすぐ関口は伊月の車で武蔵春日市の郊外にある親戚の家へと転がり込んだ。少なくとも窮地に立たされた今、身を寄せるのはここ以外に無かった。

 無論、こちらでもテレビや新聞で関口の事は知れ渡っていた。だが、両親も親戚も何も聞かずに関口を迎えてくれた。恐らく、内心は心配で仕方が無いに違いない…… はじめて関口は泣きたくなった。

 関口はのっそりと起き上がって、いつもの癖でテレビのリモコンへと手を伸ばしかけたが、あわてて手を引っ込めた。自分を映すテレビ画面を見るのは耐えがたい苦痛だ。公共放送ですら自分の人格を攻撃するものが多い。

 それに、あの『中学校時代の友人』には参った。

――お、お前、一体誰だ!

あの男は友人ではないし、クラスにいたのかもしれないが、そもそも記憶にすら残っていない。『公共放送』を自称するテレビ局ですらこの酷さなので、インターネット上ともなればその比ではない。

 ネット上には『良識』など存在しない。日頃、ネット上で誰かが罵詈雑言の標的になっている様をギャラリーとして楽しんでいた関口だったが、よもや自分がそのターゲットになる日が来るとは夢にも思わなかった。

 もうこれ以上、自分を傷つける余計な情報には触れたくない。関口は早々に部屋のテレビとパソコンの電源コードをコンセントから引っこ抜いてしまった。今になって思うと、査問準備の為に保安局の用意したホテルの一室に軟禁された際、部屋からテレビやネット機器が撤去されていたのは、機密保持や保安局の情報戦上の都合ではなく、関口をマスコミの情報から庇う為のものだったのだろう。関口は今更ながらに笠木の心遣いに気付き、心中でその配慮に感謝した。

 何かすれば自分を傷つける有害な情報に触れてしまうので、結局今できる事は部屋で寝ているか漫画を読んでいることだけだ。

 だが、いつまでもそうしてはいられまい。今回も笠木のお陰でマスコミの矢面に立たなくて済んだが、今回に限っては別れ際に笠木は「なんとかなるから心配するな」とは言わなかった。もうしばらくすれば、自分にクビを宣告する為に東京からここへ再査問の召喚状が届くに違いない……

 その時、玄関のベルが鳴った。早速来たかと青くなっていると、親戚のおばさんが見慣れた顔を連れて部屋へやって来た。

「いよう、英雄。元気そうだな?」

 中学時代からの「本物」の悪友である篠原敬太が無遠慮に部屋へとあがりこんできた。色白で無精ひげの浮かぶ痩せた眼鏡のこの男は、今この土地でニート(無職未就学者)をやっている。旧友の出現に、関口はほっとして緊張を解いた。

「何しに来たんだよ。お前こそ仕事は決まったのか?」

枝毛だらけのむさ苦しい長髪をゴムひもで束ねたオタク系の友人の有様を見るに、彼がまともな社会人をやっていないことは一目瞭然だった。

「よく言うよ。大怪我したって、テレビでひっきりなしにお前の事やってるから見舞いに行ったら、君のお母さんがここの場所を教えてくれた。テレビ局とかはまだ来てなかったね」 

篠原は羽織っていたダッフルコートを脱ぎ捨てると、畳にドカッと座り込み、ギブスで固められている左腕をしげしげと見つめた。

「思っていたよりは重傷だな。どうなんだ?」

「天気のせいか、今日はズキズキと痛む……」

「しかし、お前も運が悪いよな。テレビで騒がれちゃったけど、結局何とかなるんだろ?」

今、一番聞かれたくない事だったが、親しい友人の遠慮の無い物言いは、今の関口にとっては心地よかった。

「何ともならねーよ。下手したらクビだってさ…… もう、どうだっていいよ」

それを聞いた篠原は急に真顔で首をかしげた。

「え? マジで? 変だな。前テレビでも言ってたが、お前が撃った弾で怪我した人っていないらしいじゃん。そうだとすると懲戒免職はありえないよ」

軍事・政治マニアである篠原には何か引っ掛かるものがあったのか、肩掛けカバンの中から何やら古ぼけた大学ノートを引っ張り出した。

「何かの参考になるかと思って持ってきたんだけど、このスクラップブックに、似たケースの記事があるはず…… あった、これだ」

関口も気になり、篠原のノートを覗き込んだ。ノートには古い新聞記事の切り抜きが不器用に斜めに傾いて糊付けされていた。

「えーと、今から三年半くらい前だな。六本木の路上でギャング同士の抗争が発生、それに連合保安局が割って入り、銃撃戦なった時の記事だ。ある一人の若い保安官補が、自分に銃を向けたギャングをフルオート射撃で射殺した。その時、不幸にもそのギャングの体を貫通した銃弾が真後ろの老人にも当たる事件があったんだ。幸いその老人は一命を取り留めたんだが、気の毒に脊髄を撃たれ半身不随。当然ながらマスコミや自治議会が一斉にこれを叩いた……」

関口は眉間に皺を寄せて、黄ばんだ新聞紙の一点を凝視した。額から嫌な汗がしみ出してきた……

「こ、この写真……」

「あ? ああ、こいつがその問題の一等保安官補だ。確かどこかのテレビ局がそいつの身元を嗅ぎ付けてスクープしたんだ。えっと名前は……」

篠原の口から名前がでなくとも、関口は当時保安官補だったその男をよく知っていた。

「笠木……」

「そうだ、笠木一等保安官補だった。こいつには嫌な仇名があって、犯罪者をやたら殺しまくるから身内からも『ブラッディ(血まみれ)』って呼ばれてたらしい。保安局とこの保安官補は一時的に世論のバッシングの標的にされたけど、当時は犯罪組織の抗争が激化していていて一般人への被害も酷かったし、保安局がギャングを力でねじ伏せようとしていた時期だったせいで、市民の批判もすぐに萎んじゃった。それに、その男がかなりの凄腕で、バッシングの最中、凶悪な指名手配犯を単独で射殺。保安局もこの男を庇ったから、マスコミの報道もあっという間に立ち消えになって、結局この男はバッジを返上しないで済んだままだ。お前、保安局にいるくせにこの話知らなかったのか?」

篠原は得意そうに説明した。関口は歯噛みして新聞の写真に写る笠木を見つめた。記者やカメラマンにもみくちゃにされて顔を手で覆っている三年前の笠木の顔はやつれていた。そして、今よりもやや幼く、怯えているようにも見えた。

「ブラッディじゃない…… 正確には『ブラディ』と発音してるよ」

「え? 知ってんの? おい、なんか顔色悪いぞ。大丈夫か?」

――笠木さん、どうりで……

篠原の声も遠く、関口は食い入るように記事を見つめた。


※物語の都合上、一部に架空の地名を使わせいただきました。

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