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暗転

 目白の閑静で区画の整った高級住宅街の一角は、赤と青のパトライトの光と右往左往する人の波で騒然となっていた。その住宅前の通りはテープで封鎖され、警戒のため紺の制服姿に抗弾ベストを着用した警察官が肩幅に足を広げて仁王立ちになり、集まった近隣住人達へ睨みをきかせている。ツツジの生垣に囲まれたその一軒家の前にはパトカーや鑑識のバン、救急車、連合保安局の警戒車が道を塞ぐようにすし詰め状態で停まっている。

 そこへ、剣呑な雰囲気の現場には不似合いな、カラフルな広告の塗装を纏ったタクシーが、不安そうな様子で見守る近隣住民の背後に停車した。警察への最初の通報があってから一時間半後の事だった。

 既に酒を飲んでしまっているので車で臨場する訳にもいかず、笠木と関口は仕方なくタクシーを拾って目黒まで駆けつけたのだった。車を降りた笠木は金バッジを見せて警察官を黙らせると、関口を伴って黄色いテープをくぐり、現場と思われるその家の前までやってきた。関口は、警察の鑑識班を乗せてきたバスの後ろに、青い回転灯を天井にのせた見慣れたセドリックを見つけた。

「伊月さんも来てるみたいですね」

「さっき電話で、上野にいるって言ってたが、わりと早かったな」

そう言って二人が側まで歩いていくと、火のついていないシガリロを咥えたままの伊月がセドリックの四角いボンネットに腰掛け、同僚の保安官と話していた。

「遅かったな……」

そう言って伊月は咥えたシガリロに火をつけることを諦め、ケースに戻した。

「ごめん、ごめん。ちょっと二人で飲んでてね。で、どうなった?」

ついてこいと言って、伊月はその住宅のひな壇になっている玄関の階段を登りはじめた。関口は、門の横にかけられた『馮』と彫られた立派な花崗岩の表札に目をやる。

――珍しい名字だな

そう思って表札を覗き込んだ関口に応えるように、笠木は言った。

「ヒョウって読むんだ。中華系だよ」

タイル張りのひな壇を登り、金属製の門扉を超えて庭に出たところで伊月は足を止めた。

「主人の馮祥煕と十歳の娘が撃たれて死亡、馮のボディガードが腹に散弾を食らって意識不明の重体。裏資金と思われる現金、無記名債権その他がごっそりと持っていかれたそうだ」

 テニスコートの半分くらいの広さがある芝の整った庭では、青い作業服姿の鑑識課のチームが忙しく作業にあたっている。庭に面する縁側の窓は開け放たれ、室内から黒いボディバッグ(死体袋)を乗せた担架が捜査員達によって運びだされようとしていた。どうみても大人の背丈ではなかった。むごいね……と笠木は唸った。

 玄関から廊下へと上がると、独特なお香と中華料理屋でよく嗅ぐ香辛料の匂いが鼻を突いた。

「犯人は裏の勝手口からドアをドリルでこじ開けて侵入し、書斎にいた馮を脅し、金庫室を開けるように迫った。だが馮が抵抗しようとしてサブマシンガンで撃たれ、貫通した弾で背後にいた娘も巻き添えになった。騒ぎを聞きつけたボディガードがこっちの廊下から駆けつけたが、出会い頭にショットガンで一発……」

伊月は縁側の廊下を指して言った。白い壁紙には飛び散った血痕が見える。

「結局犯人は馮の夫人を脅して金庫を開けるよう迫ったが、夫人には開け方が判らなかったらしく、小さな爆薬で金庫室の壁に穴を開けて掴めるだけの現金と債権を強奪し逃走」

「荒っぽいですね…… プロのやることじゃないですよね」

関口が知ったかぶりの口調でうなずくが、誰も相手にしない。

「玄関にもあったが、この家はホームセキュリティに契約しているみたいだけど、連中はそれを無視して押し入ったの?」

笠木は玄関で見た新中央警備の契約者ステッカーを思い出して言った。伊月は首を振る。

「連中は事前に把握してた。警報装置のブザーは鳴ったようだが、完全に無力化されていた」

伊月は縁側へと歩き、庭の生垣の向こうから頭を覗かせる電信柱を指さした。鑑識班の一人が電柱の上へとよじ登ってなにやら作業をしている。

「警備会社との接続はあの電話線を使っているらしいが、切断されていた」

「切られてた? 電話線をただちょん切っただけなら、それだけで異常を知らせる信号は発せられ、十数分以内に警備会社か警察が飛んでくるはずですよ」

電気技術分野への知識が深いある関口が早速、疑問の声を上げた。今回は二人とも関口へ顔を向けた。

「確かに。このタイプの警報機には電話回線監視機能があって、警備会社と相互に特定の信号を発振して電話線ラインに異常がないか監視しているらしいが、ラインの途中に何か細工をしたらしい。電柱の上の配電盤に手を加えた痕跡があったそうだ」

笠木は縁側の全てのガラス窓に貼り付けられた振動感知型のアラームを見て言った。

「なるほど、押し入った奴も押し入られた方もまともじゃないな」

庭や玄関には、これでもかと言わんばかりに防犯カメラが威圧的に訪問者を凝視している。

「カメラの映像には何か?」

「無い。勝手口のカメラはスプレーでやられていた」

「それにしても、一般の住宅にしては警備過剰ですね」

関口は電柱やカメラを見回しながら言った。

「うん。実は殺された馮祥煕って奴は、表向きアミューズメント会社社長という肩書きを持っているけど、裏では城西地区に縄張りを持つ上海系犯罪集団のボス温山栄の下で金庫番をやっていた。おそらく、犯人はその事を知ってて襲ったに違いない。温の金に手を出すとは、連中よっぽど大馬鹿なのか、それとも一戦やらかす程に腕に覚えがあるのか…… いずれにしろ、襲った奴等はもう城西地区を出歩くことはできないだろう」

 居間へ移ると、大きな木製のサイドボードが乱雑に押しのけられ、その裏の白い壁紙が焼け焦げ、壁に直径70センチほどの穴があいていた。周囲には未だ火薬の匂いが立ち込め、室内の家具は全て、その壁から放射状に跳ね飛ばされて壊れていた。

「この裏が金庫室か…… 爆薬の種類は?」

笠木が鼻をつまみながら顔をしかめた。残留火薬の匂いで頭が痛くなってきた。それと対照的に、鑑識班は全く意に介する様子も無く、黙々とサンプルを集めている。

「自治警から報告待ちだ。爆薬で小さな穴を開け、そこをハンマーで壊して侵入した。事前に、金庫が開けられない可能性まで考慮に入れて犯行に及んでる」

「遺留品は全て自治警に押さえられちゃったみたいだね…… 馮の奥さんは?」

「自治警が取調べ中だ。もっとも、今は半狂乱状態で手が付けられんそうだ」

いくら犯罪組織の幹部を夫に持つ身とはいえ、目前で夫と娘を撃ち殺されれば平然とはしていらないだろう。

「お気の毒に……」

 笠木は関口を伴って馮祥煕の書斎へと移動した。絨毯にはべっとりと血が染み込み、この部屋の主が倒れていた跡は白いテープで示されていた。

「薬莢はもう持ってかれちゃったか……」

笠木は弱ったねという様子で帽子をとり、頭を掻く。証拠の薬莢は、今ごろ塀の外に停まっている鑑識班のバスの中だろう。

「悪いが、笠木と話がある。先に車へ戻っていろ」

伊月は関口に命じた。関口は困った様子で笠木の顔を見るが、笠木は目をパチクリさせながらよく判っていない様子でうなずいたので、関口は仕方なくその場を退散した。

 関口が廊下へ出て行ったのを確認してから、伊月は口を開いた。

「なぜ奴を連れてきた?」

「いや、たまたま成り行きで。それに、勉強にもなるでしょ?」

伊月は表情を険しくして、話題を変えた。

「警察の鑑識班によれば…… 今回使われた銃弾は九ミリ・パラベラムのフルメタルジャケット弾で、遺留品として薬莢に残されたエキストラクター・マークが、どうやらTEC9サブマシンガンから撃たれたものに似ているとのことだ。検査すればすぐに判る」

伊月の言わんとするところを笠木はすぐに悟った。

「TEC9…… 最近聞いたよね、その名前。電話線をカットする警報機の破り方も同じだ。まさか連続強盗事件の続きか?」

銃の指紋ともいえるライフル・マークが一致するまで、同一の銃が使われたという確固たる証拠にはならないが、警察の科学捜査研究所の分析により同一犯という結果が出た場合、事件はただの強盗事件ではなく、強力な犯罪組織の利害が絡む厄介な事態に発展しつつある事を意味する。

「つまるところ、この連続強盗犯を巡って保安局、自治警、そして中華系マフィア三つ巴の争奪戦になるかもしれないって事か…… 捜査本部へ連絡、入れといたほうがいいよ」

「当然だ」

伊月は不機嫌そうにうなずいた。

 二人がその家から出てひな壇の階段を下りると、封鎖テープの外側にはもうマスコミが集まりテレビ中継や撮影をはじめていた。いつもは静かな住宅街だが、今は人と車で埋め尽くされている。ただ、その後方にかなり場違いな白い大型のセダンが停まっている事に、二人の保安官はすぐに気がついた。全ての窓ガラスにフルスモークのフィルムを貼った白いセダンBMW7シリーズから、龍や武神の刺繍をした派手なジャンパーを羽織った男が助手席から走り出て素早く後部座席のドアを開ける。中から派手なストライプの入ったスーツ姿の中年の男が二人、封鎖テープへと近づいてきた。二人はすぐに警戒中の警察官数人に制止され押し問答をはじめる。

「流氓、現れたか……」

「自分の財布を盗まれたようなものだ。黙ってはいまい」

温の手下と思われる中華系マフィアの構成員二人が警察官に止められて押し問答する様を眺めながら伊月が言った。

 マスコミの数がにわかに増えてきた。家や現場の写真を撮るストロボの光が一帯を照らし出す。関口は塀によりかかってぼんやりとその様を眺めていた。

「まずいな。あいつを車の中へ入れないと」

笠木が言い、三人は写真を撮られないためにセドリックの車内へと腰を落ち着けた。

「この車は相変わらずタバコ臭いな……」

助手席に座った笠木は露骨に気持ち悪そうな顔をして大きなくしゃみをした。

「ああ~、ちょっと寒いな…… エアコンつけるよ」

車に入ってから好き勝手に言う笠木を無視して、伊月は無線機の電源ツマミを弾く。

 電源を入れた途端にけたたましい特定コールサインを呼ぶ声が車内に響いた。

『西新宿SBよりピースメーカー、応答せよ…… 西新宿SBよりピースメーカー』

無線機からの聞こえる『ピースメーカー』というコールサインは伊月のものだった。

「ピースメーカーより西新宿、応答した」

伊月がハンドマイクでそう呼び返す。

『良かった、こちらオフィスの有坂っス。伊月さん、今どこですか?』

取り乱した声で有坂が返してきた。

「目黒の強盗事件に臨場中。一体どうした?」

『了解、現在西新宿オフィスの正面はマスコミが押しかけてヤバイことになってます。こっちに戻ってくるのは無理そうっス。繰り返します、西新宿のオフィスは現在マスコミによって完全に囲まれてます!』

三人は思わず顔を見合わせた。

「一体どうした? 状況を的確に説明しろ。繰り返す、状況を……」

『こちら西新宿、今すぐテレビでニュースを見てください。ワケ判らないんスが、なんか関口の身元がマスコミにバレたらしくて』

「そんな……馬鹿な!」

笠木が色を失って怒鳴る。関口は言葉も出ない。

「今、関口と一緒だが、村岡さんはいるか?」

伊月が無線で呼びかけると、有坂は緊迫した様子で叫び返してきた。

『しばらく前に本局へ出かけていきました! とにかく関口は事務所につれて来ちゃ駄目です!』

「了解した。一旦通信終わる」

そう言って、伊月はハンドマイクを置いた。

「一体、どこからバレたんですか?」

関口は不安に襲われた。

「わからない…… と、とにかく、今はここから離れないと。すぐに車を出してくれ」

笠木も動揺を隠さず、指示をとばす。伊月は硬い表情で、シフトレバーをDの位置へと引いた。

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